春爛漫の椿山荘に行って参りました。


ホテル椿山荘東京の歴史は、古くは南北朝時代に遡ります。


山縣有朋や松尾芭蕉など、歴史上の人物とも深くかかわる歴史に育まれてきました。



南北朝時代(1336〜1392年)


ホテル椿山荘東京の周辺(東京都西北部目白台)は、江戸時代の地誌などによると、南北朝のころには既に椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていたようです。



江戸時代(1603〜1867年)


江戸時代初期には、神田上水の水役として出府した松尾芭蕉が1677年から、深川芭蕉庵に移るまでの4年余り、ホテル椿山荘東京に隣接する関口竜隠庵(のちに関口芭蕉庵)に住んでいました。


安政4年(1857年)歌川(安藤)広重が「江戸名所百景・せき口上水端はせを庵椿やま」に神田上水の豊かな流れや関口芭蕉庵などを描いています。


また、同年の切絵図によると、この敷地は、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷であったことがわかります。



明治時代(1868〜1912年)


軍人・政治家であった山縣有朋が、明治11年(1878年)に、私財を投じて「つばきやま」を購入し庭、邸宅をつくり、「椿山荘」と命名しました。


庭の全体計画や細部の意匠を指導したのは、山縣自身でしたが、この施工には当時東京を代表する庭師であった岩本勝五郎が起用されました。目白台地の崖線や緩傾斜を利用した芝生園地と流れ、池を特徴とした庭は、造園当時から生花界の重鎮であった近藤正一など、多くの文化人によって、日本で最も天然趣味に優れた名園と評価されました。



大正時代(1912〜1926年


大正7年(1918年)には、当時関西財界で主導的地位を占めていた藤田組の二代目当主「藤田平太郎男爵」が、名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎました。しかし、昭和20年(1945年)の空襲で、山縣の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。



昭和時代(1926〜1989年)


昭和23年(1948年)、椿山荘は藤田鉱業(旧藤田組)から藤田興業の所有となります。藤田興業の創業者となった小川栄一は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」の思 想の下に、一万有余の樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手します。


昭和27年(1952年)11月11日、ガーデンレストランとして「椿山荘」オープン。盛大な披露パーティが行われました。以来結婚式場の名門として、また大小宴会や日本を代表するガーデンレストランとしてたくさんのご利用をいただいています。


昭和58年(1983年)椿山荘新館がオープン。昭和62年(1987年)庭園の中の数寄屋造りの料亭「錦水」が、さらに翌年には美術館を改装して「新チャペル(現ヴァンヴェール)」がオープン。常に最新の設備と行き届いた温かいサービスを提供し続けてきました。



平成時代(1989〜2019年)


平成4年(1992年)


椿山荘敷地内に、「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」オープン。


平成10年(1998年)


庭園に佇むクリスタルチャペル「ルミエール」オープン。


平成15年(2003年)


露壇式庭園改装。


平成17年(2005年)


最上級のリラクゼーションをご体感いただくためにスパ施設を改修。


自然光と緑をふんだんに取り入れ、


「悠 YU, THE SPA」としてリニューアルオープン。


平成22年(2010年)


庭園のシンボル「三重塔」の“平成の大改修”を行う。


平成25年(2013年)


60年余り日本のおもてなしの伝統を紡いできた「椿山荘」と、20年に渡り世界基準でのおもてなしをご提供してきた「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」が統合し、


「ホテル椿山荘東京」としてリブランドオープン。


平成29年(2017年)


庭園内に格調高い本格神前挙式を執り行うことができる神殿「杜乃宮」を新設。



令和時代(2019年〜)


これからも歴史と伝統を守りながら、より洗練された空間とサービスを提供し続け歴史を紡いでいきます。