環境問題に関する文献としては、あまりにも有名なレイチェル・カーソン女史による手記。
自然破壊行為に対して無頓着だった人間に“警鐘”を鳴らした初めての作品で、40年以上前の作品であるが、今なおバイブル・導入書として広く読まれている、世界的ベストセラーである。
第二次大戦以降の合衆国、ひいてはヨーロッパ諸国における化学薬品、とりわけ殺虫剤や農薬の有害性を問題視せずに使用し続けていることの愚かさを声高々と訴えている。
その科学的証拠をいくつも挙げ、自然界の危機的状況を感情的に述べる書き方をしているのは、著者のカーソン女史が海洋生物学者であり、生涯をかけて地球環境保護を唱えていたからであろう。
植物や動物の生態系への被害だけでなく、私たち人間が命を落とす被害も起きていることを、幾数十もの報告を並べ、その恐ろしさを提示している。
数年前にこの文章の一部を読んだ際、化学薬品への知識などは皆無であったが、その被害状況の恐ろしさは文脈から重々伝わり身震いするのを禁じえなかった。
序章ではこのように述べられる。「どこへ行っても死の影。自然は沈黙し、春が訪れたが、鳴く鳥も既に居ない。野原、森、沼地、みんな黙りこくっている。沈黙の春。この病める世界、すべては人間が招いた禍だった。」と極端な寓話の世界のように表象しているが、著者によればその世界は決して作り話ではなく、実際にアメリカに存在する町の光景だという。
では現在はどうだろうか?
1962年とは取り巻く世論も急速に変化し、環境保護をより身近な問題として、民間レベルでもチェック・審議の目が厳しくなってきた。本書で有害として列挙された塩化炭化水素系や有機リン酸エステル系の殺虫剤は、今日では使用禁止になったものが大半を占める。その効果もあり、土壌汚染や水質汚染も改善傾向にあり、失われた生命が再び甦るような“善の世界”に歩みだしている。
しかし、逆に今までとは違う環境問題が出現しているのも現代の問題点で、上記の殺虫剤・農薬に変わる新たな有害化学薬品を使用し、まだその被害に気づいていない、または無視し続けているという点もある。それと、地球規模で取り組む問題として京都議定書から始まった「温暖化問題」等の新しい環境問題も着目を浴びる動きもあるのが、現代の環境問題である。
カーソン女史の警告した時代とは、善くも悪くも変わっている現状を視野に入れ、その現代的な環境問題と比較する上では、しつこいほどの本書の危機報告を参照するには有効であろう。
もちろん、本書の警告によって歩んできたその後の結果全てが最善だったとは断言できない。カーソン女史は自身の主張を“環境保護の立場から”力説しているのである。
とりわけ繰り返し述べられているDDT使用による環境への悪影響、これが後世で一般論として採択されたため、アフリカを始めとした発展途上国でのマラリア蚊の撲滅運動が消極的になったといわれている。この消極的な活動へのシフトのために被害が莫大に広がり、耐久性を持った新種の虫まで登場する。医療面・人道的支援の立場からすれば、本書のDDT批判は“悪影響”を招いたともいえるだろう。
そして、冒頭でも述べられるように「地上に生命が誕生して以来、環境と生命は力を及ぼしあい、生命(人間)によって環境(自然)をは破壊されてきた。」というカーソン女史の視点は、いかにも西欧的な自然支配の考え方である。それは古来から“自然と生命の共存”を根ざしてきた我が国の考えとは異なっていて、その為、殺虫剤や農薬の使い方も両国では異なるはずで、本書に挙げられた被害報告のモデルケースがそっくりそのまま日本でも起こっている問題としては考えにくい。
また、ここで挙げられている被害が本当に科学的根拠に基づいたデータなのかどうか、それを検証する手立てが薄いことは疑問として残るのだが、あくまでも著者による主張として警鐘を鳴らすということでは有効な論じ方ではなかろうか。
時代的、場所的な留意点を踏まえた上で読んで行けば、環境問題を考える導入として適している一冊である。単調に警告が羅列していくので、読み進めていくには途中少々中だるみもするが、切実に環境問題を訴える彼女の熱情は、どの文脈からも強烈に伝わってくる作品である。
沈黙の春/レイチェル カーソン

¥2,520
Amazon.co.jp
自然破壊行為に対して無頓着だった人間に“警鐘”を鳴らした初めての作品で、40年以上前の作品であるが、今なおバイブル・導入書として広く読まれている、世界的ベストセラーである。
第二次大戦以降の合衆国、ひいてはヨーロッパ諸国における化学薬品、とりわけ殺虫剤や農薬の有害性を問題視せずに使用し続けていることの愚かさを声高々と訴えている。
その科学的証拠をいくつも挙げ、自然界の危機的状況を感情的に述べる書き方をしているのは、著者のカーソン女史が海洋生物学者であり、生涯をかけて地球環境保護を唱えていたからであろう。
植物や動物の生態系への被害だけでなく、私たち人間が命を落とす被害も起きていることを、幾数十もの報告を並べ、その恐ろしさを提示している。
数年前にこの文章の一部を読んだ際、化学薬品への知識などは皆無であったが、その被害状況の恐ろしさは文脈から重々伝わり身震いするのを禁じえなかった。
序章ではこのように述べられる。「どこへ行っても死の影。自然は沈黙し、春が訪れたが、鳴く鳥も既に居ない。野原、森、沼地、みんな黙りこくっている。沈黙の春。この病める世界、すべては人間が招いた禍だった。」と極端な寓話の世界のように表象しているが、著者によればその世界は決して作り話ではなく、実際にアメリカに存在する町の光景だという。
では現在はどうだろうか?
1962年とは取り巻く世論も急速に変化し、環境保護をより身近な問題として、民間レベルでもチェック・審議の目が厳しくなってきた。本書で有害として列挙された塩化炭化水素系や有機リン酸エステル系の殺虫剤は、今日では使用禁止になったものが大半を占める。その効果もあり、土壌汚染や水質汚染も改善傾向にあり、失われた生命が再び甦るような“善の世界”に歩みだしている。
しかし、逆に今までとは違う環境問題が出現しているのも現代の問題点で、上記の殺虫剤・農薬に変わる新たな有害化学薬品を使用し、まだその被害に気づいていない、または無視し続けているという点もある。それと、地球規模で取り組む問題として京都議定書から始まった「温暖化問題」等の新しい環境問題も着目を浴びる動きもあるのが、現代の環境問題である。
カーソン女史の警告した時代とは、善くも悪くも変わっている現状を視野に入れ、その現代的な環境問題と比較する上では、しつこいほどの本書の危機報告を参照するには有効であろう。
もちろん、本書の警告によって歩んできたその後の結果全てが最善だったとは断言できない。カーソン女史は自身の主張を“環境保護の立場から”力説しているのである。
とりわけ繰り返し述べられているDDT使用による環境への悪影響、これが後世で一般論として採択されたため、アフリカを始めとした発展途上国でのマラリア蚊の撲滅運動が消極的になったといわれている。この消極的な活動へのシフトのために被害が莫大に広がり、耐久性を持った新種の虫まで登場する。医療面・人道的支援の立場からすれば、本書のDDT批判は“悪影響”を招いたともいえるだろう。
そして、冒頭でも述べられるように「地上に生命が誕生して以来、環境と生命は力を及ぼしあい、生命(人間)によって環境(自然)をは破壊されてきた。」というカーソン女史の視点は、いかにも西欧的な自然支配の考え方である。それは古来から“自然と生命の共存”を根ざしてきた我が国の考えとは異なっていて、その為、殺虫剤や農薬の使い方も両国では異なるはずで、本書に挙げられた被害報告のモデルケースがそっくりそのまま日本でも起こっている問題としては考えにくい。
また、ここで挙げられている被害が本当に科学的根拠に基づいたデータなのかどうか、それを検証する手立てが薄いことは疑問として残るのだが、あくまでも著者による主張として警鐘を鳴らすということでは有効な論じ方ではなかろうか。
時代的、場所的な留意点を踏まえた上で読んで行けば、環境問題を考える導入として適している一冊である。単調に警告が羅列していくので、読み進めていくには途中少々中だるみもするが、切実に環境問題を訴える彼女の熱情は、どの文脈からも強烈に伝わってくる作品である。
沈黙の春/レイチェル カーソン

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