その日の夜は少し肌寒かった。


9月も終わりの頃、タバコを吸いに表に出た。

私はこの習慣を身につけてからタバコの本数が減った。

今までは何か手持ち無沙汰というか、口が寂しかったというか

つまり惰性でタバコを吸っていた。


これは事実への逃避でも、真実への湾曲解釈でもない。

私は知っている。原因は私であり、さらに原因はニコチンの依存性によるものだ。

ただ、ホントはそこまで吸いたくないが、なんとなく吸ってしまうという惰性を回避する術を身につけただけだ。

根本的にやめるまでには至っていない。


タバコを吸わない人からすればなんて実のない努力をしているのだと思うだろう。

別に私はタバコを吸わない人から賛同をもらうためにこの習慣を続けているわけではない。

この習慣を続けることで、ある時タバコをやめれるのではないかという希望的観測をもって行っている。

それにこの習慣は実に私の性格上効果を発揮している。


私は元来極度のめんどくさがりである。

やらなくていいことはやらない。やらなければいけないことはなるべくやらないように。

というのは言い過ぎだが、極力努力はしたくない人間である。


人間の7つの大罪の中に「怠惰」があるが、それは間違いなく私である。

むしろ、7つの大罪の「怠惰」を廃止して、私の名前にしてもいいくらいだ。

というのも言い過ぎだ。ちょっとした愛嬌であるゆえ、ご容赦願いたい。


そのめんどくさがりの私であるから、わざわざ外に出てタバコを吸うなんてことをしたい訳が無い。

ただ、家の中でタバコは吸わない。

灰皿もタバコもライターも全て玄関にあり、部屋では吸えない環境が整っている。

タバコが吸いたければ外に行くしかない。

この葛藤こそ私には効果覿面なのだ。

葛藤をしているうちにその葛藤を考えることまで面倒になり、タバコを吸うのは今日はやめようとなる。

我ながら自分の事をよく考えたよい習慣を思いついたものである。


ただ、どうしても吸いたくなった時、この面倒な事が面倒でなくなるから人間とは不思議である。

同じ人間とは思えない手のひらの返し方だ。

これは所謂ニコチンの依存性のせいなのだろうが、いつもコイツに負けてしまう。


そして今、私は外へ出てタバコをプカプカとやっているというわけである。

タバコに火をつけ一口、また一口とタバコを灰にしていく。

何時間ぶりかのニコチン摂取であろうか。

身体中をニコチンが駆け巡る。ニコチンが酸素より早くヘモグロビンと結合していく。

身体が酸素を欲し、軽い立ちくらみのような酸欠状態を引き起こす。

これがまた気持ちがいい。

この感覚はタバコを吸う人にしかわからないかもしれなが、非常に癖になる感覚なのである。


誤解を招く可能性があるかもしれないので先に言っておこう。

タバコを吸う人全てがその感覚が好きなわけではない。

その感覚が気持ち悪く、なるべくならなりたくない人もいるだろう。

そこは、間違えないでいてもらいたい。

私はその感覚が比較的嫌いではないということである。


酸欠でボーっとした頭を持ち上げてふと空を見た。


今夜は満月であった。


空は淀みなく透き通り、眩しいくらいに輝く月はじっとこちらを睨んでいるようだった。

私もその月を睨み返しながら、口から煙を吐き出した。


月の左側に連なった雲がまるで帯のように横たわっていた。

明るい月明かりに照らされて、それはまるで天の川のように幻想的な存在だった。


もしこれが天の川の変わりになるのなら、織姫と彦星は今日あたり二人に時間を過ごしているのだろうか

など、照れくさい想像をしながら全身灰になりかけたタバコの頭を地面にこすりつけ、灰皿にタバコを捨てた。


そしてまた空を見上げると、まだ月がこちらを見ていたが、なんだか今度は微笑んでいるようであった。


夜空を見上げる度に思うことがる。

こんなにも大きな存在が私の頭の上にあるのに、私はその存在に気づくのはこんな時しかないのだなと。

その事に気づいた時の自分はとてもちっぽけで、くだらないことに悩んだり、怒ったり、悲しんだりしている。

それと同時に、くだらないことで笑い、喜び、共感する。

気持ちの持ちよう言ってしまえばそれまでだが、それが人間というもので、それが自然なのであるなら

私は今ここにいるという変え難い事実もなんとなくではあるが受け入れられる。


私を取り巻く環境は恵まれているのか。

それは比べてはならないことだ。

比べる必要もはなければ、比べる事などできない。


私という存在が一人であるように、そこにいる月も一つなのである。

誰が見てもあれを月をと思うのならば、誰が見ても私は私であり、それ以上でも以下でもない。


そんなくだらないことを考えながら、玄関のドアを明け、部屋に戻る。


その次の瞬間からもう、私は私の考えたこの何とも言えない羞恥の考えを既に忘れていたのである。


実に人間とは、そうできているのである。




題名:「秋の愚」



あとがき


この駄文をここまで辛抱してご覧いただき誠にありがとうございます。

補足として、ここに出てきます「私」についてですが

この「私」は私であり私ではありません。


この駄文を書くにあたり、自分自身をモデルにしましたが

駄文をより強調するように作られた私であり、決して私自身ではございません。


「私」とは「読者」でもある。

共感をもって読んでいだけるように工夫したつもりではございますが

何分力不足ですので、お目汚し程度に読んで頂けれたならば幸いでございます。


筆者