僕は、大学を出てから就職をして働くようになってからおおよそ30年が過ぎた。
この先、仕事ができる現役世代としては終わりも見えてきている。
これまで本当にガムシャラに働いてきて周りを見る余裕なんてなかった。
振り返れば、自分のことばかりだったかな?
今までほとんど気づかなかったことも多かったなぁと最近では思うようになってきた。
家にも居候のタイ人女子大学生がいるのだけれども、卒業までの猶予期間を使ってまだまだいろいろなことに挑戦をしている。
もう卒業も就職も結果を出しているというのにまだ追い求めているものがあるようだ。
習い事、アルバイト、言語のブラッシュアップ、あらゆることに前向きにチャレンジしていて良い若いものだと本当に感心してしまう。
また、先日道を歩いていてある光景を見た。
道路工事をしているところで警備員をしている人だ。
よく見ると若い女の子だった。およそ道路工事の関係者としては、不釣り合いな方で、お綺麗な女性だった。
ヘルメットの先から出る綺麗な前髪が風に靡く姿が印象的だった。
この時期のことだから、きっと大学か何かの卒業式までのつなぎとしてのアルバイトなのだろう。
頑張っているんだなぁと感心してしまった。
さて、今の僕は頑張っていないかもなぁと。。。いったい僕は何をしているんだろうなと。。。
僕の若いころにも大学の卒業とその先の仕事を待つ間に、そんなことがあったなぁと思う。
ぼくが大学を出た時というのはアメリカのフィラデルフィアというところに住んでいて大学を出て、そのままアメリカで仕事始める前のわずかな期間というのは、やはりアルバイトでバーテンダーをしたり、プログラミングの委託みたいなことをしていたなぁと思いだしていた。
しかし、今思えば、僕はきっと嫌な奴だったんだろうなぁとおもう。
というもの、就いた仕事もそうだったんだけれども、自分の実力やら能力に完全にうぬ惚れていてどうしようなく鼻持ちならない奴だったなと今では思う。有頂天で浮かれていたんだな。
でも、仕事を始めてから自分よりも頭が良くて能力のあるやつは周りに溢れるほどいるということを痛烈に思い知った。
自分はちっぽけな存在だった。
結局アメリカでは僕は通用しなかったのかもしれない。だからアメリカから追い出されたのだろう。
日本に戻ってきてからも20年弱くらい経つ。多少は社内での立ち位置も変わりはしたけど、その先に何があるのかさっぱりわからない。
ちなみに、語弊があったら申し訳ないけれども、アメリカの優秀な奴というのは、日本のそれの比ではないかもしれない。
アメリカの有能な人たち言うと、どこか人と違う考え、発想、行動、どれをとっても『異色』だと感じる。
そして、それらが必ずうまい方向へと弾けていく。
一方、日本の優秀と言われる人たちは、なんとなくみんな『同じ人』に見えてしまう。
やっていることが皆同じ。考えていることも皆同じ。動き出すタイミングも皆同じ。
学校教育が決定的に違うのかな?それとも世の中の構造の違いかな?
アメリカではやっぱり自由というか、みんな思い思いに行動できるけど、日本だと周りを気にして周りに合わせる的な行動があると思う。出る杭は打たれるなんて言うけれども、何か違うものがあると、それを周りが放っておかずに修正して同じものに変えてしまう風習が日本にはあるのかな?
それでは何をやっても、全部同じ結果しか生まれないのではないか?
そんなことを思いながら、自分もそろそろ日本から出ていく時が来ているのかなぁと感じている。
働く場所も、生きる場所も、何も日本でなくてもいいのかなぁ?と感じている。
そんなことを若く頑張り屋のタイ人留学生を見ていて、そういうふうに考えるようになった。
さて、自分の身の振り、このままでいいのなかなぁ?
そろそろ本気考えなといけない時期が来たかもね。
とにもかくにも、うちに居候しているタイ人留学生の頑張りのおかげで、自分が忘れていた自分を取り戻すきっかけになるかもしれないし、彼女の就職がうまくいって本当良かったな、と思う今日この頃なのでした。