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僕は、車がないと生活ができない。
というか、車に甘えた生活をしている。
ちょっとの買い物とかでもいつも車で動くことを選択しがちだ。
健康なことを考えたら、少しくらい歩けるところなら歩いて行けば良いのはわかってはいる。
その生活の癖はアメリカ時代から始まる。
僕は、足掛けながらアメリカに都合26年間住んでいた。
とは言うものの、車が必須の場所ではなかった。
僕の住んでいたところはフィラデルフィアという街で言うて、そこまで大きな都市ではない。
建国以来存在する古い街なのでということと、東海岸特有の割とアメリカの中では小さめの街なのだ。だから、徒歩圏内に必要なものはあるにはある。
しかし、車中心の生活だった。
理由はいろいろある。
フィラデルフィアに住む前には父親が持っていた家に住んでいて、そこはニュージャージー州のトレントンという場所でそこから大学まで車で通っていた。
少しすると大学の授業がかなりハード(僕の大学はペンシルバニア大学と言って、日本の皆さんはよくご存知ないだろが全米でもかなりの難易度があるヤバい大学だった。ハーバード大学というのは、日本の方もよくご存知でしょうが、僕の大学も、ハーバードに負けじ劣らずの強烈な難易度だった。)になり、それに追いつくために、大学の近くに住んでいた方が有利という理由で引っ越した。
フィラデルフィアのチェストナットストリート38
番地だ。
あと、フィラデルフィアは税金が高いので買い物はディラウェアというところまで行っていた。そこは税関がかからない。それに車が必要だった。
また、よくマイアミにも行ったいた。お気に入りのヌードビーチがあったからだ。
マイアミは、流石に遠く車でも24時間くらいかかる。
幸いルート95というハイウェイがフィラデルフィアからマイアミまで通っていたのでアクセス的には比較的良かった。
ヌードビーチ通いは就職した後も続けていたが、その時は時間的に制約があったのでさすがに飛行機で移動して空港でレンタカーを借りる。いわゆるフライアンドドライブを活用していた。
あとは、治安問題がある。
フィラデルフィアはかなり治安が悪い。それをいうとマイアミ市もかなりヤバいけど、僕が行っていたビーチ市は全然大丈夫な地域だった。
僕が住んでいたユニバーシティシティという地域は比較的治安は良いのだが、フィラデルフィアの北側、南西側、、、最悪である。
北側は麻薬、南西側はマフィア。
すぐに拳銃が出てくる。アメリカのピストル事情は本当に危ない。
今日はあそこで誰が殺された、とか、あそこで警官が撃たれた。とか、毎日のことだ。アメリカで警官をやるのは、本当にチャレンジだと思う。ご苦労様である。
僕自身も警官と犯人グループの銃撃戦のど真ん中にいてしまったこともあるくらいだ。
なので車移動が有利だったのだ。
最近よく言われているヤバい麻薬(フェンタニル)もフィラデルフィアには蔓延していてゾンビみたいになった人達が山ほどいる。これはノースフィリーの、ケンジントンという場所である。セプタという地下鉄で行けるけど、絶対に行かない方が良い。強盗とか、拳銃、ナイフを持った猛獣がたくさんいる。
そんなわけで僕には車が手放せない。
だいたい月に少なくても1500から2000キロ(1200マイルくらい)くらい走った。平均的なアメリカ人はもっと走る傾向にある。いま、日本で生活していて、前ほどではないが、やはり走行距離は多めだと思う。日本人の平均が年に一万キロ程度と仮定すると、僕はその二割り増しくらいかな?
そんなわけで僕と車は切っても切れない間柄なのだ。
だから、なんだ?と言われれば、それまでなのである。
以上。
すんまそん。
先日、ぼくは台湾のマッサージ店で大喧嘩してしまったことについてこのブログで発作的に書いてしまった。
確かに、ひどい嬢はかなり多いのは現状だと思う。
それは日本でも同じことだと思っている。
しかし、こんな良い嬢もいたよ。ということで、名誉回復のためというか、頑張っている嬢のためにもうひとつのマッサージ店について書き残しておこうと思う。
台湾なら日本からもアクセスしやすいし頻繁に行き来される方もおられると思う。
先日の台湾出張の最終日のことだった。
その日は、朝から時間的に厳しくなるのがわかっていたので、フライトは早々にキャンセルして翌日の便に振り替えてもらっていた。
台北での仕事は案の定、長引き夜遅くなっていた。
というのも、取引先の担当者がまた、話の長い人で、、、、
関係のないところなんか案内されたり無駄も多かった。まぁそれはいいか。
大抵の場合は、食事の席でパワーランチじゃないけど、そういう場ではなすだろうに一風変わった男だった。
仕事にはあまり関係のない、北門の地下に眠る日本統治時代の下水道跡地とか、故宮博物院に展示のある清の時代の陶磁器と日本との隠された秘密とか、、、(話が仕事にどう直結するか不明で、ちょっと眠くなった。。。)意味が分からないところに案内されてしまったり、、、かなりの熱弁を振るっていた。
その担当の方は、僕が台湾のことを何も知らないと思っているようだったので、こちらも気を使って昔台湾に住んでいたことや
大学時代に台湾人女性とお付き合いしたことがあるとか、など言い出すこともできなかった。
彼が言いたいことは、おおよそわかってはいた。こういう遺産は韓国では潰して無きものにしてしまうけれども、台湾は日本への感謝を忘れてない。だから、我々と付き合え!という趣旨のことだろうとは思う。
でも、日本軍が残していった台湾に今も残るインフラは台湾の人の生活の基盤になっているようでそのことを実感できたのはよかった。
戦争をまがいとしての幸福はない。その点、日本は憲法9条に守られた世界にも類を見ない良き国だと思う。
スイスやオーストリアみたいな国なら永世中立の名の下に、そんな憲法もいらないだろうけど、残念ながら日本はこれがないと口の達者なアメリカ人に騙されて大変なことになってしまうだろう。
しかし、昨今の世界を深く鑑みると時代と共に確実に変わりつつあるようにも見える。
少し前までは、世界の警察だとか言っていたどっかのアホな国は、ようやくその本性をみせて世界のならずものとしての地位を強固に確立した。(まぁ、むかしからこんなとんでもないことを山ほどやってきてはいた。嘘ついて隠さなくなったのは良いことか!日本では報道すらされないから、日本の人はアメリカに好意的な人が多いだろうけど、、、)
よくある手口は、間違えてミサイルのボタン押しちゃいました。ごめんちゃい。当たったところを急いで確認しに行ったら麻薬工場でした。どうしょう!エヘッ!って。
そんなわけないだろ!
アメリカは昔からそんなことばかりやっていた。
話せばキリがない。
おっと、また話がそれた。失礼。本題に入ろう。
話を元に戻す。
気がついたら、あっという間に夜になっていた。(フライト変更しておいて良かった!!)
そんな彼も妻君には弱いようで電話一本の呼び出されて21時くらいには早々に帰っていった。
一人残されたぼくはせっかくだからもう一件マッサージに行こうと思った。
その店は、台北にあるタイ古式マッサージの偽装店で看板はタイ古式マッサージとある。
受付は、男性で入ると2階の206号室に入れると指示された。
僕は階段を上がり2階にある指定された部屋に入った。
四畳半くらいのマッサージ部屋に小さなシャワー室があった。
先にシャワーを軽く浴びて、しばらくして、出てくるとハイヒールのコツコツコツという音とともに偉くお色気のあるグラマーな女性が現れた。
部屋に入っていて、僕の目の前に立つと
何をするかと思いきや、着ていたドレスの上をはだけて乳房を出した。乳首は小さく色も薄かった。
僕は場の空気も考えて冗談っぽく、それを見たらこんなになっちゃったという意味を込めて半立ちのブツわ露出した。
しかし、本音を言うと、
正直、またチップ狙いの性悪女かと閉口したのだ。
その時の僕は
普通のマッサージを欲していたのである。
それでも僕は気を取り戻して、なんとか普通路線に戻そうとした。
女性はわかったと了承してくれて普通のマッサージが始まった。驚いたことに素晴らしい達人技の持ち主であった。
しばらくはとても良い施術だった。
仰向けからはやはりお誘いがまたもや開始された。手と上のポロリで1000台湾ドルだと言う。
僕はそれを断った。しかし、女性はそれでも嫌な顔も見せずに頑張って施術してくれていた。
そしてしばらくするとまたお誘い。
と、何度か押し問答のように繰り返した。
その度に僕は断っていた。
しばらくすると話題は彼女の息子さんのことになった。
なんと日本の大学に留学していて今年の三月に卒業したと言うとその写真を見せてくれた。
僕もタイの娘が日本の大学に留学したので共感があり、そこから会話が生まれた。
そしてなんと彼女は台湾とタイのハーフでもあると言う。
それまで普通語て話していた彼女だが、そこからタイ語まで飛び出してきた。
あの薄く小さくまとまった乳首を見ていたので中国人だとばかり思っていた僕は驚いた。
すっかり気をよくした彼女は台湾の現地男性価格の200台湾ドルでいいと言い出した。
そうなるとこちらも断りづらい。
僕は200台湾ドルを払うと手とポロリと言っていた彼女はパンテ○を脱ぐと下半身を僕の顔側につけて、おま○こさんを僕の顔に押し付けて、そのまま手や口で弄り、そのまま打ち取られてしまった。
その様を確認した彼女は、僕のブツを握る手を止めると今度はご自分のブツを僕の口にこれでもかと押し当てると声を出すでもなくゴールしたようだった。
実に久しぶりに訪問した。
かつてはこの店を軸として近隣の店舗に足を向けるのが日課だった。
しかも夜遅い訪問にも関わらず、ママがいた。
また、怒られるかと思いきや(だいぶ昔の話だけど在籍の嬢にかなりのオイタをしたり、最優良嬢を引き抜きしたり、、、)、久しぶりの訪問を歓迎してくれた。
最近はママは滅多に店にいないと言っていたのにどういうことか?とも思ったが二言、三言話して早々に奥に案内された。
出てきたのは、
まぁまぁな年増嬢だった。
こうなると
かつての黄金時代を支えたエース嬢達はいまいずこ?
と思ってしまう。
ナーリークラブと言えばなんでもありだった。いわゆる確変フィーバーみたいな!
ただの置屋かという頃もあったし、開店当初はママまでお相手してくれるなんてこともあったし、、、
今は普通のデフォ店くらいに成り下がってしまった。
それともただ単に僕が相手にされてないだけか?
この店ならではの特色が失われてしまったようだった。
また、しばらく時間をあけて再訪してみよう。
その時がくるか、どうか?わらないけど、、、
ブログをやっている方は、ご存知だろうけれどもこのブログの管理画面から最近読まれているブログがわかる仕組みがある。
僕のところは大体決まっていて検索サイトからの方々が主にホーチミンやジャカルタの風俗情報を閲覧するのがお決まりである。
しかし、最近そのアクセスを上回るほどのアクセスがある記事が突如出てきた。かなり昔に書いたブログである。なので、大抵はもう用済みのはずではある。
亀戸のあるお店である。
だから、おや?と思った。
しかし、こういうのは大抵はその店によくないことが起きた場合に多いのだ。
以前にも何度か経験している。かなり前のブログが一夜で一万越えのアクセスになったりしたことがある。
調べてみると、摘発とか、コロナを出したとかの理由で、そうなっている場合が多い。
なので、今回も心配になった。
しかし、このアクセスの違いは一夜にしてとかではなく、一ヶ月のスパンでジワジワとアクセスが来るという傾向が、その他と違っているのだ。
その店のホームページを確認すると、あっなるほどと思った。上野のミサばりに可愛い嬢が入ったようだ。
そこで週末の夜行ってみた。
昔はなかったはずのブザーを鳴らして少し待つ。
なかなか出てこない。
根気良く待つ。
ようやく嬢が出てきた。写真の嬢とはまた違う人物ではあった。
しかし、息を切らして、胸をかなり大きくはだけて、(半チチでてた。)下はバスタオルを巻いてという出立だった。
バスタオルだけで
出てくると言ったら、茨城の坂東にかつてあった「あの店」を思い出した。
そして、その息を切らして出てきた嬢は、一言、だとだとしい日本語でこう言った。
「キョウ、イッパイ」
そしてドアを勢いよく閉じた。
いったい、あの店でなにが行われているのか?
僕には知る由もなかった。
途方に暮れた僕は近くの錦糸町に移動して例のお店に行き、そしてBB?さんの施術を受けたのである。その錦糸町のお店のかつての魅惑のワンダーランドは跡形もなかったとだけ、付け加えておこう。
また修行に行こうと思った次第である。
僕は、本当に中国人と相性が悪い。
まぁ、僕が中国人が嫌いだからそういうのが自然と伝達してしまうのかな?
チャイのマッサージに行っても本当にダメダメで、
タイ人の優しい人柄でないとダメなようです。
今日、台湾のチャイマッサで大喧嘩になってしまった。
ダメな僕にご慈悲を!
でも、よく言ってやったと思う。
相手が酷かったからね。
Good Job! 自分に褒めてやれ!
ちなみにお金は返してもらいましたよ。
それぐらいやってもよしとしよう。
本当によくやった。自分。(ちょっと嫌悪感!)
皆さんはこんなことってありますか?
久しぶりの日本国内のマッサージ店に行った。
悪くない印象を得た。
このところ実にほとんどマッサージにはいけていなかった。月に一度行けるかいけないかくらいの頻度になっていた。
理由はいろいろある。(ホントは金欠!一択!)
それを語りだすと日が暮れてしまうので割愛する。
その店は、
なんの変哲もないごく普通の店だった。
タイ古式マッサージというと、その嬢は大抵は若くても40代前後ではないだろうか?
しかし、その店には24才で、日本に来たばかりというタイの魅力的な女性がいた。
いつ来たのかという問いに対して4日前だという。
若いし、こちらが少々驚いた。
旅行がてらの小遣い稼ぎだというと、いたずらっぽく笑った。
知り合いのつてでこの店を紹介されたというのだ。
悪そびれるでもなく、笑顔がまさに天真爛漫といった感じで素敵だった。
ケータイから彼女の家族の写真を見せてもらい、彼女がバンコクの出身だと知った。父親のことが大好きでたまらないといった感じの娘さんだった、お父さんと一緒に撮った写真がいく枚もそこにはあった。
聞いてみたら、マッサージの資格はちゃんとあるという。幼い頃から父親のマッサージしていたという彼女の言葉通り、小柄ながらまずまずの力加減と腕前だった。
これはすごいぞと思った。
なぜならこんなに若い子だと、あちらの方がメインでマッサージの方はからっきしというパターンを何度も経験していたかだ。
中でも鼠蹊部圧迫の技が素晴らしく、体中の血液が体内を勢いよく流れるのと同時に体を貫く快感を覚えた。それだけでも満足できるくらいの技だった。
ふと気づくと、
彼女の視線は終始、僕をみていた。
時折、彼女の指が僕の顔をかすめる。
僕も彼女を見つめた。
美しかった。
すると、
彼女のマッサージの手が止まった。
その瞬間僕はいたたまれず、気がついたら彼女を押し倒していた。
いや、そんなつもりは毛頭なかった。
しかし、我慢出来なかった。
怒られるかと思ったが、
彼女は拒否しなかった。
電光石火の早業で瞬く間に彼女の服を全て取り払った。一糸纏わぬ姿にして初めて気がついた、その肌の綺麗さを。
まるでタイシルクのような滑らかな柔肌は手触りが優しく滑滑の絹そのものだった。
そこにはまるで重力を受け付けないような、二つのお椀が美形を維持して、禁断を打ち破って触ってみるとそれが実に柔らかく本物の宝物だとわかる。きっと、ニュートンがこの様を見たら万有引力の法則に関する論文を書き直すだろう。
無論シリコンなどではない天然物であった。
彼女はベットに横たわると、彼女の右腕で僕の腕をさするように撫でていた。
僕は彼女の全てを奥深くまで味わった。
全てを受け入れてくれた。
時折、二本の指を彼女のデリケートな部分に挿入して少しの間愛撫するとほんのわすか感じか否かくらいの極少量の、まるで霧状のスプレーのように液体を噴射していた。それは感じが否かくらいの極少量だったので注意深く感触を見ないとわからなかったが、潮吹きをしていた。本当に極少量で、出てきてすぐに蒸発してしまうような量だったが、明らかに感じてくれていた。
そのまま彼女の体内に入ろうとすると、一旦彼女は僕を制止して、待っているか?と尋ねる。僕は首を横に張って持っていないというと、僕は挿入は断られると感じた。
しかし、彼女は意外にも断らずに、外に出してと言うと目を瞑り、僕をじっくりと待っている様子だった。
部屋には彼女の吐息だけがこだましていた。
なんと美しい女性なんだろうと思った。
僕はすでに全力の力がみなぎっていた。
これまで到達していなかった彼女の深層部へと入ると彼女の絶頂は瞬く間に上がりきっていたようだった。
その瞬間、彼女は僕の腕を数回叩くそぶりを見せるとそのまま別の世界に行ってしまったようだった。
ついうっかりして彼女との約束を忘れて彼女の体内で暴れてしまった。その勢いは今にも彼女の下腹部を何度も押し上げたり、下げたりするほどの勢いぶりだった。
彼女もそのことに気づいてようだったが、もうそんなことどうでも良いといった表情だった。
最後に彼女は、こう言った。すごく熱いのが入ってきた。と。
次の瞬間、なにか恐ろしいことを言われるのかと思うと続けてこう言った。ねぇ、東京を案内してよ。と。
54歳、エロオヤジ。でも僕もまだまだ捨てたもんじゃないかな?
おしまい。
実は、黙ってようと思っていたんですが、が、が、が、
やっぱり、備忘録として、5年後の自分のために書き残そうと思います。
これは、世の中間違ってると思って!
先日、こんなことがありました。
実は、最近仕事でどうしても解決できそうにない事態がありまして、でもなんとかしないと話が先に進まないので、ちょっと後ろ髪を引かれつつもある事をしました。
中東のある実力者(決して政治家ではないのでご安心を!)の力を借りて問題解決のための口利きをしてもらうべく、お頼み申す!
という事で、無論ただでとはいかないので、まぁ、そのぉ!(やめろ!)(極悪人!)
初めはそれはドバイのつもりでいたのですが、話をよく聞くと、その人物はいま香港にいるというのです。
香港と聞くと正直、僕はあまり行きたくない場所です。
なぜ?(それはいろいろあって。)
でもね、香港は僕にとっては決して嫌いな街ではないんです。むしろ好きな場所でもあるんです。
僕の父親が、会社を定年退職した後、香港にある子会社の社長になって、いわゆる天下りってやつで、しばらく赴任していた場所で僕も時間があればよく行っていました。
とは言っても、日本のヤオハン問題、ご存知の方の多いでしょうが、その時にかなりの額の金をヤオハンに貸していて、その債権が焦げ付いてどうにもならなくなり、僕の父は引責辞任をして、その後さっさと上海の復旦大学の教授にトラバーユしたんですが、、、
とまぁ、そんなこともあり、僕はしょっちゅう親のスネをかじり、香港で遊んでいました。(ボンボンドラ息子本領発揮!)
なので土地勘もあるし、香港嫌いではないんです。
でもね、今は香港行きたくないんです。
ドバイに行けば、そのキーマンには会えると思っていたし、なんとかドバイ(エミレーツ航空に乗りたいだけ説も)で会えないかと打診もしたのですが、その人物は今はドバイは絶対にだめだというのです。会いたければ、香港に来いというのです。それが二月の下旬のことです。
よっぽど別の社員を香港に行かせようかとも思ったのですが、それでは話は前に進まない可能性を考えて、自分で香港に行きました。
というのも、
その人物は僕のアメリカ時代からの知り合いで、とても仲良くしてもらっている人で、中東では石油王でもあります。近く会いたいなぁなんて話をしていた折でもありました。過去にはいろんな恐ろしい情報もその人物から教えてもらいました。
時々怖くなるようなことも知っていて、石油王っていうのは、一体なんなのか?とも思います。
世の中不思議です。
とまぁ、香港では用事も済んで、その後大金持ちの彼に香港での一般庶民の貧乏人の遊び方なんぞレクチャーしながら、実践も交えつつ久しぶりの香港も満喫して、帰ろうとすると、彼。
僕にこう言うんです。どこに行くのか?と
いま、中東には絶対に行くな!と怖い顔して言うんです。
彼は、僕がドバイやらバーレーンやらよく行っていることを知っていますからね。
僕は、なぜ?と聞きました。
彼は、質問はするな!
とにかく今はダメだ。中東には絶対に行くな!
と。
僕はなんのこっちゃ?
と思いましたが、
その後、数日でアメリカのイランへの攻撃と、イランによるその後の報復による中東各国への攻撃。
もちろんドバイも空港が大変な悲劇になりました。
なるほど、
あの男、知ってやがったのか。それで香港なんぞに?
この話はフィクションという事で、、、
追伸、当然のように彼のところから石油を買うことになりましたとさ。
ここでおひとつ:
ドバイでも石油の商売をして、とかけて、香港に逃げ込んでサボるととく、
その心は、どちらも油を売るでしょう!
お後がよろしいようで!
あの、TJさん、バンコクからジャカルタへ来た。
しかも、ミーアヤムが好きで食べてるし、全く行動が僕と同じです。
僕も大好きでよく食べるミーアヤム。
TJさん、いわくインドネシアは、タイより物価が安いといってます。
僕もそう思います。何もかも。
ただ、たまにバンコクや日本では滅多に起きないような恐ろしいトラブルが起きます。
この間は、実は僕、バイク事故に遭いましたし、しかも、轢き逃げです。
さらには、ちょっと前には、滞在しているホテルで、部屋に置いていたロレックスの時計(800万円くらい)がなくなりました。実は、7、8年前ですが中国の広州のホテルでも以前、同じようなことが起きた事があります。
そんなことが起きますので、ご注意を!






