MAYAのタイ移住物語

シリーズ掲載中!

 

 

 

過去のシリーズはこちらです。

はあと【第1話】MAYAのタイ移住物語~モテ期の若手女子!26歳でタイ人の彼と出会う

はあと【第2話】MAYAのタイ移住物語~本気で人を愛すること。私が遠距離恋愛を決断出来た理由。

はあと【第3話】MAYAのタイ移住物語~バンコクと東京、どちらに住むの?

はあと【第4話】MAYAのタイ移住物語~現地採用の給与相場。海外就職活動の現実

はあと【第5話】MAYAのタイ移住物語~思いがけないプロポーズ、スクランブルのド真ん中。

はあと【第6話】MAYAのタイ移住物語~国際結婚手続き難!タイ人と結婚しちゃイケナイの?

はあと【第7話】MAYAのタイ移住物語~移住直後の生活・私が苦しかったこと。

はあと【第8話】MAYAのタイ移住物語~バンコク現地で働くこと。その自由と孤独について。

はあと【第9話】MAYAのタイ移住物語~怒れる花嫁!封印された結婚式当日の秘話。

 
 
 
 
 
【第10話】MAYAのタイ移住物語~歴史的瞬間を生きる。タイと共に生きる。
 
 
 
 
移住物語は
今回で最終回となります。
 
 
 
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移住して1年後に妊娠。
 
出産後は2か月で、
職場復帰。
 
私はこうして
タイでワーキングマザーとなった。
 
 
 
その頃の私たちと
 
 
タイの歴史を
振り返ってみる。
 
 
 
 
2009年、出産

生まれてしばらくは男の子にしか見えない女の子。ww
 
 
2010年、赤シャツ暴動
 
2011年、大洪水
 
2013年、黄色デモ開始
 
2014年、バンコク封鎖
 
 
 
2015年、エラワン廟、爆弾テロ
 
2016年、王様死去
 
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瞬く間に
時が流れて行った。
 
 
 
それは幸せでいっぱいに
一瞬の出来事でもあり
長く長く永遠に終わることのない
心が沈んでいる時期をも含む。
 
 
 
 
特に2010年5月の
赤シャツ騒動では
震えあがるほどの恐怖を
体験する。
 
 
 
 
デモ隊の強制排除後
私はこんなブログを記している。
 
 
2010年5月22日

昨夜未明、

どこからともなく

花火を上げているような、

まるで爆発音爆弾のような

 

ボンッ!!ボンッ!!

 という音が聞こえてきて、

 

それがあまりにも

長いこと続くので、

ついに目を覚ましてしまいました。

 
 

まさか、また強制排除(((゜д゜;)))?

 

深夜のバンコク。

夜間外出禁止令は継続中。

 

もしどこかで暴徒が

何かをしていたら・・・。

しかもこの音だと、

うちのすぐ近く?

 
 

とても不安になり、

夫の体に抱きついて、

また眠りにつこうとしたのですが

 

爆発音は

依然として続いており、

 

ふえーん!!!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

娘が起きてしまった・・・。

午前3時半。

また不眠状態で、娘に授乳。

 

やっと寝かしつけた頃、

窓をそっと開けて、

音の原因を確かめようと、

耳を澄ますのですが

 

何も見えないんですよ。

 

 

音だけで・・・。

 

震えるほど怖くなって、

またベッドに潜り込んで

 

夫にしがみついて

目をかたく閉じる。

 

 

 

 

ザーッと、突然、

水の音がし始めて

 

雨だーーー。

 

またベッドから抜け出して

窓辺に立つと、

大雨が降っていた。

 

バンコク中を

覆い尽くすほどの激しい雨。

 

爆発音の正体。

 

それは落雷雷だったようです。

なんだ、と一瞬

ほっとしたけれど、なんて

 
 

爆発音爆弾にそっくりなのだろう

と再び震撼する。

 
 
 
また2011年の
50年ぶりと言われる
バンコク大洪水危機。
 
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この国にとって
治水事業がどれほど大切かを
痛感させた出来事だった。
 
 
2011年10月25日

一時、安全なところに

避難すべき、という案も

 

今の時点で

真剣に検討し始める

べきなのかも。



 

これまでは

食料と水の確保などで

満足していたけれど

 

そもそも

バンコクに残ること自体が

リスクなのか?という疑問。

 

 

国内のどこかに

身を移すとして

 

プーケットやチェンマイなどは

通常、ドンムアンを使うし

 

車でいけるホアヒンやパタヤなどは

これから皆が押しかけ

 

大変な混雑も予想されます。

 

洪水そのものだけではなく、

洪水に始まって

 

下水道が機能不全に陥れば

トイレの水も流れなくなる

恐れがあるそう。



 

衛生面の問題・・・。




 

タイ国外?日本?

でもどれくらい

避難していればいいの?

 

仕事はどうする?

 

まだ我が家は結論が出ません。。。

 
 
結局、我が家はその後
プーケットに避難。
 
バンコク都心部が
洪水に見舞われるリスクが
急激に高まっていたからだ。
 
 
最終的には
濁り水程度の被害で
スクンビット界隈までの
浸水はなく、
 
事態は収拾に向かって行った。
 
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晴れの日も、雨の日も。
 
 
 
 
 
ずっと、ずっと。
 
 
 
 
 
タイと共に生きてきた。
 
 
 
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9年間の重み。
 
 
 
 
 
私は忘れることなど
出来ないだろう。
 
 
 
 
2010年5月、
赤シャツデモの強制排除で
不安でいっぱいな夜
 
2014年1月、
バンコク封鎖は野外ステージで
深夜まで演説が続き
騒音で、眠れぬ夜
 
 
 
 
赤ちゃんを抱えて―。
 
涙を流した日もあった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それでも私は
思っているんです。
 
 
 
 
 
移住して、良かったと。
 
 
 
 
 

 
映画やドラマに出来るほどの
歴史的事象と
共に生きてきたことは
自分の中でむしろ誇り
 
 
 
 
 
 
そして今は
 
 
 
自分の経験として
胸にしまっておくのではなく
思いのたけをブログに
綴るだけでもなく
 
 
 
この経験を通して
 
 
 
タイに住むということが
どういうことなのか?
 
 
 
私が身をもって感じてきた
この9年間の
 
 
その喜びや楽しさと
そのリスクも理解した上で
生活することの大切さを
 
タイに移住する予定の方にも、
お伝えしていけたらと思います。
 
 
 
 
私のタイ生活の集大成と
移住物語のさらなる裏話!!
 
 
 
 

 

 

タイ在住の方にも

いつかバンコクにて

お話できる日が

来るかもしれません。^^

 

 

 


 

 

 

 

 

MAYAのタイ移住物語。

 

 

これにて終わります。

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

MAYA

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

MAYA

 

ブロガー歴18年。MAYAブログ塾主宰。自分が既に持っているものから様々なオリジナル講座を生み出し主催中。1年で16種類の講座、66回のセミナーやイベントを実施、236人を集客。MAYAブログ塾・3ヶ月の長期講座「人生を底上げする個別ブログコンサル」は成果の出る人気ブロガー育成講座として知られる。

 

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◆MAYAの目指す世界◆

1.成長したい人、挑戦する人を応援する

2.人・ブログ・旅がテーマ

3.女性が最高の人生を生きるサポート

 

◆今後の取り組み◆

SNSメディアを活用させた活動をさらに深めていきます。

1.政府や企業とのコラボ

2.日本とタイの架け橋ビジネス・社会貢献

3.女性と旅をテーマにした事業
 

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