リボンわたしの自己紹介ストーリーリボン

 

 

東京の自宅にいた。
 
暖かい日差しが差し込む窓、
お気に入りのものに囲まれた
私の部屋。
 
 
 
 
一階では母親が
食事の準備をしているらしく
なんだか美味しい匂いがする。
 
 
 
 
香港での目まぐるしい毎日が
急に思い出された。
 
 
 
 
まるで夢のように、現実味なく
遠い世界の話に思えてならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
香港で出会った人たちの顔が
浮かんでは消えた―。
 
 
 
日本に帰国した直後の私は
実家でぬくぬくとした日々を送り
 
 
 
浦島太郎のように、
 
きょろきょろしながら
東京の街を眺め歩いた。
 
 
これから、どうやって
生きて行くか。
 
 
 
 
 
その時のわたしは
フリーターであり、ニート(*)だった。
 
(NEET=Not in Education, Employment or Training)
 
 
 
 
 
海外で働いた経験を生かそうと
英語を使う仕事を探したが
人材紹介会社から言われる。
 
 
 
 
 
 
海外経験と言っても
香港で短期間
働いただけですよね?
 
 
 
 
その通りだった。
 
 
 
もう新卒でもない。
 
一般的な入社試験では
中途採用となり
 
中途採用にしては
語れる経験がない。
 
 
 
 
 
派遣社員としても
実務経験がほとんどないから
 
 
「紹介できる仕事もあまりないですね」
 
 
 
そうか、またしても失敗したか・・・。
 
 
 
 
でも、もう落ち込むことはなかった。
 
 
 
 
前に進むしかない。
 
 
 
 
日本に帰ってきたのだから。
 
 
 
 
もう何も怖くない。
そうでしょ?
 
 
 
とにかく何でもいいから、
紹介してください!
 
 
えり好みすることなく
まず一歩を踏み出すべき
私の職場は
とある外資系企業だった。
 
 
 
 
とりあえず
外国人の秘書で、ということで
 
 
上司が「ハロー」と言って笑っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
マスコミもホテルも。
 
 
 
 
憧れの仕事に夢破れた私は
業界や職種に対する「好み」も
もはやなかった。
 
 
 
 
 
 
 
英語が少しできるだけの
若さが取り柄な人。
 
 
 
たぶんそれしか売りはない。
 
 
 
 
でも、ツギハギだらけの
キャリアを卒業し
 
 
 
辞めずに、諦めずに、
 
 
 
何かに必死で取り組むこと
 
 
 
 
 
 
 
それが私の唯一の目標。
 
 
 
モノは何でも良かった。
 
 
 
 
香港のホテル時代を思えば・・・
悔しさをバネに。
 
 
 
 
働き始めて数か月のうちに
正社員にならないか?と言われ、
 
 
給与は派遣時代の
2倍を提示される。
 
 
 
 
 
 
 
 
実家を出て
港区のマンションで
一人暮らし開始。
 
 
 
 
 
翌年、
23歳の時、
上司昇進に伴い
社長秘書となり
 
 
25歳の時、
もっと学びたい一心で
社会人大学院に入学。
 
 
 
 
 
 
 
私はそのまま、走り続けた。
 
 
 
 
仕事と学業
の2足のわらじを履き、
 
2年後に修士号を取得した後
 
 
秘書を卒業し、
別の部署に異動。
 
 
 
 
 
 
傷ついても、闘い続けた。
 
 
 
 
プライベートでも発信を始め、
 
 
ホームページを作り
 
OL向けの
自己啓発メルマガを発行。
 
 
 
じわじわと反響が広まり
 
女性誌のファッションページに出たり
 
英語学習の書籍で
TOEIC対策を伝授、
 
「老後に関する意見を聞かせて欲しい」と
日経新聞の
インタビューを受ける。
 
 
 
 
さらには、
そういった発信が元となり
TV出演の話も舞い込み、
 
 
2回ほどバラエティ番組の
ゴールデンタイムに出演。
 
 
当時売れっ子の
芸人さんとの掛け合いで
 
好き勝手なことを
しゃべったりした。
 
 
 
 
うっすらと、
 
女子アナ志望時代を思い出し、
いつの間にか
自分が取材される側の
人間になっていることに気付き
 
 
人生の成り行きを
不思議に思った。
 
 
 
 
 
そして、
 
 
29歳の時、
 
働く上での
目標のひとつであった
年収1000万円を達成する。
 
 
 
 
 
しかし、その頃
私には決着をつけなくては
いけないことがあった。
 
 
 
 
 
26歳の夏、
私はタイ人の彼と出会い、
3年にも及ぶ遠距離恋愛を
継続していたのだ。