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ネオン街のフットサルプレイヤーの日常

職業はネオン街で飲食店経営者。
そんな僕の趣味である釣りにフットサルに一人旅・・・。
さらに子供の事など書いてます。
最近はFaceBookがメインで更新は減りましたが、
よろしくお願いします^^

みなさんこんにちは。
ネオン街のフットサルプレイヤーこと
BANFF20堤ですニコニコ赤ワイン

ネオン街にフットサルプレイヤーの日常
去る11月16日(土)に東北で初となる、
内山慶太郎 ゴレイロスクール in 仙台2013が開催されました。

内山 慶太郎さんは、
元日本代表。
現フウガすみだ(Fリーグ準会員所属 来季よりFリーグ)のゴールキーパーコーチをされていて、フットサルをしていれば知らない人はいないだろうっという位置にいる方です。

まだまだ現役でもやれるのに、指導者という道を選び28歳で現役を引退。


ネオン街にフットサルプレイヤーの日常

現在は所属チームのフウガすみだはもちろんの事、
全国のゴレイロたちの為に、為になる指導をするために飛び回っていただいています。

上の写真は千葉の蘇我。
いつものスクールの場とメンバー。

キャンプに参加しなければ出会うことがなかった馴染みの仲間たちの顔があります。

ネオン街にフットサルプレイヤーの日常

こちらはゴレイロスクールの四国開催の一コマ。

※ゴレイロはキャンプで知り合った四国リーグ所属で徳島の山形選手。


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初めに内山さんのゴレイロスクールを知ったのは2012年の春でした。
上の写真はその時のものです。

内山さんのブログを拝見したところ「ゴレイロキャンプ」っというものの告知があり迷わず応募。

告知したその日に発見できたのが運のいいところで、
その後、あっという間に募集も定員に達したとのこと。

ネオン街にフットサルプレイヤーの日常
初めは緊張しましたが、
内容が充実したトレーニングに、

もはや虜。

普段の練習で取り入れられていなかったところを取り入れられたことによってプレーの幅も増えタことを実感しました。


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それから2013年の春も参加してきました。
その頃は、プレーがうまくいかず競技を引退しようと考えていた時でしたが、内山コーチの的確なアドバイスに救われました。

そのキャンプ1週間後に行われた「東北リーグカップ」では
予選の2試合で、

・クロスカラーズ(東北2部)
・東北大学フットサル部 D-GUCCI(東北2部)を相手に、

無失点シャットアウト!

ネオン街にフットサルプレイヤーの日常
しかし、D-GUCCI戦。

のこり20秒

相手選手に蹴られ右手骨折。

ゴレイロキャンプで内山さんにアドバイスもらった事がズバリはまって
「今年はいいんじゃないの?!」

って思った矢先、
東北リーグ開幕前に戦線離脱というアクシデントもありましたが、

キャンプでもモチベーションが大きく左右し、

心は折れることなく、

現在では骨折も治り、今も現役続けることができています。

ネオン街にフットサルプレイヤーの日常

ネオン街にフットサルプレイヤーの日常

千葉県にある「サンセットブリーズ保田」
ここが毎年の「ゴレイロキャンプ」会場。

ロケーションもいいし最高のトレーニングができる場所です。


おっと!!ヽ(゚◇゚ )ノ


ゴレイロキャンプの話題でだいぶお時間を取らせましたが・・・



今回の本題はここから!!


っと言いたいところだったのですが、


前置きが長くて、2回に分けることとなりました><


すぐに続きを配信します!!


しばらくお待ちを!!

みなさんこんにちは。

ネオン街のフットサルプレイヤーこと堤 聖です。

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まずは1枚のこの写真をご覧いただきます。


奥に建っている家の感じやバットを持つ男性のジャージのデザイン。

今時なかなか見ないふとぶちの写真・・・。

そう、これは昭和の時代に撮られた写真。

そして右側に移っているのは2歳の時の僕。

周りが女の子ばかりだったのでお下がりはいつもワンピースでした。

山形県米沢市の山奥にある母親の実家での1枚。



今回の記事は、

ここに写っているバットを持った男性との最後の別れ…。



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写真の男性は「佐藤 正夫」

僕の母のお兄さんである。

小さい時から物凄くかわいがってもらっていて、おもちゃをよく買ってくれたりしてくれたとお婆ちゃんは話してくれた。

正月になればいつも母親の実家に行き親戚で集まっていた。
お年玉も沢山くれた正夫おじさん。

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古いアルバムから探し出してやっと見つけた写真の切り抜き。

もちろんこの時のことは覚えていないが、

父親のように僕をかわいがってくれていたんだな・・・。



そんな正夫おじさんの病気を知ったのはつい先月のことだった。

仙台に遊びに来たいとこが教えてくれた。


知っている人は知っていると思うが、

僕の実家は設備会社だったが倒産。

当時、母親のお兄さんに会社の保証人になってもらっていたために多大な迷惑をかけ、今もその支払いは続いている。

そのあたりから関係もぎくしゃくし始め、

両親も離婚し、母方の実家に行くこともほとんど無くなっていた。


もちろん病気のことも話が来るわけではなかったので聞かされるまで全く知らなかった。


頭のガンだったそうだ。

去年、脳の一部をとる大手術をしたらしい。


そして今年の7月くらいから病状も悪化し話もできない状態だったという。

お見舞いに行こうとも思ったがなかなか都合がつかず行けていなかった中での訃報…。


10月6日 午前11時 永眠

行年61歳

僕の知っている正夫おじさんはスポーツ万能で元気で、

まだまだ早すぎる旅立ちだった・・・。







その知らせを聞いた僕は、

翌日の7日、

その日の予定をすべてキャンセルして米沢に向かった。






アイメモリー米沢にて17時から納棺が行われ、
母親はすでに会場に来ていた。




式が進み、
アルコールの付いた脱脂綿で体を拭くという初めての体験のときに

何十年ぶりに見た正夫おじさんの顔。


年取ったな・・・おじさんっていうのが強い印象だった。


脱脂綿で手をふき、顔を拭こうとしたときに手が止まって体が小刻みに震えだし、

目の前がぼやけ始めた。


昔のことが思い出され、涙があふれ出てきてしまったのだ・・・。


ヤバいと思った僕はすかさず席に戻ったが、

すでに遅かった。



体は震え肩で声を押し殺しながら泣き崩れるのをこらえるので精いっぱいだった。

そんな姿を見たおばさん(正夫おじさんの奥さん)が

「きーくん おばさんは大丈夫だから」

「きーくん 来てくれてありがとう」

っと逆に励まされてしまった。

その言葉にますます涙が止まらなくなってしまい、隣では僕の母親も泣いていた。

その後、おじさんは棺に入れられ顔の周りにお花を添えた。




そして通夜が行われ、

参加した人たちはおじさんの生前の話をしていた。



10月8日

10時30分 出棺

11時     火葬

14時     葬儀

長くなってしまうのでこの日の詳しい話は省略しますが、

無事に式は終わった。


この世に生けるものには「出会い」があれば「別れ」もあるというが、
別れは本当につらいものだ。


親戚関係がぎくしゃくしてから、ずっと疎遠になっていたが、

最後にお別れの言葉を言えて良かった。


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最後の写真は

昭和53年 夏

正夫おじさん 26歳
聖 0歳8か月

正夫おじさんのお腹の上にて・・・。


正夫おじさん。

お疲れ様でした、ゆっくり休んでね。

そして今までありがとう。

これからも見守っていてね。

聖より。