乃木さんのあの旅順攻撃については、随分異論もあり、攻撃もあるでしょう。

何故まだ準備の整わなかった二〇三高地を最初に攻めずして、準備の整うた方面から攻めたか。

最初に二〇三高地を取って旅順港の中の軍艦を沈没せしむれば、乃木軍の任務は終わるのである。

そうすれば三十八年一月一日を待たずして旅順が陥落した、バルチック艦隊が根拠地を出発しない前に旅順の片がついたかもしれぬ、という説もある。

そういう意見を立てた人は、旅順攻撃軍の参謀の中にもあったろうし、またその他から建白した人もあったに相違ない。

どういうものであったか乃木さんはこれをやらぬ。そしてウンとやりしくじった後にようやく気が付いて、やり直した。

けれどその時はもう露軍に自信がついて、なかなか冑を脱がぬ。

滅法人を損じて、悪戦苦闘した上で二〇三高地を取って片がついた。

乃木さんは後になって二〇三高地を取ることに決断したのだが、その決断は随分長い。

その点からは知謀とはいえまい。知恵の方からは乃木さんに欠点があるものと断じなくてはならぬ。

ところがその欠点についても、乃木さんは誰からも酷く言われない。ごく罪のない欠点と見える。

あの人の勇気は果たして盲勇であるか、知勇であるか知らぬが、大将としてはよほどよい人だろうと思う。

絶対の服従を部下から得るばかりでなく、国民全体をもある場合には指揮し得る人らしく思われる。


池辺三山『明治維新 三大政治家 大久保・岩倉・伊藤論』電子書籍版
「東郷と乃木」より 初出 中央公論 明治44年8月号
基本的に石井は正論しか言わないのですが、ほとんどすべてが無視されています。議事録を読んで見るに見かねた昭和天皇が「なぜ石井の発言を無視するのか。大臣は石井の質問に答えていないではないか」と、側近を通じて警告したということもあったほどです。立憲君主の警告は必ずしも聞く義務はないので、いかに昭和天皇のお言葉があっても最終的に石井の発言が採用されることはありませんでした。(中略)満州事変以降、日本の国策は重大な誤りを重ねます。その結果は致命的でした。戦いに負けるとき、滅びるときはこんなものでしょう。「なぜ正論が受け入れられないのか」を考えても答えは難しいのですが、歴史に学べば「正論が悉く受け入れられないようでは滅びる」ということがわかります。
倉山満『嘘だらけの日中近現代史』 
 よく日本語は非論理的なことばだ、などというひとがいます。しかしこれはまちがいです。たしかに英語はかなりなていど論理的です。英語の勉強をしていますと、知らないうちに論理的な頭になっていきます。明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考え方を身につけました。漢文は論理的な構文をたくさん含んでいるからです。
 とはいえ英語も漢文も、けっしてはじめから論理的なことばではなかったのです。何百年も努力を積み重ねることによってそうなったのです。だから日本語も努力次第では、英語に負けないくらい論理的なことばになることも可能なのです。
 ところで現在の英語だって完全に論理的なことばだとはとうていいえません。非論理的な部分もたくさんあります。だとすると完全に論理的なことばとはなんでしょうか。答えは簡単です。それはいわずと知れた論理学が教えてくれることばです。
 論理学はいまの日本では大学になってはじめて学ぶことになっています。しかしそれではおそいのです。論理学は別に大学に入らなければ学べないほどむずかしいものではありません。中学の初年級ていどの学力さえあれば十分にマスターできるのです。
 いちおうの文章なら文法を習わなくても書くことができるでしょう。しかしきちんとした文章を書くためには、文法の知識が必要です。それとおなじように、いちおう論理的と思える考え方をするには、論理学を知らなくていいかもしれません。しかしほんとうに論理的な考え方をするにはやはり論理学の知識が必要です。そうしたわけで、中学でせっかく文法は習うのに、論理学を習わないということは大変残念なことです。しかし無念がっていても仕方がありません。適当な論理学の本で論理的な知識を身につけるようにすればいいのです。
 もちろん論理的な知識を学んだからといって、美しい文章が書けるとはかぎりません。むしろ飾りけのない、ごつごつした文章ができあがるでしょう。いわばがい骨のような文章ができるにちがいありません。しかしそれで困るというのであれば、それに肉と皮をつけてやればいいのです。
 ヴェロッキオ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロのようなルネッサンスの優れた画家や彫刻家たちは、そろって人体解剖学を学びました。人体の骨格の構造を知らなければ、美しい絵や彫刻はつくりだせなかったのです。
 私の中学時代には、私のまわりに文学好きの友人が何人かいて、自分たちの文章をいろんなところに発表していました。しかしどうしたわけか、私は彼らの美文調ではあるが、もう一つすっきりしない感じの文章にはなじめませんでした。私はもっぱら、筋のよく通る文章を書くことを作文の第一目標に定めたのです。しかしその結果、作文の先生から、君の書く文章は論理的一貫性はあるが、簡潔すぎて飾り気がなさすぎるという批評をよく受けたものです。
 そう言われれば、なるほどそうだと納得はしたものの、私のそうした癖はなかなかなおりませんでした。いやむしろ、そうした癖を安易な仕方でなおさなかったのが、自分にとってよかったとさえ思っています。というのも、首尾一貫した論理的文章を綴っていくことがとりもなおさず、科学的合理主義のもっとも身近な実践だということに、後になって気づいたからです。(後略)


山下正男『論理的に考えること』(岩波ジュニア新書)「はじめに」より