札幌の後輩
2月の中旬、久しぶりに出張で札幌に行った。
千歳空港から電車に乗り換え、札幌駅についたのは
もう10時を過ぎていた。
札幌には大学時代の友人が住んでいて、
その友人と市内で待ち合わせ、
寿司屋へ連れて行ってもらった。
友人は常連らしく、カウンター越しの大将と、
友人は市の中心部から程近いところに住んでいるので、
泊めてもらうことにした。
部屋は広いリビングのマンションで、
そこで彼は父と、一匹の犬と暮らしていた。
翌日は晴天で、友人は会社へ、
僕は取引先の札幌のショールームへと、
地下鉄の駅で分かれた。
東京へ戻ってしばらくして、友人からメールが届いた。
一緒に住んでいた犬が息を引き取ったということだ。
しばらく医者にかかっていて、大きな病気を患っていたらしい。
僕は犬を飼った事が無いので、彼の悲しみの深さを、
正確にはなぞることができなかったが、
マンションでの仲のよさそうな関係から察すれば、
大きな悲しみであることは十分理解できた。
『生物と無生物のあいだ』という生物学者が書いた新書を読んだ。
机や、皿などの無生物を形づくる原子も、我々人間や、虫たちを構成する原子も、
素材としては同じものだ。しかし、生物と無生物は大きな違いがある、
そんなことを遺伝子学者の視点から紐解いている本だった。
本を読み終わっても、生物を生物たらしめている、
大きな力の秘密にはたどり着けなかった。
そこにはどうしても、絶対者の存在を予感させる大きなマジックが
あるような気がしてならない。
あるいは、”あって欲しい”という気持ちを抱かずにはいられないくらい、
生物という複雑な機構と、無生物には、大きな隔たりがあるのだろう。
赤峰のタクシードライバー
一人は、現地でのコーディネートをしてもらった李さん。
内モンゴルの中心都市、赤峰のタクシードライバー周さん。
そして、李さんの北京オフィスで働いている羅さんの3人だ。
村から赤峰に戻った翌日、周さんの車で街のシンボルとも言える紅山に登る。池は厚い氷におおわれびくともしない。
周さんのタクシーのトランクに入れていたペットボトルは、マイナス20度近い温度の為、すべて凍りついていた。
翌日の北京で李さんのオフィスの羅さんが故宮を案内してくれた。
地元の園児だろうか?寒気に負けずはしゃいでいた。
耳が痛いほどの寒風が吹いていた。
四川料理店は人々の声で溢れていた。
世に言う宮廷御用達のお茶の店でお土産を買った。
中国の成長、あるいは変化の時代を生きる、
タクシードライバーの周さん、そして、
その中国と日本の架け橋となる仕事を続けている
李さん、羅さん
改めて、今回の様々な心遣いに感謝します。
内モンゴルの少年
NHK特集「激流中国 -富人と農民工-」、
この番組がすべての始まりだった。
久ぶりに僕と大学の友人二人と、三人で集まった時、
一人の友人からこの番組の話がでた。
内容は、経済が急成長している中国で、
都市部の大金持ちが生まれている反面、農村では収入が無く、
多くの農民が都市部に出稼ぎに出て、家族が一緒に暮らせない、
そんな現実を『富人』と『農民工』の生活に密着して描いたドキュメンタリーだ。
彼ら二人はこの番組を偶然観ていた。
彼らの心を捉えたのは、内モンゴルのある家族だった。
小学生の男の子が、数年前何かの器具に腕をはさんで複雑骨折した。
その不自由な腕を直す手術代の為、
父親と母親が天津まで出稼ぎに出て、家族バラバラの状態になっている。
テレビカメラは両親の短い里帰りと、その別れを淡々と映していたが、
その内モンゴルの少年の寂しそうな表情は、
僕の二人の友人の心に、強い感情を残すことになった。
「彼の手を治すための手術代を届けたい、
そして家族一緒に暮らして欲しい」
そんな気持ちだ。
しばらく3人でメールでのやりとりが続いたが、
一人の友人がビジネスで培った中国人ネットワークは、
その内モンゴルの少年の所在を突き止めた。
何人かの知人も寄付をしてくれて、手術代も集まった。
そして1月後半、3人のスケジュール調整もつき、
年明けの新年会がてらの最終ミーティングを経て、
出発の朝をむかえた。

空港に着き、中華航空の長い列に並び、搭乗手続きを済ませ,
北京空港で、友人のビジネスパートナーのRさんが迎えてくれた。
空港そばのホテルの部屋で、
4人は翌日の内モンゴル行きの打ち合わせをした。
北京空港の国内線乗り場へ。
多くの人が列を作っており、
中国の人の多さと、その躍動感に驚かされる。
搭乗口からバスにのり、飛行機へ向かう。
そこには、ビジネスエリート達が使うような
プライベートジェットくらいの大きさの
小さな機体が横たわっていた。
まだ暗い北京の空に飛行機は飛び立った。
しばらくすると明るくなった窓の向こうに、
赤茶けた山々の波が広がっているのが見えた。
少しづつ人家が目立ち始め、眼下に街が広がるとともに、
飛行機は赤峰という都市の空港の滑走路にスムーズに吸い込まれた。
飛行機を降りると、雲の無い高い空と、
圧倒的に広い大地が視界に飛び込んできた。
飛行場の建物は日本の駅のようなサイズで、
たよりなく我々を迎えてくれた。
空港前のタクシーの中から、ここから3時間以上かかるという、
少年の住む村行きの貸切に対応してくれる車を探す。
周さんという運転手がその役を引き受けてくれた。
周さん、中国人のRさん、そして友人二人と僕。
5人では少し狭い車は、地元の周さんすら行ったことがないという
山奥の村に向かって出発した。
街を離れ、道は山あいを果てしなく続く。
途中、道沿いの売店で村へのみやげ用のお酒を買う。
外気はマイナス10度以下、弱い火力のストーブの周りで
近所の人たちであろう人々が暖をとっていた。
売店からしばらく走った後、車は舗装道路から離れ、
砂利道に入った。
緑の無い、低い山々の間を、満員の小型タクシーは、
路面の振動を拾いながら進んで行く。
道が二つに分かれる場所で、周さんが車を止めた。
標識は無
く、進むべき道がわからず
凍った河が目の前に広がった。
道はその河に向かって続いており、車はゆっくりその上を越えた。
舗装道路を離れ、3時間程走って、
そろそろ不毛な風景に飽きかけた頃,
視界の先に人家の群れが現れ、その間に人々の姿が見えた。
旧正月の祝いの空気が、山あいの村に賑わいを与えている。
洋服、野菜、魚、正月の飾り…
様々なお祭りの為の小さな売店が、
村のメインストリート沿いに並び、
村の人々は、楽しそうにその店を囲んでいる。
気が付くと、車の横に少年の父が立っていて、
僕らを迎えてくれていた。
車は少年の家族が待つ村の集会場に向かった。
集会場の小さな部屋には、テレビで観た少年、
その父、母、祖父の他、
Rさんが、メッセージを中国語で読み上げてくれた。
『早く手を直して、一生懸命勉強して、
お父さんとお母さんと幸せになって欲しい』そんな内容だ。
小学生の少年にはちょっと内容が難しかったのか、
彼はきょとんとした表情で僕らを不思議そうに見つめていた。
メッセージを書いた色紙と、手術代を親子に渡し、
今回の旅の大きな目的は終わった。
昔ながらのレンガ造りの小さな家に、祖父母と少年と、
今回の旅の話について、色んな意見があった。
『偽善』という人もいた。
『自己満足?』という人もいた。
『いいことだね』、そう言ってくれる人もいた。
『なんで、その少年なの?』という人も。
かつて、80年代の中ごろ、多くのミュージシャンが参加した、
”BAND AID”あるいは”We are the World”というムーブメントがあった。
アフリカ諸国の飢餓を救う為、当時のヒットチャートを賑わせていた、
マイケルジャクソン、U2、デュラン・デュラン、デビット・ボウイそして
重鎮のボブ・ディランらが楽曲を歌い、イギリスとアメリカで大規模なライブを行い、
その収益を還元した。
また、最近ではミスチルの桜井和寿、プロデューサーの小林武史らが、
環境活動を支援すべく、Bank Bandというプロジェクトで活動している。
彼らのような規模のムーブメントになって初めて、
チャリティー的な活動にどうしてもついてまわる、ある種偽善的な要素は浄化される、
そんな気がしていた。
そんな自分なりの思いもあって、今回の僕の気持ちの底には、
ちょっと斜に構えたような、屈折した思いが残っていた。
ただ旅を終えた今、そんなすべてのマイナスな気分を、
少年たちとの村での時間が拭い去ってくれた。
旅を終え、また日常の時間が流れ始めた。
内モンゴルの農村と、北京のブランド街のギャップが
あまりにも鮮明だったので、なぜこのような乖離が
生まれたのか、中国の近代史の本を読んでみた。
外敵への”恐怖”と、共産主義革命という”夢”が、
この国を動かしてきたことがなんとなく理解できた。
”共産主義”という”夢”は、いつしか支配の為のシステムとなり、
平等という幻想が、硬直という現実を人々に押し付けた。
成長を続けている。
ふと、内モンゴルの少年に尋ねてみたくなった、
君の夢はなんだい?
君の想いはなんだい?
君の欲望はなんだい?
君の恐怖はなんだい?
君の形はなんだい?
そして、君の住む大国は、どこに向かおうとしているんだい?
もうすぐ北京でオリンピックが開催される。
確実に、少年とその周りの環境も、劇的に変化してゆくのだろう。
いつか、あの村をもう一度尋ねてみたい、
そして”資本主義”という”リアルな幻想”が変えてゆくものを
この目で見てみたい、そんな気がしている。





































