番町教会の移転、建築プロジェクトは、2018年12月のオルガン設置をもって完了いたしました。
このブログは、あえて淡々と、建築の記録を(ほぼリアルタイムで)お伝えすることを目的としましたが、最後は教会らしく(?)、昨年2018年3月18日に行われた献堂式の式辞と、竣工直前に出された横野朝彦牧師(前任牧師)の文章で、私たちの想いをお伝えしたいと思います。
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| 2018年3月18日 献堂式式辞 牧師横野朝彦
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番町教会の献堂式にご出席くださり、まことにありがとうございます。このとき、皆さんと喜びを共にすることができ、嬉しく思います。
番町教会は創立132年のこのとき、新しい会堂を与えられました。主なる神が与えてくださったという思いを強くしています。その昔ダビデという人は、神殿建設の計画を立て、そのためのささげものをしましたが、そのときに祈りをして言いました。「すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。」
それとともに、この六番町に土地が与えられ、また新会堂竣工に至ったことは、132年におよぶ先人たちの祈りと労苦があったからこそ、与えられたものです。さらに、多くのかたがたの献げものや働きがありました。建築工事中、この土地を無償でお貸りすることができました。そのお蔭で、新会堂完成まで、四番町の旧会堂で礼拝を続けることができました。これらを振り返ると、わたしたちはどれほど恵まれてきたか、どれほど大きな恵みのもと、今日の日を迎えることができたかを思わされます。これら一切の上に働いておられる神の導きと祝福を思います。
礼拝堂の壁面には窓がありません。明かりはトップライト、天窓から降り注いでいます。正直なところ、わたし自身、天窓だけと聞いたときに、いったいどのようなものになるのだろうかと、イメージを掴むことができませんでした。けれども、出来上がったとき、ここに静謐な美しさを感じました。
すでにこの場所で1か月以上礼拝を持ってきましたが、礼拝中に天窓から降り注ぐ光が、ふと弱くなって、頭上を雲が通っていくのがわかります。四方は壁面であるにもかかわらず、自然を感じることができる、建築完成前には想像もしていないことでした。
雲間から、何筋かの光が柱のようになって降り注ぐ様子を、「天の梯子」あるいは「ヤコブの梯子」と言います。その昔、ヤコブという人が荒地に野宿していたときに夢を見ます。それは天にまで届く階段で、そこを天使たちが昇り降りしているというものでした。そこへ神の声が聞こえ、ヤコブへの祝福が与えられたのでした。この話は、シャガールなどが好んで絵画の材料にしてきたところです。
またほかにも、聖書のなかに、天の窓という言葉が何回か出てきます。そのなかに次のような言葉があります。「わたしはあなたたちのために、天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。」この礼拝堂の天窓は、まさに今読んだ聖書の言葉にあるように、天からの祝福を象徴するものと思えます。
もう一箇所、この会堂のありようにとって、とても大切に思う聖書の箇所があります。ペトロという人が見た幻です。天が開かれ、大きな布のような入れ物が四隅で吊るされて地上に下りてきました。そこにはあらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。そしてこれを食べなさいという声が聞こえたのでした。ペトロは、それはとんでもない、こんなものは食べられないと答えます。すると天から更に声が聞こえます。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
この幻が意味することは、これまでペトロたちが持っていた選民意識、あるいは狭い意味での民族意識を打ち破るものでした。彼らはそれまで宗教が時に陥りやすい狭い殻に閉じこもり、違う民族、違う宗教の人と付き合うことは、汚れたことのように考えていたのです。しかし、この幻を境にして、ペトロたちは外の国へキリストの福音を伝え始めたのでした。
ペトロが見た、天が開かれる幻は、すべての人と共に生きよ、という神の示しでありました。番町教会は、会堂建築にあたり、宣教基本方針と建築基本方針を定めました。そのなかでキーワードとなったのは、Open for Allという言葉でした。宣教基本方針には、「互いを受け入れ認め合い、多様性を重んじ、弱い部分を大切にするキリストの体を作ります」と書きました。また建築基本方針には、「誰でも入り易いものとします」と書きました。
互いを受け入れる、誰でも入り易い、当たり前の言葉です。なにを今さらこんなことを言っているのだと思われるかもしれません。教会がすべての人に開かれているのは当然のことで、わざわざ言うまでもないことのはずです。
けれども世界の現状はどうでしょうか。争いは絶えず、国と国の間に壁を作ろうとする動きもあります。日本の国においても、自分たちの国が優越しているような意識が喧伝され、隣の国の人たちを貶めるような発言が聞かれます。
しかし、キリストは敵をも愛する愛を、その生涯の生きざまをもって、そして十字架によってあらわしてくださいました。そのようななかで、Open for Allであるとは、すべての人と隔てなく共に生きるようにと、和解と平和のための働きをしていく、和解と平和のために、この会堂を用いていく表明であるとわたしは思います。
神は、天の窓を開き、祝福を与え、わたしたちにすべての人と共に生きよとの使命を与えてくださっています。この使命に少しでも応えていきたい。与えられた恵みに感謝し、これからの活動においてわたしたちの働きを神に献げていきたいと願います。
祈ります。
天の神。あなたは天を開き、わたしたちに豊かな祝福を与えてくださっています。心から感謝をいたします。キリストの愛に生かされ、すべての人と共に歩んでいくことができるように、そしてそのためにこの会堂が用いられるように、心から祈り願います。今日このところに集ってくださったすべてのかたのうえに、天よりの祝福が注がれますように。
(2018年3月18日献堂式)
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http://bancho.m78.com/preachall_180318.html