今、俺の前には食堂で借りてきた炊飯器がある。3年は自由登校になった3学期の上に今日は授業のない土曜とあって、寮で昼食を食べる学生はいつもより少ない。そこで、おばさんと交渉した俺は、米5合と共にこの炊飯器を借りてきた。
それを抱えて部室へ戻ったら、すでに駒澤がきていた。
「おい、真行寺、本当にやるのか?」
「あいつらと約束したからな。ひとりひとつ、当たりを引いた奴が、明日の部室の掃除当番だ」
テーブルとも呼べそうにはない、部室の一角を占める板張りの古い机に荷物を置き、駒澤を振り返って言った。
「おまえが部長なんだから、1年を名指ししてやらせればいいだろう」
「俺もそのつもりだったよ。ところが、あいつらときたら、俺が名指しする前に、我も我もとこぞって志願してきたんだぞ」
想定の斜め上を行く今年の新入生たち。昨夏に引退した3年がいた頃こそ大人しかったものの、俺が部長に就いたとたん平常運転をはじめたらしい。
「あいつらにしたら、部のホープとして先輩から一目置かれ、今は部長になった真行寺に気に入られたいんだろ」
「それ、おかしくないか?俺がいつ先輩から一目置かれたよ。ヤな役ばっか回してきて、文化祭の対抗劇では史上初の連続出演だ。あきらかに、イジられてんじゃん」
「目につかない奴は、イジられることすらない。それだけ、真行寺が剣道部に貢献してるってことだろ。ましてや、あの三洲会長が道場に何度も足を運んだのも、真行寺の存在があるからだ。1年たちもそれを知ってるから、おまえの役に立ちたいんじゃないか」
一目置かれてんのはアラタさんね、はいはいわかってるよ。
「こんなもの俺に用意させて、あいつら役にたってんの?」
俺と駒澤は、今から手を洗っておむすびを作る。掃除当番志願の1年生だけでなく、便乗した2年の分まで総勢50人近い部員の胃を満たすために。
「俺の方が、あいつらの役にたってんじゃね」
「まあ、部長だから、部の役には立たなきゃならんだろうが。普通ならくじ引きかじゃんけんにするところで、おむすびを提案したあたりは真行寺らしいな」
言い終わる前に、駒澤はニヤニヤと笑いはじめた。
「早くやっちまおうぜ、まずは水道だな」
木枯らしの吹くグラウンドへ、ふたりして再び出ていく。
「アラタさんがいるうちに、部室棟も建替えてもらえばよかった。各部屋に、シャワールームやトイレも完備した、最新設備にして。いちいち寮の部屋まで戻んなくても、食堂へ直行できるし」
「三洲さんなら、部室棟の一角にトイレ兼用シャワールームを作ったりしてな。運動部で話し合って、公平に使えって。良くて、道場の方に設置したり」
どのみち、室内から出されるのか。ありうる。
「だいたい、すぐそこに寮と食堂があって、売店まであるのに部室で飲み食いする発想しないだろ」
「俺、なんで“おむすびくじ”作るなんて言っちゃったんだろう」
「それより、掃除を明日にしなくてもいいけどな」
手を洗った俺たちは、さっそくラップを巻いておむすびを作り始めた。具材は、塩昆布の一択。売店で簡単に手に入るネタが、これしかなかったんだ。その横には、チューブに入った辛子が密かに置かれている。それを取り上げて、塩昆布からはみ出さないように、慎重に絞り出す。
「明日は、麓に下りなきゃなんないだろうが」
チューブを握る手元に合わせて声音までひっそりになったからか、駒澤が沈黙した。それにもメゲず、ひたすらおむすびを握っていく。グラウンドで練習する運動部の掛け声に混じって、遠くに楽器の透き通るような音色が聞こえる。その音を、訝しげな声が遮った。
「明日、麓で何か用事あったか?」
ひとりごとをつぶやくように、駒澤は小さく訊ねてきた。
「来週は入試で、俺たち試験監督があたってて1日潰れちまうし、明日しかないじゃん。その次じゃ、悩む隙もあったもんじゃない。」
「だから、入試の日、道場と部室を一斉に掃除させればいいだろ。試験監督でいないんだし」
「そしたら、俺たちが部活を休めない」
「だから、なんで休むんだよ。その後も卒業式だなんだって、自動的に休まなきゃならない日はあるんだぞ」
校内のスケジュールとしてはそうだけど、俺のスケジュールとはリンクしない。後ふたつ作るおむすび作業を止めて、真面目な副部長を見上げた。
「あれ?駒澤、チョコレート買いに行かないの?」
「チョコレート?」
「バレンタインまで、もうひと月ないっしょ」
「ああ、なるほど。真行寺は、明日、バレンタインチョコを買いに行きたいのか。俺たち、2月は野沢さんが忙しいから、今年は3月のホワイトデーにまとめてやろうって話になったんだ」
「は?じゃ、俺だけ?駒澤、3月の予定まで、決まってんの?」
真面目な副部長が、親友なのに遠い別人になったみたいだ。
「三洲さんと相談しなかったのか?」
アラタさんと相談?あの人、いま、受付してんのかな。
「あのな駒澤、アラタさんは、通知しかしないんだよ」
俺の口からでる言葉が、次第に重みを増していく。駒澤の手が止まった。そして俺を見る。
「真行寺、それなら恋人ではなく、部活の先輩も同じじゃないか」
「え?俺とアラタさん、体育会系?」
「少なくとも、野沢さんのような、文化系の匂いはしないな。一度、おまえから、三洲さんに提案してみたらどうだ」
志願じゃなく、提案。俺も、1年のあいつらと同じことを、アラタさんにしてたってことか。それで、ご褒美は食い物ばかりだったのかな。
「とりあえず、今夜、アラタさんに電話してみるわ」
スルッと口から飛びだしたひとこと、素直なひとことが口をついてでた。
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