ギイっと軋む音をさせ、温室のドアが開いた。小路の間からそっと現れた真行寺は、ペコリと小さく頭を傾げ耳を澄ましている。
ここで練習するぼくの聴衆。そう自認して、道場へ向かう途中や帰り道に立ち寄る。しかし今日は、少し様子が違った。王子様、表だっては誰も言わないけれど、主に下級生からそう評される真行寺の容姿は心なしか俯き気味で、ここが男子校でなければきっと手を差し伸べる女生徒に囲まれていただろう。だが残念なことに、ここは男子校で、憂いる王子様は、部活動にも入らずここでひとり練習するぼくがいる温室まで、とぼとぼやって来たのだ。

弓を離しバイオリンを止めたぼくに、真行寺はつと顔をあげ首を傾げた。
「あのね真行寺くん、また三洲くんと何かあったのかい?」
「え、や、まあ、、、そうなんすけど」
歯切れの悪い真行寺をテーブルとセットになった丸太に座らせ、もうひとつの椅子にぼくも座った。
「葉山さん、練習いいんすか?」
「そういう真行寺くんこそ、今日は早いね」
「はあ。先輩に追い返されたっす」
「剣道部を?」
「やる気ないなら帰れ、って」
「やる気、ないのかい?」
追いつめられたようにグッと詰まった真行寺は、そのままテーブルに突っ伏した。
「なんだい、真行寺くん?」
「はああ、なんでっすかね、葉山さん。やる気はあるんすよ、俺はいつだって」
「じゃあ、どうして帰ってきたんだい」
「みんなの練習の邪魔だって、俺。どうして先輩って、理不尽なんすかね」
真行寺、その先輩の中には、ぼくも入るんだ。どうしてって訊かれても、ぼくの練習の邪魔をしたのは君だし。第一、まだここに来た用件にも辿り着いてないのに、どうしてなんて知らないよ。
「ミルクティでいいかい?」
「あざっす。葉山さんは、やっぱ優しいっすね」
ミルクティひとつで顔をあげる真行寺のために、片隅にひっそり置かれたミニキッチンへ行く。立ち上がったぼくの後ろには、いつの間にかリンリンが来ていた。
「リンリンも、ミルクを入れてあげようね」
ニャと鳴くリンリンに、真行寺が恨めしい目を向ける。それを軽くいなしてスタスタと歩くリンリンは、三洲にそっくりだ。

インスタントのミルクティをひとくち飲み、マグカップを置いた真行寺は、
「葉山さん、アラタさんなんか言ってたっすか?」
前置きもなく訊く。
「クラスでは、いつも通りだったよ」
「や、今日じゃなく、夕べっす」
「夕べ?三洲くんは、真行寺くんと会ってたんじゃないのかい?」
「会ったっすよ。正確には、見つかったんすけどね」
「隠れてたのかい?」
「隠れてはないっすけど」
いったいどっちなんだ。
「三洲くんが、どうかしたのかい?」
「昨日、俺、アラタさんの机にプリントアウトした用紙置いたっしょ。あれで、すげー剣幕だったんす」
「それは、承知してたんじゃないのかい?」
「葉山さんも、見たっすか?」
「チラッとだけ」
「当たってたっしょ」
「どうかな。でも、真行寺くんは、当たってるって思ったんだ」
「でね、問題は、動物っす。アラタさんって、動物嫌いっしょ、リンリンのことも」
王子様は、また憂い顔をして、腕を組む。
「なのに、あの結果には、好きな動物に会ったら故障が直るって書いてあったから、気になるじゃないっすか」
「それで、用紙を置いてったのかい?」
「そうっす。葉山さんだって、知りたくないっすか?アラタさんを直せる動物なんて」
ぼくは真行寺ほど故障した三洲くんと、会ったりしないから、知らなくてもいいけど。でも、真行寺にすれば、万が一にも、念のためにも、是非とも知りたいのだろう。
「それで、三洲くんには訊けたのかい?」
これは、憂いる王子様に禁句だったようだ。真行寺は、ガックリと落ちた首を振る。そして、しばらく黙りこんだ。
遠くから、学生たちの話し声が聞こえる。部活を終えた文化部だろうか、寮へ戻るのだろう声は、徐々に遠ざかっていく。もうすぐ、きっと真行寺たちが所属する武道系の部活も終わる。
「じゃあ真行寺くんは、三洲くんと喧嘩中なのかい?」
つと考えるしぐさをした真行寺は、
「ボコボコにはされたっすけど、それはいつものことなんで、喧嘩とは違うんすけど」
煮え切らない。
「なら、なんだい?」
「うーん、俺は、アラタさんに伝えたかっただけなんすよ。好きな動物に会ったら、俺がボコボコにされることもなくなるっしょ。それに、アラタさんだって、いつでも心地よくなれるんすから、動物好きになった方がぜってー楽しいじゃん」
真行寺は、あの用紙にそれほど深い思いを込めていたんだ。
「それならそうと、直接、三洲くんに言えばよかったんじゃないのかな。こっそり机に張りつけなくても」
「俺も最初はそうしようと思ってたっす。でも、アラタさんすよ。その前に、あれを見せなきゃなんないんす」
あの時も、開封した三洲は、ざっと見てすぐに閉じていた。きっと、真行寺の気持ちなんて、ぜんぜん気づいていないだろう。
「葉山さん、あれ見たアラタさん、何か言ってたすか?」
「どう思う、って訊かれたけど」
「どう思ったんすか?」
「真行寺くんは、さすがだなーって。三洲くんにも、そう言ったよ、ぼくは」
「マジすか」
「どうして?」
ちょっと困った顔をする真行寺は、言葉を選ぶように言う。
「アラタさんって、ああ見えて結構繊細じゃないすか。それを、あの結果には、めずらしい考え方やトンデモ発言、って書いてあったっしょ。あの人、自分じゃ、オーソドックスなつもりなんす」
なんだって!それじゃ、ぼくは真行寺を誉めない方がよかった、ってことになる。でも、あの時は本当にそう思ったんだ。それで、三洲は、
「そうじゃないだろ、ってそういう意味?」
「それ、アラタさんが、言ったんすか?」
上目遣いに見る真行寺に、ぼくは頷く。
「ぼくが、三洲くんを煽っちゃった、てこと?」
「─おそらく」
わわ、それは悪かったよ、真行寺。
さらにこじらせた三洲は、なんとしてでも真行寺を探したのだろう。おおよそ、いつもなら見つからなくて諦めるものでも、そうなれば真行寺がどこにいようと構内を熟知している生徒会長から逃れられるはずはない。
「で、でも、ちゃんと許してもらったんだろ、真行寺くんは。三洲くんが帰ってきたの、明け方だったし」
「謝り倒して、謝り倒して、一応は許してもらったっす。だから、夕べ、もうそれ以上はあの話ができなかったんす」
それで、真行寺が知りたかったことは、まだ訊けてないんだ。それで、ガックリしてたんだ。
もしかすると、今、理不尽な先輩たちのひとりに、ぼくも加わったのだろうか。さりとて、その三洲に訊くことなんて、ぼくにもできないよ、真行寺。