放課後の生徒会室。もう校舎に残る生徒はなく、部活動も終わった時刻に役員がいることは少ない。
今も、人気のない校舎の中は、アラタさんがバインダーをしまうスチール書棚の開く音が、大きく聞こえる。

ここへ入学して、祠堂に入学できて、本当によかった。
名前も教えてくれなかったアラタさんとまた出会えて、寮の階は違うし生活スケジュールもぜんぜん違うし、でも生徒会室へ来ればこうして俺を入れてくれる。あまつさえこの後に夕食を、さらにはその後にコーヒーを飲みながら構内のことを詳しく教えてもらえれば、なんて計画を持って訪れるのだが、今のところ成功率は低い。

今日こそは、本日もそう思いながら来てみたものの、まだ言い出せずにいた。

斜陽が、寮の影をグラウンドに長く伸ばす。中庭の木立を吹き抜ける風が、ふわりとカーテンを揺らした。

「何をしている。戸締まりは、まだかい?」

突然、真後ろから聞こえた声に押され、びっくりした俺は前につんのめりそうになった。制服のシャツが後ろから引かれなければ、あるいは落ちていたかもしれない。

「おいおい、ここから飛び降りるつもりかい、一年坊主」

冷ややかな声は、俺を心配しているのか、からかっているのか、今もってよくわからない。
毛頭、俺にそのつもりはないと知っていて、一番大好きな人と、愛してやまない人と、こうして一緒にいられるこの瞬間を捨てて飛び降りるはずがないとわかっていて、俺を試しているのだろうか。

「すんません。すぐ閉めるっす」
「はいはい、わかったから。いつまでも窓を開けとくと、先に帰った先輩方が覗きにくるぞ」

振り向いて伸ばした手が空を切る。せっかく捕まえたチャンス、いや捕まったのは俺か?、とにかくすぐそこにいる愛しい人に触れようと、手を伸ばした時にはもうそこにいない。
足音もさせずに近づいたかと思えば、スルリと離れていくアラタさんを捕まえるのは、至難の技だ。

しかし向こうは慣れたもので、机の上から取りあげたキーホルダーをチャリンと鳴らす。最後に残った窓とカーテンを閉めた俺は、胴着を詰め込んだボストンバックを持ち、ドアを開くアラタさんに続いた。

「アラタさん、夏休みは帰省するんっすか?」
「40日も、ここには居られないからな。一応、予定もあるし」
「予定?やっぱ、忙しいんすね」
「ああ、それなりにはな。真行寺も、帰るんだろ?」
訊いてくれる?俺の予定も、訊いてくれる?
「うっす。親も、夏休みは帰省しろって、うるさいんで」
「ゴールデンウィークは、帰らなかったんだよな。親御さんもそれは心配だろ、こんな山奥に籠ってばかりじゃあ」
や、籠ってるのは俺が好きな人といたいからで。アラタさんが帰省しなかったから、誘ってくれたから逃したくなかっただけで。
「アラタさんの親は、心配しないっすか?」
「ここなら、居場所がわかる。急用があれば連絡もつくし、かえって安心じゃないかな」
ええ?えええーっ?アラタさんの地元って、たしか東京だよな?
「アラタさん」
改まった俺の声で、アラタさんはつと足を止めた。そして、小首を傾げて俺を見上げる。小さな顔が、まっすぐに俺を見つめる。ヤバい・・・
「な、夏休み、夏休み中にも、俺と会えませんか?」
「なんだい、急に。ああ、真行寺の実家も、東京か」
「そ、そうっす。だから、どこかで待ち合わせて。や、俺が家まで迎えに行きますっ」
俺の実家、アラタさんが知ってる。ちゃんと覚えててくれてる。舞い上がりそうな気持ちをどうにか抑え、告げる俺を見る目に笑みが浮かんだ。と、思ったらつと視線を逸らし、再び階段を下りはじめた。
「ダメっすか?」
「やめてくれ、帰省して親を心配させるのは趣味じゃない」
「じゃ、じゃあ、待ち合わせは?」
「まあ、同じ東京なら、どこかですれ違うことはあるかもな」
すれ違う?山奥じゃなくて、東京だよ?駅の改札だけでも、いくつあるか知ってるよね。
「予定って、そんなにイッパイなんすね。同じ街にいても、会えないくらい」
そして、俺を見た親が、心配するくらいに。
「真行寺の予定は?剣道部だって、練習があるだろ」
「8月は練習ないっす。後は、親父と会うけど」
「ふうん。なら、暇があったら電話するよ」
「本当に?本当っすか?」
「暇があったら、な」
念を押すように、アラタさんは声に力を込めた。

いつ、とも、どこで、とも言わないけれど、アラタさんの声が夏休み中にも聞ける。どんな話をすればいいかわからないけれど、それはこうして会っていても本当に伝えたいことはなかなか話せないけれど、アラタさんの声が休暇中も俺を呼ぶ。同じ空を見て、同じ景色を見ながら、話ができる。

きっと、その時にアラタさんのいる場所が、俺の一番好きな場所。



東京で1番好きな場所は?


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