ギイが、祠堂を退学するかもしれない。

ふたりで積み重ねた日々がなくなる、ニューヨークの自宅なんてあまりに遠すぎる。まだ決定したわけじゃない、ギイはそう言って笑う。けれど、ぼくの心は、既にその日を恐れ始めていた。そして、いてもたってもいられず、翌日の放課後、ぼくはこっそり章三を温室へ呼び出した。


温室へ入ると、涼しげな鈴の音が小さく響いた。急いで植え込みの向こうへ逃げていく黒い尻尾の先が、綺麗に手入れされた草の間に消える。風のない花壇の中で、そこだけがいつまでも小さく揺れていた。

とてもじゃないけど今日はバイオリンを弾ける気分ではなく、手ぶらでやってきたぼくを茂みの奥から覗くふたつの輝きがじっと見ていた。

「お腹が、空いたのかい?」

丸太を切っただけの椅子と天然木の大きなテーブルが置かれた休憩スペースから話しかけると、小さくてもキラキラと輝くふたつの宝石が角度を変える。リンリンが、草むらの中で、小首を傾けていた。章三が来るまでは何もすることがなく、入口へ引き返し傍らにある小さな流し台からアルミのお皿を取り出した。開いた小さな冷蔵庫には大量のお菓子がぎっしり詰め込まれ、その片隅で猫缶が申し訳程度に覗いている。それをアルミの容器に移し床へ置くと、リンリンが飛び出してきた。一目散で走ってきたリンリンは、ぼくの前でピタリと立ち止まる。そこを明け渡し、流しで手を洗う。と、リンリンは安心したように勢いよく食べはじめた。その後ろでドアの軋む音がした。よっ、と軽く手を挙げ辺りを見回した章三は

「葉山、バイオリンは?」

あるべきものがない、と言わんばかりに訊く。

「うん、ーーーそういう気分になれなくて。」

「また、ギイとなんかあったな。でなきゃ、わざわざ僕をここへ呼び出したりはしないか。」

苦笑したぼくをスルーして丸太の椅子に座った章三と並び、腰をおろす。そして、昨夜、ギイから聞いたことを伝えた。黙ってぼくの話を聞いていた章三の顔は、みるみるうちに険しさを増していく。

「それ、いつ聞いたんだ?」

ガラス越しに差し込む柔らかな日差しを受けきらめく瑞々しい葉っぱの下で、威厳ある風紀委員長は腕を組み、硬い声で告げた。

「昨日の夜だよ。」

「奴は、他になんか、言ってなかったか?」

「まだ決定じゃない、としか言わないんだ。」

「今朝は、その話をしなかったんだな?」

食堂で会った時も、廊下で話したギイも、ぼくとは違い昨夜のことなんてなかったかのように平然としていて、こっちが拍子抜けしそうなほど普通だった。

「うん。だから、ギイは、いつもと変わったところがなかっただろ?」

「また、一人で抱え込むつもりか、ギイのやつ。」

溜め息混じりにつぶやいた章三が

「僕にも訊きたいことがあるから、夜にでもゼロ番に押しかけるしかないな。葉山も、一緒に行くだろ?」

視線だけチラリと向ける。ぼくは、ギイの共犯者なんだ、章三の提案に異論はなかった。


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タイトル、ご存知の方はいるでしょうか。