つまらないものですが
ー以下、本文ー


見渡す限りの白い砂浜で、仕事がひと段落したFグループ御曹司の崎義一こと通称ギイは、心洗われる休日を過ごしていました。両親の祖国にある“わびさび”を齢20代にして慈しむギイにとって、自宅のあるニューヨークへ帰り休日を過ごすより、誰にも会わずにこうして海を眺められる日はとてもとてもスペシャルなご褒美です。金茶色の髪を靡かせ、彫りの深い頬を潮風が撫でていきます。その風に乗って、何やら物々しい声がかすかに聞こえました。

「せっかく、人が命の洗濯をしてるってのに。」

誰にともなくごち、よっ、とひと声掛けて立ち上がったギイは、声のした方へと歩き始めました。長いストライドで数分歩いた先、そこでは相撲大会でもあるまいに、ひとりの青年が多数の子供に次から次へと襲いかかられていました。

「おいおい、何やってんだ?」

やにわに聞こえた声に振り返った子供たちは、見慣れない薄茶色の瞳を眇めるギイを見て、蜘蛛の子を散らすように、今ギイが来た方向とは反対の方へ駆け出します。

「はあ、やっと自由になれたっす。」

「そんなにデカい図体なら、あんな子供くらい、自分でなんとか出来るだろう。」

身長180cmのギイよりわずかに大きな青年の吐息を聞き、呆れ笑うギイに青年は答えます。

「それはそうっすけど、下手に子供なんか怪我させちゃ、アラタさんに何を言われるか。」

「アラタさん?」

「や、何でもないっす。でも、おかげで助かりました。ひとりっすか?」

辺りを見回した青年は、海水浴シーズンとは打って変わった浜辺に立つギイを、不思議そうな顔で見ました。

「たまには、パートナーから解放されたいだろ?」

ウィンクしたギイは、たちまち顔に“不可解”と書いた青年を見て、つと吹き出しました。

「えっと、ひとりなら、ちょっとだけでもお礼をしたいんすけど、」

「それなら、今、もらったよ。」

言ってきびすを返したギイを、青年は伸ばした腕で引き止めます。

「そういうわけには、いかないっす。俺が怒られちゃうっすから。」

「こんなにデカい男を、怒る奴がいるのか?」

「いるも何も、俺、毎日、怒られてるっす。」

「じゃあ、そいつの顔を拝みに行こう。」

何はともあれ、我が意を得た青年はギイと並んで海岸を後にしました。



「ただいまっす。」

「ずいぶん遅かったじゃないか。」

執務机から振り返った三洲の眉間は、みるみるうちに皺が寄っていきます。

「おまえ、泥だらけじゃないか。また、くだらないことでも、していたんだろう。」

「違うっす。子供を相手に、俺が手を出すわけにいかないっしよ。んとに、少しくらい心配してくれても」

「うるさい。俺は生憎と忙しいから、子供と遊んでる奴の心配をする暇はない。」

最後まで言う間も与えられず、キッパリと告げられました。

「はあ、つれないとこも、通常営業っすね。あっ、それより、泥の原因から俺を助けてくれた人を、連れてきたんすけど。」

「はあ? おまえ、今、俺が言ったことを聞いていなかったのか?」

「やや、忙しいことは、重々承知っす。だけど、そのまま、“はい、さようなら”っていうのも失礼っしょ。」

「まあな。さて、どうする、葉山?」

変わり映えしないふたりのやり取りを、生暖かく見守っていた託生は、

「真行寺くんを救ってくれたのなら、やっぱり、おもてなしくらいしなくちゃ。」

「そうっすよね、葉山さん。」

「調子に乗るな、真行寺。」

うんざりとした表情の三洲は重そうに腰をあげ、真行寺に着替えて来るよう言い残して、部屋を出ていきました。



海岸から離れ、青年にロビーへと案内されたギイは、マンハッタンにある自宅のリビングと変わらない広い床に敷き詰められた大理石を蹴り、無人の空間へ訊ねます。

「表の看板には“竜宮城”って書いてあったが、商社か何かなのか?」

しかし、商社ならば受付があるはずで、例え無人でも呼びだし用の電話ひとつない伽藍堂の空間の真ん中に、応接セットがポツリと置かれた部屋など見たこともありません。日本式の家ならば土間の向こうに靴を脱ぐスペースがあり、企業ならば防犯も兼ねた来客スペースになっているはずが、そのどちらともつかない曖昧なここで待たされること30分。いかな休日と言えども貴重な時間に何も出来ず、いい加減痺れを切らせかけた頃、ようやく人の気配が訪れました。

ロビーから続く廊下の向こうから現れたのは、中華風のきらびやかな上着に黒い細身のパンツを着た、一見しただけでは男とも女ともつかない中性的な美貌の持ち主です。

「さきほどは、うちのものがご迷惑をおかけいたしました。心ばかりですが、奥の部屋にお茶の用意をさせましたので、こちらへどうぞ。」

名乗りも挨拶もせず、ギイが着いて来るものとばかりに、現れた廊下を戻っていく主。呆気に取られ立ちすくんでいたギイは、怪訝な顔をして振り向いた主を慌てて追いかけました。

「おい、一体ここはなんだ? そして、おまえは誰だ?」

「表に、“竜宮城”と、大きく表示していたはずだが?」

「それなら見たさ。だけど、その竜宮城って、どういうものだって訊いてるんだろう。」

「見ての通り、こういうものだが。」

そう言われても、ふたりが歩いている廊下の両側には、真っ白い壁が続くばかりで突き当たる様子もなく、まるで果てがないのではと思うほど長い通路しかありません。しかも照明器具らしきものが見当たらないにもかかわらず、煌々と明るいのです。

まったく噛み合わない話に、どう説明したものやら悩むギイの前で、三洲は前触れもなく足を止めました。危うくぶつかりそうになったギイは、踏み出しかけた足を、どうにか着地させます。その目の先で壁をタッチした三洲は、つとそこに現れた入口から壁の向こうへと入っていきました。

いつの間にか出現した入口。そこをそっと覗き込んだギイは、思わず大きな声をあげました。

「なんだ、これは。」

吸い寄せられるようにそこへ近づいたギイが見たものは、ロビーよりさらに広い部屋の一方の壁一面、床から天井の高さまで透明のガラスで仕切られた、海洋博物館のような水槽でした。キラキラと輝く水の中ではコンブがユラユラと揺れ、赤やピンクのサンゴの間を無数の魚たちが悠然と泳いでいます。

「向こうは、どうなっているんだ? この水圧に耐えられるガラスの厚みなら、相当なものだろう。」

「フォログラムだ。」

「フォログラム?」

「ああ、それも立体フォログラム。熱帯地域の深海を模して作らせた。」

「三洲くん、またそうやって、お客様をからかっちゃ、ダメじゃないか。」

水槽に目を奪われていたギイは、この部屋の中で、三洲以外の人がいたことに驚きを隠せません。

「なんか、こいつ、見てくれからしてタチが悪そうだけど。ところで、君は?」

「申し遅れました。こちらが、この館の主で三洲新。そして、ぼくは、三洲の業務上のパートナーを勤めている、葉山託生です。本日は、三洲の恋人をお助けいただいたそうで、まことにありがとうございました。ささやかですが、こちらでお寛ぎください。」

そう言って深々とお辞儀した託生の、首元まできっちり留めたボタンを裏切る、シースルーになった袖から見える腕がギイの目に留まります。白く滑らかな肌が、淡い色のブラウスから透けていました。そこから視線を外せなくなったギイは、解せない託生の言葉を繰り返します。

「さっきのデカい男が、三洲の恋人?」

「失礼だな、葉山。あいつは飼い犬だと、何度言えばわかるんだ。」

さらに解せない三洲の言葉。狐につままれたように三洲へと視線を流したギイは、改めて三洲へ訊ねました。

「犬? 尻尾などなかったし、どう見ても人間だったぞ。」

「おや、客人には、あの尻尾と耳が見えなかったらしい。見える人も、いるんだが。」

あわや丁々発止の趣を見せかけたそこへ、ドレスシャツに三洲と同じく黒いボトムスに着替えた真行寺が、先ほどの入口から入って来ました。

「俺に、尻尾と耳が付いて見えるなら、アラタさんにも長~い耳が付いてるって、見えてる人もいるっしょ。」

「おまえの減らず口はいいから、連れてきた客人をもてなせ。まったく、この作者も、ろくでもないことばかり、覚えているんだな。」

憎まれ口を叩いた三洲は苦り切った顔をして、一同をご馳走が並ぶテーブルへと誘います。

水槽の前に置かれた長い卓には、ご馳走以外にも飾り付けられたフルーツや洋菓子が並べられています。傍らの飲料ディスペンサには、暖かいスープやホットドリンク、冷たいジュースだけではなく、ビールやワインなどお酒の表示もあります。そのディスペンサから、それぞれに選んだドリンクを並べた託生は、空いていたギイの隣へ座りました。

水槽を眺めながら食事ができるよう、ギイの隣に託生と三洲、三洲の隣には真行寺が並んでいます。託生はギイに話し掛けようとして、まだ名前すら知らないことを思い出しました。

「あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「ああ、崎義一だ。ギイと呼んでくれ。」

「ギイーーー、珍しいお名前ですね。日本人じゃないみたい。」

クスリと微笑んだ託生の顔を見たギイは、ここに来てから次々と起きる謎に苛まれ翻弄されていた心が、温かくなるのを感じました。

「真行寺兼満。いかにも日本人らしい名前だ。」

「それはそれで、ずいぶん堅苦しいな。」

「この通り、名前だけだが。」

「その名前をテストに書くたんび、もう少し簡単だったらって思ってたっす。」

両親の願いが込められた名前を巡り、意気投合してネガティブな話を始めたふたりを捨て置き、ギイは託生へ語りかけます。

「両親はれっきとした日本人だが、俺はアメリカ人なんだ。」

「ギイは、アメリカから、いらっしゃったんですか?」

「いや、今は日本に住んでいる。時々はアメリカにも帰るけど、日本で仕事をしていたんだ。」

「世界を股にかける男、なんかカッコイイですね。」

「託生も一緒に来ないか? 世界中のいろんな場所を見せてやれるぞ、こういう魚だけじゃなく。」

「おい、崎とやら、さっきの葉山の話を聞いていたんだろう。葉山は俺の業務パートナーだから。」

聞き捨てならないとばかりに口を挟み剣呑さを漂わせる三洲に、託生は誘ってくれたギイにも配慮して、その場を繕います。

「あは、三洲くん、ぼくの仕事程度なら、真行寺くんにも出来るんじゃないかい?」

「葉山さん、またまた謙遜しちゃって、悪い癖っすよ。俺じゃ、アラタさんを怒らせてばかりっしょ。」

託生の思いは、真行寺の美徳でもある正直さによって台なしになり、しかたなく本当のことをギイに話します。

「でも、ぼくは三洲くんみたいに英語とか出来ないだろ。だから、ギイに着いていっても足手まといにしかならなくて、すぐに追い返されちゃうよ。」

「言葉なんて、そこへ住めば覚えられるさ。」

しかし、ギイもそう易々と諦めることはありません。

「どうする、葉山?」

「急に訊かれても、ぼく・・・」

「ということだから、客人には申し訳ないが、葉山のことは、ひとまず諦めてくれ。」

その後は託生の取り合いにピリオドを打ち、ギイの行った国のことなどを中心に、楽しいひとときが過ぎました。そして、始まりの海岸へ帰るギイとロビーでお別れです。

「真行寺、崎さんを送ったら、今度はさっさと帰って来いよ。」

「了解っす。お土産はこの箱でいいんすね。」

「あれ、託生は見送ってくれないのか?」

「ああ、代わりに、その玉手箱を渡して欲しいと言っていた。たいしたものは入っていないから、暇を持て余した時にでも開けてくれと、伝言を預かっている。」

「そうか。最後にもう一度だけでも、託生に会いたかったんだが。」

別れも告げられず落胆するギイは、真行寺に案内され海岸へと辿り着きました。さっきと同じ浜辺も今は深いオレンジ一色になり、心地好かった潮風は冷たく吹いています。ひとりになったギイは

「託生・・・、託生と一緒なら、この寂寞も絶景になるんだろうな。俺が“パートナーから解放されたい”なんて言ったばかりに、きっと天罰がくだったんだ。」

波音で消えそうな小さなつぶやきを漏らし、腕の中にある玉手箱をじっと見つめました。

「託生がいれば、暇を持て余す隙など、ありはしない。こんな俺に、託生はいったいどんなプレゼントをくれたんだ?」

言葉にすると、がぜん中身が気になりはじめました。抱えた箱を見つめしばし逡巡したのち、ギイは決心したように砂の上へ置きます。高鳴る胸の鼓動を抑え、静かに玉手箱の蓋を開きました。

「ギイ、もう暇が出来たのかい?」

「俺は、託生恋しさのあまり、幻覚を見ているのか?」

「幻聴も、聞こえるだろ。」

玉手箱の中から、白く華奢な腕が伸びてきました。その腕を引き寄せ、ギイは微笑む託生を強く抱きしめます。薄茶色の瞳は潤み、オレンジを映す頬はキラキラと光っていました。



その頃、竜宮城では

「葉山さん、無事に会えたんすね。そうしたら、これからは、俺とアラタさんのふたりっきりじゃん!」

「話し相手がいなくなって、残念だな、真行寺。」

「アラタさん、そうじゃないっしょ。せっかく二人きりなんだから」

「そうだな。」

その声を聞いた真行寺は、このまま取り逃がしてたまるものかという勢いで、すわっと抱きつきます。それをするりとかわし立ち上がった三洲は、ドアへ向かい歩いていく途中で振り返りました。

「さっき崎に渡した箱を探している時に見た倉庫、中がメチャクチャに放り込んであったんだ。整理しなきゃならないと思ったところだから、ちょうどいい機会になった。もちろん、真行寺は、手伝ってくれるよな?」


~タクミくんシリーズ完全版2へ~


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まさしく箱入り息子。そして、竜宮城はいつからキャバクラになったのでしょうか。鬼が島は合コン会場。いつか西遊記でやってみたいものですが、三匹の小さな狼と子豚も気になっております。

ちなみに最遊記なら、銃携帯の三蔵を大橋先生が、悟空を託生くんが、八戒をアラタさんが、これ通常キャストなので、悟浄役の平田さんに代わりギイまたは真行寺が加われば・・・イメージ簡単(笑)ステージは温室あたり?