優しい嘘の間に挟みたかったのですが、個人的事由により至急“いい男”が見たくなったもので(笑)以下、矢倉と八津です。


深夜にはまだ早い時間。窓の向こうは煌めく街のネオンが華やかに輝き、人口密度の高い憂き夜が、今宵もそこかしこで営まれている。行き交う人の吐き出す熱気が渦を描いて舞い上り、街全体を覆うドームの如し、日が暮れていい加減過ぎている今も都心の暑さは和らぐことを知らない。今夜も例外なく、さぞや熱を上げていくのだろう。それらを一望で見下ろす地上100Mのここは猥雑なざわめきとも無縁で、静かなジャズピアノの音色がシックな内装の室内を漂う。程よく明かりが絞られた店内には一人客も散見され人待ち顔の俺には無関心で、暗いガラスに映る自分越し、退屈しのぎにまばゆい宝石箱をずっと眺めている。

「突然誘ったから、八津の奴、無理してるかな。」

昼過ぎに送ったメールには、了解とひとことだけ添えられていた。それ以降は連絡もなく、いつもは時間に正確な八津だけに、朝出がけに伝えるべきだったかと後悔しきり。しかし直接誘えば、気を回して遠慮しそうだから、敢えてここへ直行するようメールにしたのだが。

「立て込んでるなら、ひとこと言ってくれれば。」

約束の時間は、優に1時間を超えていた。しかし今さら日を改める気にはなれず、こうして悠長とは言えないまでも、唯々諾々と待ち続けている。もう幾度目か、さりげなく入口に目を向けた。そこへ、静かに開いたドアの隙間から、廊下の明かりと共に抜けるように白い肌をしたスレンダーな人影が入り込む。

スーツの上衣を手に忙しなく息を弾ませる八津がようやく訪れ、待たされたことなどついぞ忘れたかのように頬が緩んでいく。待ち人を探して、奥を伺い首を巡らせる顔に軽く手を挙げればすぐに気づいたようで、傍らにいたスタッフの案内を断り足早に店内を横切ってきた。

「待たせてごめん。連絡しようかと思ったんだけど、」

ひそめた声で腰をかける身体から、急いで来たせいだろう立ち上る香りに、心が蕩けそうになる。でも、まだ、もう少し・・・

「いや、八津の都合も訊かず、俺が突然誘っちまったから。」

「でも、急にどうしたんだい。今朝、何も言ってなかっただろ?」

「んー、家で胡座をかいてばかりじゃ、愛想を尽かされそうだから。たまには、こういうところも良いかなって。」

製薬会社の営業マンなど実際は小間使いみたいなもので、要はあっちが働きやすい環境を整えられなければ相手にもして貰えない。だから休日なんてあってないも同然、同棲しているとはいえ、擦れ違いが続くことはままある。理解のある恋人を持てた俺は幸せだが、八津にとっての俺は決して上等の恋人とは言い難い。

ジョークに忍び込ませた僅かな本音を知ってか知らずか、クスリと笑った八津はオーダーを告げ、俺が今まで眺めていた景色を見やる。

「毎日あくせく働いてると忘れがちだけど、ここからだと東京も万華鏡みたいだな。」

「だから、誘ったんだよ。」

こうしてゆっくり恋人を見つめるのは、いつ以来だろうか。あでやかな夜の街並に負けないくらい目を輝かせ、瞬きも忘れたように見入る恋人の横顔は、出会った頃のように脆く優しげだった。俺はこの八津と誰よりも早く仲良くなりたくて、まだ祠堂の合格が決まったわけでもないのに、毎日電話を掛けた。八津が電話嫌いなことも知らずに、他愛もない話でも楽しそうに相槌を打つものだから、きっと俺に好意を抱いていると確信して。まさか、後になってそれが仇になるとは、その時は思いもよらず。

「毎日、こんな景色を、見せてやれればいいんだけどな。」

「矢倉はギイじゃあるまいし。でもギイなら、夜景は毎日見せられても、顔は毎日見せられないんだろうな。葉山くんって、結構殊勝だったんだ。」

「わかんないぜ。ギイのことだから、自家用ジェットで、毎日、葉山のところへ帰りそうじゃないか。」

「時差ぼけもなしにかい?」

「付き合わされる葉山は、堪ったもんじゃないか。」

「そういうこと。いくら文明の利器が発達しても、まして画面越しとか、眺めることしか出来ない毎日なんて、俺はもう嫌だな。」

そう言った八津は、テーブルに置かれたモヒートのグラスを取り、俺のグラスと軽く合わせた後そっと口を付ける。やっと手に入れた恋人は、桜の木の下で見た頃よりずっと強くなっていた。静かな佇まいを裏切る内側にはたくさんのものを抱えていて、本当は今だって、いくら和解したとはいえ、純白の糸を張り詰めたような繊細な神経は、母親を悲しませることを望んでいない。地元へ帰れば顔の広い親の加護の下で、仕事だって何だって不自由なく与えられるすべてを断り、こうして俺と暮らしている。

「本当は、今夜も、あっちにいる予定だったんじゃないのかい?」

僅かにトーンを落とした声は窓の外を見たまま、世間話でもするかのようにさりげない。だが、額にかかる前髪の隙間で伏せた瞼の縁は、微かに睫毛を震わせていた。それは見る者に、栗鼠のような小動物の印象を与える。

「言ったろ。新しく担当になった病院に、三洲が居たって。」

驚かせないよう、その髪を指先で払い、のんびり告げた。スーパーリアリスティックな同級生の名を聞いた八津は思い出すように、地上の輝きを拒絶する夜空の向こうへ視線を馳せる。

「小児科だっけ? 三洲のイメージじゃないよね。」

「それが、案外と様になってんだな、長年のトレーニングの賜物か。まあ、そいつのお陰で、こうして八津を誘えたんだけど。」

「真行寺?」

「あいつらの騒々しさは、今に始まったことじゃないしな。三洲には三洲の考えがあるんだろうから、俺は協力を惜しまなかっただけさ。」

「三洲に恩を売るなんて、矢倉も真行寺に負けない大物だな。」

言った八津は、いたずらに細めた目で振り返る。その視界に被るよう、ポケットに忍ばせておいたカードキーを手に取った。不思議そうにそちらを見た八津の顔が、やがて淡く染まる。その耳元で

「もう一杯だけ、付き合うだろ?」

囁けば

「俺、シェリー酒がいいな。」

肩に身を寄せた八津が、とろりとつぶやいた。


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急遽タイトルを変えました(song by 寿嶺二)意図せず、両者がやけに被っていまして。これはギイか矢倉でなけばやらないはず(σ・∀・)σ 学年が違えば、森山さんや岡島さんも可? ところで夏男は間に合うのでしょうか、本日上がる予定がまだです(;^ω^)