合コンの途中にアラタさんからメールが届いた。いくら数合わせといえども普通の恋人なら嫌がるだろうが、アラタさんは俺が誘われても笑って了承してくれる。よもやどうでもいいから許可されている、なんてことはないはずだ。
だからこんな風に合コンと知っていてメールを寄越すなんて、初めてのこと。急を要する、まさか事故、いや痴漢に遭ったなんていう話ならどうしようと、居ても立ってもいられない気持ちを抑え、みんなから離れてこっそりパーテーションの陰に隠れる。
焦る鼓動を抑えながら開封した、俺の目に飛び込んで来たもの。それは予想を遥かに超えた
ビックサイズのメンズシャツを着たアラタさんの画像だった。俗にいう、彼シャツ姿。
思わず目が釘付けになり、一気に体温が上がる。鼻血さえ垂れてきそうな画像に、ここがコンパ会場だということも忘れ、店の外へ飛び出した。
電話しなきゃ、電話。今どこだ、すぐにアラタさん捕まえなきゃ。お願いだから脱がないでーーー。
しかし、いつまで経っても呼び出し音が鳴るばかりの電話。こんな画像を送ってきて、俺が居ながらどこで何してんだよ!と、アラタさんが聞いたら一蹴しそうなことまで頭を過ぎる。もう逸る心は止まらない。出ない電話に苛つく気持ちを堪えて、再び掛け直す。ほどなくしてプツリと途切れた呼び出し音、今度こそ繋がった。
「アラタさん、アラタさん、あれ何すか、どうしたんすか?」
焦って問い質しても返答はない。受話器の向こうからは沈黙だけが届く。ようやく聞こえた声はかなり酔っていた。そして揶揄うばかりで経緯も何も教えてくれない。ところか、すぐさま電話を切ろうとする。こうなったら何が何でも直接行くしかない。葉山さん家で飲むって言ってたから、きっとそこだ。
宣戦布告の勢いでそれを告げた俺に、アラタさんはひたすらに待てを繰り返す。なに言ってんだ、この期に及んで。あんな姿を見せられた俺が待てるはずないだろう。唆したのはアラタさんなんだからね。
電話を切った俺は、兎にも角にも急いで店内へ戻り、バッグを掴んで踵を返す。そこを後ろから引き戻された。
「真行寺、どうしたんだ?」
「こら、どこへ行くんだよ。女の子たちはどうするんだ。」
いくら友達でも事情を話すわけにはいかない。ただただ急用と繰り返す俺に諦めたメンバーたちは、今度必ず埋め合わせをすることを迫る。アラタさんのメールに比べれば、そんなことは大したことじゃないと軽く請け負って、俺は葉山さん家へ急いだ。
そして不意に気づいた。
葉山さん家で、どうしてあんなにビッグサイズのシャツなんだ?まあ、なんでもいいや、宝物をもらったんだ。あの画像、待ち受けにしようかな、そうするとまた怒られるかな。よし、今度は俺のシャツを着てもらって、堂々と待ち受けにしてやる。嫌だなんて、言わせないから。
駅までダッシュで走りながらつらつらと考えていると、飲んでいた手前、息があがる。
ようやく着いた葉山さんのアパート。すでに時刻は深夜。ご近所に配慮して小さな声で呼びかけた。
「アラタさん、アラタさん。」
が、真夜中らしく物音もしない。焦れったい思いで待っているとスーッと開いた玄関。現れたのは、アラタさんではなく葉山さんだった。ショック。あのシャツ姿のアラタさんはどこ……。その俺に、葉山さんはさらにグルーミーな追い討ちをかける。
「ごめんね、真行寺くん。君が来る前に、三洲くん帰ってしまったんだ。」
キミガクルマエニカエッテシマッタ
そのひとことが頭の中でぐるぐる廻る。やっぱりと、まさかの思いが、胸の中で交錯する。また俺から逃げるんだ、アラタさん。切なさが胸の底から込み上がる。
しかし、あんなに酔ったアラタさんが一人で帰った?酔っ払って歩いてるなんて冗談じゃない、危ないじゃないか!もし襲われたらどうすんだ。不安と心配と焦りで俺の足は震えた。
「どこ?葉山さん。アラタさん、どっち行ったっすか?」
掴みかからんばかりに食ってかかる俺を宥めるように、葉山さんは指を耳に当て、電話を掛けろとジェスチャーで教える。
そうだ電話、電話。電話で訊けば教えてくれる?それも自信はないけど、このまま無闇に探すよりは効率がいい。
突っ込んだままだった携帯を、ポケットから取り出す。慌てて出したそれを取り落としかけ、葉山さんはクスリと笑った。だが今の俺は、そんなことに構っていられない。リダイヤルを押す指先まで震えてきた。聞こえてくる呼び出し音を待つ間さえ果てしなく長い。
しかし聞こえたそれは予想に反して、左右からステレオで鳴った。
あれ?驚いて葉山さんを見つめると、にっこり笑って玄関の中へ促す。俺は静かに部屋の中へお邪魔した。そして聞こえる着信音を辿り、バスルームへ視線を向ける。理由を知っているであろう葉山さんは、素知らぬふりでそそくさとベッドルームへ駆け込んだ。
取り残された俺は、意を決してバスルームへ向かった。アラタさんのことだ、俺が探しに行かなかったことは、もう勘づいているだろう。葉山さんが居なくなった今、ここには俺とアラタさんの二人きり。
これはきっと神様がくれたチャンス。俺に、アラタさんを捕まえろというメッセージなんだ。そう自分に言い聞かせ、隠れるアラタさんを驚かせないよう足音を響かせながら、バスルームへ近づく。ピタリと閉じられたサッシの向こう側。息を殺し電話を握りしめたアラタさんがいる気配。俺がアラタさんの気配を嗅ぎ分けられられないなんて、思わないでよ。
「アラタさん、アラタさん」
囁くようにバスルームの中へ呼びかける。しかし、アラタさんが出て来る気配はない。お約束とも言えるが。
この中で、メールしたことをもし後悔しているとしたら。それなら俺がここにいることをアラタさんは望まない。余計なことをするなと、せっかく受け入れてもらった気持ちさえ、再び却下されるかもしれない。不安が過ぎる心を封じ込め、もう一度、声を掛けた。
「アラタさん、いるんでしょ。」
僅かな音も聞き逃さないよう、俺は扉に張り付いて耳を澄ます。後悔して傷ついた心にこれ以上の負担を掛けないよう、優しく囁く。しかし沈黙は続き、時計の針の音が部屋の中で妙に大きく響く。やはり俺の登場なんてアラタさんは望まない、諦めかけたその時、扉の内側から、声がした。
「真行寺?」
「うん、ここにいるよ。」
酒で焼けたハスキーヴォイスで、消え入りそうに微かな声。鼓動が跳ね上がる。アラタさんが、俺を呼んだ。
「眠い。」
「そうだね。帰ろう。」
応えはなかった。でも、確かに俺を呼んだ声。酔った弾みでもなんでも、今のアラタさんは俺を求めている。ただそれだけで、心は満たされる。
「アラタさん、ここ開けるよ。」
驚かせて取り乱さないよう、そっと扉を引く。
そこにはトロンと眠そうな顔をした、酔っているのであろう目元を朱に染めたアラタさんが、ぼんやりと座っていた。
もし本当に一人で帰っていたらと思うと、ゾッと背筋が凍るほど、その姿は壮絶な色香を放つ。
アラタさんが葉山さん家に居たことに、限りなくホッとした。もし夜道を一人で歩くアラタさんを見たら、男も女もかかわらずに襲いたくなるに違いない。こんなアラタさんを放置になんか出来ない。絶対に俺が来ると信じてくれていたのなら、合コンなんかブッチして来て正解だ。
「帰るよ、アラタさん。」
クタクタと今にも眠りそうなアラタさんに手を伸ばす。と、意識が飛んでいるのかきつく抱き付いてきた。寄り添う華奢なからだ。それだけでここがどこか忘れそうになる。頭をひとつ振って、寝室に消えた葉山さんに一声掛けて、部屋を出た。
外はひんやりと冷たく、酔ったアラタさんは軽く身震いする。
「寒い?」
俺の声が聞こえているのかいないのか、口の中で何やら呟く。足取り覚束ない大人を抱えるよりも、いやお姫様抱っこでもいいんだけど、さすがに後が怖い。着ていたコートを脱いで背中におぶる。
「アラタさん、寒いでしょ。これ着て。」
背中で、小さな子供のようにコクンと頷いたアラタさんが、大きすぎるコートを羽織る。その姿が見えないのはちょっと残念だけど、風邪を引かせては忍びない。
「真行寺、暖かいな。」
背中からつと聞こえた声。ギュッと抱きついた手が呂律の回らない舌で話す。肩口に当たる息が震えてくすぐったい。でも、背中に感じる愛しい人の温もりと重み。夢のような幸せを、ひたすら噛みしめる。目覚めた時にはいつものアラタさんに戻っていたとしても、今だけは俺のもの。
この作品は、真三洲作家のエスエヌさんから許可をいただき、原案を元に天使1/2が文章化したものです。
《ここからは独断のため雰囲気が変わります。自己責任でお読みください》
ずり落ちそうなアラタさんを抱え直して、玄関の鍵を開けた。
「着いたっす、アラタさん。」
自分で靴を脱ぐ気配さえ見せないアラタさんの靴を脱がせ、そのまま寝室のドアを開け、エアコンのスイッチを入れてベッドへゆっくりと下ろす。半ば眠りに落ちるその顔がどこか幸せそうで、知らず笑みが零れる。
葉山さん家でのひとときは、そんなに楽しかったのだろうか。
僅かに感じる嫉妬を押し込め、キッチンへ行こうと踵を返したところで、不意によろめいた。
アラタさんがベルトに指を掛け、俺を捕まえていた。
「真行寺、寒い。」
まだ暖房が効かない室内。うっすらと開いた瞳でポツリと呟き、空いた腕を伸ばしてくる。その腕に引かれ、そっと抱きしめる。すると安心したように、俺を抱き頬をすり寄せてきた。
「暖かい、真行寺。」
首筋にかかる息が、熱い。俺は動悸が高鳴り眩暈がしそうで
「水、取ってくるだけっすから。」
なんとか喉から声を絞り出した。巻きついた腕を取って離すと、不安そうに瞳を揺らす。そのからだを無理やり引き剥がし、部屋を出た。
「やっべー。」
静かな廊下でフローリングの床に吐き出す。火照る頬が、熱い。
勢い良く水道を開け、正気を取り戻そうとバシャバシャ顔を洗う。ついでに、取り出したピッチャーに水も汲んだ。それでも尚、治まらない動悸。シンクに凭れ、カーテンの引かれていない窓の外に目をやると、冷たい空に星が瞬いている。
いくら酔ってるからって、あんな画像を見せた後にそれはないだろう。
合コンで飲んだ酒は、以降あたふたしたせいで抜け、俺の酔いは完全に醒めていた。
どうにか治めたからだを引き摺って寝室に戻る。まだ虚ろな目をしたアラタさんは、壁に寄りかかりからだを投げ出していた。それを支え水を差し出す。
「喉、渇いたっしょ。ほら、飲んで。」
「うん………。」
そう言ったきり動こうとしない。仕方なくグラスを口元に添えると上目で見上げてくる。
だから、そんな顔しないでくれ。
俺の心の叫びなど知らないアラタさんは、俺の手にそっと手を重ねグラスを傾ける。淡く染まった喉がコクリと上下した。そしてふわりと笑う。
ついに俺の理性はブチ切れた。
「誘ってるんすか。」
「――どうだかな。」
言いながら華奢なからだを預けてくる。
もうすぐ夜が明ける。それをわかっていても、俺が止まれるはずはなかった。