『クララ・シューマン 愛の協奏曲』という映画を見た。副題が気恥ずかしいことこのうえない。原題は『Geliebte Clara』という。
 主人公のクララは作曲家ロベルト・シューマンの嫁さんである。本人もすぐれたピアニストであり、同時に作曲家でもあった。音楽家夫婦ということになる。子供は8人産んだそうだ。
 8人!
 まあ、昔(クララの生没年は1819~1896)だからそんなもんか。

 シューマン夫妻のところに若き天才ブラームスがやってきて愛と憎しみのコンチェルトがッ!「喧嘩はやめてー!」的な展開を想像していたらそんなこともなく。

 まあwikipediaによれば、
《夫ロベルト・シューマンの死後、クララがそれまでも親交が深かったヨハネス・ブラームスと恋愛関係になったという”俗説”が現代に至るまであるが、それを裏付けるものは全く何もない》
 のだそうだけどね。絶対俗説を信じてる人のほうが多いに違いない。おれもそうだった。
 きっとこの俗説はずっと残るんだろうなあ。プラトニックな関係であったということになったとしても、やはりこのふたりには愛情関係があったと思われつづけるんだろう。ロベルト・シューマンには気の毒だが。

 だけど、惚れた腫れたやったのやられたのなんてことを超越した、芸術の優位性、そんな芸術家の存在を信じたい、そういう関係があってもいいよなあ、などと思ってしまうところもあったりするんだよな。








 はたしてことしの夏はきたのかこなかったのか。
 たしかにきてはいた。
 きてはいたが、もう終わりそうではないか。
 曇天がつづき、晴天になったかと思えば風は妙にさわやかで、夜になれば涼しいぐらいだ。夏らしい格好をする機会などほとんどなかったではないか。地球温暖化だ酷暑だ猛暑だ台風だゲリラ豪雨だ地震だといっていたのはどうなったのか。あ、地震は季節に関係ないか。

 それにしても、もう夏も終わろうとしている。
 ご期待にそえずすみません、と申し訳なさそうに立ち去ろうとしている。

 すまなかった。
 夏が嫌いだというわけではないのだ。だが、暑い暑いこりゃたまらんと粗雑に扱いすぎたかもしれない。むしろ夏がくる前、梅雨のころにそんなことをいって、夏の機嫌を損ねたのかもしれない。
 申し訳ない。

 しかしまあ来年もたぶん夏はくる。来シーズンに期待しようではないか。タイガースじゃないけど。

 個人的なことをいえば今年の夏は低調であった。不調であった。くさくさしていた。おおむね鬱々としていた。酒は呑んだ。ふつうに呑んだ。買い物もしたし映画もみた。旅行は──例年どおり──行かなかった。プールにも行かなかった。ジムには行った。

 ひとつのマイナス要因が、つぎのマイナス要因を呼び寄せるとかそういうことになっている。気のせいかもしれないが。
 ドミノ現象?
 まとまった文章が書けない。誰からも頼まれちゃいないんだが。

 なにかを思いついても、それを形にするだけの根気や、熟成させるだけの余裕がない。

 きっと2009年の夏はそういう夏だったのだ。そういうことにしておこう。
 秋になったらもうちょっと好転するといいなあ。






 夏だからというよりも、夏なのにというべきか。すこーんと晴れ渡ってじりじりと照りつけるような夏ならばまだしも、こう曇りや雨がつづき台風だの地震だのが次から次へと来るような天候だといらいらもしようというものだ。

 そんなわけで私も、ごたぶんに漏れず低調な日々を送っている。

 人間というのは肉体と精神とでできており(あたりまえだ)、両者がバランスよく好調であればいうことはないし、両者が地べたを這いつくばるよりしかたがないというくらいならばじっとしていればいい。微妙になにかを欲しているのにそれがなんだかわからない、わかっていても手に入れられないというアンバランスのうえに立っていたりすると、どうにもこうにも据わりが悪い。

 ものであれ事柄であれなんであれ、やたらとカンにさわるのがこんなときだ。
 芸能界の麻薬スキャンダルだろうが総選挙だろうが道を走る小学生だろうがギャアギャア白痴のような騒音をまきちらしながら通り過ぎる街宣車だろうがしつけのなっていない犬だろうが、なんにだって腹を立てられるぜ、という気分である。


※        ※        ※


 先日、たまたまテレビをつけたら、元帝国海軍の軍令部OBという人たちが昭和の終わりから平成にかけて「反省会」をやっていて、その録音を公開するという番組をやっていた。8月だから戦争ネタというわけだ。
 ついついみてしまったのだが、終わるころには腹立たしさでいっぱいになっていた。たかがテレビ番組ひとつでなにを苛立っているのだとじぶんでも思ったのだが、どうにもこうにも。
 「このじじいたちは、なにひとつ反省しちゃいねえ」
 そう思った。
 こういう連中が作戦を立案し、命を使い捨てにしてきたのだなあと思った。結局、実際に船や戦車や飛行機に乗り、大砲を放ち爆弾を落とし、銃を持って突撃するのは消耗品である兵隊であって、頭脳明晰成績優秀な幹部たちは決してそんな危険には身をさらさない。
 戦争というものは、軍隊というものは、そういうものだ。それはそうなんだが、やはりやりきれないものが残る。

 たまたま今、零戦搭乗員に関する小説(百田尚樹「永遠のO」)を読んでいるので、よけいにそう思ったのかもしれない。

 NHKの番組は全三回だが、最初の一回しかみていない。全部みたら印象がすこしはかわるのだろうか。
 録画だけはしてあるのだが……。

日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし
日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙
日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争

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