ようやく今の自分にとっての『生きる意味』というものが解った気がする。

 

 それは「人のためじゃなく自分のために生きる」っていうこと。

 人のためじゃなく自分のために生きるっていうこと、そんなの当たり前だと思っていた。

 けれど一度立ち止まって(立ち止まらざるを得なくなったのだけれど)、自分の人生を振り返ってみたところ案外、(人のために割く時間ばかりで自分のためにはあまり使ってこなかったなぁ)と思うことがありました。

 

 まぁ、こんな思いも一年後には別の思いに上書きされるのだろうけれどそれはそれでいいと思っています。それが悩むってことですもの、悩むって言うことが生きるということですもの。

 

 人生なんて常に上書き、上書き、上書き。

 『生きる意味』なんて後付けでしかないと思う。

 これからの日本は、世界は、私たちはどうなっていくのだろう。幸せになれるのだろうか?なれるのだとしても幸せまでの過程は今まで以上に辛く厳しいもので、想像を遥かに超える厳しい未来が待っていることなのだろう。

 どちらにせよ苦痛を味わうくらいなら今、ここで終わらせてしまうべきなのだろうか。

 「これ以上、頑張ったって苦しむだけ辛いだけ」そんな事、解っているのに続けるだなんて馬鹿みたいではないだろうか。

 でも、だからといって此処で終わらせてしまうのはもったいなくはないだろうか。

 「今、この時、この瞬間までがんばってきた自分に申し訳が立たない」そうは思わないか?

 平成はどうだったか?「平和成る時代」だったか?

 確かに戦争はなくて平和だったのかもしれない。

 けれども災害など多くの被害を出してから緊急時への関心が高まった所を見ると我々、日本人たちは随分と平和ボケしてしまったようには思えないだろうか。元より備えておくことが普通ではなかったのだろうか。

 

 なら令和はどうなると思う?

 私には「命令を和やかに聞く」なんて時代になるとは到底、思えないですかね。

 

 平成を生きた人間たちが平和ボケをしているのを見ると、令和を生きたら「命令を和やかに聞く」時代などではなく、「命令を和やかに聞く」けれど反発精神の強い時代になるのだろうか。