近江八幡ウォーキング№4(ウイリアム・メレル・ヴォーリズ) | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

近江八幡の

 

町中に残る

 

ウイリアム・メレル・ヴォーリズの

 

建築群を

 

歩いて廻ることにします

ヴォーリズは

 

英語教師として

 

明治38年に来日します

キリスト教の伝道師でも

 

ありました

多くのキリスト教系の

 

学校や教会を

 

設計活動を開始

明治41年

 

京都で

 

建築設計監督事務所を

 

設立します

日本各地で

 

学校 教会 病院 百貨店 住宅など

 

設計建築を

 

手掛けていきます

 

その種類も

 

様式も多彩です

日本人に帰化

 

結婚後

 

一柳米来留(メレル)と

 

名乗ります

 

つまり

 

「米国から来て留まる」という

 

洒落ですね

設計事務所の

 

発展と相まって

 

建築に必要な

 

家具 照明器具 ステンドグラス ピアノ等  

 

幅広い輸入を盛んに

 

行うようになります

これらの輸入会社として

 

設立されたのが

 

近江セールズ株式会社

 

のちの近江兄弟社です

メンソレータム社の

 

創業者ハイドと出会い

 

日本に輸入します

 

現在の

 

「近江兄弟社メンターム」です

「青い目の近江商人」と

 

称されました

医療活動 教育活動においても

 

精力的に取り組み

 

現在の

 

「ヴォーリズ記念病院」や

 

「近江兄弟社学園」などの

 

基礎を築いています

 

太平洋戦争終戦直後

 

マッカーサーと近衛文麿との

 

仲介に尽力したことから

 

「天皇を守ったアメリカ人」

 

とも言われています

戦時下では

 

アメリカ人として

 

はげしいバッシングを

 

受けたはずですが

 

どうだったんでしょうね

 

気になります

 

 

 

 

ヴォーリズは

 

ピアノの演奏に優れ

 

作詞や作曲の

 

才能も発揮します

近江兄弟社学園の

 

校歌や賛美歌は

 

もちろんのこと

 

同志社大学の校歌も

 

作詞しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴォーリズ建築を探す街歩き

 

最後に訪れたのは

 

ヴォーリズさんが暮らした

 

お宅

そして

 

近江兄弟社学園

ますます

 

ウイリアム・メレル・ヴォーリズさんの

 

ファンになってしまいます