昼下がり。
5階にある事務所のテラスから大通りを見下ろすと、行き交う人の数が随分と多くなったことに気づく。
ショップやギャラリー、スタジオ、めし屋、社屋や住宅が雑然と軒を並べるこの大通りも、
あれからしばらくは閑散としてしまっていた。
隣の弁当屋のおばちゃんがカウンターに身をもたげて、疎らになった通行人を退屈そうにじっと眺めているので、
前を通るのにも肩をすぼめなければならなかったのだけど、
携帯片耳の営業マンも、お財布片手の店員さんも、インテリアショップの紙袋両手のマダム達も、
ロケ弁を買いに走る小僧も、洋書屋に向かい歩く初老も、よく吠えるダックスフントも、花屋のクルマも宅急便も、
どうやらみんな戻っているらしかった。
毎日眼鏡屋の前で張っている警官の、制服が変わっている。
重厚そうな紺のジャケットから、淡い水色のシャツにメッシュのベストという出立ちになった。
帽子も紺から白になったような気がする。
きれいな水色の羽をした小振りなアゲハの一頭がふらふらと舞って来て、テラスの柵にとまった。
近所に広葉樹の生い茂る神社があるので、そこから飛んで来たのだろう。
「 アオスジアゲハ 」には少し早い気がしたのだが、アゲハ越し目下の大通り、恐らく雑誌撮影中、
マドラスシャツにホットパンツで壁にもたれるモデルさんと、
彼女の長い黒髪をなびかせている、ぬるく湿った強い風が、5階まで吹き上がってきたのを頬に受けて、
「 あー、そんなもんか 」とカレンダーに目をやり、ゆっくりと煙を吐く。
あまりにもひもじく長かった春の準備期間中、個人的にも世間的にもいろんな事があったようだ。
デスクが激しく揺れたあの日、飲みかけのコーヒーがこぼれて、
MOLESKINの手帳が小口のところから褐色に染まってしまい、今は古書のような貫禄をたたえているけれど、
しかしこれは毎年のことだ。毎年春くらいまでにコーヒーはこぼし、手帳は茶色く染まる。
茶色い手帳をめくりながら気付く真理とは、
南極圏にでも住まない限り、どんなに日和っていてもアゲハ蝶と〆切はやって来る、ということだけだ。
近所の蕎麦屋で昼の丼物セットに付けるのを、かけ(温かい)にするのかせいろ(冷たい)にするのか、
日々においてそのことが最も深刻な悩みであり続ける以上、
方向音痴でも歩みを止めるわけにはいかない。

