「今度の休みに俺一人でも来るからな!それまで毎日電話すっからな!俺のこと忘れんじゃねーぞ、れいあ!」

「うん。僕も色々覚えて自分で栗ちゃんに会いに行けるようがんばるね」

玄関口でぎゅっと手と手を握り合う嶺亜と栗田を横目に、挙武は皮肉を呟く。

「随分とまあ気に入ったんだな」

「ん?なんか言ったぁ?挙武?」

「別に」

神宮寺と岩橋は岸たちと記念写真を撮っていた。裏庭の千年桜ほどではないが中村家の周りには桜の樹が幾本もある。それが満開を迎えていたのでいいショットが撮れた。

「僕も今年こそは大学を受けようと思ってるから…広い世界をこの目で見てみたいし岸くんたちともまた会いたいな」

岩橋が微笑む。その横で神宮寺も腕を組んで考えこみ始める。

「う~ん…俺は正直今までの暮らしに不満はねえけど…玄樹一人都会にやるのも心配だしいっちょ出てみるかな」

「勇太に心配されるほど僕は頼りなくないよ。ご心配なく」

「おい、お前素直じゃねえなー。一人じゃ不安だし俺と離れたくないから付いてきてくれよくらい言えねーのかよ!」

「そっちこそ僕がいなくなるなんて耐えられない、俺も付いて行く、くらい言えないの?」

岩橋と神宮寺の毎度の夫婦喧嘩に呆れ顔の挙武は中村家の立派な門扉を見据えて岸達にこう言った。

「色々巻きこんですまなかったな。この家に代わって俺が謝っておく」

「お、律儀だねー。まるでほんとの婚約者みたいだな、挙武」

おはぎ片手に冗談を飛ばす倉本のそのセリフに、離れた場所で嶺亜ときゃっきゃやってた栗田の靴が飛んできた。

「れいあに婚約者なんていねーよ!つまんねー冗談かましてんじゃねーこのブラックホール胃袋!!」

「いって。なんだよあいつ普段人の話全然聞かねえくせに地獄耳だなー」

「相変わらずコントロールいいね栗田は。ね、みんなでこの家バックにもう一回撮ろうよ。栗田も嶺亜も一緒に入って!」

颯の呼びかけに栗田と嶺亜も集まり、屋敷をバックにみんなで記念撮影をする。シャッターを切ってくれたのは見送りに来た神宮寺の祖母だ。

「またいつでも来なさい。あんた達は嶺亜様の大切なお友達だから…今度来た時はとっておきの苺大福をご馳走するよ」

これに大歓声をあげたのは倉本だった。それまで「俺はもう別にこの集落に用はねーわ」と言っていたのが一変、栗田と一緒に再訪の計画を練り始める。

そこに、一台の軽トラックが乗り付けた。確か岩橋の用意してくれた車はピカピカの高級車だと神宮寺に聞いたのだが…。

その軽トラを見て老婆と神宮寺が反応する。

「おや。何しに来たんだい?」

トラックから降りてきた中年男性に老婆が歩み寄る。その男性は老婆に袋を手渡した。

「何しに来たはねーだろかーちゃん。苺大福作るから苺畑から取ってきてくれっつったじゃねえかよ」

誰かの喋り方に似ているな…と思う間もなく神宮寺が頭を掻く。

「ありゃうちのとーちゃんだよ」

「そうなんだ…あれ?」

颯が神宮寺の父を見て何かに気付く。数秒の後、ぽんと手を叩いて岸に耳打ちした。

「ね、岸くん、あの人見覚えない?ほら、俺達がここに来るちょっと手前に川遊びした時にクーラーボックスごと川魚をくれた…」

「あ!!ほんとだ!!あの時の!!」

「へ?」

岸たちは顔を見合わせて記憶を確認する。そう、軽トラックから降りてきた神宮寺の父親はここへくる直前に遊んでいた川で釣りをしていたおじさんだ。意気投合して川魚にクーラーボックスまでもらった。

「まじ?お前らうちのとーちゃんに会ってたわけ?」

「おお、お前ら!そういやこないだ川釣りしてる時に会ったっけな!あん時確か温泉行くとか言ってなかったか?うちの集落とは方向が違うけどよ」

よくよく見れば神宮寺に似ている。気さくな性格と若干のチャラさが織りなすなんとも明るいノリはそっくりだ。神宮寺は照れ臭そうに鼻をすすった。

「いやー色々ありまして…その節はお世話になりました。あの時の魚は美味しくいただき、クーラーボックスは…あれ?どこにやったっけ?」

倉本がお礼を言いながら首を傾げた。そういえば今誰も持っていない。

「ありゃ…あのクーラーボックスはあんたらがこの子にもらったのかい。どうりで見覚えのあるもんだと思ったよ。ここの台所にそういや置いたまんまだったね」

老婆が答える。皆して笑い合っていると今度こそ送りの車が到着した。黒塗りのピカピカの高級車だ。

「おーすげー!!さすが金持ち!」

歓声をあげて車の写メを撮りまくる岸たちに、挙武と岩橋は腹を抱えて笑う。神宮寺も「うちの軽トラも負けてねーぜ!」と胸を張ったがもちろん笑い飛ばされた。

「じゃ、気をつけて」

「今度のGWにでも集まろうよ。皆でバーベキューとかいいんじゃない?」

「お、いいねー!」

わいわいと次に会う予定をたて、それがひと段落して今度こそ別れの時が来る。嶺亜は少し離れた位置で優雅な微笑みを湛えて皆を見ていた。

「またな」

「寂しくなったらいつでも神宮寺様に連絡しろよ!とっておきのエロ動画…いて!ばあちゃんいてーよ!玄樹、お前も今蹴っただろ!」

尻をさする神宮寺に大笑いしながら岸たちは手を振り、岩橋の手配してくれた車に乗り込む。彼らはずっと手を振ってくれていたし、岸たちも見えなくなるまで手を振り続ける。そうして車は集落を抜け、山道にさしかかった。

「なんか…懐かしいね、この風景」

颯がしみじみと呟いた。ほんの数日前だが何週間も経っているように思えた。あの時車に乗せてくれた男性の横顔がちらついた。

「ほんとだなー。まさかあんときは助けてくれたおっさんがその後あんなことになるなんて思いもよらなかったな」

倉本が老婆に託された草もちを次々口に放り込みながら回想する。

「あの人、どうなるんだろうな」

岸は今更だが気になった。殺人事件の容疑者だし、刑は免れない。恨みは晴れたがその後どうするのか…ふと、あの夜に運転席で「親戚の女の子」について話す彼が脳裏によぎった。

「知らねー。それは警察とかの仕事じゃね?にしても谷村のヤロー、俺達を見送りにも来ねーなんてフザけてやがるぜ。今度会ったら2、3発蹴ってやらねーと」

「あ、そういやいなかったね。影が薄いから気付かなかったけど…でも親戚の人たち色々大変そうだし谷村も出られなかったんじゃない?」

颯の見解に「ふーん」とだけ呟いて栗田はスマホを操作し始める。

「ほんの数日だったけど色んな経験したなー。恐怖体験に取り調べに…今度の旅行はもうちょっとソフトに行きたいね」

「ギャハハハハ!岸、ビビってたのは最初から最後までおめーだけだろ!次はアレだな、GWあたりにみんなで釣りとバーベキューだな。あそこの川とかちょうど良くね?」

車はちょうど、集落に来る前に遊んでいた川沿いの道にさしかかっていた。

「そうだねー。今度来るときは緑も綺麗でさらにいい季節だろうしね」

「俺はばーちゃんの手作り和菓子が楽しみだなー。五月だったら柏餅とかかな。ちまきかな」

「れいあもその頃には世間に馴染んでるといいなー。お、ライン来てらあ。れいあ俺のこともう恋しくなったのかなギャハハハハハ!!」

「次は岩橋の家か挙武の家に泊まろうね。嶺亜の家は広すぎて迷うと怖いし…」

岸のビビリ発言に車内は爆笑の渦だ。運転手は少し呆れ気味な視線をちらりと向け、ぼそりと呟く。

「玄樹様のお友達にしてはえらく賑やかな…」

ふと見上げると、突き抜けるような青空にうっすらと月が浮かんで見えた。真昼の月。それは夜に見るよりぼんやりとしていて頼りない姿に見えたが確かに存在していることを主張している。不思議な感慨を持ってそれを見据えた。

「色々あったけどれいあが出られるように良かったぜ」

そう言って栗田は嶺亜とのLINEを終えて豪快にいびきをかきながら眠り始めた。のび太並みの入眠の速さだ。

「そうだね。俺達あんまりなんにもしてないけど、なんかいいことした気分になるね」

「颯はポジティブだなー。俺はまあこの旅の一番の収穫は神宮寺のばあちゃんとの出会いだぜ。あんなに美味い和菓子作る人に出会えたなんて一生ものだね」

「倉本の人生は食べ物との出会いか。俺は…なんか最後までビビってた気がするけどそれもまあ旅の醍醐味かな…そう思うことにしよう」

そうして岸たちは旅を終える。再びその月に会うことを思いながら…

 

 

「…何をやってるんだ?嶺亜?」

挙武が怪訝そうに問いかけると、嶺亜は手を止めて振り向く。

「あれ?帰ったんじゃなかったの?」

「言い忘れたことがあったから戻ってきたんだ」

答えると、嶺亜は首を捻る。若干面倒臭そうに見えた。

「何?僕忙しいの。携帯にでもメッセージ残してくれたら良かったのに」

「お前はいつも既読無視するだろう。電話にもあまり出ないしそういうのが煩わしいから直接伝えた方が遥かに労力が少なくて済む。やっと出られたんだからな」

「やっと出られたから前からやってみたかったことに挑戦してるの。手短にお願いね」

淡白にそう言い放って嶺亜は手に持っていた大型のスコップをまた動かし始めた。何を企んでるのかは知らないが、そう言われた手前挙武は簡潔にメッセージを伝える。

「今度のGWにあいつら…栗田達を呼んでどこかに行かないか、という話になった。来る気があるなら来たらいい」

「あ、それもう知ってる。栗ちゃんが帰った後すぐにライン送ってくれたの。川でバーベキューなんかいいんじゃないって言ってた。釣りも教えてくれるって」

「なんだ。もう知っているのか。だったらわざわざ来る必要はなかったな」

「そうだね。バイバーイ」

やれやれ、と肩をすくめながら挙武は陽光に映える桜の大樹を見据えた。満開のその枝ぶりは壮観だ。その根元にある墓碑銘を不思議な感慨を持って見つめると、嶺亜がスコップを突き出してきた。

「疲れちゃった。代わって」

「なんで俺がお前の作業の手伝いをしなきゃならないんだ。ていうか何をするつもりだ?もう必要なくなった墓碑銘でも埋めるのか?」

「ナイショ」

くすくす笑って、嶺亜は挙武に手伝いを強制する。こういう自分勝手な部分はやはり外の世界から隔絶されていたが故か。そう思うことにして渋々言われた通りにスコップを動かした。

「ねえ挙武」

「なんだ?」

「僕がもし本当に女の子に生まれていたら…今頃僕達は結婚して子どもでもいたのかな」

挙武は吹いた。スコップが思わず手から離れてしまう。

「気色の悪いことを言うな!そんな仮定は無意味だ。お前は男に生まれてきた。それは紛れもない事実なんだからな。おお寒い」

「うん。男に生まれて良かったなって思う。だって挙武と結婚なんてまっぴらごめんだもん。きっと結婚生活も上手くいかないだろうね」

「それはこっちのセリフだ。まったく…」

辟易しながら再びスコップを動かそうとすると嶺亜は桜の花をその枝から一つ取った。

「きっと挙武より栗ちゃんの方を好きになってただろうからね。もしそうなってたら修羅場だろうねえ」

「…随分とまあ栗田が気に入ったようだな。他人に興味のないお前にしては珍しい」

皮肉を交えて、皮肉返しにさあ来い、と身構えていると全く予想に反した答えが嶺亜から返ってきた。

「僕が女の子じゃなくて男の子に生まれてきたのはなんでだろうね?」

桜の花びらを一枚ちぎりながら、嶺亜はそう言った。

挙武には分からない。分かるはずもない。迷信の類は信じていないし男女の産み分けについても知識はない。何より嶺亜の呟きの意図が分からなかったから答えようがなかった。

「お母さんがね…」

挙武の返事を待たず、嶺亜は独り言のように続ける。ちぎった花びらは風に乗って舞っている。

「一度だけ僕のお父さんについて話したことがあるの。あなたのお父さんはここにはいないのよって。それは僕はお父さんがもう亡くなっているってことだとずっと思ってた」

「そうじゃないのか?だってお前の父は…」

嶺亜の父は彼が生まれてそう経たぬうちに非業の死を遂げたと聞いている。だからこそその親族であるあの男性はその恨みから犯行に及んだとの見解だった。今頃警察の取り調べを受けているだろう。

「そう。亡くなったんじゃなくて単純にこの家には住んでないって意味かなって」

「…どういうことだ…?」

挙武には理解が付いていかなかった。嶺亜の言わんとしていることと真実が。彼自身も肝心な部分を伏せた曖昧な口ぶりだから余計に辿り着けない。それがもどかしかった。

「お父さんとは違う人との子どもだから、僕は男の子として生まれてしまった。それを大お爺様も薄々勘付いてた。だから怒り狂ったんだろうね」

「まさか…?」

「好きでもない人と結婚して、結婚した後に好きな人ができて…でもその人とは一緒になれなくて、せめてその人との子どもだけでもって思ってたら古文書と反する性別の子が生まれてきた。お母さんはきっと罰を受けたんだろうね…」

「そんな…じゃあ誰がお前の父親だと言うんだ?その父親はどこにどうしてるって言うんだ?そんなことが起こり得る訳が…」

「僕のお父さんは…」

嶺亜は空を見上げる。そこには真昼の空にぼんやりと浮かぶ月があった。

「最初で最後…お父さんとして僕を助けてくれたの。だから僕はこうしてここにいる」

冗談を言っている顔ではなかった。そのぞっとするくらいに美しい横顔には何かが宿っているように挙武には見えた。言葉は渦に飲み込まれる。

「まさか、お前の父親は…」

どこかで鳥が啼く。それは歓喜のようにも悲哀のようにも感じられる音色だった。

風は一陣、びゅうっと嶺亜と挙武の間を吹きぬけていった。