「玄樹、ちゃんと食っとけよ。それにしても想像以上に慌ただしいな。屋敷の中を刑事がずっとうろついてる。家の人はたまったもんじゃないだろうな」

最後のきんぴらを口にしながら挙武が言った。彼はゆっくりを朝食を摂るスタンスだ。食べるのが遅いわけではなさそうである。

「この家の人ってもうあの女の人だけなんだろ?後は法事に来てる親戚と使用人の人だからこんな広い家に一人ってのも気の毒だな」

「ほう。冷蔵庫みたいな見た目によらず案外記憶力があるんだな」

栗田から奪った紅鮭を頬張りながら倉本が言うと挙武が少し感心した。

「誰が冷蔵庫だよ。あーあ、せっかくの楽しい卒業旅行が事件に巻き込まれるなんてツイてねー。これはもう全部終わったらバーベキューご馳走してもらわねーと」

「ご馳走?誰に?」

「誰でもいーよ。とりあえずエンスト地点に案内させられるんだったらもうちょっと食いだめしとかないと。なあ神宮寺、お婆さんのおはぎまだある?」

「多分まだ余らせてると思うけど、今ばーちゃんちょっと滅入ってるからそっとしといてくれよ」

陽気な神宮寺が少し心配そうに手を合わせた。それを受けて岩橋が溜息をつく

「お婆ちゃん、目に見えて疲れてたもんね…奥さんの心配もしなきゃいけないし…」

「奥さんはあの様子だから…だが刑事たちは何がなんでも話を聞こうとする姿勢みたいだな」

岩橋と挙武は朝食の手伝いをしながら色々と感じるものがあるようで、大きな溜息をつく。

それと同時に襖が無遠慮に開いた。立っていたのは刑事と思われるおっさん2人だ。

「げ。もう出発かよ。早くね?まだ食い足りねえのに」

倉本が慌てて鮭を飲みこみ、蒲鉾に手をつけようとすると刑事の一人が首を緩やかに振る。

「いや、その必要はなくなった。今朝早くにこちらに向かう警察が君らの供述どおり乗り捨てられたレンタカーを発見した」

「え、そうなの?」

岸が返すと、もう一人の刑事が手帳のようなものを覗きこみながら機械的に説明を始めた。

「レンタカー会社に問い合わせたところ、手違いで修理に出す予定の車が配車されたそうだ。カーナビが故障してガソリンの残量も少なかったらしい。残量的にちょうどそのあたりで切れるだろうということだ」

「我々が連絡すると非常に慌てた様子で…君達に連絡をしようとしたが圏外でずっと繋がらなかったと説明しだした。料金は全額タダでいいそうだ。後に詫び状も来るかもな」

「そうなんだ…だから…」

辻褄が合い、颯が納得しながら何度も頷く。とりあえずほっとしたいところだったが…

「神宮寺勇太というのはどの子かな?」

「え?俺?」

刑事は神宮寺を名指しした。きょとん、とした表情で神宮寺は自分を指差す。岩橋と挙武も顔を見合わせた。

「俺が何か…」

「この屋敷の使用人の供述で、爺さんの死亡推定時刻前後に君が屋敷内をウロウロしていたというのが浮かんでね。ちょっと話を聞きたいので来てもらえないかな」

「ハァ!?」

「ちょっと待って下さい。勇太が疑われてるんですか?なんで…」

叫ぶ神宮寺の前に反射的に躍り出た岩橋が刑事に問う。すると彼らは顔を見合わせて少し困ったような顔をした。

「いや、疑ってるってわけじゃない。だけど我々は全ての可能性と供述に基づいた捜査を進める義務がある。だから話を聞くだけだ」

「だけど…」

「俺はトイレに行っただけだぞ!じーさん殺せる暇があるかよ!」

呆気に取られていた神宮寺は言い返した。岸は記憶をたどるが無意味だった。何せ起こされるまで起きず、最後に起きたのだから。

「時間的には可能だという見解が出ている。君はお婆さんがここに勤めているから小さい頃からよく行き来していて屋敷内に詳しいそうだな。迷うなんてことはないだろうし、トイレならすぐに用は終わるしウロウロする必要はない。何をしていたのか、やましいことがなければ別に言えるだろう?」

挑戦的な口調だった。だがしかし彼らの言うことはもっとものように思えた。その証拠に神宮寺が疑われているという可能性を察知した瞬間に刑事に食ってかかった岩橋も、様子を見ていた挙武も顔が強張り言い返すことができなくなっている。

「久しぶりに来たからちょっと分かんなくなったんだよ!朝だしボーっとしてたし…部屋まで戻るのに誰かに教えてもらおうと思ってばーちゃん探してたからウロウロしてるように見えたんだろ。俺はなんもやましいことしてねえよ!」

「それも裏を取っているが…お婆さんは君には会っていないと答えているよ。もちろん、君を疑っていると知れば嘘の供述をするかもしれないからそこは伏せて聞きだしたんだけどね。お婆さんはここに泊まっている親戚たちの朝食を作るためにずっと厨房にいたそうだ。忙しく働いていたみたいだね」

「…」

神宮寺は下唇を噛んだ。それは明らかに動揺し、何かを隠している…ということを悟らせるのには充分だった。岸もそんな気がしたからだ。だからといって彼が人を殺したとは思えないが。

「さ、どこで何をしていたのかな?」

「待って下さい!勇太がそんなことできるわけがない。だって部屋には鍵がかかってたんでしょう?どうやって勇太はお爺さんの部屋に入ったって言うんですか!?」

頼りない声を精いっぱいに張って、岩橋が神宮寺と刑事の間に割って入る。気弱そうに見えたその眼は怒りに満ちていた。

それまで黙って聞いていた颯が続く。

「俺…神宮寺の次に起きてストレッチしてましたけど神宮寺がいなくなったのって多分10分くらいだったと思います。部屋の襖の開閉の音で目が覚めたからあってると思うけど…6時ちょっとすぎくらいだったかな」

颯の供述を聞いて、刑事達は手帳を見合わせる。その間、倉本が腕を組んで呟いた。

「神宮寺がトイレ行って戻ってくるせいぜい10分かその程度の短い間にこの広い家の爺さんの部屋に合い鍵かマスターキー持って入って殺して平気な顔して戻ってくるなんてできんのかよ。

どういう殺され方してたのか知らねえけど、全く無抵抗ってわけじゃないだろうし、いつ誰に聞かれるかわかんねーのにそんなことできるかな。そこんとこは刑事さん達どう思ってんの?」

栄養が脳に行きわたっている証拠かもしれない、と岸は普段の倉本の暴食について見方を変える必要があるかもしれないと意識を改めた。

痛いところを突かれたのか、刑事達は苦々しい顔になる。

「ま、君の言うとおりだ。実際我々も動機の面や殺害方法に関して君がやった可能性は限りなく低いと見ているが…万に一つの可能性でもそこを掘り下げるのが仕事なんでね。分かってほしい」

場の空気が少しほっとし始める。それを受けて神宮寺は慎重な口調で答えた。

「…トイレには行ったよ。けど、それからちょっと…人と話してた」

「人?誰と?」

問われ、神宮寺は複雑な感情をその瞳に宿した。それを岸たちが察知する前にもう岩橋と挙武も眼も似たような色に染まる。

「…この家の女の人。殺された爺さんの孫の…」

「なんの話を?あの人は精神疾患だと聞いたが。婆さんがなかなか許してくれないんで我々もまだ詳しい話が聞けていないんだ。話せるのか?」

刑事は食いついてきた。だが神宮寺の返答は渇いたものだった。

「話っていうか、声かけただけ。俺だって婆ちゃんに言われてるし…会話にならないってこと。でもあの人はたまに俺のこと思い出して名前呼んでくれたりもするから…」

それから2,3刑事達は神宮寺に質問をしたが満足な答えは得られなかったらしく去って行く。後には重苦しい雰囲気が漂っていた。

 

 

「龍一、起きなさい。刑事さん達が私たちにも話を聞くみたいだから、早く」

まどろみの奥で姉の声が鈍く響く。龍一は唸りながら身を起こした。

「不用心にもほどがあるわ。鍵をかけてないなんて…どういう神経してるの。人殺しがまだこの屋敷の中にいるかもしれないのに」

「…刑事がうろついてるんだから大丈夫だと思ったんだ…」

龍一が返すと姉は呆れて部屋を出ていく。指示された大広間に出向くと両親と親戚数名がすでに事情聴取の真っ最中だった。

「…僕は昨日の晩は早くに寝て、朝までずっと寝ていたので…」

もちろん深夜に栗田と嶺亜の部屋に行ったことは伏せてそう答えると、それ以上追及されることはなかった。聴取はものの数分で終わる。

「…まったく…なんてことだ。次から次へと…何かの祟りじゃないのか、これは」

誰かがうんざりした口調でそう呟いた。

「ほんとに。こんな最期を遂げるなんてな…。もうこの家はおしまいかもしれない。奥さん一人ではどうにもならない。あんな状態じゃ家を継ぐどころじゃないだろうからな…彼女の旦那が生きていればまだどうにかなったかもしれないが…」

「やはりあの時からもうこの家の終わりは見えていたのかもな…一週間しかあの子が生きられなかったのも…」

親戚たちのヒソヒソ話を聞きながら龍一はぼんやりと思う。家主が死んだのだからもう嶺亜はその存在を隠す必要はない。はからずも、昨晩嶺亜が口にした願望が実現してしまった。

だが死んだはずの人間が生きていたとなると、話はそう簡単でもないのかもしれない。これからどうなってしまうのか…

思考の淵に落ちようとしていると、ぽんと肩を叩かれる。振り向くと叔父がそこに立っていた。かなり疲労の色が濃い。いつも精悍な顔つきには明らかな憔悴が見てとれた。

「…参ったよ、正直…。不謹慎かもしれないが仕事を休むのも限界が来ててね、こんなことになるなんて思ってもみなかったから仕事道具も持ってきていないし…終わった後のことを考えるのが憂鬱だよ」

珍しく愚痴っぽくなっているところを見るにあたり本当に精神的にきついのかもしれない。龍一は何か気の利いた返しができないかと思考するが哀しいことにそれは苦手分野だった。考えているうちに叔父は話し続ける。

「…どうも普通じゃない殺され方だったみたいで、女性や子どもには無理だろうという見解が出ているようだよ。疑われているのは専ら僕らのような大人の男だ。刑事っていうのは人を疑ってかかるのが仕事とはいえ正直かなり腹がたったよ。中には『犯人扱いするのか!?』ってくってかかった人もいるみたいだし」

「でも、どうしてあのお爺さんが殺されなきゃいけなかったんですか…?」

ぼそっと呟くと、その問いに叔父は刑事を気にしながら囁くような小声で返した。

「どうしても何も、あの爺さんを疎ましく思っている人は想像以上に多い。この集落の独裁者だし、しきたりに縛り付けているのもあの爺さんだ。彼がいなくなってくれたらと願う者は少なくないだろうね。法事で僕ら親戚が集まるのを知っていたら疑いがこっちにかかるようにこの期間を狙ったのかもしれない」

「まさか…」

そうなるともう、誰を疑っていいのか分からなくなる。更に深い迷宮に迷い込んだかのように暗中模索状態になってしまっているだろう。警察にも若干の焦りが見て取れた。

屋敷にいる人間だけに疑いをかける捜査から、集落全体へとその規模を広げ始めたからなのか屋敷内に留まる警察や刑事の類は減っているように思う。それでも完全に自由に振る舞うことは難しい。屋敷の外に出ようとすると警察が付いてこようとするし、もちろん集落から出ることはまだ許されない。

龍一は部屋に籠っていても何もすることがないので庭園を歩いた。もう桜の大樹は開花を始めている。

「…」

今日がその生誕の日だ。だが祝福とは程遠い雰囲気に屋敷は覆われている。この世から隠されたその存在は今何を思うのか…

「おい谷村、んなとこで何やってんだよ」

ふいの遠慮のないその声に振り向くと、栗田がいた。知らない顔も何人かいる。彼らは不思議そうに龍一を見据えていた。

「栗田、誰この子?」

まだ春先で冷たさが残る空気の中、何故か汗をかいていた瞳の大きな少年が栗田に訊ねると、彼は頭を掻きながら面倒くさそうに答える。

「こいつは谷村だよ。谷村…なんつーのか忘れた。とにかく谷村。指くるくるやる変な癖持ってんだよ」

およそ説明ともつかない説明を聞いて、また怪訝な視線が刺さってくる。もとより人見知りの龍一はこんなに大勢の知らない人間に囲まれてもう逃げ出したくなっていた。

「知り合いなの?栗田。こんなとこで知り合いに会うことなんてあるのかな…」

背の高い、体格のいい精悍な顔つきをした人の良さそうな少年がまた栗田に訊ねる。

「ちげーよ。全然知らねーよ。ここで初めて会ったんだよ。ま、いきさつは省くけどな」

「ふーん。この家の法事に来た親戚かこの集落に住んでる奴?あ、でも岩橋も神宮寺も挙武も知らなさそうだから親戚かな」

おはぎ片手にモグモグと鋭い見解を放つ冷蔵庫のような体格の少年がそう述べた。概ね正解である。龍一は挙武には見覚えがあったが他の少年はない。

「親戚…ね。大変なことになってご愁傷様だな」

挙武が谷村を見据えて呟いた。そこにはあまり感情はこもっていなさそうだった。

「何やってたんだよ谷村。あ、花咲いてんじゃんこれ。満開になったら壮観だろうな」

栗田が桜の枝を掴む。そしてその下に佇む苔むした墓碑銘を見つめた。

「…あいつ、これでここから出られるかな…」

その呟きに、緊張を走らせたのは自分と挙武…そしてその隣にいた二人の少年だったのを谷村は見た。

「おい、なんでお前…まさか…」

チャラそうな少年が栗田の腕を掴む。それを受けて挙武が補足説明を始めた。

「…もう隠す必要もないだろう、こんなことになってはな…。栗田は嶺亜のことを知っている。そこの谷村…だっけか。彼に会った時にだそうだ。彼もまた嶺亜の存在を知っている人の一人だ」

「それで…」

中性的な少年が口元に手をあてながら頷く。彼もまた、嶺亜の存在を知る者だろうか…谷村は頭が付いて行かない。

しかしそれ以上に残りの少年達はぽかんと口を開けている。この反応を見るに彼らは嶺亜の存在を知らない。この会話の意味が全く分からないだろう

「…」

谷村は気が付けば墓碑銘に手を当てていた。「嶺亜」と刻まれたその窪みに。

無機的な感触だけが伝う。風はまだ冷たかった。

「…俺にはなんのことか分かんねーんだけど」

おはぎを全て口の中に収めた少年がモグモグしながら言う。そして飲みこんでから

「お前らの話から察するに、その墓の子がなんかあんの?」

「…」

沈黙が支配する。頬を撫でる暖かな春の温もりとは裏腹に、苦さを含んだ湿っぽい空気が流れた。

誰も答えようとしないせいか、おはぎを食べていた少年は自分で推測をたてたようで、それを口にする。

「死んだことになってるけど、実は生きている、とか?」

当てずっぽうなのか確かな推理の組み立ての結果なのかは分からないがそれは正解だった。観念したように挙武が浅い溜息をつく。

「…その通りだ。この墓の主は生きている。今もこの屋敷の屋根裏部屋でその存在を殆ど誰にも知られずに過ごしている。だが、それもどうなるか…」

視線を屋根裏部屋の方へ向けて挙武は目を細める。

「生きてるって…そんな…じゃあこのお墓は…」

「れいあこれで出られるんだろ?あのじーさんが死んだんなら…そうだよな、挙武?」

栗田の問いを、挙武は否定とも肯定ともつかぬ表情で受けた。ふと見やると他の二人の少年も複雑な感情をその瞳に宿しながら、屋根裏部屋の方を見つめていた。