「とんだことになっちゃったね…」
同情を含んだ視線を岸たちに向けながら、自らも少し精神的に参っている素振りを岩橋が見せる。家の計らいで挙武と岩橋は自宅に帰ってもいいという許しが出たが、二人ともなんとなく一人になりたくなくてここに泊まる方を選んだ。
「しっかし、迷惑な話だよなー。集落の独裁者だかなんだか知んねえけど俺らには全くカンケーねえ話なのによ」
辟易したように倉本が吐き出してふて寝した。
「殺人事件なんてテレビの世界の出来事かと思ってたのに、いざ現実のこととなると参るよね…」
颯もいつになく疲弊しきった様子でぼやく。
「でもさ、人殺した奴がまだこの屋敷の中にいるんだろ?怖くね?」
「岸くんはホントビビリだなー。警察も何人か泊まりこんでるみたいだしそんなことする奴いないだろ。ある意味安全だぜ」
「神宮寺の言う通り。それに、殺されたのは爺さんだということからも分かるように他の奴になんて興味ないよ、恐らく犯人は」
「まーとにかく飯は食わせてもらえるみたいだからそこは安心したぜ」
遅い朝食をたいらげた倉本はひとまず空腹が落ち着いてペットボトルのお茶を流し込む。
「エンストした山道まで行くのか…もうそのまま帰してくんないかな…」
岸がぼやくと颯がうんうんと同意した。神宮寺は頭を掻いて少し気まずそうに呟く。
「わりーなお前ら。カンケーねえのに巻きこんでよ。でもまあすぐに解決すんじゃね?日本の警察舐めたらアカン。家にいた誰かが犯人なんだからよ」
「…犯人は早く見つかってほしいがその後のことがな…暫く俺達も自由に行動できないかもしれないぞ」
挙武の一言に、岩橋は溜息をついた。重苦しい空気が漂い始める。
その空気を断ち切ろうと栗田が「あーーーーーーーー!!!」と大声で吼えた。
昨日はひどく元気がなかった彼だが、今朝はもうそんな素振りはあまり見せなかった。昨晩は早くに寝ていたし、睡眠を十分に取って復活したのかもしれない。
「起こっちまったことはしょうがねえだろ。春休みなんだしあと一週間くらいここにいることんなっても俺は全然かまわないね。外に出らんなくても別にいーし」
「…?」
岸たち三人は不思議に思う。こんなところに閉じ込められるなんて、アクティブな行動派の栗田が最も嫌うはずなのにどうした風の吹き回しだろう。携帯電話のゲームで暇潰しにしても限界があるのに…。
「おめーらもあんま深く気にすんなよ。めんどくせーことには変わりねーけどこうしてタダで泊まってタダで飯食わしてもらえんだし俺は不満はないね」
「…昨日とはずいぶん違って楽天的だなーお前。まあそれが本来の性格なんだろうけどよ。ま、栗田の言うことももっともだぜ。よし、ここはひとつ俺のオススメAV動画をその携帯で…」
神宮寺がそう提案しかけると、お約束のように岩橋が口を塞いだ。
「…とんでもないことになった。まさか殺されるだなんて…」
もう昼近い時間の朝食の席で、親戚の誰もが絶句し箸を進められずにいた。せっかく使用人が作った料理も冷めきってほとんど手がつけられていない。もちろん龍一もそうだった。
自分の中で動揺が果てしなく広がっている…それをまだ収拾できずにいた。終始無言のまま箸を置き、部屋へと向かった。
「龍一、念のため部屋の鍵をかけておきなさい。できれば部屋からも出ないようにね。何かあったらすぐ叫びなさい」
親にそう言われ、返事をして龍一は部屋に戻る。途中、刑事らしき人物とすれ違うが彼らは何事か囁きあっていて龍一には目もくれない。
「…」
部屋に戻り、鍵を閉めてベッドにうなだれる。目を閉じたらすぐにでも眠れそうだった。
昨晩の回想に浸り、それを一つ一つ整理する。あの時はまさかこんな事態になるなんて思いもしなかった。
「おい。れいあの部屋に続いてる壁まで案内してくれ。この家広すぎてワケわかんねー」
昨日の晩に栗田にそう言われ、龍一は真夜中に案内せざるを得なくなった。彼は早めに就寝して今夜に備えたという。
「ったく不便だよなー生きてるってこと隠さなきゃなんねーってのはよ」
後ろで控えめな声で栗田が呟く。それに関しては龍一は全くの同意だった。
深夜にならなければ嶺亜に会うことはできない。明るい空の下で彼と過ごしたことはただの一度もなかった。万が一にも誰かに見られるわけにはいかないから…
「…」
ガラス戸からは月灯りが覗いている。月光に照らされた墓碑銘。生きているのに死んでいる。死んでいるのに生きている。かくも不思議なその存在…月のように、太陽の下には決して現れることのない…
「おい」
背中をつつかれて、龍一は我に還る。いつの間にか歩みを止めてしまっていたらしい。
「ま、いーや。ここまでくればさすがの俺でも分からあ。おめーはもう部屋に戻って寝ていいぜ。世話かけたな」
無骨に言い放つ栗田の背中を龍一は不思議な感慨で見る。誰かとここを訪れることなど…ましてや誰かと嶺亜に会いに行くなど昨日までは思いもよらなかった。
しかも、こんな得体の知れない奴となんて…
「おい、いいっつってんだろ。付いてこなくてもこの先の壁に嶺亜が二時丁度に立って一緒に開けてくれんだろ?それくらい俺でもできるし」
「入ってしまったら次の日の朝、誰かに開けてもらわなくちゃいけない。それはどうするつもり?」
「あ?そんなん昨日れいあがやってくれたみてーに神宮寺のばーさんに…」
「あんな早朝に毎日それをしてもらうのはあのお婆さんの体にこたえるからダメだって嶺亜くんは言ってた。連日はきっと無理だ」
「…」
ようやく栗田は気付いたようだ。そう、自由に出入りできない不便さがそこにある。中に入り込んでしまうと一人では出られない。だから龍一も数えるほどしか入ったことがないし、嶺亜も極力部屋の外には出ない。
嶺亜が外に出たい時、代わりに彼の部屋に入るのはほとんど母親だ。彼女はそのために普段からどこを徘徊しているか分からない風を装っている。急に消えると使用人が不審に思うからだ。
栗田は顎に手をあてて考える素振りを見せる。そしてややあってこう口にした。
「んじゃおめーが中に入れ。その間俺がれいあとこの家のどっかいるからよ」
「はぁ!?」
あまりにも短絡的な思考につい大きな声が出て焦って口を塞いだ。誰かに聞かれてなければいいが…
「あ、それよりいい考えがあるわ。おめー。一晩中ここにいろ。んで俺が出る時手伝え」
とんでもなく図々しいことを言い放ってにやりと栗田は笑う。龍一は思わず激しく首を横に振った。
断固拒否を貫いていると、また尻を蹴られる。昨日からずっとこんな調子だ。こういった類の人間は今まで周りにいなかったからどう対処していいのか分からない。
そうこうしている間に午前二時になってしまった。壁は開く。
「こんばんは」
壁の向こうから現れた嶺亜はさっきまでの龍一と栗田のやりとりなど全く知る由もなく優雅に微笑んでいる。白い肌が常夜灯のわずかな灯りに照らされて幽玄な雰囲気を醸し出していた。
「おう、れいあ。わりーな。こんな夜中に」
栗田が気さくな感じで右手をあげると嶺亜はクスリと笑う。
「夜中じゃないと僕は誰にも会えないからね。…あ、雨やんだんだね。月が綺麗」
ガラス戸のむこうに広がる空を見つめながら嶺亜は言った。その横顔は優美だった。母親似の彼はもし女の子に生まれていたらきっと今頃挙武の良き妻となっていただろう…
そんなことをぼんやりと龍一が思っていると、その挙武の名を栗田が口にした。
「今日の昼よー、挙武にれいあのこと聞いたんだよ。黙ってろって言われてたけど挙武はおめーが生きてること知ってんだろ?だったら大丈夫かと思って」
「え…!?」
龍一は思わず大きな声が出てしまう。慌てて口を自分で塞いだが黙っていることはできなかった。
「嶺亜くんのことを口にしちゃ駄目だって言ったのに…!」
「んだよ、だから挙武は知ってんだからいーだろーが」
「誰かに聞かれでもしたらどうするんだ。万が一にも家主の耳に入るわけにいかないから皆必死で隠しているのに」
「龍一」
しかし嶺亜が静かに諭してくる。その控えめな音量の声とは裏腹に厳然とした感情が含まれていた。
「お前は神経質すぎるよ。万が一大お爺様の耳に入ってもそれが戯言で片付けられるように普段からお母さんやヨネさんが気を配っているから大丈夫」
「…」
「そーだ、おめーは神経質すぎんだよ!あの指くるくるやるのもやめろよな。うっとーしーから」
嶺亜の擁護を受けて栗田がはやしたててくる。龍一は何か言い返してやりたかったがいかんせん口べたなので次の言葉が出てこない。
「でもここで立ち話をすると誰かが通りかかるかもしれないからこっちに来て。お母さんに頼んで朝早くに出してもらうから」
いともあっさりと嶺亜は栗田と龍一を部屋に招き入れた。栗田は遠慮なく「おう」とずかずか入って行く。龍一も慌ててそれに倣った。真っ暗な中を急いで歩いたものだから壁に何でも激突し、痛む体をさすりながら部屋にあがると嶺亜は温かい紅茶を淹れてくれた。
嶺亜の部屋は簡単な自炊なら可能になっている。ポットや小さな冷蔵庫、電磁調理器の類もあった。
「栗ちゃんが昨日話してた『釣り』ってのをいつかしてみたいなと思って色々調べてたんだよ」
携帯電話を指差しながら嶺亜は優雅な仕草でティーカップを口にした。
「おう。んじゃ俺も色々調べるわ。夏ぐれーには俺も運転免許取れるようにすっからよ。ま、ダメなら岸にでも運転してもらえばいーやギャハハハハ」
いとも軽々しく栗田は返す。ここから出られることなどできる日がくるのだろうか…その困難さを龍一は知っているから嶺亜との会話では極力外の世界の話題を避けていたのに…
「そうだね。夏ぐらいには僕もここを出られるといいな」
龍一は初めて嶺亜からそれを聞いた。これまで彼はここでの生活を憂う素振りは見せても「出たい」と口にすることはなかった。それは叶わない願いだと分かっているから故だと龍一は理解していた。
だけど嶺亜は言った。
出られるといいな
ごく控えめな表現だがそこにこめられた感情を龍一は嶺亜の横顔から感じとる。これまで見せたことがなかったのに…
「…」
それはどうしてだろう。昨日とは明らかに違った嶺亜の意志、それは…
「俺も高校出たからバイトすっからよ、そんで金貯めて二人でどっかで暮らそーぜ。爺さんに見つからねーようにさ。れいあを連れていきてーとこもいっぱいあるしよ。ゲーセンだろ、野球場だろ、それに…」
うきうきと一方的に喋り倒す栗田の話を嶺亜は微笑んで聞いている。その表情は柔らかく穏やかで、なんとも言えない和やかさがあった。
そうか…きっと…
龍一がそこに思い至ると同時に嶺亜からこんな言葉が放たれる。
「僕がここを出られるとしたら…大お爺様が亡くなってからだろうね」
穏やかな瞳が昏い色に染まってゆく。しかしそれはほんの一瞬で、すぐに嶺亜は無邪気な微笑みを湛える。
「だから一生ここに閉じ込められるってわけでもないんだよ。今年の夏は無理かもしれないけど…栗ちゃんが僕のことを覚えていてくれたら、いつか僕の方から会いに行くから」
「おう。俺はいつでも待ってるぜ。それまではケータイで連絡だな」
携帯電話をポケットから取り出した栗田は嶺亜と通信交換を始める。最後に龍一にも「おめーに連絡することはねーと思うけど一応なんかの役にたつかもしんねーから」と持ちかけてきた。
「いや…俺は別に…」
断ろうとすると蹴りを入れられ、龍一は渋々栗田と番号交換をした。