「栗田やっぱり具合悪いんじゃないの?もう寝るって…」
夕飯が済むと栗田は早々に蒲団を部屋の端に敷いて寝に入ってしまった。朝からボーっとした様子だったがそれは一日中続いた。颯が心配して声をかけても「だいじょーぶ」の一言しか返ってこなかった。
「いくらアホでも疲れるんじゃね?いつここから帰れるか分かんないからオンラインゲームできないストレスとかもあるだろうしさ」
倉本がどこからくすねたのか栗まんじゅうを口に頬張りながら見解を述べる。しかし岸はまだ不思議だった。確かに栗田は生粋のゲーム好きだがそれと同じくらいアウトドアにもこうした団体旅行も楽しむことのできる性格だ。単にそれだけとは思えなかった。
「雨がもう大分ましになっているし、俺達も明日帰る。お前らもこんなところにいるより良かったらうちに来ないか?部屋はいくらでもあるから」
挙武がそうもちかけて三人で賛成する。レンタカーのことは明日考えようという結論になり、それから寝ている栗田に一応気を遣いながら皆でワイワイ騒ぐうち、岸がなんとなく窓の外を見やると雲間に月が垣間見えた。もう雨はあがったようだ。
揺らぐ月光を見ながら、ふと岸は思ったことを呟く。
「そういやあそこに見える墓のようなものはなんなの?この家の子のお墓はあの桜の樹の下にあるけど」
反対側の屋敷の正面側にも決して狭くない庭が広がっているが、その隅にひっそりと墓碑銘のようなものが見える。最初に訪れた時にも見た記憶があった。
「ああ、あれか」
ひょい、と挙武が隣に踊り出て答えた。
「あれはこの家の入り婿の墓碑銘だよ。…もっとも、本当の墓はちゃんとしたところにあるがな。桜の樹の下にあった墓の主の父親だよ」
「え、そうなんだ。でもなんだか子どもに比べて乱雑な扱いだね。あんな端っこにあるなんて…」
「まあそうかもしれんが、一族の人間ではなく入り婿だからだろうな。うちの父親は数えるほどしか会ったことがないと言っていた。ここに来てあまり年月が経たないうちに亡くなったらしいから」
「ふうん…あの女の人…子どもも亡くして夫も亡くしたってことか。気の毒だな…」
颯の呟きに、岩橋が悲しみに同調した表情で返した。
「未亡人かあ…綺麗だし儚げな感じがまた色っぽいよなぁ…再婚相手なんか引く手あまただろうにな…」
「おいおい岸くん、さすがの俺もそれには乗れないぜ。まあ大好物の案件だけどよ。んな簡単じゃねえんだよ、この家に婿に入るってのはな。ここに文字通り骨を埋める覚悟じゃねえとダメなんだよ」
神宮寺らしからぬ真剣な答えが返ってくる。挙武も岩橋も黙ったまま彼を見つめていた。
雲間に覗く頼りない月灯りを眺めながら、岸たちは彼らの中に渦巻く穏やかならざる意識の片鱗を垣間見た。
その夜深くに岸たちは一度眠りを妨げられる。誰かの携帯電話のアラームが鳴り響いたからだ。
「…わり。間違えてセットしちまった」
まどろみの奥で聞いたその声は栗田のものだったように思う。だが誰しも眠気から深くは追求しなかった。
そして翌朝、予想だにせぬ事態に岸たちはたたき起こされることとなった。
「この家にいたのはこれで全員ですね?」
無骨な質問に誰かがそうであることを答える。広い大広間に集められたのは屋敷に滞在していた親戚数人と使用人、そして岸たちだ
何がなんだか訳が分からない。分かっていることはただ一つ。
この屋敷で人が殺された。
それは、この家の主である老人だという。あれよあれよという間に警察がかけつけて屋敷の外に出ることを禁じられた。
「腹減った…」
倉本がうんざりしながらお腹をおさえる。朝食を食べることも許されず、ここにこうして集められてもう小一時間が過ぎようとしていた。しかし、広間に集まったのは屋敷にいる全員…だから誰も朝食の準備などできるわけがなかった。
「おや、君達…」
隅っこでかたまっていた岸たちに、山道で車に乗せてくれ、助けてくれた中年男性が歩み寄ってくる。
「ここを発ったと聞いてたけど…」
「あ、俺が携帯忘れて取りに戻ってきたんです。そんで大雨で足止めくらって…」
倉本がポケットの携帯電話を取り出しながら説明した。
「そうか。それにしても運がない…厄介なことに巻き込まれてしまったね。私も仕事の都合をつけるのに頭を悩ませている…やっと土砂崩れの道が復旧したと思ったらこれだ…とんでもないことになった。暫く帰してくれそうもない」
「一体何がどーなってんだよおっさん。俺らなんにも分かんねえんだけど」
栗田がそう問いかけると、男性は周りの目を気にしながら小声で話す。
「この家の家主の爺さんが殺されたみたいでね…道が復旧して今日は朝早くからどこかに出かける予定だったみたいで…車の用意が出来たことを使用人が部屋に伝えに行ったけど返事がなくて、ドアを開けようとしたら中から鍵がかかってて…それでマスターキーで開けたら中で倒れていたそうなんだ」
「マジかよ…」
殺人事件なんて、テレビの中の出来事でしかないと思っているだけに現実のものとして実感がなかった。だがこの騒然とした雰囲気がこれが現実であることを物語っていた。ピリピリとした空気が容赦なく突き刺してくる。
「何度言えば分かるのです!!奥さまは御身体の具合が悪くてお部屋を出ることはできません!!あなた方に会わせることはできません!!」
物凄い剣幕で刑事とおぼしき人物に怒鳴っているのは神宮寺の祖母である老婆だった。今にも噛みつきそうな勢いで彼らを困らせている。
「…しかしですね、屋敷にいた人たちには全員に話を聞かなくてはいけないんです。これは事件ですから…」
「だったら奥さまの具合が良くなるまでお待ちなさい!奥さまにもしものことがあったらどうしてくれるのです!!奥さまは…奥さまは…」
「ヨネさん。落ち着いて。この人たちには私たちから話しておきますから、奥さまのところに…」
周りに説得されて、老婆は大広間を出ていった。刑事たちは肩をすくめていた。
その様子を横目で見ながら男性は呟く
「…この家は広くて複雑だ。だから単純な物盗りや通り魔的な犯行じゃない。屋敷にいた人間が真っ先に疑われるだろうな…」
「けどおじさん、部屋の鍵がかかってたって今言ったけど、だったら自殺とか…」
颯が問う。それも一理ある。誰かに殺されたのなら、その誰かは一体どうやって出たのだろう。
「…あの様子じゃあ自殺とは考えられない死に方だったんだろう。それに、一応マスターキーもあるみたいだから…」
「そっか。でもどうして殺されなきゃいけないんだろう…」
「あの人が死んでくれたら、と思ってる奴は案外いると思うぞ」
それまで黙って見ていた挙武がぼそりとそう呟いた。岩橋と神宮寺は顔を強張らせる。
「誰にも動機はある。この俺だってそうだ。この地のしきたりに皆を縛りあげてるのはあの爺さんだし、彼がいなくなればこの家には奥さんしかいなくなる。彼女はあの通り精神を病んでいるからしきたりがどうのなんてもうどうでもいいだろう。そうしたら…」
「そしたらうちも挙武の家もしきたりに縛られずに自由にできる…そう言いたいの?挙武」
岩橋の問いかけに、沈痛な面持ちで挙武は頷いた。拳を固く握りしめている。
「言いたくはないが…奥さんだってその一人だ。毎年毎年亡くなった我が子を思い出させるこんな法事を開く祖父のことを疎ましく思っているかもしれない。もっともあの華奢な体で爺さんとはいえ男を殺せるとは思わないが…」
「よせよ挙武…って言いたいところだけどこうなってくるとワケわかんねー…なんせあの爺さんはこの集落の影の独裁者みたいな存在だからな…」
底知れぬ、深い闇がこの集落にはあるのかもしれない。それが垣間見えて岸たち4人はやるせない気持ちになった。だがそんな呑気なことを思っている場合ではなかった。
「で、君達はこの部屋に7人でいたと?」
事情聴取は屋敷にいた全員…当然、岸たちにも降ってかかる。遠慮のない無骨な質問に答えながら倉本はすでに空腹の限界に達しでイライラしていた。
「ここの集落に住んでいるのは?」
「俺とこいつとこいつです。この4人は昨日山道で迷ってるところを…」
神宮寺が説明をすると、刑事は怪訝な表情になった。
「では突発的にここに泊まることになったと?失礼だが住まいはどこだ?身分証明があったら見せてもらおうか」
「俺らがじーさん殺す動機なんてないだろ!顔も知らねえし会ったこともねえのに。どーでもいいけど腹減ってんだよ。飯食ってからにしてくれよ!」
倉本が吠えるが、刑事は取り合おうとはせず掌を出す。
「終わったらなんでも食べるがいいさ。学生証や免許証の類は?」
「倉本、早く終わらせたかったら素直に従う方がいいよ」
颯に諭されて、倉本は渋々頷く。だけど学生証なんて持ち歩いていないから、結局は岸の運転免許証しか証明するものがなかった。
「レンタカー会社に裏を取るから会社名とエンストした場所まで案内してもらう。それまでこの家からは出ないように」
「げ…まじかよ…またここに閉じ込められんの?」
うんざりした口調で倉本が吐き出す。岸も同じ気持ちだった。今夜も水分を控えめにしておこう…
「僕らもここを出てはいけないのですか?」
挙武が問うと、刑事は頷く。現場検証やその他が終わるまでは屋敷を出ることは許されず、再び広間に留まることとなった。