「いやほんとすみません!助かりました!」

岸たちを拾ってくれたのは身なりのいい40代くらいの中年の男性が一人で運転する車で、なんとか四人乗せてくれた。全員で感謝の言葉を口々に述べているとその男性は少し困ったように頭を掻いた。

「困っているところ申し訳ないが…私も急いでいてね、悪いが君達を目的地まで運んでやることはできないんだよ。多分その旅館があるであろう場所は正反対の方向だから。駐在所で降ろしてあげるから後はそこでなんとかしてもらってくれないか?」

「もっちろんです!!そんな、送ってくれなんて厚かましいこと…こうやって山道から救ってもらっただけで充分です!あ、川魚良かったら…」

ちゃっかりクーラーボックスを持ちだした倉本がそれを差し出そうとすると男性は緩く首を振った。

「いや…礼には及ばない。それよりこんな山道で立ち往生なんてついてないね。この先あと30分くらいは走るよ。歩いたら…2~3時間はかかるだろう」

「まじっすか!?やっぱ歩かなくて良かったぜギャハハハ!!」

「栗田、もう少し小さな声で笑ってよ。恥ずかしいよ」

「あ!?なんだって颯?」

「ううん、別に。それより着いた後のことちゃんと考えないと。おじさん、タクシーとかバスとか走ってます?そこ」

「いや…タクシーはないよ。バスは…この時間だともうないんじゃないかな。麓の町まで出るのが一日に数本あるぐらいだから」

「げ。じゃあどうやって旅館まで行きゃいーんだよ。おっさん、そこにホテルとか旅館とかある?」

栗田が後部座席から身を乗り出して訊ねると、男性は首を横に振る。

「そんなものはないよ。駐在所も人が残ってるかどうか…だから助けてあげられたってわけでもないんだ」

「そっすか。いや、でも山道3時間歩いたり車で一晩明かすよりゃマシだから、人さえいりゃーあとはなんとかするよ自分達で」

「栗田、お前は楽天的だなー…野宿する場所が車の中からガチの野外かもしれないのに…」

岸が溜息をつくと、倉本がまあまあと肩を叩く。

「誰か親切な人が泊めてくれるかも。そんな番組あったじゃん。アポなしで泊めてくださーいってやつ。川魚あげりゃ気前よく泊めてくれるだろ」

「ギャハハハハ!それもそうだな、持つべきものは川魚だぜ!」

能天気な会話に運転席の男性は浅い溜息をつく。

「元気でいいね」

そして独り言のように呟いた。

「あの子も生きていれば今頃こうしていたのかな…」

「え?」

助手席にいた岸だけがその呟きを聞きとっていた。なんとなく訊き返すと男性は少し寂しげに前を見据えながら答えた。

「…法事でね…仕事が長引いてしまって約束の時間に間に合わなくて、せめて今日中には着いておきたかったから車を飛ばしてきたんだ。生まれてすぐに亡くなった親戚の女の子が、生きていれば君達と同じぐらいの年頃になっているはずなんだ」

「あ、そうなんすか…すんません大騒ぎして」

さすがに栗田は声のトーンを落とす。

「いや…気にしなくていいよ。それよりもし泊まるところが本当に見つからなかったら話をつけてあげるから今から言う電話番号にかけてきなさい。これも何かの縁だ」

「本当ですか!?何から何まですみません。このご恩は必ずお返ししますので」

岸が最年長らしく話をまとめたところで山道が終わりにさしかかる。すっかりと陽が暮れた中、ちらほらと民家や建物の灯りが目に入り始めた。

「神七集落…かみしちって読むのかな…」

ヘッドライトに照らされた、古びた看板の文字を颯が呼んだ。男性は「そうだ」と頷く。

「江戸時代に切り開かれた土地でね…当時御三家と呼ばれた名家がずっと土地を守っているそうだ。まあこの現代の世の中にはあまり意味のない話だがね」

「へえ…」

「奇妙な謂れのある集落でね…幽霊話や妖怪の類が棲むなんて伝説が古くから数多く残っているんだ。たまにそういうののマニアが訪れる以外は何もないところだよ」

「へーえ。面白そうっすね。なんなら肝試しでもすっか?なあ岸?」

「え…俺は別に…」

「ギャハハハハハ!ビビってやんの!?おめーそれでも二十歳かよ!年ごまかしてね?」

「栗田、そんなことないよ。岸くんはビビりのフリして実は凄く勇敢なんだから…そうだよね?岸くん?」

「え…あ、うん。そう…そうだね」

車は集落の中を進んで行く。田んぼや畑が広がり、民家はまばらだ。途中、駐在所らしき建物が見えたが灯りはともっていなかった。

「やはりもう人はいないようだ。このまま家まで向かってもいいかな?私も今夜は泊めてもらう身だから確約はできないが多分困っている少年達を見捨てるなんてことはしないだろう」

男性の車はそれから10分ほど走り、とある豪邸の前で停まった。

 

 

 

極道映画に出て来そうな、巨大な日本家屋の豪邸に通された岸たち4人は完全にビビリモードだった。身を寄せ合ってキョロキョロしながら歩くと、大広間が眼前に広がる。

「こちらでお休み下さい。お布団は後でお持ちします」

着物姿の老婆が栗田以上のしわがれた声で事務的にそう言った。

「くれぐれも勝手に御屋敷を歩き回らぬよう…何があっても責任は持てませんから」

「は、はい…ありがとうございます…」

すっかり委縮した岸がそう返事すると襖が閉まる。4人は大きな溜息をついた。

「はあ~~~~~~マジかよ…なんなんだあのおっさん何ものだよこんな豪邸に住んでる奴の親戚って…」

栗田が畳の上に大の字になり、そう吐き出す。クーラーボックスを抱えた倉本は疲弊しきっていた。

「腹減った…これ料理してくれなんて言える雰囲気じゃなかったな…どうしよ…生で食うか」

「この部屋だけで俺の家の半分くらいありそう…なんだって金持ちってこう無意味な空間作るのかな…」

岸は荷物を降ろしながら栗田の横で同じく大の字になった。

「凄いね!!なんか映画の中みたい!こんなに広いなら旅館開けばいいのに」

一人元気な颯はぴょんぴょん跳びはねている。程なくして先程の老婆とは違った中年女性が蒲団を持ってくる。やはり着物を着こんでいた。

「あのー…ちなみにお手洗いはどこでしょう…」

「ご案内します」

無愛想な返事が帰ってきて、岸は気まずい思いと共に案内された場所で用を足した。

「ご自分でお帰りになれますよね?」

有無を言わさぬ感じで中年女性は去って行ってしまったから、岸は定かでない記憶を一生懸命掘り起こしつつ来た廊下を歩く。床は冷たく、三月とはいえまだ寒さが残っていたからでかいくしゃみが出てしまった。

なんか本当にお化けでも出そうだな…と背筋を寒くしていると背後でぼそっと誰かの声が響く。

「…誰?」

びびって声をあげそうになりながら振り向くと、そこには学ランを着た少年が怪訝な眼をして立っていた。くっきりと刻まれた二重瞼の大きな瞳と厚い唇が印象的で、かなりの長身だ。

「いや…えっとですね…話せば長くなるんですけども…今夜一晩泊めてもらうことになりまして…」

「龍一、何をしている。早く来なさい」

岸が説明をしようとすると同時に少年は誰かに呼ばれておずおずと背を向けて去って行く。溜息をついて踵を返すとまた腰を抜かしそうになった。

「ぎゃあ!!!」

反射的に悲鳴が出て、さっき用をたしてなかったらちびってしまうところだった。目の前にさっきの老婆が立っていた。

「お静かに。家人の好意で泊めているのですから、粗相をすれば追い出しますよ」

アンタが音もなくそんなとこ突っ立ってるからびっくりしたんだろ…と言いかけたが平謝りをして岸はなんとか部屋に滑り込んだ。もう全身の力が抜けていく。

「もうやだ…野宿の方がマシかも…」

「あ?どうした岸?それより川魚焼いてもらえるらしいぞ。倉本が話つけてくれた。夕飯抜きはさすがに厳しいからな」

「え?栗田それマジ?」

疲れていても腹は減る。有り難い話だった。20分ほどすると焼かれた川魚と白飯と味噌汁の簡単な夕飯が運ばれてきた。4人でそれをがっつく。

「あー美味かった。やっと生き返ったぜ。明日の朝ご飯も用意してもらえんのかなー」

倉本がお茶をすすりながら呑気な心配をする。とりあえず旅館に連絡もできてないから明日はここからそっちへ向かうことを考えなくてはいけない。放置してしまったレンタカーも…

「朝飯まで用意してもらえるとは思えねーなー。なんか俺らまねかぞ…まねかぜ…なんつーの?こういうの、颯?」

「招かれざる客のこと?確かにあのおじさんが話をしてくれて渋々って感じだったね。でも法事みたいだしバタバタしてる中に見知らぬ少年4人泊めてくれるだけでも相当親切だと思うけどね」

「そう、それだぜ。招かれざる客。なんか居心地わりーしさっさと出ようぜ。朝メシはコンビニででも買えばいーだろ」

「けど栗田、来る途中そんなの見えなかったぞ。相当な田舎だしコンビニなんてないよきっと」

「ちょっとぐらい食わなくたって大丈夫だろ。おい郁、てめーは食いすぎなんだよ。俺の魚まで食いやがって」

栗田が倉本に蹴りを入れようとすると、颯が障子戸を開いて呟いた。

「やあ綺麗な月…満月だね。天気良かったもんね」

岸も颯の隣でそれを眺めた。

「お、ほんとだ。さっきはその月がすげー不気味に見えたけど…こうして落ち着いて見るとやっぱ綺麗だなー」

「月見バーガー食いてー…お、あれ何?」

まだ食い気が収まらない倉本に、やれやれと呆れながら岸も颯も月から視線を降ろすと倉本の指差した先にぼんやりと光る何かを見た。広い庭の隅にそれはあった。

「月に照らされてるからかな…なんだろうね、お墓…じゃないよね?そういやなんか幽霊でも出そうな雰囲気だしね」

それは石で作られたもののように見えた。颯が呟くと岸がぶるぶると震える。

「やめろよ颯!俺ただでさえ妖怪みたいなばーさんに驚かされたところなのに…あーもう一人でトイレ行けないよマジで」

「ギャハハハハハ!ビビりだなー岸は!もらすなよ!」

「大丈夫だよ岸くん、怖かったら俺が付いて行くから遠慮なく起こしてよ」

「ありがと颯…それはそれで情けない…」

「さ、もう寝よーぜ。疲れたし」

倉本の一言で、就寝モードに入る。確かに疲れていたからすぐに四人とも眠りに落ちる。

だが…

「…」

今何時だろう…携帯電話を手さぐりで探し、時間を見ると夜中の2時半だ。けだるい身を起こして岸は半覚醒状態で頭を悩ませた。

トイレに行きたい。

焼き魚がやや塩辛い味付けだったからそういえばけっこうお茶を飲んだ。こんな夜中に目が覚めるなんておじいちゃんみたいだ…と思うが尿意はだんだん増してくる。

(…行こうかな…でも嫌だなぁ…この状態でさっきの婆さんが現れたら間違いなくちびる…けどこのまま寝たらもしかしてひょっとして二十歳になってまでおねしょとか…そんなことになったら軽く死ねる…けどかといって颯を起こすのも情けない…)

色んな思いが交錯する。誰かタイミング良く起きてくれないかなー…と思って隣でいびきをかいている栗田をつつくが全く起きる気配はない。反対側の倉本もつついてみたが起きない。

(…ああいった手前、颯を起こすわけにもいかないし…やっぱ行くか…怖いけど…幽霊が出るなんてことはないだろ。婆さんだって寝てるだろうし)

意を決して岸は身を起こす。襖をそっとあけ、なんとなく忍び足で廊下を進んだ。

当然ながら廊下は真っ暗で、念のため持ってきた携帯電話で辺りを照らしながら岸は記憶を頼りに進む。暗くて不気味なほどに静まり返っていて心臓に悪い。

「おばけなんてな~いさ…おばけなんてう~そさ…」

恐怖心を紛らわすために小声で歌ってみたがその自分の声がまた不気味に感じてやめた。この状態だと何をやっても怖い。

しかし広い家だ。これじゃ小さな子どもだったら家の中で迷子になるんじゃないだろうか。いらん心配をしながらようやくトイレに辿り着き、ほっとしながら用を足して出る。

「やれやれ…」

安堵しつつ、心もとない携帯電話の灯りを頼りに来た道を戻る。床の冷たさと恐怖心ですっかり眠気は吹っ飛んでしまった。何故か頭の中がクリアになって冴え渡ってくる。

そもそも、なんで準備万端のはずのレンタカーがあんなことになったのだろう。カーナビだって一度設定すれば解除しない限り設定は消えないはず…変な対向車だって…

ガソリンはレンタカー会社の手違いで残量が少なかったのか?カーナビは機械オンチの栗田あたりがいじってしまって設定が消えた?うっかり者の倉本が旅館の住所電話番号が記された紙をどっかになくした?対向車は一方通行だと知らなかっただけ?

考えるのは今日一日の不可解な出来事だった。

まるで、見えない力に導かれてここまで連れてこられたような…そんな得体の知れない摩訶不思議な何かを感じずにはいられない。全ては偶然なのか、それとも…

「…あれ?」

考え事をして歩いたもんだから、どこを歩いているのか分からなくなってしまった。確か、トイレを出て右に曲がってその先を…

「ヤバい…」

一気に血の気が引いていく。ここへきて勝手知らぬ家で迷うなんて今日は厄日かもしれない…岸は泣きそうになる。

「誰か…」

もう婆さんでも誰でもいい、怒られてもいいから部屋までの道を教えてほしい。祈るような気持ちで岸はとりあえず進めるだけ進む。迷路じゃあるまいし、どこかに出るだろう。家の中には誰かしらいるだろうからそこで事情を話せばきっと分かってもらえる。そう自分を奮い立たせた。

「…」

どうやら反対側に出たようだ。ここは二階だがガラスの障子戸が一面に張り巡らされていて長い廊下が続いている。月の光に照らされ、それまでの真っ暗闇からほんの少し解放された。

「…」

ガラス戸からは庭が見える。庭にはぼんやりとした灯篭のような灯りが点在していて、その周りを頼りなく照らしていた。

岸の泊まっている部屋からとは違う風景だ。やっぱり反対側なのかもしれない。

日本庭園のような庭に、ひと際目立つ大木が否でも目につく。一体なんの木なのか…月光に照らされ、まだ花も葉もつけない裸木はまるで巨大な妖狐のように見え、思わず身震いした。

柔らかく、繊細な糸が幾重にも折り重なるかのようなその月の光に岸は一瞬立ち眩みを覚える。さっきまで恐怖で神経を張り詰めていたがそれが無理矢理弛まされたかのような錯覚に陥った。

そして夢か現か…岸の視覚はそれを捉えてしまった。

巨木の陰からスっと現れてこちらを振り向いた人影…岸の視力は両眼とも1.5だがこの距離ではそれはぼんやりとしていてはっきりは見えない。だけど確かにそれはそこにいる。

青白い顔をしてこちらを窺う、幽霊の姿が。

それはじっと岸を見つめていた。

認識すると同時に、岸は今まで出したことのない悲鳴をあげて腰を抜かした。