窓枠がガタガタと鳴っている。暴風雨は依然として衰える気配はない。幸いにも夏休みだから学校に行く必要はないし一日家に籠って宿題を片付けよう…と谷村が問題集を開いていると母親が呼ぶ声がする。

「恵くんが来てるよ。あがってもらおうと思ったけど龍一を呼んでくれって」

嫌な予感がしてしぶしぶ玄関に出向くと予想通り、雨合羽を強引に押し付けられた。

「おめーはすぐ用水路に落っこちるからそっち避けてちょっと遠回りだけど安全ルートで行くぞ!気ぃ引き締めて行けよ!!」

「ちょっと…俺は宿題を…ていうか恵くん、おばさん昨日も怒ってなかった?宿題全然してないって…」

「うっせーなてめーに心配されるほど俺は落ちぶれちゃいねー。早く来い!!」

行き先は分かりきっていた。颯の家が経営するホテルだろう。彼らが泊まっている…

自分が嶺亜に会いたいからって俺を巻きこむのはやめてほしい…そう喉まで出かかったが結局それは口からは出ない。何故なら自分もまた、彼らと一緒にいることをどこかで楽しんでいるからだ。

岸くんのダンス指導についていけなくて恵に蹴られたり神宮寺に馬鹿にされたり嶺亜に絶対零度を飛ばされたりしたが、それでもなんだか楽しかった。ダンスや歌なんて、自分には無縁のものだと思っていたがやってみると案外楽しいことに気付いてしまった。

「やっべ、ちょっと雨強くなってきた。おい、そこでちょっと休憩すんぞ!!」

雨が強くなってきて視界が悪くなってきた。町役場の屋根の下に逃げ込み、息を整えた。

「こんなことしなくてもうちのおじいちゃんに車で送ってもらえば良かったんじゃあ…」

今更ながらの意見を口にすると恵は「うっせー」と言って小突いてきた。だけど谷村は長年の付き合いで知っている。恵の蹴り以外での表現は「そうしときゃ良かったぜ」という同意なのである。

10分ほど待ったが雨の勢いは強まるばかりである。ここからホテルまで約15分。走ればその半分だがこの強さではほとんど前が見えなくなるだろうから危険だ。いくら勝手知ったる島とはいえ

「おい。あれ…」

恵がそう呟いて前方を指差した。見ると、ビニール傘を差してふらふらしている少年が見えた。見覚えがあるな…と思った瞬間に突風によってそのビニール傘は無残に壊れた。

「おいおめー何やってんだ!!こっち来い!!」

恵が飛び出してその少年を引っ張ってきた。ぜえぜえと肩を上下させながらそいつは「サンキュー」と右手をかざす。

「倉本…だったっけ?何やってたのこの暴風雨の中。そんなビニール傘一つで外に出るなんて自殺行為だよ」

「あー死ぬかと思った。想像以上だったぜ。道も分かんなくなってきたからほんと助かったありがとな!」

聞けば倉本はダンスレッスンに瑞稀を誘おうと彼の家に向かったそうである。

「俺らはホテルに行こうとしてたとこ。けど雨風がシャレんならなくなってここで一時避難。おめーも命が惜しかったら弱まるまで待ってろよ」

恵の忠告に倉本は同意した。こうしている間も吹きつける雨が島を濡らして行く。一昨日の穏やかな天気が嘘のようだった。

「練習はかどってっか?」

恵が聞くと、「それしかやることないから」と言った後で倉本は言葉を濁す。

「颯も誘ったんだけど、あいつなんかちょっと元気なくてさ。岸くんも今日は一日ホテルで仕事するからとか言って自主練余儀なくされて。なんかどうもあの二人、昨日に比べてぎこちない感じがすんだよなー」

「ぎこちない?」

谷村が問うと、倉本は頷く。

「すれ違っても視線も合わさないし…喧嘩でもしたんかな?」

「喧嘩なんか一度もしたことないよ、岸くんと颯は」

「そうなん?」

「うん。颯は岸くんのこと、多分誰よりも慕ってるし岸くんだって誰に対しても分け隔てなく優しいし。この島で他の誰が喧嘩しても岸くんと颯はしないだろうね。そうだよね、恵くん?」

同意を求めると「そーだな」と答えた後で恵はしかし頭を掻きながらこんなことを呟く。

「けど、颯は…あいつは岸のことが好きすぎて時々すげー負い目を感じてる素振り見せるからな。岸の親父のことで」

そのことについて語るのは躊躇われる気もしたが意外にも倉本は知っている風だった。

「あ、なんだっけ、今朝颯のお父さんから聞いた。岸のお父さんは颯を助けようとして怪我したんだっけ。その事?」

「なんだ…知ってんのかよ。そーだよ、岸の親父の足はな、颯を助けようとして怪我した時の後遺症であんななんだ。俺もその場にいたからよく覚えてるぜ」

雨音で掻き消されがちだったが、恵は倉本に語って聞かせた。

「俺が小3の頃だから…颯は小2で岸はえっと…小5だ。そん時の祭の準備の時だよ。ちょうど今の時期だ」

谷村もその時は小学2年生で夏風邪をこじらせて家で寝ていた。それをぼんやり思い出す。

「岸はその頃はまだ祭であんなワンマンライブとかもやってなかったし、どっちかってえと野球とかそういうの俺らとよくやってて…颯も一緒によく遊んだ。谷村は俺が引っ張ってこない限り外に出やしなかったけど」

そうだった。家で勉強しているといつも恵が「おい谷村!!外出るぞギャハハハハハ!!」と迎えにくるのだ。たまらなく迷惑だった。

「祭の盆踊りの見本を颯がやることになったんだ。颯はすげー張り切ってて会場準備の時にその台で練習してて…。ちょうどその頃ヘッドスピンできるようになっててここでそれを披露しようと練習してた。そしたらその時まだ固定されてなかった櫓が崩れてきて…」

びゅうっと突風が正面から殴りつけた。谷村は思わず顔を背ける。

「その下敷きになるところを、岸の親父が颯に覆いかぶさってあいつのこと守ったんだ。だけどその時櫓の支柱の先端が足に刺さっておっちゃんの足は前みたいに動かなくなった。でもおっちゃんがそうしなかったらそれは颯の腹とか背中とかに刺さってたかもしんねー」

「それで、漁師もできなくなったって颯のお父さんが言ってたな。せめてもの償いにホテルで雇ったって…」

「そーらしいな。おっちゃんは本土のでかい病院に一か月くらい入院しててリハビリもそこでしてたらしいし、岸もその間ずっとそこにいたって。帰ってきたら岸は、落ち込んでる颯を元気づけるためにその間に覚えた歌とかダンスとか見せてあげてたんだぜ。岸に颯を責める気持ちなんてないのに、颯の奴は未だにその時のことを気にしてやがんだ。まあ気持ちは分かるけどよ」

「岸くんがオーディションに受かったら島を出ることになるって聞いた時、颯はすごく苦しんでた。岸くんの夢を応援したいけど、島から出て行っちゃうのが寂しい。笑って送り出せる自信がない。だけどこんなこと本人には絶対言えないって。ただでさえ俺のせいでおじさんがあんな身体になっちゃったのにって…」

谷村にはそこまで慕っている人間がいないから、颯の気持ちを100パーセント理解することはできない。だけどもし、例えば…今この隣にいる恵が島からいなくなってしまったら…それは少し寂しいかもしれない。絶対に口には出さないが。

「そっか…」

倉本は目を伏せた。何かを想っている感じだったが谷村にはその内心を測ることはできなかった。

谷村は顔を上げる。さきほどまで狂ったように吹き荒れていた嵐がその勢力を衰えさせていた。二着の雨合羽を三人で分けあって被りながらホテルへの道を急いだ。