「いてて…焼けすぎたなこれは…嶺亜に日焼け止めを借りるんだった」

脱衣所で服を脱ぎながらすでに腕がヒリヒリし始めていることに羽生田は目を細めた。調子に乗って太陽の下で何時間もいたせいだ。

とりあえずぬるめのシャワーで済まそうと思ってコックを捻ったがお湯が出ない。昨日は問題なく出たのに何故かぽたぽたと雫が落ちるだけだ。どこをどういじってもお湯も水も出てくれない。

「え?そうなの?ごめん、父さんに言って明日直してもらう。今日は俺の家のシャワー使って」

ホテルに隣接する颯の家のシャワーを使わせてもらったが良く考えれば嶺亜か神宮寺達の部屋のシャワーを使わせてもらえば良かったのだ。後で倉本が瑞稀の家から帰ってきたらそう言っておこう。

「良かったら食べていかない?親戚の農家から届いたんだ」

出されたのが好物のメロンだったこともあり、羽生田はご馳走になることにした。

「おや挙武くんいらっしゃい」

颯の父親が仕事から帰ってきて汗を拭きながら羽生田に声をかけた。ビールを飲んで上機嫌になり、昔の話を語り始める。

「羽生田くんには色々世話になって…覚えてないかもしれんが一緒に写真も撮ったんだよその時。ええと、颯のアルバムはどこかな…」

いそいそと棚の中を物色して一冊のアルバムを彼は持ってきた。

「ああこれだ。ほら、挙武くんとお父さんが映ってるだろう?」

どこかの宴会場なのか、そこで羽生田が父親に手を繋がれて映っている写真があった。その隣には颯とその父親。2~3歳くらいの頃だろう。

「ほんとだ。でも全然記憶ないな…あ、これは」

写真は颯の幼少期のものばかりで、その中に島の海岸のあたりで撮ったであろう写真があった。小さい颯と小学校低学年くらいの少年が映っている。それは岸くんだった。

「へえ。岸くんこの頃から顔変わらないな。さすがに小さい頃だと岸くんの方が大きいな」

確か岸くんは自分より二つ年上で颯は一つ下だから彼らは三歳差だ。子どもの頃の三年というのは大きい。この頃は背が大分岸くんの方が高い。

「颯は赤ん坊の頃から優太くんに懐いていてね。人見知りなのに優太くんにだけは自分から関わっていってたっけな。優太くんは優しくて島の子たちのいいお兄ちゃん的存在だからね」

「そうなんですか。まあ人は良さそうですからね。肉を生で食べようとするのはアレだけど」

羽生田が冗談まじりに返すと颯達は笑う。

「岸くんはね、本当に優しいんだよ。小学校がちょっと遠いんだけど一年生になった時毎朝一緒に連れて行ってくれたし谷村が迷子になった時も探してくれたりして…島の子達は皆岸くんが好きだよ。恵くんもあんな感じだけど岸くんのこと大好きだし」

「へえ。颯もそうなんだな?」

何気なく問うたが、颯の反応は羽生田の予想とは少し違ってた。

「うん…。岸くんは多分迷惑だろうけど…」

どこか哀しそうで、何か聞いてはいけないことを聞いてしまったかのような罪悪感すら抱かせる表情に羽生田は戸惑う。

その戸惑いを、颯の父親が取り繕うようにフォローする。

「颯、お前のいけないところはいつまでもそうやってぐじぐじ気にしてることだ。優太くんだって別にお前のことを嫌ったりしていないだろう?考えすぎだ。そうやっていつまでも気にする方が優太くんは嫌だと思うぞ」

父親に諭されて、颯は力なく頷く。何か理由がありそうだったが羽生田はこれ以上颯の顔を曇らせたくなくて訊くのをやめた。

 

 

 

携帯の目覚ましアラームが鳴って、嶺亜は目を覚ます。欠伸を一つして身支度もそこそこにロビーに降りた。

まだ午前6時半。嶺亜は早起きなのである。だからこそ一人部屋を選んだのだ。誰かと同室になったら早朝のアラームで喧嘩になるだろうから。

当然ながらロビーはひと気がなくしんとしている。朝ご飯を作ってくれる従業員も7時にならないと来ない。山鳩の鳴き声が静かにこだましていた。

ふと思い立って、嶺亜は外に出る。島の朝は早いのか早朝にもかかわらず人がまばらに行き来していた。が、それらはほとんどが老人である。

「栗ちゃんもう起きてるかなぁ」

携帯電話が使えないというのは何気に不便だ。こんな時、ラインの一つも入れて「起きてる?」と確かめることもできるし電話をかけて起こすこともできる。だがここではそんな常識は通じない。

不便といえば不便だが、生まれた時からそんな生活をしているとそう感じないのだろう。それが当たり前なのだから。

そんなことを思いながら歩いていると前方に校舎のような古い建物が見え、そのグラウンドの中央に櫓のようなものが立っているのが確認できた。門柱には「神七小中学校」と刻まれている。お祭り会場はここなのだろうか。覗こうとすると後ろから声がかかる。

「嶺亜くんじゃん。一人で何してるの?」

太鼓のバチを沢山かかえた瑞稀がきょとんとして立っていた。散歩してるのぉ、と答えると瑞稀は「そうなんだ」とシンプルに返す。

「うちはおじいちゃんが和太鼓してるから祭の囃子太鼓を毎年担当してるんだ。昨日遊んでてさぼっちゃったから今日は早くから手伝いしないとって思って」

真面目そうな瑞稀らしい行動である。昨日は倉本が「送って行く」と称してかなり遅くまで一緒にいたらしい。

友達がかけた迷惑を詫びるつもりでバチ運びを手伝うと「どうぞ」と冷たい麦茶とアイスを瑞稀の家の人からもらった。小中学校のグラウンドのベンチでそれを食べる。

「郁ねぇ、夏休みが終わったら違う学校に転校するんだぁ。寂しいけど本人は瑞稀に会ってそんなこと全然吹っ飛んじゃったみたいだよぉ」

「転校?学校を変わることか…俺達には一生縁がないけどそういうのって都会ではよくあることなんだってね」

「ずーっと皆一緒ってのもいいけどぉ…たまに飽きない?」

嶺亜が問うと瑞稀はんー、と首を傾げる。

「飽きるも飽きないも変わらないものは変わらないし…。うちのお父さんとお母さんは生まれた時からずっと一緒にいてもう30年以上経つしおじいちゃん達もそう。多分俺もそうなるんだろうなって思う」

そう淡々と答えた後で瑞稀はこう付け加えた。

「でも、島を出て行ったり逆に島に新しく来る人もいないわけじゃないよ。知ってる人でいうと…岸くんなんかは高校を卒業したら島を出てミュージカルの劇団員かなんかになるはずだったんだ。だけどなんか、ダメになったみたい。俺は詳しく知らないけど」

「へぇ。岸がぁ?そういや今日お祭りで歌とダンスするんだって言ってたねぇ」

なんだか意外な気もするが岸くんには人を惹きつける魅力があることも確かだ。人前に出る仕事は向いているかもしれない。

「岸くんの歌とダンスは凄いよ。まだ岸くんが中学生の頃…俺は小学校低学年でここで一緒の校舎で過ごしてたんだけどお祭りの時以外でも音楽会とか卒業式とか入学式とかそういう行事の時、岸くんが体育館の舞台に立って歌ったり踊ったりしてるのを何回か見たけどすごい上手なんだ。百聞は一見にしかず。今日観たら分かると思うよ」

そんな話をしていると当の岸くんが現れる。手伝いがてらリハーサルを兼ねて朝から張り切ってやってきた、というがそのわりにもう8時を過ぎている。

「朝は苦手で…」

照れ笑いしながら岸くんはもう汗をかいていた。どうやら相当な汗っかきらしい。

「岸、今日楽しみにしてるねぇ。瑞稀から聞いたよぉ岸のダンスと歌凄いってぇ」

「そう?あーでも見ちゃったら俺がかっこ良すぎて嶺亜が俺に夢中になっちゃうから恵が怒りそうだなぁ。だからまぁチラ見程度でいいよ、チラ見で」

「あ、それはないから御心配なくぅ」

嶺亜は笑顔で即答した。

 

 

嶺亜が島の小中学校で瑞稀と岸くんと話している頃、ホテルではようやく起き出した神宮寺達が朝食をつっついていた。

「あん?嶺亜どこ行った?」

カフェオレを飲みながら神宮寺がロビー内を見渡す。

「さあ…部屋にはいないんでしょ、羽生田?」

優雅に紅茶を飲みながらホテルで取っている新聞を読んでいる羽生田に岩橋が訊ねる。倉本は相変わらずガツガツと食べていた。

「俺も知らない。栗ちゃんって奴のとこにでも行ってるんじゃないか?通い女房みたいだな」

冗談めかしていると颯が忙しくバタバタと走り回っているのが見える。何をしているのか声をかけると額に汗を浮かばせながら颯は答える。

「祭の準備。今日5時から始まるから来てね!島の小中学校でやるんだ。ちょっと距離はあるけど道自体はややこしくないから分かると思うよ。ホテル出た道を真っ直ぐ行ってそしたら十字路にさしかかるからそこに表示が出てて…」

「屋台出んの?」

倉本の問いに颯は頷く。

「出るよ。フランクフルトとか焼きそばとか…あと瑞稀が和太鼓するし、岸くんが体育館で歌とダンスするから是非見に来て。ホントにかっこいいから!」

岸くんのことを話す颯の眼は輝いていた。岩橋がそこに気付いた時にはもう彼は走り去っていてホテルの従業員も慌ただしそうにしている。ちょうど朝ご飯を終えようかという頃に嶺亜が戻ってきて散歩がてら手伝いをしてきたという報告を受ける。

「岸の練習ちょっとだけ見たよぉ。上手だったぁ」

トーストの残りをかじりながら嶺亜は言う。

「そうなんだ。岸くんってなんか不思議な魅力あるもんね。案外芸能人とか向いてるかも」

岩橋が二人できゃっきゃと岸くんの話をしていると、羽生田がイタズラっ気のある顔で神宮寺をつつく。

「いいのか神宮寺。同じ『ゆうた』として負けられないんじゃないか?」

「あん?うっせーな俺の魅力は分かる奴には分かるんだよ」

「ほう。神宮寺の魅力とは?」

「そんなもん色々あるだろ。このスレンダーな体型とかフサフサな毛髪とかセクシーな唇とか魅惑の腰回しとかマッタリとしたリズム感のラップとかよ!」

羽生田が爆笑する横では相変わらず女子チームがきゃぴきゃぴと話に花を咲かせていた。

 

 

「いてて…」

ズキズキ痛む左ほおを抑えて谷村は目を細める。元々低かったテンションがさらに下がり始めていた。

「ったくおめーは鈍くせーな。フツーあんな高さの脚立から落ちるか?」

横で恵が呆れている。谷村は聞こえないフリをして沈黙を貫いた。

祭会場の提灯を取り付けようとして、谷村は脚立から落ちて左ほおを強かに打った。心配した大人達がもう休んでていいと気を遣ってくれて休憩に入ったが何故か恵もついてくる。

「あっちーなおい、体育館行こうぜ」

照りつける日差しを避けるべく体育館に向かうと通りがかりのおばちゃんに「これ食べな」と茹でトウモロコシをもらった。それを抱えて中に入ろうとすると賑やかな音楽が聞こえてくる。

「おーおーやってんじゃん岸」

体育館の中では岸くんがステージリハ中だった。といっても設置された音響に自分で音楽を流して一人で踊って歌っているだけだ。

しかしながらその集中力は凄い。恵達が入ってきたのにも気付かず、岸くんは歌い、踊る。そのパフォーマンスに魅入っていると先客がいたことに谷村が気付いた。

「颯」

声をかけると、そこに佇んでいた颯はびくっと肩を震わせた。彼もまた、岸くんのパフォーマンスに魅入るあまり恵達が入ってきたことに気付かなかったらしい。

「あ、恵くんと谷村。…あれ、谷村どうしたのここ?」

颯が谷村の頬の痣を指差す。

「コイツ提灯取りつけようとして脚立から落ちてやんの。マジうける!ギャハハハハハハ!」

「笑いすぎだよ…」

「あ?誰がアイスノン取ってきてやったと思ってんだてめー!」

恵は谷村を蹴りつける。確かに落ちたと同時に「おい何やってんだよ」と恵が真っ先にアイスノンを取りに走ってくれたことは認める。優しいのかなんなのか谷村には未だに分からない。

颯はそのやりとりを可笑しそうに笑うとまた視線を岸くんに向ける。曇りのない純粋な憧れの眼差し。谷村はそれを感じとると無意識にこう呟いていた。

「去年、あんなことがなければ岸くんは今頃本当のスターへの階段を上ってたかもしんないのにね…」

言った瞬間、後悔した。恵の蹴りが入ったのもそうだがそれ以上に颯の眼が哀しい色を宿したからだ。

「ごめん、颯…」

慌てて颯に頭を下げる。だが颯はかぶりをふった。

「俺が謝られることじゃないよ。それに、事実だし。本当にタイミングが悪かったんだよ…おじさんがあの日に倒れたのは…」

「岸、また受けりゃいいのに。あいつだったらまた受けりゃ受かるだろ?そのナントカオーディション」

恵がそう口にした。颯も谷村もそう思う。

だけど岸くんは今ここにいる。ここにいて、祭に花を添えるステージパフォーマンスを島の住民のために開いてくれようとしている。

岸くんは神七島の皆のアイドルスターかのようにいつの頃からか毎年恒例でここで歌って踊って皆を楽しませてくれた。それが今年も変わることなく披露される。

そう、変わることなく…

「あれ?おいお前ら来てたの?声くらいかけろよーなんか一人で世界に入りきっちゃってて恥ずかしいじゃん!」

気がつけば、汗を額に浮かびあがらせた岸くんが三人の下に駆け寄っていた。恵がいつものようにバカ笑いでそれを迎え、颯と谷村のフォローをする。

「茹でトウモロコシもらったからよ!休憩がてら食おうと思ってよ。あ、3本しかねーから谷村お前ナシな!」

「え…ちょっとそんな殺生な…」

「ギャハハハハハ!しゃーねーから変なおじさんのモノマネしたら半分分けてやるよ!!もちあそこのステージでな!!」

それから谷村はさっきまで岸くんが歌って踊っていた体育館の特設ステージのど真ん中で変なおじさんの物真似をさせられて茹でトウモロコシを半分恵からもらったのだった。