「あのさ、俺転校するんだわ、夏休みの終わりに」
一学期もそろそろ終わろうかというある暑い夏の日、いつものように屋上でだべっていると急に倉本郁がそう呟いた。
「は?転校って?」
神宮寺勇太が食べかけのスナック菓子を吹きながらそう返す。
「ちょっと待ってよぉ、郁ぅまたなんかの冗談?」
中村嶺亜が倉本の顔を怪訝な表情で覗きこむ。
「そんなこと言って…また『ハイ騙されたー』とかって言うんでしょ、どうせ」
岩橋玄樹が呆れ気味に浅い溜息をつく。
「だったら具体的に聞かせてもらわないとな。ほれ、言ってみろ、どこのどの学校に転校するっていうんだ?」
羽生田挙武はペットボトルのお茶を一気に流し込み倉本にけしかけた。
4人はいつもの倉本の冗談だろうとあっさり片付けようとした。
だがそうではなかった。倉本の口から詳細な内容が語られる。最初は聞く耳をもたなかった4人もそれが現実味を帯びてきたことで神妙な面持ちになり始めた。
小学校からの腐れ縁で、住んでいるところも、趣味も、性格もバラバラだったが不思議といつも一緒にいた。5人揃って同じ高校に進学したのもまた偶然。示し合わせたわけじゃない。だからこそその結びつきは強いと言えよう。
それが突然、別離の時を迎えた。
会いに行けない距離じゃない。永遠の別れでもない。むしろ、進学が別になれば遅かれ早かれやってくる別れである。
それでも、4人は寂しかった。それぞれが口に出すことはないが…
「このままサヨナラってのもなー」
終業式の帰り、神宮寺がそう呟く。その一言をきっかけに倉本を誘って夏休みに5人で旅行に行こうという計画が立ちあがった。マクドナルドで店員が嫌な顔をするまでぎゃあぎゃあとその行き先や日程についてポテトM一つで何時間も検討し、それは決まった。
「羽生田様に感謝感謝だなー。太平洋リゾートなんてよー」
似合わないサングラスをかけ、神宮寺は波止場で大スターのように佇む。それを岩橋が可笑しそうに笑う。
「神宮寺大げさすぎ。一応東京都じゃん」
「早く泳ぎたいよぉ。日焼け止め塗るの手伝ってねぇ郁ぅ」
わくわくしながら嶺亜はぴょんぴょん跳ねている。
「リゾートねえ…羽生田、そんな大層なモンなの?」
倉本が訊ねると羽生田は皮肉な笑みをもらした。
「まぁ正直な話、リゾート崩れかな。うちの父親の知り合いが経営してるみたいなんだけど、大分昔…バブルの頃にリゾート建設しようとして頓挫した施設を買い取って改装したみたいでね、タダ同然の格安で泊めてくれるという話だから。おっと迎えの船が来た。あれだぞ」
羽生田が指差した先には漁船のような小さな船があった。5人ははしゃぎながらそこに乗り込む。
「ちゃーっす。世話んなりまーっす!」
先頭きって神宮寺が船に上がると、日焼けした逞しい初老の男が「おう」と出迎えた。
「どーもー…ってあれ?」
倉本が船室に入ると、そこには小さな男の子が座っていた。目のくりくりとした凛々しい顔つきの真面目そうな少年である。少年は黙って頭を下げた。
「そいつはうちの甥っ子だ。船の操縦を見たいっつうから連れて来た。まあ仲良くしてやってくれや」
男は少年をそう紹介する。
「なあ、名前なんていうの?俺は倉本郁!」
「…井上瑞稀です」
緊張気味に、自動音声のように瑞稀はそう答えた。小柄だから小学生かと思ったがそう年は違わないらしい。
倉本はすっかり瑞稀が気に入ったようだった。夢中で話しているのを4人がやれやれと見守る。
船を走らせること1時間。岩橋が酔いかけで顔面蒼白になりかけた頃にそれは鮮やかに視界に広がる。
「見えてきたぞ。神七島だ。なんもねえけど自然だけは豊かだからよ。あと魚もうめえし」
男は自慢げに紹介して船を停めた。神宮寺に支えられて岩橋が弱弱しい足取りで降り、嶺亜と羽生田がはしゃぎながら外の空気を吸い込んだ。
「すっごいねぇ。空気が美味しいよぉ。潮の匂いがいい感じぃ」
「まぁたまにはこういう素朴なところも悪くないな」
倉本はというと、相変わらず瑞稀に一方的に話かけていたが少しずつ彼と打ち解け始めたようである。瑞稀の表情が多少柔らかくなっていた。
「羽生田、俺らが泊まるとこってどうやっていくん?岩橋がちょっとヤバ気なんだけど」
神宮寺に訊ねられて羽生田が腕に嵌めた高級時計の針を見る。
「もうそろそろ迎えの車が来るはず。多分岩橋か嶺亜が酔うだろうと思って早めの時間を手配しといた。さすがだろう?」
「僕は酔わないよぉ。岩橋大丈夫ぅ?」
「大丈…うっ!」
岩橋が口を抑えると、それまで支えていた神宮寺が飛びのいた。
だが間一髪セーフで岩橋は耐えた。「ひどいよ…神宮寺…」と非難され神宮寺は岩橋を宥める。
「あっつ…車来るまであそこの日陰で休んどこう」
照りつける日差しを憎々しげに掌の隙間から見ながら羽生田が提案する。その案に賛成多数だったが…
「あのさ、俺瑞稀と一緒にこの島探検してくるわ!瑞稀、そのホテルの場所知ってるって言ってるから後から合流な!んじゃ!」
倉本は快活にそう言い放って若干戸惑い気味の瑞稀の背を押して行ってしまった。4人は唖然とその後ろ姿を見る。
「おいおいおい、なんだよ、あいつの送別会なのに一人で行っちまったぞオイ」
「でもさ…倉本嬉しそうだね。あの子のこと相当気に入ったみたい」
「郁ってぇそういうとこあるもんねぇ。なんかすんごいお気に入り見つけるともうそこしか見えない、みたいなぁ」
「まあいいんじゃないか?あいつが喜んでくれれば俺達もこの旅行を企画した甲斐があるというものだ」
そんなことを話しながら迎えの車を待つが一向に来ない。おかしいな…と羽生田が頭を掻く。
「手違いかな…ここは圏外で携帯も通じないし…第一ホテルの番号も知らないしな」
「どうするぅ?歩くぅ?」
「歩くっつってもよ、道分かんねーよ。羽生田、ホテルまでどんぐらい?」
「さあ…迎えに来てくれるって話だったからな」
どうしたものか右往左往しかけていると、きょろきょろと辺りを見渡しながら少年が歩いてくる。こちらに視線を向けると少し探るように近付いてきた。
大きな瞳が印象的な、人の良さそうな少年だ。短い髪を立たせて精悍な雰囲気が漂っている。年は少し上…といったところだろうか。嶺亜も岩橋も神宮寺も羽生田も彼に視線を合わせた。
「えっと…本土からのお客さんで羽生田…さん、だっけ?その御一行?」
柔らかい口調と雰囲気を醸しながら少年は訊ねる。その額から大量の汗が流れていた。
羽生田がそうだ、と答えると少年は申し訳なさそうに頭を下げた。
「迎えに来るはずのうちの親父がちょっと具合悪くて…。俺は運転できないから案内だけでもしてやってくれって頼まれて。ちょっと歩くんだけどいいかな?本当に申し訳ない」
低姿勢で謝りながら少年は先導する。神宮寺が名前を訊ねると岸優太、と彼は名乗った。年は18歳。この春高校を卒業したと語った。気さくな性格で、ホテルに着く頃にはもうすっかり打ち解けていた。
「そのホテルって岸くん家の経営なの?」
岩橋が訊ねるとぶんぶんと岸くんは首を横に振った。
「とんでもない。俺ん家は代々ここで漁師をしてた家系だったんだけど親父が身体悪くしてそれが継げなくて、ホテルの従業員とか便利屋みたいなことして生計立ててんの。俺も今その手伝いで」
「ふうん…岸くんって生まれた時からここに住んでるの?」
「うん。生まれも育ちも神七島!島にはさ、子どもが少なくて俺は同い年が一人もいないんだ。つっても今ここには俺より年下は20人くらいしかいないけど」
「そうなんだぁ…さっきの瑞稀もその一人なんだねぇ」
嶺亜が呟くと、「あ、瑞稀に会ったんだ」と岸くんは答えた。そのいきさつを嶺亜が説明し、羽生田が冗談まじりに補足した。
「実はもう一人同行者がいるんだが…そいつがえらく瑞稀を気に入ったみたいで単独行動で彼と一緒に行ってしまった。まあ島の子が一緒なら迷うこともないと思って」
「そっか。でも瑞稀は人見知りだから。その子心折れてないといいけど」
岸くんは笑う。羽生田はまあ大丈夫だろう、と答える。
「あの気に入りっぷりだとそうめげないだろう。実を言うとそいつが転校しちゃうからその送別の意味で今回旅行を企画したんだけどなんだかおかしなことになっちゃったなっていう…」
「何それ。ケッサクだねー」
笑い合っているといつの間にかそれっぽい建物が見え始める。島の素朴な風景には若干不似合いな洋館である。
「わぁすごいね…正直、あまり期待してなかったけどこんなだとは」
島の澄んだ空気に酔いも大分回復させた岩橋が目を輝かす。
「ほんとだぁ。まるでヨーロッパかどっかの御屋敷みたいだよぉ」
嶺亜と岩橋は女子のノリできゃっきゃと手を合わす。
「さすが羽生田一族の知り合いだな」
羽生田は何故か得意げである。
「おい早く行こうぜ!天蓋つきベッドとかってきっとオナったら気持ちいーだろうな!!」
神宮寺の下ネタに女子チーム二人は眉根を寄せたがチェックインをするべく岸くんの案内で中に入る。
「わあ…」
吹きぬけのホールにシャンデリアがぶら下がっていた。嶺亜と岩橋はテンションマックスである。二人できゃあきゃあ叫びながらホール内を見渡していた。
岸くんが「オーナーを呼んでくる」と言って奥に消え、その5分後に柔和な顔つきの恰幅のいい中年男性が現れる。ハンカチ片手に汗をかいていた。
「どうもすみません、こんなところまで歩かせてしまって…どうしても離れられない仕事があって、優太くんに任せてしまった。あ、羽生田さんとこの…大きくなったね」
中年男性は羽生田を知っている風だったが羽生田本人にその記憶はない。聞けば、幼少の頃羽生田一家と会っていたそうである。仕事上の付き合いがあったらしい。
「見てのとおり、建物は立派だけどお客さんも少なくてね。物好きな旅行者とか、島の者の親戚とかが泊まってるくらいだから気兼ねはいらないよ。そうだ、部屋の鍵を渡しておこうね」
オーナーから鍵を手渡され、さて部屋の場所は…と4人が思っていると彼は大声で誰かを呼びつけた。
「颯!颯はいるか!?ちょっと来なさい」
ややあって、奥の扉からまた一人の少年が出て来た。すらりと背が高く、整った顔立ちの清潔感のある16~7歳くらいの少年が姿を現した。
「部屋に案内してやってくれ。いい機会だから友達になるといい。こっちの挙武くんとお前は小さい頃何回か会ったことがあるんだぞ」
中年男性の息子だと紹介された少年は緊張気味に挨拶をする。
「初めまして…ようこそ。高橋颯です…」
「ちょっと人見知りだけど悪い子じゃないんでね。仲良くしてやってくれ。じゃあ颯、頼んだよ」
父親に任せられて颯は鍵の束を持って案内して回る。
「部屋は全部ツインなんだけど…5人なんだよね?とりあえず3部屋分の鍵を渡しておくね。まずこっちが…」
颯の案内を受けていると、階段で岸くんと擦れ違う。彼は掃除道具を担いでいた。
「お、岸くんじゃん」
神宮寺が声をかけると岸くんはくしゃっと笑顔を向ける。人懐っこい笑顔は人を安心させる作用があるかのようだった。
その岸くんに、颯が少し焦ったように話しかける。
「岸くん、掃除なんていいって言ったのに…おじさんの側にいてあげなよ」
颯が岸くんから掃除道具を受け取ろうとすると彼はそれを手で制止した。
「親父は大したことないから。何かしてた方が気が紛れるし。俺、忙しくしてないと駄目なんだよね」
「でも…」
「いいからいいから。俺はここの従業員なんだからさぼるわけにいかないよ。次は彼らの夕飯作る手伝いしなきゃ」
「え、岸が僕達のご飯作るのぉ?大丈夫ぅ?」
不安げに嶺亜が訊ねると岸くんは胸を張る。
「俺こう見えても料理わりかし得意なんだよ。得意料理はオムライス」
「そうなのぉ?僕オムライス大好きぃ」
嶺亜が可愛らしい仕草で喜ぶと、岸くんは照れながら
「まぁ、夕飯は島の郷土料理だけどね。俺は材料切ったり盛りつけたりするくらい」
と謙遜し、ぱたぱたと階段を降りて行く。
「岸くんと知り合いなの?」
驚いた表情で颯が問う。岩橋がいきさつを話すと彼は「そうなんだ…」と呟いた。
どこか寂しげに見えたその瞳はしかしすぐに元の純度の高いものに戻り、颯は部屋に案内してくれた。