レイアは、夢を見ていた。
まず始めは深い海の底…光も届かぬ暗い水の中に自分はいた。コポコポと側で音をたてるのだけが微かに響いてくる。耳も口も目もどこにあるのかすら分からなかったが。
そして次第に周りが明るくなり始めた。そこでようやく気付く。隣に誰かいる。
見えたのは今だが、その存在はずっと感じていた。だから気付いた…というよりは確信が持てた、といった感じである。
暫く二人でその水の中を泳いでいた。魚というよりはくらげに近い気がした。ゆらりゆらりと漂って、時には左右に揺れ、時にはどちらか一方が先に…
そうしてどうやら出口らしきところに辿り着く。どちらが先に出る?とテレパシーのようなものが送られてきて、レイアは返事をしようとしたが自分が先に出てしまった。
水の中では聞こえたことのない大きな声が、鼓膜を刺激する。だけどそれは自分から出たものであることを少しの後に認識した。続いて同じような声が隣からも聞こえた。
その声はこう言っているような気がした。
『どこに出てしまったか分からないけど、二人なら怖くないよ』と
そしてそれとは全く違う誰かの声がはっきりと伝わってきた。
「おめでとうございます。元気な双子の男の子ですよ」
双子の男の子って誰?と思う間もなく、肌に優しい温もりを感じた。懐かしいような、新鮮なような不思議な感覚。だけどひどく安らぎを与えてくれる。
「良かった…私の赤ちゃんたち…生まれてきてくれてありがとう…」
かぼそい声が耳を撫でる。それはこの世で最も優しい声のように思えた。
レイアはふと隣を見る。少し顔が違うがたった今まで一緒に水中を漂っていた子だと気付く。その子に手を伸ばそうとした。
そこでふっと視界が途切れる。
レイアは目覚めた。
「…」
なんとも言えない目覚めだった。心地いいわけでもなく、悪いわけでもなく…例えて言うなら忘れていた感覚を呼び起こされたかのような感じだ。少し汗をかいていた。
夜明けの光が窓から漏れている。遠くに鶏の鳴く声がしたからもう朝なのだ。まだ起きるには早い時間のようだが。
「…」
隣で寝ているケイはまだ爆睡中だ。昨日は夜遅くまで皆でワイワイやったから当分目覚めることはないだろう。
綺麗な寝顔だった。起きている時はとにかく賑やかでやかましいケイだが寝ている時は当然ながら静かだからその整った顔立ちがより際立って見える。
少しの間、その寝顔に見とれた後、レイアは起き出した。眠気はもう消えてしまったし、なんとなく一人で考えたくて早い朝食を済ませると宿を出て散歩をすることにした。
町はまだ覚醒前だった。時折荷馬車や野良犬などが通りかかる以外はしんとして鎮まり返っている。だけどその寂しい街並みが逆に落ち着けた。
「…」
気分は優れない。考えるまでもなく、昨日の城での出来事だ。
自分との再会を泣いて喜ぶ母に、ひどい態度をとってしまった。
レイア自身、会った瞬間に王妃が母親であることは確信した。理屈ではなく本能がそう語りかけている。証拠もある。確かにアムが言っていた「一族の証」である痣はレイアにある。生まれた時からかどうかは知らないが物ごころついた時にはそれはもう知っている。後天的にできたものではなさそうだ。
レイアの記憶に断片的に残存するものも、まるで謎ときパズルのように符号していく。
一番古い記憶は4~5歳の頃だ。その頃レイアは子どものいない老夫婦の家にいた。彼らはレイアの両親については知らないようだったが「僕の名前はどうしてレイアっていうのぉ?お爺さん達がつけてくれたのぉ?」と訊ねるとこう返ってきた気がする。
「お前が着ていた服に『レイア』と刺繍してあったから、それが名前じゃろうと思ったんじゃ。違うかもしれんがの」
そしてこう続けた。
「赤ん坊のお前は変な石を握っておってな。淡いピンク色の綺麗な石で、ほれ、そこに置いてある」
その石は、サクラストーンだったのではないかと今は思う。もっとも、老夫婦が亡くなってレイアは次にやっかいになった家にはそれを持って行くことができなかったから確たる証拠はない。
そして老夫婦の夫の方は船乗りだった。
もしかしたら、彼は赤ん坊の自分を何らかの形で預かり、連れて各国を渡り歩いて自分の故郷に戻ってレイアを数年間育ててくれたのかもしれない。どういった経緯かまでは分からないから詳細は全く聞かされていないのだろう。
そしてどういう運命のイタズラか、自分はこの国に戻ってきた。
神様が自分を両親の元に返してくれたのか、はたまた悪魔がせっかくできた仲間達と引き裂こうとしているのか…
分からなかった。だけど自分の気持ちがどちらに傾いているかは明白である。
ケイと、カミセブン号の仲間達と離れたくない。
その強い感情が、自分をああいった行動に走らせたのだ、とレイアは思う。そしてそれは今この瞬間にも変わりはない。
全てを封印して、今までどおりの毎日を過ごすことが自分にとっての幸せなのだ。
そう自分に言い聞かせて、宿に戻ろうとすると思わぬ相手に遭遇した。
予感めいたものがあった。いつもより早く目覚めたのも、たまたま城下町に品出しに行く馬車を捕まえることができたのも、まるで運命が自分の味方をしているかのようだった。
それを確信させたのは城下町についてすぐの頃、川のほとりにレイアの姿を見つけたことだ。
「すまない!今すぐ降ろしてくれ、頼む!」
馬車の運転手に無理を言ってアムは降ろしてもらった。そして自分の姿に気付かぬレイアに声をかける。
「レイア」
振り向いたレイアは驚きでいっぱいの表情だった。だがすぐにそれが猜疑に染まる。
「なんで…」
こんなところにいるの、と言おうとするレイアの言葉を遮って、アムは被せるように言った。
「もう一度ちゃんと話したかったから会いにきた」
そう、話さなければならない。この16年間両親がどれだけレイアの身を案じてきたか。帰りを待っていたか…そのために何をしたかを。アムもまた、レイアを待っていたことを。
そしてレイアが16年間どのようにして育ってきたかを知りたかった。
「僕には話すことなんて…」
言いかけたレイアの目が大きく見開いた。だがその視線はアムの背後に向けられているように思われた。アムは振り返る。
そこに、レイアと一緒に城の空中庭園に紛れ込んだ少年が立っていた。
「ケイ…」
「レイア、行けよ」
ケイと呼ばれた少年は、レイアにそう言った。またレイアの眼が見開く。心なしか、唇がわなないているようにも見えた。
「本当の母ちゃんだったんだろ?だからこいつもレイアのことまた追ってきたんだろ。だったら行ってやれよ」
「どうしてそんなこと言うのぉ?」
レイアは泣きそうな顔になっている。ケイの言っていることが信じられない、といった様子だった。
「僕はカミセブン号の船乗りだよ。ずっと一緒だって約束したじゃん。それなのに、なんで…」
「このままカミセブン号にいても、レイア後悔する日が来ると思うんだ。本当の母ちゃんと父ちゃんと、双子の弟に会えたのに違うって自分に嘘ついて別れたこと。だからさ…」
「でもケイ、僕があのお城に戻ったら…カミセブン号の修理が終わったらまた船はどこかの国に行くんだし、もう会えないんだよ!?それでもいいのぉ!?僕は嫌だ!!嫌だよぉ!!」
叫びながら、すがるような瞳をレイアはケイに向ける。アムは昨日今日会ったばかりで彼らの関係性など知る由もないが、しかしレイアのこの必死な目にその結びつきが強固なものであることは窺い知れる。きっと、双子の弟の自分よりもずっと…
レイアは彼と離れたくないのだな…とこの時アムは知った。
今にも泣きだしそうなレイアとは対照的に、ケイは落ち着き払っているように見えた。城で会った時はもう少しうるさい感じの印象だったが今はひどく冷静で大人びた感じがする。どちらが本当の姿に近いのかは分からない。
ケイは言った。
「レイアが出した答えを俺はちゃんと受け入れるからさ。だから行けよ。ちゃんと待ってるから。船が出発しても俺は待ってる」
その一言で、まるでだだをこねていた子どもが父親に諭されたかのようにレイアはその激しい感情を収めてその瞳に落ち着きを取り戻し始める。唇をきゅっと結んで、葛藤を鎮めていた。
そしてややあってレイアはゆっくりと頷いた。