翌日、朝も早くからカミセブン号一行は城下町の中心街に買い物に出かけた。大賑わいの街の喧騒が少しだけ憂鬱な気分を和らげてくれる。レイアはケイと一緒に色々なお店を見て回った。

「あ、見て見てケイぃ。サクラソフトだって、美味しそぉ」

「お、ほんとだ。帝国名物だってよ。食っとくか」

二人で一本ずつ買い、綺麗な薄紅色のソフトクリームに口をつけると冷たさと共にほんのりした甘さと花の香りが広がる。いい気分で店を出ようとすると激しい泣き声がすぐ側であがった。

「うわぁあああああああん!!僕のソフトクリームぅうううう!!!」

4~5歳くらいの男の子が、地面に落ちたサクラソフトを指差しながら号泣している。どうやら落してしまったらしい。それを見た母親らしき女性が困り顔で男の子を諭していた。

「ちゃんと持ってないからでしょう?だから言ったのに…」

男の子は泣き喚く。あまりの激しさに、レイアが少し舐めてしまったが自分のをあげようかな…と思っていると、またひょっこり男の子が現れた。

「レン、僕の半分こしてあげるから泣くなよ」

全く同じ顔をしていて、色違いの同じ服を着ているからすぐに双子だと分かった。泣いていた男の子は泣きやんで嬉しそうにソフトクリームを一緒に舐める。父親らしき男性も現れて母親に事情を聞いて男の子の頭を撫でた。

和やかな風景である。微笑ましい思いと共にレイアには一つの風が心の中を吹きぬけて行った。

僕も双子の弟と育ったらあんな風になってたのかな…

しかしそれをすぐに払拭した。違う。自分には兄弟なんていない。両親は死んだ。それだけだ。そんなこと考えても無意味だ。

「あ、ねぇケイ、これ可愛くないぃ?似合うかなぁ?」

気分を変えるために通りかかった店の先に置いてあるピンクの天然石のネックレスを手に取って見る。淡くて優しい色合いだ。

「お、似合うんじゃね?そんな高くないし」

「うん。つけてみようかなぁ」

迷っていると店主らしきおばちゃんがにこにこと笑顔でやってきた。

「いらっしゃい。その石はね、サクラストーンって言ってこの国でしか取れないんだよ。ナショナルストーンだから安いの。よその国で買うと倍くらいの値段になるからお買い得だよ」

「そうなんだぁ。買おっかなぁ」

ご機嫌で試着するレイアの顔を、おばちゃんはまじまじと見つめ始める。そしてこう言った。

「お兄ちゃん、うちの国の王妃様にそっくりだねぇ…こりゃ驚いた。瓜二つだよ、王妃様の若い頃に」

「え…」

「王妃様もこのサクラストーンがお気に入りでね。婚約の際に当時まだ王子だった王様がここいらのお店にお忍びで買いにいらして第二の婚約指輪にしたとまで言われてるんだよ。その王妃様の生んだ双子の王子様の片方が戦争で行方不明になっちゃって…レイア王子っていう名前なんだけどね、生きていたらこんな感じだったのかねぇ」

「…」

レイアは結局買わずに逃げるように店を出た。気のせいか町を行く人々が自分をじろじろと見ている気さえしてきて、歩くのが嫌になってくる。そんなレイアの気持ちを察してかケイはまだ早いけど宿に戻ろうと言ってくれた。

しかし宿に戻ると予想もしない展開が待っていた。

 

 

 

「アム王子、そろそろ出発になりますので…」

ドアの向こうで側近の声がした。アムは溜息をついて立ち上がる。

「母上は?」

馬車に乗る前に訊ねると、「王妃様は今朝からお体の具合がすぐれないご様子ですので、国王様が休むようにとおっしゃってました」と返って来る。予想できた答えだった。

「それでも、王妃様は先程まで自分が行くと強くおっしゃってられましたが…」

「分かった。ありがとう」

アムを乗せた馬車はゆっくりと出発する。三連立ての先頭と最後尾の馬車にはそれぞれ側近が乗っていた。アムは一人で真ん中の馬車に乗る。

道中、アムはひたすら窓の外の景色を見ていた。美しい花畑が広がり遠くには緑の山々が、そして雲一つない空の青…何物にも代えがたい平和な風景が広がっている。

16年前、戦争が起きた時この美しい景色のほとんどが焼け野原になったという。赤ん坊だったアムにその記憶はないが、伝承や当時を描いた絵画で窺い知ることはできた。本当に悲惨で二度と繰り返してはならないと心に刻み込んでいる。自衛として兵隊や軍艦などは強力なものを備えているものの、トキオ帝国はもう戦争をするつもりなどない。そのため、各国と親交を深めるべく国王が忙しく働き回っている。

もしも戦争がなかったら、今自分の隣にはもう一人いたのだ。レイアという名前の双子の兄が。

母である王妃は自分に惜しみのない愛を注いでくれている。その愛を一身に受けて自分は育った。アムは幸せだった。

だけど一つだけ、心にひっかかる鉤針があった。

「お誕生日おめでとう、アム」

毎年アムの誕生日には盛大な生誕祭が催される。国中が祝福し、城の内外でその生誕を祝ってくれた。両親である国王と王妃もこの日ばかりは一人の父と母として息子のために、と色々してくれる。

祝福ムード一色の中で、しかし母は憂いをその瞳に宿らせる。

「レイアは今頃どこで誕生日を迎えているのかしら…」

毎年アムの誕生日前後が最も彼女の自責の念がひどくなる。いつの誕生日だったか…その前日、偶然にアムは大聖堂に一人で入って行く母の姿を見かけた。

「お願いします…レイアを…レイアを返して下さい…もう二度と…二度とあの子の側から離れませんから…」

大聖堂で、御神体の前に跪きながら母は嗚咽をもらし、震える声で祈りを捧げていた。

その時アムは思った。自分が心の底から愛されているというのを実感できるのは、レイアが帰ってきてからなのだと。

消えることのない後悔の念を、母はアムを愛することで紛らわせている。もちろん、アムに対する愛情は全く嘘いつわりのない100%のものだろう。それは間違いない。だが、その愛は完成形ではない。二人揃わなくてはダメなのだ。

もし仮に、あの時母が抱いたのがレイアだったら…今、アムが感じていることを彼が感じることになるだろう。

もしどこかでレイアが生きているのが分かったら、自分は何がなんでも彼をこの城に連れ戻さなくてはならない。アムはこの時強く思った。

そして今、そのために馬車に乗っている。

その馬車は程なくして目的地に到着した。

 

 

 

宿の前に場違いな豪華な馬車が三台停まっている。不思議に思いながら宿のロビーに入るとそこにはアムが数人の大人に囲まれて座っていた。

「お前…」

ケイが茫然と呟く。しかしそれにはかまわず、アムはレイアをじっと見る。その周りに立っていた大人達がざわつき始めた。

「確かに、王妃様に似ている…」

「やはりレイア王子は生きていたのか…」

レイアは身構えた。まさか昨日の御咎めが今頃あるとも思えないが、こうしてやってきたからにはそれなりの理由があるのだろう。早くなる鼓動を抑えて、努めて平静を装いながらアムに問いかけた。

「何の用ぅ?」

「今から城に来てくれ」

簡潔に、率直にアムは答えたが拒否することを許さない口調であった。レイアはより一層警戒を強める。

「なんでぇ?昨日のことぉ?あれならもう二度としないか…」

「別件だ。両親が君に会いたがっている」

「僕は別に会いたくないよぉ。だいたい、人違いだしぃ。僕はしがない船乗りであって王子様とかじゃ絶対ないからぁ」

つっけんどんに返すと、アムは眉根を寄せた。数秒何事か考えた後に、冷たい視線を投げかけてくる。

「どうしても嫌だと言うならこちらとてしたくもないことをせざるを得ない。昨日の城の立ち入り禁止区域への不法侵入でそこの少年を城に連行し、罪に問わなくてはならないが」

アムはケイを指差した。

「…!!」

レイアには選択肢はない…そういう意味だろう。頷かざるを得なくなり、唇を噛みしめる。

「そんな顔しないでくれ。両親に君の話をしたら、すぐにでも会いたいと言っていたから歓迎してくれるだろう」

「レイアを連れてって、どうする気なんだよ!?」

ケイがレイアの前に出る。それが今のレイアにはひどく頼もしく見えた。思わずケイの服の裾を握った。

「だからそんなに警戒しないでくれ。取って食おうというわけじゃない。生き別れになった息子に会うんだ。悪いようにはしない」

「そういう意味じゃねーよ!もしレイアがその生き別れの王子だったらどうすんだよ!レイアを城に連れ戻すのかよ!?」

最も気がかりだったことを、ケイは代弁してくれた。レイアはそれを恐れていた。もしそんなことになれば…

「…」

アムはまた押し黙る。その表情からは感情は読み取れない。固い表情だった。

ややあって、彼は答える。

「…それは両親が決めることだ。俺には分からない」

突き離したような言い方とは裏腹に、動揺が若干現れている。アムもまた、この展開に戸惑いを感じているようにも見えた。

「たっだいまー。あれ?お前…」

ぞろぞろとロビーに誰かが入ってきたと思ったらそれはカオルとミズキ、キシとフウ、そしてジンとゲンキとタニムラだった。別行動を取っていた7人が、それぞれ宿に戻ってきたのだ。アムを見てカオルが首を傾げる。

「やっぱりこないだオンセンで会った奴だ!メロンありがとな!美味かったぜ!」

「オンセン?あれ、そういや俺も見たことあるような…」

キシもアムの顔を覗きこんでいる。彼は会釈だけをして通り過ぎようとした。

「…レイア君を連れ戻しに来たんですか…?」

ぼそっと低い声が響いた。

それはタニムラのものだった。頭のいい彼は、すぐにアムの身なりと周りのお付きの者を見て王子だと理解したのだ。

「…」

一瞥だけをして、アムは答えることなくロビーを出る。その後ろから側近の者に丁重に促されたレイアが歩いていく。レイアはタニムラの方を振り向いた。

「心配しなくてもすぐ戻るからぁ。タニムラが僕の心配とか100年早いからねぇ」

タニムラは、静かに頷いた。

 

 

「…」

馬車の中で、レイアとアムは一言も口をきかなかった。気まずい空気だけが豪華な馬車の中に漂い流れる。

兄弟だと言われても、16年間も離れていたのだし赤ん坊の頃の一年を一緒に過ごしただけなのだから他人も同然だ。いきなり仲良くなどできるはずがない。相手は一国の王子だし、こんなことでもない限り会うこともない人種だ。

その沈黙はしかし、今のレイアの精神に少なくない負荷を与えた。溜息をつきたくなるのを必死にこらえていると馬車は停まる。

「こちらでお待ち下さい。王妃様を呼んでまいりますので」

城に着くと、大きな応接間のようなところに通され、ソファに座らされた。この間ゲンキを助けるために侵入したお屋敷のように豪華だったがそれにプラスして気品と格式高さが滲み出ていた。

アムは離れた位置に置いてあるソファに腰掛けて難しい顔をしている。語りかけてくる素振りは微塵もない。

落ち着かない気分で、どれくらい待っただろう。時間にして10分かそこいらだとは思うが今のレイアにはひどく長く感じた。沈黙が破られたのはドアがギィ…と静かに音を立てて開いた時だ。

家臣が開けたそのドアの中央に、美しい女性が立っていた。色が白く、全身から気品が溢れている。

その女性…王妃は、女性であることと年をとっていることを除けばまるで鏡に映したように自分に似ていた。レイアは思わず目を見開いた。

16年間も離れていた母親のことをそう思える自信などない。レイアはこの時までそう思っていた。

「レイア…」

王妃は、震える声でレイアの名を呼ぶ。そしてふらふらと歩み寄り始める。レイアは思わずソファから立ち上がった。

「レイア…レイアなのね…」

美しい瞳からは次々と涙が零れ落ちる。痛いくらいにレイアを抱きしめると王妃は耳元で嗚咽混じりにこう呟いた。

「ごめんなさい…もう二度とあなたを離したりしないから…だからお母さんを許して…寂しい思いをさせて本当にごめんなさい…」

レイアは動けない。会ったこともない女性を母親だと思うことはできない。そう思っていたはずなのに、自分の中の一番古い記憶がさっきから頭の奥で連呼しているのが聞こえる。

お母さんだ

今、自分を抱きしめているこの人は自分の母親なのだ。何故か確信めいたものが全身を包んでいる。理屈では言い表せない何かが…

そう、それはやはり記憶に他ならない。失われたはずの記憶が蘇りつつある。自分はこの人に抱かれたことがある。この温もりを知っている。

二人で同じ布団で眠ることに安らぎを感じるのは、双子だったから…きっとアムと一緒に蒲団にくるまれて寝ていたのだ。だから…

「あなたのことを忘れた日は一日もなかった…毎日神様に祈っていたの…私の赤ちゃんを…レイアを返して下さいって…今までかかったけど神様は叶えて下さったわ…」

震える声からは、それが偽りのない言葉であることが痛いくらいに伝わってきた。きっと彼女は後悔と祈りの毎日を過ごしてきた。それ故に今こうして女性の力とは思えないほど強い力で抱きしめているのがそれを証明していた。

レイアは王妃に抱きしめられながら、アムを視界の端に捉えた。先程まで強張っていた表情がひどく穏やかなものになっている。レイアとの再会を泣いて喜ぶ母を見て、安堵している。そういった感じだった。

「お…」

だがしかし、お母さん、と言いかけてレイアは全く違う行動に出ていた。瞬間的に沸き上がる激しい感情が自分でも思ってもみない行動を取らせたのだ。

アムの顔が驚愕のそれに変化する。

レイアは王妃を突き飛ばしていた。

「…違う…」

レイアは首を左右に振った。

「…僕はあなたの子どもじゃない…僕のお父さんとお母さんはもう死んだの…兄弟なんていない…僕は一人ぼっちで育ったの…」

「レイア…?」

「その名前だって…偶然同じ名前がついただけ…顔だって他人の空似だもん…僕はレイア王子なんかじゃない、船乗りのレイアだよ…だから…だから人違いだよぉ…」

絶望を含んだ眼差しを、王妃はレイアに向ける。小刻みに震えるその身体は、次の瞬間に崩れ落ち、彼女は両手で顔を覆って泣き始めた。

「ごめんなさい…ごめんなさい、レイア…!!お母さんが悪かったから…だから許して…あなたを抱いて逃げなかったこと…本当に後悔してるのよ…だからお願い、許してちょうだい…!!」

「母上!!」

アムが王妃に駆け寄ってくる。泣き叫ぶ彼女を抱き起こすと、レイアを見上げた。

「レイア、お前が僕の兄であるなら…身体のどこかに蝶のような形の痣があるはずだ!それは一族の者にしか出ない特有のものなんだ。それがなければ間違いであることは認める。だから…」

「そんな痣あったって偶然どこかでぶつけてできたものだから…だから僕がお前の兄である証拠にはならないよぉ。それに…」

レイアは自分の口が勝手に動いているかのような錯覚に陥る。自分の意志を超えて、誰かがそう口にしたかのような気すらした。

その声はこう言った。

「お母さんが…僕じゃなくてアムを連れて逃げたってことは…運命は…神様は僕がこのお城で王子様として育つことを拒んだんだよぉ…戦争がなくたって、こうなる運命だったんだ…」

「レイア…」

「帰らなきゃ…ケイが待ってるからぁ…」

ふらふらと、レイアは応接間を出て行く。誰かが何か叫んでいたが、今のレイアの耳には入らなかった。

気が付けばレイアは馬車に乗っていて、宿に戻ると皆がほっとした表情で迎えてくれた。