「…俺がまだ船乗りになる前だから10年くらい前だけどよ、住んでた村で通ってた学校が一緒だったんだ。タニムラは俺より一個下だけど飛び級だったからおんなじクラスだった。結局一年ぐらいしかいなかったけどな。俺は親が死んで船乗りになったしこいつは元々うちの島出身じゃねえみたいだったし」

カミセブン号の食堂でケイがぶすっとした表情で昔語りをする。買い物から戻ってきたキシとジン、ゲンキもふんふんと一緒に聞いた。

「けど確かタニムラ、おめーの家貴族だろ?それがなんで航海士とか目指してんだよ。それに、おめーカナヅチじゃなかったっけ?」

問いかけると、タニムラはどんよりと視線を下に向けながらぼそぼそと答える。

「手違いで…本当はトキオ帝国の貴族学校に入学するはずだったのに何故か願書を出し間違えてたみたいでここの船舶学校に通う羽目になって…」

「おめーの人生そんなんばっかだな!確か俺が通ってた学校も本当は入るはずじゃなかったとかなんとか言ってなかったか?」

「…あれも本当は隣の国の大学附属の学校に行くはずだったんだけど…かくかくしかじかでどうにもならなくて…」

凄まじい空回り人生である。聞きながら皆は寒気を覚えた。

ツイてないにもほどがある。そりゃあ顔良し頭良し家柄良しおまけに高身長と三拍子以上揃ってるのに暗くなるわけだ、と不思議と納得が走る。

「でもさでもさ!そのおかげでうちにはこうして航海士さんが見つかったわけだから結果オーライだよね!そうでしょ?」

フウがポジティブ全開でそうフォローするも、空気は微妙だった。特にレイアは何か思い出したくないことでもあるのか表情が苦々しい。

それを察してか、タニムラはおどおどとレイアに視線を向けながら首を横に振る。

「いや…さっきも言った通り、俺は航海士になるつもりはないんだ。家にも戻らなきゃいけないし、船は苦手だし海にはいい思い出がないしおまけにカナヅチだし…だから…」

「レイアにあんなことしといて俺がそんなの許すと思ってんのか!?思い出したらまた腹たってきた!ここで会ったが百年目だコノヤロー!!」

「痛い!蹴らないでくれ…だから俺はやらないって…」

「なんかあったの?レイア?」

ゲンキがレイアに訊ねると、彼は澱んだ眼で押し黙るばかりだった。

「いや、でもこの際贅沢言ってる場合じゃ…」

「いやでもキシ、こいつの負のオーラ半端ねーよ。雇った途端船が大嵐に遭って沈みそうじゃね?」

「ジンそれはいいすぎだよ。けど、本人が嫌がってるし無理強いは良くないよね。ねえゲンキ?」

「ミズキの言う通りかも。航海士って凄く難しい仕事だから…」

皆がやいのやいの意見を飛ばし合っていると、食堂の扉が開く。入ってきたのは神妙な面持ちのキャプテンだった。

「キャプテン?」

キャプテンはつかつかとタニムラに歩み寄る。熊のように大柄で、修羅を宿した迫力を擁するその風貌に完全にタニムラは怖気づいていた。目が泳ぎ始めている。

「あ、すいませ…そろそろおいとましますので…」

おどおどと腰を上げるタニムラに、しかしキャプテンはその膝を折ってなんと手を床についた。

「キャ…キャプテン…!!!」

皆が驚きで仰天する中、タニムラの前に跪いたキャプテンは静かに言った。

「どうかうちで航海士やってもらえないか?」

「え!?あ…え…?」

「うちのクルーがお前さんに暴行を働いたにも関わらず厚かましい願いだと思うが…うちの船には年老いた航海士が一人いるがいつ倒れるか分からない。航海士がいないと船は出せねえし何人もの船員の命を預かってるから無茶は出来ない。かといって船が出せねえと全員路頭に迷わせちまうことになる。どうかこの通りだ。次の街に着くまででもかまわない。やってくれないか?」

「キャプテン…」

あのキャプテンが頭を下げている…それほどまでに困窮した状態であることは誰もが瞬時に悟った。

「…」

全ての船員を束ねる立場の船長が頭を下げているのに、嫌だなんだと意地を張っている場合ではない。ケイは唇を噛んだ。そして…

「お…俺からも頼む。タニムラ、カミセブン号の航海士になってくれ」

ケイはタニムラに頭を下げた。たった今まで自分でもありえないことではあったが、不思議と躊躇いなくそうした。それはキャプテンの行動がそうさせたのだ。

「ケイ…」

レイアはケイを見る。そして同じ気持ちでタニムラの前に出た。

「僕からもお願い。僕達の船に乗って。タニムラ」

「…」

おろおろと、タニムラは視線を空に泳がせる。葛藤と迷いと戸惑いと…幾重にも折り重なる複雑な感情が色濃くその大きな瞳に映し出されていた。

カミセブン号のクルー達は、キャプテンとケイとレイアに続いた。

「俺からもお願い!航海士さんはいなくてはならない存在だから!」フウが手を差し伸べた

「せっかく取った資格だもん、使わないと勿体ないって」キシは汗だくで微笑む

「広い海と世界見りゃあ少しは明るくなれるかもよ。世界中のいい女見れると思ってやろうぜ」ジンが肩を叩く

「色々教えてほしいな。僕も自分に自信がなかったけどここに来たら明るくなれた気がするし」ゲンキは微笑む

「世界中の美味いもん食えるんだぜ!やろうぜ!」カオルはリンゴをガブっとかじった

「仲間になってよ。俺達の船にはタニムラが必要なんだよ」ミズキがキラキラした瞳で言った。

「必要…」

低く、小さな声でタニムラは呟く。9人の少年の眼と、キャプテンの眼が一点に自分に集中している。

それを感じた途端、全く無意識にするっとその言葉が声となって漏れた。

「はい」

 

 

 

タニムラは船舶便を出しに船舶郵便局を訪れたその足で必要な物を買いに市場に走る。便りには『船舶学校は無事卒業して航海士の資格も取りました。航海士として世界を見て来ますのでもう暫く家を離れます。父上も母上も姉上もどうかお元気で』と簡潔に状況を説明した。

「…」

朝陽が目に眩しい。しかし、久しく忘れていた感覚だった。もうずいぶん長いこと顔をあげていなかった気がする。

小さい頃から勉強以外何をやっても空回りで、運が悪くて、気付けば俯きがちに生きていた。こんな自分など誰にも必要とされないのではないかと思いこむようになったからだ。

手違いで船舶学校に入学することになってしまった時も「どうせ俺の人生はこんなことの繰り返しだろうな」と諦めすらあった。勉強している時だけはそのネガティブな思考から少し距離を置くことができたからそれは苦ではなかった。むしろ拠り所だった。

タニムラは思い出す。幼い頃少しの間だけ一緒に過ごした幼馴染みの顔と声を。

「あぁ!?おめー何暗い顔してんだよもっと笑えよギャハハハハハハ!!」

その幼馴染みは可愛らしい顔に似合わず粗野で乱暴で頭が悪くてタニムラの最も苦手とする類の人間だったが不思議と嫌いではなかった。いつも蹴られていたがそれでもタニムラにはその少年が少しだけ羨ましかったのだ。

俺もあんな風に明るくなれたら…

ほんの少しだけ、そう思っていた。

それから約10年の年月を経て再会するなどとは夢にも思っていない。だが、現実にそうなった。

あの時、俺を笑いながら蹴っていた人が「頼む」と必要としてくれた。

それがなんだか無性に嬉しかった。俺は必要とされているんだ…それが暗くて闇に覆われた心に光を当てた。

海は苦手だ。船なんか大嫌いだ。

だけど自分は船に乗る。航海士としての人生をスタートさせる。皮肉な話だったが悪い気はしない。少なくともこれまでの手違いとは全く別のものである。

自分を必要としてくれる仲間がそこにいるからだ。タニムラは思った。

前を向いて遥かな海を見つめた。青くて光に照らされてキラキラ輝いている。ちょうど今の自分の心のように。

「…よし」

深呼吸をして、タニムラは荷物をかかえてカミセブン号を目指す。途中、挨拶はなんて言おう…とか俺の部屋はどんなかな…とか色んなことを考えながら。

そうしてようやく港に辿り着いた。出発の時間より早くに来たはずだ。まだ正午の鐘は鳴っていない。

希望に胸を膨らませ、タニムラは息を整えた。

そして…

「…あれ?」

しかしそこにカミセブン号の姿はなかった。

 

 

「よーし碇をあげろ!カミセブン号しゅっぱーつ!!」

威勢のいい声と共に出発の大砲が鳴る。船出を飾るにふさわしい快晴の大空が海と溶けあっていた。

「いやーしかし一時はどうなるかと思ったけど航海士の爺さん持ち直して良かったな!まだまだ油断できねえらしいけど」

「ほんとだよねぇケイ。健康第一ぃ」

レイアとケイは甲板で潮風が浴びながら炭酸ソーダを飲む。マストの上ではミズキが遥か遠くを眺めていた。

「次はどこ行くんだっけ?」

キシがレモンをかじりながら問う。そのすっぱさに顔を歪ませながら。

「さあ…これからキャプテンが説明してくれるんじゃない?新しい航海士の紹介も兼ねて」

フウが答えると、ジンがきょろきょろと見渡す。

「そういやその航海士は?えっと…なんつったっけ…タニ…ダニ…」

「タニムラでしょ、ジン。さあ…そういや見ないね。どこ行ったんだろ」

ゲンキが小首を傾げた。船は昼過ぎに出発したが誰も彼の姿を見ていない。

「航海士の爺さんと航路の打ち合わせとかじゃね?早速仕事かー熱心だなー意外と」

むしゃむしゃとパンを頬張りながらカオルが感心する。そのパンどっから取ってきたのぉとレイアに咎められ、カオルは慌てて胃に放り込んだ。

「いや~しかし陸地ともしばしの別れかと思うと寂しいな~。結局これぐらいしか戦利品なかったし」

しみじみとキシが着ているシャツをはためかせると、その後ろでおずおずとフウが袋を取り出した。

「あの…キシ君これ…こないだのお礼に…」

「え?何これ。開けていい?」

キシがその袋を開けると、中にはカラフルな緑の豆粒が沢山入っていた。

「なんか凄い色だね…ではちょっと一口…がはっ!!」

キシは一瞬で涙目になった。なんか分からないけどこれ凄く相性が悪い感じがする…ひらたく言えば超不味い。こんな不味いものがこの世にあるなんてまだまだ世界は広いのかも…

「キシ君、どう?美味しい?うまい?デリシャス?ボーノ?」

期待に目を輝かせたフウが側で見つめている。とてもではないがくそ不味いとは言えない。言ったらなんか人でなしこの上ない気がする…キシは嗚咽を殺しながらその不味い豆を飲みこんだ。

「う、うん…なかなかイケるね…これなんて豆…?」

「グリーンピースっていうんだって!いい名前だよね。緑の平和でグリーンピース!俺達は船乗りだけどいつも心に緑と平和をって感じで!」

よく分からないこじつけと共にフウは喜んで回り出した。この隙に吐いてしまおうか…と思ったが招集がかかる。

次の航路の説明だろう…と思ったらなんと緊急事態発生とのことである。

「新しい航海士がどこにもいねえ…確かに昨日約束してくれたはずなんだが…すまないがお前ら手分けして船内探してくんねえか?」

沈痛な面持ちでキャプテンが全員にそう告げた。そして船内での捜索が始まったが…

「まさかとは思うがキャプテン、置いてきちまったんじゃあ…」

誰かがそう呟いき、船内がどよめく。

「そんなわけあるか!そんなわけ…」

しかし徐々にキャプテンは不安になり始める。そこでケイに向き直った。

「おいケイ、タニムラに出発の時間はちゃんと伝えたよな?船の場所も知ってるはずだし」

「俺ちゃんと伝えたぜ!正午の鐘が鳴った後に出発だって。鐘の音聞いた覚えねーけど船にいりゃ甲板の太陽時計で分かるからな」

「ねぇケイぃ…それってぇ…なんかの手違いで鐘が鳴らなかったらタニムラ時間知らずにいるんじゃないのぉ?」

レイアがその可能性を指摘すると、ケイはだんだんそんな気がしてきた。タニムラの運の悪さはと間の悪さは一級品だ。もしも鐘が壊れてたりしたら…

「戻った方がいい…かもな…」

そして船は前代未聞の逆戻りを始めた。

 

 

「えー…改めて紹介する。航海士のタニムラだ。みんなよきにはからってくれ」

結局船が再び航路につけたのは夕刻近くだった。てんやわんやでタニムラを拾い上げて遅れを取り戻すためにフル稼働して現在に至る。タニムラの紹介はなかなかにおざなりであった。皆疲労でそれどころではなかった。

「んっとにタニムラの奴お騒がせだぜ…先が思いやられる」

「とかなんとか言ってぇケイ、なんか兄貴風吹かせてないぃ?」

「んなことねーよ!あ、おいタニムラそれ触るな!それはな…!」

なんだかんだ文句言いながらもタニムラを気にかけているケイを見て、レイアはなんだか彼の知らなかった一面が見えて微笑ましい。案外ケイとタニムラはいいコンビなのかも…と思っているとケイがレイアの目の前に何かを差し出した。

「どうしたのぉこれぇ?」

それは綺麗な銀細工のブレスレットだった。

「ゴタゴタしてて渡すの忘れてたんだよ。レイアのために買った。気に入ってくれるといいけどな」

「僕にぃ?」

レイアはそれを受け取って腕に嵌めてみた。ピッタリのサイズだ。こじゃれててセンスがいいから着けているとなんだかいいことがありそうな気すらした。

「ありがとぉ。大事にするよぉ」

お礼を言うと、ケイは満足そうに照れ笑いをした。ちょうどそこにタニムラが通りかかって転倒した。

「あぁもぉ何やってんのぉ…何もないとこで転ばないでよぉ。あ、なんか落したよぉ」

タニムラの手から何かが外れて床に落ちている。それをケイが拾った。

そのケイの顔が見る間に怪訝なものになってゆく。

「おい、これ…」

ケイが手にとったそれをレイアも覗き見て、思わず自分の手からすり抜けたのかと思ったがそれはしっかりまだ手にはまっていた。

それは全く同じ銀のブレスレットだった。

「おい!なんでタニムラてめーがおんなじの持ってんだよ!?」

「え…それは今朝出発前に広場の蚤の市でなんとなく買ったんだけど…最後の一つだって言うしなんか気に入ったから旅立ちの記念品にと思って…」

「タニムラとお揃いぃ…?」

レイアがその手にはめたブレスレットを見ながら微妙そうな顔をする。

「え、一緒なんですか?」

ケイは見逃さなかった。タニムラがちょっと嬉しそうな顔をしたのを。そうすると猛烈に腹がたってきてレイアの腕からブレスレットをはがすと両方ともタニムラの腕にはめた。

「てめーとお揃いとか冗談じゃねえ!!これはてめーがはめてろ!!先輩からの就職祝いだありがたく受け取れ!!レイア、次の街で改めてもっとオシャレなブレスレット買ってやるからもうちょっとだけ待ってろよな!!」