海はいつも穏やかとは限らない。ひどいしけが襲うと舵が思うようにきかず、航路もそれてしまう。安全が最優先であるから船内の緊張感は増してくる。
「すげーなこの雨風…台風ってヤツだな…」
窓の外を荒れ狂う暴風雨を見ながら、キシが呟いた。
「予定では明日着くはずなんだろ?着くかなーこれ」
りんごをかじりながらカオルが呟く。その横でミズキが呆れ顔だ。
「カオル、また食糧庫からくすねてきたの?レイアに見つかったらおしおきされるよ?」
「そういえば、レイア君いないね。ゲンキとジンとケイ君も」
本を読みながらフウが呟いた。そういえば…とキシも気付く。
「4人でどっか行ったのかな…」
なんとなくキシは腰を上げて4人を探した。外が荒れ狂っているから操縦に携わる業務の船員以外は仕事も少ない。暇を持て余しているからそこいらの部屋で船員がチェスやルーレットなどで遊んでいる。どこにも4人の姿はなかった。
「うー…暑い。蒸すなー…」
湿気が上がってきて汗ばんできた。キシは汗っかきである。気になり始めるとどうにも身体がべたべたして気持ち悪くなってきた。シャワーを浴びようとシャワー室に足を向けた。
シャワー室はシンプルで、雨水を貯めて炊いたお湯が流れてくるシステムだ。この雨だからその水は豊富にある。使いたい放題だろう。そう思って脱衣室に入った時だった。
「あれ?ケイとジン、こんなとこにいたの。シャワー浴びるの?」
脱衣室にはジンとケイがいた。二人ともまだ服を着ている。が、シャワー室の窓の向こうを眺めているように見えた。もちろん、窓の向こうはシャワールームだ。
「なんか面白いもんでもあんの?」
「シッ!」
ジンが凄い速さでキシの口を塞ぎ、人差し指をたてる。一体何があるんだろう…キシはちらとその中を見た。
そこには、シャワーを浴びているレイアとゲンキがいる。湯煙で少しぼやけてはいるがなかなか艶めかしい姿だ…
「レイアあんなとこにちょうちょみたいな痣あんだなー…どこでついたんだろ…」
「ゲンキの奴、あそこにホクロあったのかー…そっか…」
ジンとケイは中の二人に魅入っている。なるほど、これはなかなか大胆な覗きだ。
とはいえキシもほんの少し(あくまで少し)興味があったから、もう少ししっかり見ようとすると後頭部とお尻に同時に衝撃が伝った。
「てめーキシ!やらしい目でレイアのこと見てんじゃねーこの変態が!!」
「おいおいキシ君よ。ゲンキのことそういう目で見んじゃねーよ。まー気持ちは分かるけどよ」
頭をジンに、お尻をケイにしばきあげられ、キシは涙目である。
なんだか納得がいかない。抗議しようとすると、シャワールームのドアがガラリと開いた。出て来たレイアとゲンキがきょとんとしている。大事なところにはしっかりとタオルが巻かれていた。
「何してんのぉ?ケイにジンにキシ。シャワー?」
「あ、そうそう!シャワー浴びに来たんだよあっちーからな!ジン!?」
「おう!汗を流して業務に精を出そうってな!キシ!?」
「…うんまあ…そんなところ…かな…」
頭とお尻をさすりながら、微妙な気持ちでキシが同意すると、通り過ぎようとしたゲンキがよろめく。
「おっと」
たまたま側にいたケイがそれを受け留めると、ケイとゲンキの顔が接近した。上気してほんのり赤みがかった頬のゲンキはなんだか色っぽい。ケイは思わずどきりとする。
だがその心臓は次の瞬間に違った方向に変拍子を打った。ケイがゲンキの色香にクラっときたのを敏感に察知してレイアが明らかにむくれている。服をひっつかむと物凄い勢いでドアを閉めて去って行った。
「あ、おいレイア…!」
「あーあ、完全に拗ねたな、あれは。おい、いつまで抱いてんだ早く離れろよ」
ジンがケイからゲンキをひっぺがす。
「なんなんだよ、俺は別に…レイアの奴神経質すぎね?まあそんだけ俺のこと…」
反省の色よりもむしろ変な自信をひけらかすケイに、キシが苦言を呈す。
「追いかけなくていいの?怒ってるんならちゃんと宥めとかないとそのうちレイアは他に目移りしちゃうかも」
「はぁ?ここで俺以外の奴に目移りなんかするわけねーだろアホか!レイアはヤキモチ妬きだからなー困ったなー」
「ハイハイ…」
「なんか…僕、悪いことしたかな…ゴメンねケイ」
着替えながらゲンキがケイに頭を下げる。いやいやいや、とジンが首を振った。
「ゲンキのせいじゃねーだろー。ま、ヤキモチとかは関係がまだまだだからこそ妬くもんであって、俺らなんかそういうのとは無縁だからな、ゲンキ?」
今度はジンが根拠のない自信を全面に押しだしてケイを諭し始める。ケイはふくれっ面でそれを聞いていたがキシはもうとっくにシャワー室に入っていた。
「レイア君どうしたの?なんか嫌なことでもあったの?」
「別にぃ。書庫の整理してくるぅ」
着替えると早々にレイアは書庫に向かった。特に整理を申しつけられているわけではないが、なんか一人になりたかった。どうにも気持ちがイライラして収まらない。
静かで暗い書庫にいれば少しは落ち着くかな…と思って来たのだが、先客がいた。レイアは強制的に苛立ちを抑えこまざるを得なくなった。作り笑いでごまかす。
「何してるんですかぁ?」
「ん、ああ…」
書庫には航海士が難しい顔をしながら分厚い本とにらめっこしていた。彼はガラガラにしわがれた声で答えた。
「この天気だろう。航路を大幅に反れとるかもしれんから海図と照らし合わせてどう修正していくかと検討しとった。こういった例も海では少なくないからな。できるだけロスを減らさんとせっかくの商品が腐ってしまうし燃料も無駄に食う…それでは商売にならんからな」
「へえ…」
感心していると、航海士は激しく咳込み始める。埃っぽい書庫にいたのもあるが、彼はもうかなりの年なのだ。正確な年齢は知らないが、頭髪は完全に真っ白だし皺と痩せこけた身体には衰えが見える。話によると、キャプテンがカミセブン号の下っ端船員だった頃から知っているらしい。
「大丈夫ですかぁ?」
「すまんな。もう無理がきかん…早々に航路の修正案をキャプテンに告げて休むとするか」
「お大事にぃ」
レイアはまだ下働きだから大事な話には参加できない。そもそも、航海士にはかなり深い知識が必要だから、学校に通っていないレイアには彼らの仕事の補助はできないのだ。船の動力や機関、羅針盤を読んだり気象や海図を読み込むなどの膨大な知識のいる仕事だ。
もし、航海士が倒れたら船は大打撃である。難破の可能性も高くなってしまうし海の上で迷子になるのと同じだ。
航海士の健康を案じながら梯子に昇って本の整理と掃除をしていると、扉が開く。
「あん?レイア何してんのお前」
入ってきたのはジンだった。
「書庫の整理と掃除だよぉ。ジンこそ何しに来たのぉ?一番似合わない場所だけどぉ」
「俺はなんか面白い本でもねーかなーと思って来たんだよ。それよりケイが探してたぞ。お前さっきむくれて飛び出して行ったもんだから」
抑えかけてたイライラがまた立ち込め始める。ケイのデレかけた顔を思い出すとどうにも気持ちがささくれだった。
「別にケイなんかどうでもいいよぉ。今頃ゲンキと仲良くしてるだろうからぁ」
「お前可愛くねーなー。そういうヤキモチって男は煩わしく思うもんだぞ。もっとどっしり構えてろよ」
「ヤキモチとかじゃないからぁ」
「そうやって拗ねてんのが証拠だろ。ゲンキなんかはそんな下らねえヤキモチ妬かねえよ。俺が他の奴に目もくれないのちゃんと分かってるからな」
なんか知らないが自信満々だ。しかしながらレイアはこれ以上言い合っても自分の気持ちがさらにざらつくだけだから会話を放棄して整理に努めようとした。
「きゃ」
そこで、船が大きく揺れる。大波に乗りあげたか狂風の影響か。バランスを崩してレイアは梯子から落ちた。
「うわ…!」
ちょうど真下にいたジンにレイアは覆いかぶさってしまった。クッションになってくれたおかげで衝撃は少なかったがしかし…
「ねえジン、何か面白い本あった?」
「なーレイアどこ行っ…」
ちょうどそこにゲンキとケイが入ってくる。それを認識する前にレイアはほっぺたにジンの顔がくっついているのを自覚した。
「ジン…何を…!?」
起きあがると、驚愕の表情のゲンキとケイが視界に映る。ジンは「いってー」と呟いた後、ほっぺたを擦る。
「おいレイア、いくら俺がいい男でもいきなりのっかかってくんなよ…まあちょっとほっぺた気持ち良かったけどよ。あれ、おいゲンキどうした?」
ジンが声をかけたが、ゲンキはわなわなと震えている。なんか背後でゴゴゴゴゴゴと轟音が轟いたがこれも台風の影響だろうか…とぼんやりと思っているとゲンキが泣き喚きながらジンにそこいらの本を投げ付け始めた。
「信じられないよジン!!ちょっと可愛い子だからってそうやって君は次々と手出して僕の気持ちなんかおかまいなしにデレデレして…!!もういいよ!!誰も信じないから!!この好色一代男!!色情狂!!節操なし!!すけこまし!!!一生呪ってやるからあああああああ!!!!!!!!」
「おいゲンキ、待てって!!違うって!!落ち着けって!!いてーよいいから俺の話を聞…ぶっ!!」
顔面に分厚い図鑑がヒットしてジンは蹲った。しかしゲンキの癇癪は収まらない。
「どうせ僕なんか明日には捨てられるんでしょ!!他に可愛い子がいたらもう用なしなんだ!!これはいじめだ!!うぇ…」
顔を覆ってゲンキは泣き崩れ始める。そうなるとなんだなんだと人が集まってくる。大騒ぎになり、船の内外に嵐が吹き荒れた。
どうにか嵐が収まったのはその夜のことであった。
「…ごめんねジン…取り乱しちゃって…僕はてっきり…」
ジンの顔の真ん中にできた大きな擦り傷の治療をしながらゲンキがしおらしく謝る。その横でレイアがくすくす笑っていた。
「ジンお気の毒ぅ。ヤキモチって怖いねぇ」
「くそ…」
決まり悪そうなジンとすっかり機嫌を直したレイアを可笑しそうにキシとフウは見る。
「なんかよく分かんないけど機嫌が直って良かったね。レイア君」
「外の嵐も収まったみたいだし、明日の夕方には陸地に着くって。楽しみだなー」
しかしキシの期待とは裏腹に、次の日の朝食でキャプテンが悲痛な表情でクルー全員に説明をする。
「航海士の爺さんが今朝倒れた。今船医が診てるがちょっと厳しい状態だ。なんとか航路だけは変更せずに済んでるが陸地に着くまで油断ができねえ。お前らにもちょっとしんどい思いさせちまうが…」
「そんなに悪いんすか?あの爺さん?」
誰かが訊ねた。キャプテンはゆっくりと頷く。
「ああ、もう年だからな…長い航海に耐えられる体力がもうないのかもな。静養が必要だろうから次の陸地で航海士を募集しようと思う。爺さんに何かあっても代わりがきくように」
「見つからなかったら…?」
「そん時は俺と他のクルーで手分けして航路の組み立てをする。だが見つかるまで粘った方が無難かもな。何せ俺達にゃ専門的知識が乏しい。経験だけじゃどうにもならねえこともあるからな」
少し重い空気が漂い始めた。大きくて豊かな船なら航海士は2~3人いるのだろうが生憎カミセブン号には一人だけだ。その分負担も大きい。そしてひとたびその航海士に何かあると船は動かせなくなるかもしれないのだ。
「航海士かあ…こればっかりは俺達が頑張ってもどうにもならないからなあ」
「でもカオル、知識増やすのは無駄じゃないよ。いざという時に役立つし」
「そうかもしれないけどミズキ、所詮俺達学校行ってないもんよ。本で得られる知識なんてたかが知れてるしよ」
「それでもやらないよりましだよ。僕達の代わりはいくらでもきくけど航海士さんや操縦士、船医なんかは専門職だからどうにもならないよね…」
ゲンキの呟きに、皆がうんうんと頷いた。
「いい航海士さん見つかるといいねぇ…」
すっかり穏やかになった外の海を見つめながら、レイアがそう呟いた。