「ミズキ大丈夫かな…やっぱり俺も行って…」

「待てカオル。お前じゃ体重オーバーだったんだし行ってもどうにもならない。ミズキを信じよう」

「けど、キシ…」

脱出口である井戸にミズキが降りて行ったのはちょうど三時間前。上手くいけばそろそろレイアがゲンキと共に地下水路を伝ってこの下に来るはずだ。

だが問題が幾つかあった。まず引きあげるための装置が意外と脆くなっており、ミズキの体重でギリギリ耐えられるくらいだった。

そしてジンの記憶によると地下水路は元々人が通ることを想定していないため、途中ひどく狭くなる。ジンは屋敷に来て2年経ったころ屋敷の井戸からこの地下水路を辿ってみたがその頃のジンでようやく通り抜けられるくらいのスペースだったから今は無理だろう。

案内役はミズキしかできそうにない。ランプの光がなくてはとてもではないが初めての人間が通り抜けるのは難しい。

もちろん、長い時間地下水路にいればどんなことが起きるかも分からないから戻ってくるのが遅ければキシかフウがロープで降りるつもりであった。

カオルが不安でソワソワしだした頃、朗報が上がった。

「来た!!」

ミズキに持たせた発火装置が上がり、井戸を照らした。これはミズキがレイアとゲンキを連れて来た、という合図である。今彼らは井戸の真下にいる。

「よっしゃ!!!後は引きあげるだけ…」

ケイが腕まくりをすると、望遠鏡を覗いていたフウが何かの異変に気付いた。

「なんか御屋敷の方が騒がしくなってるみたいだよ。衛兵がたくさん出てきて走り回ってる!」

「もうばれちまったのかもしれねえな…早く引きあげねえと…!!」

ジンが唇を噛んだ。待ち時間に井戸の装置を補強したが引きあげるのは一人ずつが限界だ。急がなくてはここが見つかってしまったらおしまいだ。

「頼む…こっちには来るなよ…!」

発火剤を落下させて返事をする。あとはミズキが手順を説明してくれているはずだ。

また発火剤が上がった。準備ができたという合図だ。せーのでジンとキシとケイが引きあげる。カオルとフウは周辺の見張りだ。

「ありがとうみんな!レイアとゲンキが来たよ!俺は最後でいいって言ったけど先に行きなって…」

まずあがってきたのはミズキだった。カオルが安堵したようにミズキを見て笑顔を向けた。

「よしもう一度合図だ。降ろすぞ」

「頼むぞ…まだ来るなよ…」

引きあげのための板を降ろす。合図が上がる。そして引きあげる。たった三回だが切羽詰まっているだけに一回がひどく長くもどかしく感じる。三人とも渾身の力をこめて引きあげた。

「ありがとぉ!早くゲンキを…」

次はレイアだった。抱きしめようとするケイを制してレイアは引きあげ作業に加わる。

「ゲンキが先行ってってぇ。可愛い顔してるけどやっぱり男の子だねぇ」

「おおよ。あいつナヨナヨしてるように見えっけどけっこう芯はつええぞ」

ジンが誇らしげに答えたと同時に、思いもよらぬ展開が訪れた。

「貴様ら!そこで何を…ジン…!?お前…!!」

振り向くとそこには衛兵が3人いた。ジンの姿を確認すると事態を察知したのか腰に挿していたサーベルを抜いた。

「うっそだろ!なんでもうちょっと待てねえんだよこいつら…!あと少しなのに…!」

ケイが吐き捨てる。だが事態はかなり深刻だ。一人ならまだしも武器を持った大人が3人…下手に抵抗すれば怪我では済まないかもしれない。

「おい、お前ら頼む…俺が死んでもこいつら食い止めめるから急いでゲンキ引きあげて逃げてくれ。頼む…!!」

ジンがそう言ってふらつく足で前に一歩出た。

だがそれをレイアがたしなめる。

「バカじゃないのぉジン!ジンがいなかったらゲンキは助かっても喜びやしないよぉ!」

「レイアの言う通りだ。俺達がこいつらなんとしてでも食い止めるからお前は死ぬ気で一人でゲンキ引きあげて逃げてくれ。怪我してるのに酷だけどな」

キシの言葉にいつの間にか、見張りをしていたフウとカオル、そしてミズキも集まって頷く。6対3。二人がかりで飛びかかれば…

「アホかよお前らこそ!向こうはサーベル持ってんだぞ!刺されたらどうすんだ!そんなことまでさせらんねえよ!」

「おいジン。アホなのは百も承知だ。けどやるしかねえんだよこの状況だと。いくらアホの俺でもそんくらい分からあ」

ケイが衛兵を睨みつけながら言った。だがジンはそれでも躊躇いを見せる。

説得している暇は与えてくれない。そのうちに衛兵の一人はレイアに気付いた。

「あれは確か執事長の言ってた新しい踊り子…!?」

「そんなバカな。だとしたら屋敷の外にいるはずが…」

「いや…間違いない。昨日の朝、俺が屋敷の中に案内させられた。間違いなくあいつは新しい踊り子だ」

また衛兵達の雰囲気が変わる。レイアが逃げたことはまだ知らされていないようだった。恐らく先に知れ渡ったのはゲンキの逃亡だろう。

サーベルが街灯に照らされてぎらりと光る。あれに刺されたらさぞかし痛いだろうな…とフウが思ったその瞬間、彼の眼はそれを捉えた。

「あ!!」

言うが早いか、三人の衛兵は地に伏した。その後ろから現れたのは…

「キャプテン!!」

「どうにか間に合ったか…危ないところだったな」

キャプテンと、腕っぷし自慢の船員二人がそこにおり、後ろから不意打ちで衛兵を気絶させた。まさに間一髪だ。ケイ達にはキャプテンが正義のヒーローのように見えた。

「キャプテン、来てくれたのかよ!?今日は忙しいって言ってたのに…」

ケイが問うとキャプテンはニっと笑って白い歯を見せた後、真剣な表情になった。

「たった今終わった。おっと、そんなこと言ってる余裕はねえ。早く残りの一人を引きあげてやろう。また来られると厄介だ」

「はい!」

ゲンキを引きあげると、ジンは今にも泣き出しそうな顔で彼を見る。

「ゲンキ…」

「ジン…!」

「感動の再会は後だ。こっちに来い、馬車に乗るぞ」

キャプテンに急かされて、ジンもゲンキも、レイアもケイもフウもキシもカオルもミズキも皆路地に停めてあった馬車に乗り込んだ。

「定員オーバーだが仕方ねえ。港までは持ってくれるだろう」

馬車の中はぎゅうぎゅうだった。しかも飛ばしているから揺れがひどくて早くもキシが酔い始める。

「キャプテン、この馬車どうしたのぉ?」

レイアが問うと、キャプテンはさらりと答えた。

「レンタルしたんだ。もっとも、返しに行ってる暇はなさそうだから買い上げだがな」

「え!?でもキャプテン、うちの財政事情で馬車なんか買えるのかよ!ただでさえここでの商売ができなくて厳しいっつってたのに…!」

ケイが驚いて大声でそう言うと、キャプテンは彼の頭を小突く。

「お前はアホのくせにそんなこと気にすんな。クルーを一人失うことに比べれば安いもんだ」

「キャプテン…」

皆がうるうると感動と尊敬の眼差しでキャプテンを見る中、馬車は港に着く。全員降りたのを確認してキャプテンはジンとゲンキに向き直った。

「悪いがお前さん達を安全な場所に連れて行くだけの余裕は俺達にはない。だけどこの国にいたらすぐにでも捕まってしまうだろうから…とりあえず俺達の船に乗れ」

ゲンキとジンは顔を見合わせた。二人でその意志を確認するとキャプテンに頭を下げる。

「はい!よろしくお願いします!」

 

 

 

「よし、碇上げろ!カミセブン号、しゅっぱーつ!!」

船は再び大海を泳ぎ始める。夜中のうちに出航したカミセブン号は翌朝穏やかな海を泳いでいた。

朝陽と潮の匂い、カモメの囀りや波音をひどく懐かしく感じながらレイアは甲板で深呼吸をした。青空と海の青が目に染みわたる。

「はぁ…大冒険だったぁ…」

「ほんと、戻ってこれて良かったねレイア君」

「ありがとフウ。ほんとにねぇ、お化けみたいだったんだよぉ。ズゴゴゴゴゴゴって笑うのぉ。思い出しても身の毛がよだつぅ。あんなのの相手できるなんてほんとゲンキ、凄いよぉ尊敬するぅ」

恐怖体験をレイアが語ると、ゲンキが苦笑した。

「僕だって最初は嫌で嫌で嫌で嫌で…(中略)高熱でうなされる日が続いたんだよ。でも少しずつ意識を飛ばす術を覚えて…。それに、それ以外は天国みたいな生活だったからまだもってたんだ」

「そうなんだよねぇ」

呟きながら、うっとりとレイアは手を乙女組みした。

「たった数時間しかいなかったけどぉ…お姫様みたいな豪華な部屋に見たこともない美味しい食べ物が運ばれてきたんだよぉ。なんかねぇ、王様になった気分だったぁ。僕も王様の家に生まれてたらこんな暮らしできてたのかなぁってぇ」

レイアとゲンキはきゃぴきゃぴと話している。それを横に聞きながら、ジンとキシ、そしてケイはお茶をすすっている。

「そんなすげえバケモンなのかよ、ジン」

「バケモンなんてもんじゃねぇよ。一度見たら暫く夢に見るぜ。俺も最初見た時は色々衝撃的すぎてその前後の記憶ねーしな」

「ううん…でもそんなバケモノでも金持ちの家に生まれたら美少年を好きにできるのかぁ…なんか世の中不公平だなー…あ、でもある意味公平なのかなこれ。醜い容姿と引き換えにっていう」

キシが零すとジンは大笑いする。

「キシって面白いな!なんか初めて会った時に首飾り取り合いになってチラっと思ったんだけど趣味とか合いそうだな」

「いやいやジン君、ここでは俺の方が先輩だし年上だしキシじゃなくてキシ君とお呼びなさい」

「んじゃキシは俺のことはケイ君って呼んでもらわねーといけねーな。あ、でも気色悪いからやっぱいいわ」

皆で笑っていると、チーズを手にしたカオルがマストの上のミズキを呼ぶ。

「なーミズキ、次の国見える~?」

「そんなすぐ見えないよ。見えるのは海だけ」

「いいな~俺もマスト昇ってみてー」

「おめーは落っこちるだけだからやめとけカオル!ギャハハハハハ!」

「うっせーな俺はこう見えてもけっこう身軽なんだよ!バカにすんな!そっちこそ隠れ運動音痴の癖に!ぶら下がりだけじゃねーか得意なのは」

「あぁ!?んだとコラ!」

カオルとケイが低次元の争いを繰り広げるのを、レイアとキシは呆れ顔で見る。だがゲンキは何故か微笑ましそうな顔をしている。

「いいなあ…楽しそうで。僕には今までジン以外に友達と呼べる存在がいなかったから…」

羨ましそうにゲンキがそう呟くと、さっきまで大笑いしていたジンは急に神妙な面持ちになる。何かを考えこんでいるようで遠くの海に視線を向けた。

「そういやジンとゲンキ、これからどうするの?こんな形で出て来たから手持ちも何もないだろうし…あてとかあるの?ジンは親がいるんだっけ」

キシが訊ねると、ジンとゲンキは黙りこむ。だがややあって、ジンが口を開いた。

「そのことなんだけどよ…」

ジンは真剣な表情で皆の方を向いた。

「俺達もこの船で雇ってくんないか、キャプテンにお願いしようと思ってな。厚かましいのは百も承知だし、俺達を乗せてたらもしかしたらどこかであいつらに知られたらまた迷惑かけちまうとも思ったんだけど、恩返しもしてえしさ。な、ゲンキ?」

「うん。どんなことでもするよ。僕は何をやってもダメだけど…努力する。恩も返さなきゃいけないし、今度こそ自分の居場所を作るために」

「てなわけで二人でキャプテンのとこ行ってくる。まあもしダメだったとしてもお前らは恩人であることに変わりねえから、長い人生の中でどっかで恩は返すぜ」

ジンはゲンキを連れて船長室に向かって行った。

カモメが囀っている。穏やかな波が船を揺らしていた。

何故か、6人にはもうキャプテンがどう答えるかが分かっていた。確信と言ってもいい。その証拠に、30分後に甲板に戻ってきたジンとゲンキの表情は明るく、希望に満ちていた。

どうだった?とは誰も訊かなかった。代わりにケイがジンとゲンキに向かって笑顔を見せながらこう言う。

「てめーらまずは船酔いとの戦いだぞ。キシなんかな、未だに酔いやがるからな。一人前になるのはそれからだぜ!」

心外な、という表情を見せながらキシが慌てて前に出た。

「俺はもう船酔いは克服したからね。キシ先輩になんでも訊きなさい!どんと頼っていいんだよ!」

マストからミズキが降りてくる。にっこり笑って両手を広げた。

「海は広くて面白いよ!クジラとか見れたりするし。あとでマストの昇り方教えてあげる」

そのミズキの肩を抱きながら、カオルが得意げに鼻の下を人差し指で擦った。

「ミズキは俺の嫁になる予定だからな!まずはそこんとこしっかり頭に叩きこめよ新人」

その発言に、皆がやれやれと呆れる中、一人だけ純粋に信じるフウが言った。

「そうだったんだ。ミズキはカオルのヨメになるんだね!二人ともよろしくね。お近づきの印に回ろうか?」

フウのヘッドスピンにジンとゲンキが目を丸くする横で、レイアがまず、ジンに言った。

「約束通り、100倍の恩返し期待してるからねぇジン」

「え、俺んなこと言ったっけ?」

そらとぼけようとするジンから視線をゲンキに移し、レイアはゲンキの手を握る。

「よろしくねぇゲンキ。お互いどうしようもない相方がいて大変だけど頑張ろうねぇ」

「うん。よろしく。僕もレイアみたいに強くなるよ」

微笑むゲンキに、レイアは言った。

「ゲンキは強いよぉ。井戸の底で僕に先に行ってって背中押すとこなんか男前すぎて惚れそうになっちゃったよぉ」

「おいレイア、なんか今聞き捨てならねーこと言わなかったか?」

「ん、別にぃ。ケイの空耳じゃないのぉ?」

じゃれあっていると、招集の号が鳴る。次の航路の説明だろう。

「さ、行かなきゃ。次はどんな国だろうね、ワクワクするね!」

フウのピュアな瞳に空が映る。皆は頷いて、船室に戻った。