「大丈夫かな、レイア…いきなりひでーことされてねーかな…」

「落ちつけよケイ。信じて待とうよ」

心配で落ち着かないケイをキシとフウが宥める。ジンはただ一点を見つめていた。屋敷の方だ。

「ゲンキ…」

切なさいっぱいの囁き声でジンはゲンキの名を呟く。彼もまた、ゲンキの身を案じている。

不安に押し潰されそうになるのを、食料を持ってやってきたカオルが和ませてくれた。

「お前らとりあえず食えよ!腹減ってるとロクでもないこと考えがちだからな。衣食足りて礼節を知る、ってどっかの国の格言にもあったろ?」

「なんか意味が違うような気がするけど…いただきます。食っとかないといざという時に動けないからね」

キシがありがたくカオルの持ってきたパンやチーズを手渡す。それを口にしながら、計画の復習をした。

「とにかく、レイアに手渡した鉄ノコで鉄格子さえ切れれば二人の力で押し曲げることは充分できる。問題はその後…」

「石壁の周りは多分警備の衛兵がいる。俺達が逃げ出した後は緩みがちな夜間もきっちり人を配置するようになってるだろうな。周りをウロウロしてるだろうから石壁を超えて逃げることはできないと思ってた方がいい」

チーズをかじりながら、相変わらず視線は屋敷に向けたままでジンが説明する。

「だから別の経路で壁の外に出るしかねえ。イチかバチかだけど…使われなくなった井戸が屋敷の庭の端にあんだ。そこから地下水路を伝って…」

「この井戸に通じてるんだよね?」

フウが側にあった枯井戸を指差す。

「枯れ上がったから水に邪魔されることなく伝ってこれれば…」

「ああ。二人を引き揚げれば脱出成功だ」

「だけどもし、何らかの形で見つかったり、失敗したりすれば二人が危ない。だから二日経って二人が戻って来なければキャプテン達が殴り込みをかけるって言ってくれたしね」

「できればそうならねえことを願うぜ。お前らのキャプテンがすげえ人だってのは俺にも分かるけど…俺もあそこに5年いたから分かる。あそこの家はな、とにかく財力がハンパねえ。王も政府も頭が上がらねえみたいだからおいそれと手は出せねえんだよ。だからあんな悪趣味な真似ができるんだけどよ」

「そんなに…!?」

キシがパンを口いっぱいに頬張りながら目を丸めると、喉にひっかかって咽た。

「けどまあだからこそあそこにゃ見た目ほど多くの人間はいねえ。誰も恐れて手を出さねえからな。俺みたいな雑用係や小間使いが何人かと厨房、それと警備に当たってる衛兵とメイドと執事。そんで踊り子連中ぐらいだ。軍隊がいるわけじゃねえからな」

「そっか…それでも心配なことには変わりねえ。レイア、頼むから無事でいろよ…!」

ケイは天を仰ぐ。それは今の自分達の心境を映したかのような重苦しい鉛色だった。

 

 

夜になるとレイアはランプシェードを持って階段を降りる。飲みこまれそうな闇が広がっている。こんなところに閉じ込められたら一晩で精神がやられそうである。一刻も早くゲンキを助け出さねば…レイアは階段を下りながら鉄ノコを持つ手に力をこめた。

暗い廊下を足音をたてずに進む。地下牢は全部で4部屋あったがゲンキは3番目の部屋に入れられていた。近づくと金属が擦れ合う音がわずかに響いてきた。

「ゲンキ」

灯りを向けると、ゲンキはほっとしたような表情を見せた。見ると、彼の手には包帯のようなものが巻きつけられていた。今朝会った時はなかったと思うのだが…

「服を少し切って手に巻いたんだ。そしたら痛みが和らいで捗るんだよ。暗くなる前に気付けて良かった」

揺らめく灯りに照らされて、ゲンキの姿が映し出される。髪は濡れ、衣服も同様に濡れている。すぐにレイアは気付いた。汗だ。鉄棒は5分の1ほど切れ込みが入っていることから察するに恐らくゲンキはずっと休むことなく手を動かしていたのだろう。

「なるほどぉ。じゃあ僕もそうしよぉ」

二人で一心不乱に鉄ノコを曳く。その音だけが暗闇に谺し、揺らめく灯りは二人の必死の形相を頼りなく映し出していた。

「ゴメンね、僕達のために危険な目にあわせてこんなことまでさせて…」

手は止めず、ゲンキがそう詫びてくる。

「ううん。いいんだよぉ。お礼は助かった後にたくさんしてもらってかまわないからぁ」

レイアがそう答えると、ゲンキは吹きだした。そしてしみじみと彼は呟く。

「…すごい久しぶりに笑った気がする…。ここに閉じ込められた時はもう二度と笑える日は来ないって思ったけど…」

「ここから出たら、声あげて笑おうねぇ」

「うん。絶対に出るよ」

最初こそ手間取ったがノコが切れ込みにすっぽり収まると作業は格段に楽になった。何時間もひたすら曳いた甲斐あり、鉄格子が細かったのも幸いしてランプの火がそろそろ限界に近づいた頃にそれは貫通した。

歓声をあげたいのをこらえて、レイアとゲンキはその鉄棒を力を合わせて曲げようと試みる。これができないともう一回同じ作業をして鉄棒を切らなければいけない。そんな時間的余裕はないし見つかってしまったらおしまいだ。。祈るような気持ちだった。

「お願い…!!」

渾身の力を込めて鉄棒をレイアは押し、ゲンキは引く。

「…!!!」

手ごたえがあった。いけそうだ。何度か「せーの」で力を加えるとそれは少しずつ少しずつ折れ曲がっていく。そうしてどうにかゲンキが通り抜けられるほどのスペースを作った。

「やった…!」

喜ぶ暇もなく、ランプを持って階段を上がる。ここからはゲンキの出番だ。

「裏庭の井戸を通るには衛兵の詰め所を通らないといけない…こんな時間に人が動いてるのが見つかったら危ないかも。遠回りだけどこっちから行こう」

「うん。あ、ちょっと待ってぇ」

レイアはノコでまた服の端を切った。鉄ノコの他にもう一つ、麻製のロープをそこに仕込んであった。

「何かの役に立ちそうだからってキャプテンが持たせてくれたのぉ。行こぉ、案内は頼んだよぉ」

「任せて。こっち」

ゲンキの先導で、屋敷の外をぐるりと周り、慎重な足取りでレイアとゲンキは進む。暗くて分かりにくいが、迷っている暇はない。できるだけ物音もたてないようにしなければならなかったからかなり神経を遣った。二人とも裸足だったから足の裏がじんじんと痛むがそんなことは嘆いていられない。

「待って。誰かいる」

ゲンキが立ち止まる。確かに、靴音のような音が微かに聞こえる。それはこっちへ向かってくるようだった。

レイアとゲンキは物陰に隠れた。思った通り、見周りの衛兵が歩いてくる。外だけでなく中にも警備を配置していることからも、決して油断ができないことを思い知らされた。見つかれば終わり。失敗は許されないのだ。

「もう大丈夫かなぁ…行こぉ」

「うん。もうすぐだから…ここから先は衛兵も来ないはず」

だが予想外に慌ただしい雰囲気が漂い始めた。誰かが叫んでいるし、どこかでばたばたと走り回る音も聞こえる。

「ゲンキが牢にいないのがバレちゃったのかもぉ…それとも僕が部屋にいないことが…?」

「そうかもしれない。地下牢には食事を運びに来る以外に執事長が時々僕の様子を見に来ることもあるし、踊り子が急にあの息子に呼ばれることもあるから…」

「一刻の猶予もないねぇ。早く行かなきゃ逃げたことがバレたから屋敷の外の広い範囲にまで衛兵が探しに回るかもぉ」

「うん。行こう」

細心の注意をはらって、どうにかレイアはゲンキと共に古井戸に辿り着いた。だが…

「やっぱり…」

使われていないその井戸には降りる手段がなかった。水を汲むための桶もそれを上げ下げする装置もなくなってるのである。

だががっかりしている暇はない。レイアがロープを握りしめた。

「そこの木にこれを引っかけて降りるんだよぉ。キャプテンありがとぉ役に立ったよぉ」

「けど、そしたら辿って来られるよ」

「だから輪にしてひっかけるんだよぉ。降りたら鉄ノコで切って回収すればいいんだよぉ」

「深さ、どれくらいかな…足りるかな…」

井戸の底は真っ暗で見えない。だが水を汲み上げるために造られたのだからそう深いとも思えない。

「迷ってる時間ないよぉ。行こぉ」

レイアがロープを木に引っかけて端を結んで輪を作った。ゲンキは頷いてその細いロープを頼りに井戸に飛び込む。

ロープはやはり途中で長さが足りず、尽きた。レイアがイチかバチかそれを切って後は落下するだけにした。これで深さが相当なものだったら二人とも負傷してしまいかねないがもうそうするよりほかはない。祈るような気持ちでレイアはロープを切る。

「神様ぁ…!」

そう発した途端、思いがけないほどすぐにすとん、とその足が湿った土の感触をキャッチした。どうやらほんの少し長さが足りなかっただけだったらしい。レイアとゲンキは二人で深い安堵の溜息を暗闇の中でついた。

「ここからどう行けばいいのか…僕にも分からない…灯りはないし…」

ゲンキとレイアはお互いの手を強く握った。暗闇の中でただ一つ奮い立たせてくれるお互いの存在の有難味を確かめるために。

「大丈夫だよぉゲンキ…ジンの奴、やる気なさそうに見えてほんとにこんなところまでしっかり記憶してるみたいなんだぁ。…あった!」

レイアはジンが説明してくれた通りに手さぐりでその位置を確認し、進む。枯れ上がっているかと思われたが深い地下でわずかに蓄えられた水が足を濡らす。

地下水路の先にぼんやりとした灯りが浮かぶのが見えてきたのはもうほとんどほふく前進しかできない低さにまで道が狭まっていた頃だった。

「あれは…?」

「僕達の仲間だよぉ。一番ちっちゃいけど一番頼りになる子かもぉ」

水路の先に、ランプを抱えたミズキがしゃがんで待っていた。

「ミズキぃ」

レイアが名前を呼ぶと、灯りに照らされたミズキの表情がぱっと明るくなり、彼は駆け寄ってきた。