「ふわぁ…」

大きな吹きぬけのホール、美しい刺繍が施された絨毯、どでかいシャンデリアに大理石の象…見たこともない豪華な屋敷に、レイアは目を回しそうになる。これだけで怖気づいてしまいそうだった。

「こちらです」

衛兵に案内されて歩くこと数分、どうやら目的の部屋に着いたようだった。

やたらと煌びやかな装飾が施された巨大なドアが何かの合図で開く。殊更もったいつけてゆっくりと開くとその中もまばゆいばかりの金ぴかの装飾品だらけである。だけどいくら高価でもこんなに乱雑に、無造作に置いたらその価値が台無しだ。それより何よりこんなに光りものに囲まれて目が痛くならないのだろうか…と不思議に思いつつレイアは促された通りに部屋の中に足を踏み入れた。

「ぼっちゃま、先ほどお話しました、新入りの踊り子レイアでございます」

後ろを歩いていた執事長が背後で丁寧な口調でレイアの紹介をするとどこかで獣のような鳴き声が小さく響いた。豚か猪でも室内で飼っているのかなぁ…なんてぼんやり思っていると不意打ちでそれが眼前に現れた。

「…ほおぉ…こりゃァ可愛いなァ…」

「…」

レイアは昔、これと似たようなものを絵本で見たことがある。確かそれは人の指ほどの大きさになったお姫様が結婚させられそうになる巨大蛙の化け物…無論、そんなものがこの世に存在しないことは知っている。これは精巧に作られた作り物だろう。なるほど、悪趣味だ。

しかしその蛙の化け物の剥製は動いてしかも喋った。どこまでリアリティを追求したのだろう。確かにこれは高価そうではある。すごい技術だ。

「色が白くて…お目目が可愛くて…細くてしなやかで…舐めてあげたいなァ…」

どうでもいいけど、早くそのぼっちゃんとやらを出せよぉ気持ち悪い剥製で気分が悪くなってきたよぉ…とレイアが辟易していると執事長の男がその化け物にかしこまる。

「お気に召していただけましたか、ぼっちゃま?」

へぇ、この化け物の作りもの、ボッチャマって名前なんだぁ変なのぉ…と白けていると化け物のざらざらの黒い手がレイアの頬に触れた。

「すべすべだなァ…こんなに綺麗な肌の子はここにもいないぞォ…」

「そうでございましょう。思う存分スリスリしてふにふにして舐め舐めして堪能して下さいませ、ぼっちゃま」

スリスリ?ふにふに?舐め舐め?ていうかこの化け物の作りもの、この執事長の言うことに実に良く対応するプログラミングされてるよぉ…一体どういう仕掛け…

「って違うよぉ!!いい加減気付けよぉ僕ぅ!!まさか…この化け物がぼっちゃん…!?」

全身が泡立った。化け物(の作りもの)だとばかり思っていたけどこれ人間?

もしかしてこれは昔お伽噺で見た「悪い魔法使いに醜い化け物に変身させられたイケメン王子様」ってヤツぅ?だとしたら全力で魔法解かなきゃ…あぁでも僕魔法なんか使えないよぉ…ていうか逆に奇跡じゃないこれぇ?いったいどんな遺伝子組み合わせたらこんなのが出来あがんだよぉ親の顔見てみたいよぉぼっちゃんなんて言われてるけどこいつ幾つ?年齢とか性別とかそんな概念超えちゃってるしぃ…。こんなおぞましい人間がこの世にいるなんて世界七不思議のひとつだよぉ神様はなんて産物をこの世に生みだしたのぉありえないありえないありえないありえ(以下エコー)

「…」

レイアは失神寸前だった。ダメ。これはダメなやつ。今までの人生たいがい汚いオッサンにも愛想笑いで対応してきたしセクハラにも耐えてきたけどこれは常軌を逸してるよぉ。我慢の範囲を軽くオーバーしてるよぉ。無理無理無理無理カタツムリ…

「んん?どうしたァ…?」

いや…待ってぇレイア。人を見た目で判断してはいけないって昔お世話になった家の人が言ってたよぉ。こう見えてこの化け物…じゃなかったぼっちゃんは案外いい人なのかもぉ…

「メイド服なんか着せたらいいなァ…それとももっと恥ずかしい格好の方がいいかなァ…全裸に靴だけってのもいいなァ…」

涎を垂らし、舌なめずりをしながら化け物はのたまった。

「…」

ダメだよぉコイツ筋金入りの真性の変態ってヤツだよぉ人柄云々の問題じゃないよぉ即刻この世から消し去りたいよぉ

「ぼっちゃま、初めてこんな豪華な御屋敷に来たので驚いているのでしょう。明日から踊りの稽古に励んでもらわねばなりません。まずは部屋を与えてここの暮らしに慣れてもらおうと思いますので顔見せはこれで…」

「ううん…楽しみにしているぞォ…」

ズゴゴゴゴゴゴ…と何かが低く轟く。それは化け物…もといぼっちゃんの笑い声だった。最初に響いてきた獣の鳴き声はこいつの笑い声だったのかもしれない…と今更ながらにレイアは思い至った。

気を遠くに飛ばしていると、いつの間にか廊下に出ていた。

「すぐに慣れる。それより決して粗相のないようにするのだぞ。ちゃんと利口にふるまっていればなんでも望みのものをぼっちゃんは与えてくれる。ここでの生活は今までのそれとは比べ物にならぬ程満たされたものになるだろう」

一生かかっても慣れそうにないし、どんなもの与えられてもあれの相手は嫌だ。レイアはここにいる踊り子の少年達を尊敬した。あれに耐えるなんて僕にはできっこないよぉ

「入りなさい」

しかしながら通された部屋はお姫様が住むような豪華な部屋で、一瞬だけ恐怖を忘れさせてくれた。なるほど、貧しい暮らしの子たちなら化け物にいじくられるのさえ我慢すればそれ以外は天国だ。逃げ出す子がほとんどいないというのも頷ける。

だけどレイアはすぐにそれを払拭した。さっき頬に触れられただけでそこがなんか痒い気がする。多分だけどあいつの唾液は強酸性だ。全身まさぐられたら次の日から動けなくなるだろう。一刻も早く逃げ出さねば。

「でも、まずはゲンキを探さなきゃあ…」

レイアは記憶の糸を繋げる。ここに入る時ボディチェックを受けたから頼りは自分の記憶力だけだ。

確かジンはこう言っていた。

『屋敷の地下牢は踊り子達の部屋がある棟にある。地下牢自体には監視はいないけど頑丈な鉄の格子に阻まれていて、鍵は執事長が持っている』

地下への階段を探さなくては…レイアをそっと部屋を出てその地下への階段を探しに行く。途中、同じような境遇の踊り子らしき少年とすれ違った。やはり美しい容姿をしている。

「新入り?」

「あ、うん…まぁ…よろしくねぇ」

愛想笑いをするとその少年はじろじろとレイアを眺める。

「ふうん。お前ならあの化け物にも気に入られそうだね。もう見た?なかなか強烈だろ?」

「強烈なんてもんじゃないよぉ…なんなのぉあれ…よくあんなのの相手できるよねぇ尊敬するよぉ」

レイアが思ったまま言うと、その少年は苦笑いした。

「すぐに慣れるって。懐いてるフリすりゃ可愛がってくれるし、ここにいればもう暮らしの心配はしなくていいから。俺は自分を売った親のこと最初は恨んだけど今は良かったって思ってる。ここに来る前とは比べ物にならないくらい優雅な暮らしができるしなんでも欲しいもの与えてもらえるから」

「…」

少年は本心から言っているようだった。レイアには理解できないが、それも人それぞれなのだろう。

「そういえばぁ…執事の人があの化け物には粗相のないようにってしつこく言ってきたんだけどぉ…なんかそういうことしちゃった子がいるみたいでぇ。地下牢に入れられてるとかなんとか…本当かなぁ?」

適当に言葉を交わして、何気なく地下牢のことを探ると少年はまた苦笑いをする。

「ああ、ゲンキのことかな?そいつ5本の指に入るくらいのお気に入りだったのにあろうことかあの化け物息子に抵抗したんだって。今まで大人しく従ってたのになんで今更そんなことしたんだろうな。ここにはそんなことする奴はほとんどいないけど、もしそういう奴が出た時のために地下牢が用意されてるんだよ。ほら、あそこの角曲がったらその階段がある」

長い廊下の先を少年は指差した。レイアは興味のないフリをしながら彼と別れた後、周りを見渡してその階段を降りた。

 

 

 

地下牢には通気口から漏れてくる光以外に灯りはなく昼間でも薄暗い。石で造られた床が固く、湿気もひどくて精神的圧迫を増幅させるのに充分だった。

すでに涙が枯れつくすくらい泣きどおしたゲンキは、起き上がる気力もなくそこに横たわる。時間の概念はすでになかった。

「ジン…ジン…」

掠れた自分の声を遠くに聞く。暗く澱んだ空間で、浮かんでくるのはジンの顔ばかりだった。

脱走が失敗して、ゲンキの目の前でジンはひどい暴行を受けた。やめてとどれだけ叫んでも彼らはやめてくれない。その映像がトラウマのようにこびりついている。

逃げようなんて思わなければ、ジンはあんな目にあわずに済んだのに…

後悔だけが渦のように取り巻く。嗚咽を漏らしながら身を切られるような哀しみに暮れているとどこかで誰かが自分を呼ぶ声がした。だが今のゲンキには幻聴のようにしか捉えることができない。

「ゲンキ…!ゲンキぃ…!」

地下牢には朝昼晩の一回ずつ食事だけが運ばれてくる。ゲンキはそれにほとんど手をつけることなく置いているからまだ今朝の朝食がそのまま鉄格子の隙間のわずかなスペースに置かれている。

昼食の時間になって誰かが来たのかもしれない。だがそれを確かめる気力はなかった。

「ゲンキ…!起きてぇ…!僕だよぉ、レイアだよぉ」

その声を聞いて、あまりにも非現実的な展開にゲンキはいよいよ自分の頭がおかしくなったのかと思った。しかし、ほんのわずかに残された意識を傾けると、それは目に飛び込んできた。

「レイア…?どうして…」

何故レイアがこの屋敷の、しかも地下牢にいるのだろう。ぼんやりとした意識は次第に疑問で埋め尽くされる。

だが次にレイアが鉄格子を握りながら放った言葉にゲンキの意識は呼び起こされる。

「助けに来たんだよぉ、ジンに頼まれて」

「ジンに…!?」

ゲンキは知らず、起き上がっていた。そして鉄格子越しにレイアに問う。

「ジンは!?ジンは無事なの!?どこにいるの!?」

自分にまだこんな声が出せたのかと驚くほどに、ゲンキは半ば叫んでいた。

「ジンは屋敷の外にいるよぉ。いつでもゲンキを連れて逃げることができるように近くに待機してる」

「ほんとなの…?ほんとに、ジンが…」

もう一度問うと、レイアは深く頷いた。

ジンが待っている…

それが今のゲンキにとってどれほどの救いだっただろう。先程とは全く逆の感情の昂ぶりによる涙が目を濡らす。

「でも…僕はここから出ることができない…ここの鍵は…」

「知ってるよぉ。執事長が持ってるんでしょぉ?鍵を奪うのは不可能だからぁ…」

レイアは着ていた服の上着の内側をめくる。そこには服の色とは若干違った色の布が縫い付けられていた。その糸を彼はちぎった。

「…?」

服の内側に縫い付けられたその布ははらりと落ち、そこから細い金属片が二つ出てきた。

「これは…?」

「鉄ノコの刃だよぉ。ボディチェックが厳しいからこれしか持ってこれなかったのぉ。ジンの話だと鉄格子は細いし、切れ込みさえ入れられれば僕ら二人の力を合わせれば曲げてそこから出られるかもしれないって言ってたからぁ」

レイアは片方の鉄ノコをゲンキに手渡した。

「時間が許す限り、削って削って切ってしまおう。もちろん、見つからないようにしないといけないから端の方がいいかもしれないねぇ」

「うん…!」

ゲンキは鉄ノコを持つ手に力をこめた。そして一心不乱にレイアと削り始める。

それは気の遠くなるくらいもどかしい作業だった。そう簡単に鉄棒に切れ込みなど入らない。だがやるしかない。わずかな希望を原動力にして、ゲンキとレイアはひたすらに手を動かした。そうしてどれくらいの時間が経っただろうか、ようやく少しずつ削れた粉が床にはらはらと落ち始めた時…

「待って!」

ゲンキはレイアに耳打ちした。足音のような音が聞こえたからだ。

時間が分からないが、もしかしたら昼食の時間になっていたのかもしれない。見つかってしまったら元も子もない。レイアにそう言うと、彼は周りを見渡し、身を隠せる小箱が置いてある先に素早く動いた。

足音が近づいてくる。ゲンキは鉄ノコを服の中に隠し、切れ込みを入れようとしている鉄棒を握ってその跡を隠した。

「ゲンキ、そろそろ心を入れ変えたか?」

不気味な笑みを浮かべながら、執事長が姿を現した。

「いつまでも意地を張るな。お前が心を入れ変えて誠心誠意尽くすなら今回だけは許してやってもいい、とぼっちゃんはおっしゃっている」

ゲンキは首を横に振った。ここで頷いて表面上は従うフリをした方がこの中からは脱出できるのだろうが、逃げ出さないよう監視の目が厳しく付くだろう。それこそ、逃亡の可能性がゼロに近くなる。

それよりも、ここにいると思わせ、油断させておいた方がいいと判断した。思考力が戻ってきたおかげで冷静になることができた。もし、レイアが来てくれなかったら判断が鈍っていて頷いてしまったかもしれない。

「強情な奴だ。まあ、もう少しすればお前も嫌でも首を縦に振るだろう」

執事長は踵を返した。ゲンキはレイアが身を潜めている小箱を一瞬だけちらりと見やる。大丈夫だ、気付かれてはいない。

「そうだ、ジンのことだがな」

背中を向けながら、執事長が言った。ゲンキは鉄格子を握る手に力が入る。

「お前の代わりにぼっちゃんに奉仕する踊り子を連れて来てそのまま逃げて行った。お前のことは諦めたようだな」

「…」

嘘だ。そう喉まで出かかったがゲンキは必死でそれを留めた。その代わりに…

「そんな…ジン…どうして…」

絶望したフリをすると、執事長は満足そうに去って行く。これでもう少し時間を稼げそうだ。

執事長が去ると、レイアは再び鉄格子を削る作業に入ってくれた。だがそろそろ昼食が運ばれて来る時間になるかもしれない。万が一見つかれば彼の身が危ない。ゲンキは言った。

「ありがとうレイア、僕がやるから君は部屋に戻っておいて。見つかったら今度は君が危ないから」

「けど、二人でやった方が捗るよぉ」

「夕食を運んで来た後は朝までは来ないから、その時間なら安心して作業ができるから来て。その時、灯りになるものを持ってきてもらえると有り難いんだけど…。夕方からもう真っ暗になっちゃうんだ…。一応夕食が運ばれてくる時に小さな灯りは置いて行ってくれるんだけどすぐ切れちゃうから」

「分かったよぉ」

レイアは頷く。そして鉄格子の隙間から手を入れて、ゲンキの手を握った。

「絶対にここから出ようねぇ」

「うん。ありがとう」

ゲンキはその手を強く握り返す。二人で頷き合い、意志を固めた。

何がなんでもここから出て、もう一度ジンに会う。

一度だけきつく瞼を閉じ、自分を奮い立たせた。そうして目を開けるとゲンキは一心不乱に鉄ノコを動かし始めた。