レイアはなかなか戻ってこない。昨日みたくかっぱらいやひったくりに遭ってやしないかと心配になったがちょうどそのころ大きな袋をいっぱいに抱えて戻ってくるのが見え、ケイは立ち上がった。

「あれ?あ、そっか。今日も船乗りの人達来るって言ってたから」

レイアはケイを見て目をぱちくりさせた後、理解したようにそう言った。だがここに来たのはケイ個人の意志である。

「ね、レイア。仕事終わるのっていつ?」

「仕事はお店が終わってからもしばらくあるよ。片付けとか明日の準備とか…。だから夜中になっちゃうと思う」

「それでもいいや。ここに住み込みなんだろ?だったらさ、ここにいりゃあ問題なしだし」

ケイは期待をこめて提案したがレイアはちょっと申し訳なさそうに

「ごめんね。夜は出歩くなって言われてて…朝とかお昼過ぎまでなら僕も少しは時間あるんだけど…」

その時間帯は逆にケイが仕事の時間だった。どうしたもんかと頭を悩ませているうちレイアは呼ばれて店の奥に姿を消した。

「…」

ケイは考える。この街に滞在するのはあと二日だと昨日キャプテン達が話していたのを聞いた。あと二日。船を出したら多分二度とここには戻ってこない。そうするともう二度とレイアには…。

出会ったばかりで、ほとんど話もしたこともないのにレイアにこんなに執着してるのは何故だろう、とケイは考える。今まで立ち寄った街でこういう出会いがないわけではなかった。同じくらいの年の子ども達でも学校に行っていたりもう働いていたり、ケイと同じ船乗りだったりと様々だ。レイアは別に特殊ではない。その中の一人なのだ。それなのに…

こんがらがりもつれあう思考に浸っていると、それが偶然目につく。

客席にはキャプテン達ともう一つ大人数の団体がいた。その中の若い男がレイアの手を掴んでいた。

「可愛いなボク。名前なんつーの。男の子だよな~」

男は相当酔っ払っていた。酔っ払い自体はさして珍しくもないしお店の女の子や他の客にもからんでいる奴もいるがその男はレイアに執拗に迫っていた。

レイアは笑顔で応対している。だが仕事に戻りたいらしく相手を宥めすかすようにしていたが男は更にしつこくからみだした。肩に腕を回し始め、レイアの顔を触りだした。

「こんな綺麗な肌してさ…すっべすべじゃん。頬ずりしてもいいかな~」

そこでケイは自分の頭の線が一本プチン、と切れるのを自覚した。と同時に抑えきれない衝動が全身をかけめぐる。

「てめえ触んな!!しつけーんだよ!!」

気がつけばその男に殴りかかり、店内は騒然となった。結局、キャプテン達がその場を収めてくれた。大目玉をくらうかと思ったが予想外に小さな注意だけで済んだ。

「熱くなんのはいいけどな、お前はまだ子どもなんだからこんなことでケガすんのもバカらしいだろ」

「バカらしくなんかねえよ!」

男に反撃にあった時につけられた顔の痣をさすりながらケイは叫ぶ。

馬鹿らしくなんかない。だって許せなかったから。

汚い酔っ払いがレイアに触るのがどうしても許せなかった。だから後悔も反省もしていない。

キャプテンは浅い溜息をついた後でケイの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

「…そうだな。バカらしくなんかねえな。俺が悪かった。じゃあ訂正する。大ケガしない程度にほどほどにな。折角正しいことしてんのにそれで動けなくなっちゃ元も子もねえ。助けられた方だって気にするだろうからな」

そうだ。レイアは?レイアはどうなっているだろう。

ケイが勝手に逆上して常連客といざこざを起こした。そのことで何か叱られたりはしてないか…。それが気になった。

店の前に行ったが店はもう閉まっていてしんとしていた。ドアも固く閉ざされている。

ぽつん、と一人立っているとどこからか自分を呼ぶ声が聞こえた。

「…?」

見渡したが誰もいない。他の店も閉まっているからしんとして街灯が薄く光っているだけだ。

「ケイ」

今度はもっと近くで声が聞こえた。振り向くと、レイアがいた。

「レイア…」

駆け寄ると、レイアは少し困ったようにこう呟く。

「いいのに…あんなことしょっちゅうだし慣れてるし放っといてくれても…。大人相手なんだし勝てるわけないじゃん」

「だってよ、俺が行かなきゃレイアお前あの酔っ払いに…」

「だから慣れてるって言ってるじゃん。あんな客毎日来るしそれでいちいち気にしてたら仕事できないよ」

そう言われてしまっては返す言葉がない。結局、自分がやったことはレイアには迷惑だったのかも…とこの時初めて反省しかけていると、レイアの手が自分の手に触れた。

「でも、ありがとう。助けようとしてくれて」

「…」

手は柔らかくて温かかった。

「これで二回目だよね、助けられたの。ケイって強いね。僕と同じ年なのに…。やっぱり船に乗って大人の人と一緒に仕事して生活してるとたくましくなるんだね」

「レイアだって一緒じゃん。大人と一緒に仕事して…あんな嫌な客にも嫌な顔一つしねえでさ。俺だったらとっくに殴るかやめろっつってる」

「だって僕にはここを追いだされたら行くところないし…。だから嫌なことがあってもそれを態度に出すことができないの。情けないとは思うけど…」

レイアは苦笑する。

「情けなくなんかねえよ!怒るより我慢する方がよっぽど難しいってキャプテンも行ってるし。俺はすぐ怒るからダメだっていつも説教されてる。俺なんかよりレイアはつえーよ。」

そうだ。レイアは強い。あんなしつこい酔っ払いにも一切嫌な顔もせず穏便にすまそうとしていた。自分にはとてもできない。ケイなんかよりずっと大人だ。

そう言おうとすると、レイアは小さく首を振った。

「そういう風に言われると逆に困る…。だってね、僕は小さい頃に親をなくして、どこにも行くあてなくて拾ってもらったところで少しでも居心地良くなるように、気に入られるようにずっと大人や年上の人の顔色見て育ったの。何をすれば気に入られるか、何をすれば好かれるかってそればかり考えて…。だからね、大人に自然に媚びちゃう癖がついてるの。自分の意志じゃない、生きていくために仕方なくやってるだけ。だから強くもなんでもないよ」

ケイと生い立ちは似ているが、育った環境が違っているのだろう。ケイとは真逆だった。

ケイは自分自身を偽らない。腹が立てば怒るし、我慢もしない。思ったことはなんでも口にするしその結果怒られたり殴られたりしても基本的に反省というものもあまりしない。今の船員たちはそんなケイを理解してくれているが、レイアの場合はまた違ったのだろう。

「あ、じゃあ…やっぱまずかったよな。俺が客に手出したの。なんか言われた?」

今更ながらにそれが気にかかる。レイアはまた苦笑した。

「うん、ちょっと…。あれはお前の知り合いか?って…。明日来たら追い返せって言われちゃった…」

「あ…」

猛烈な後悔が押し寄せた。やはりこれは大失態だったのだ。レイアの居場所を奪ってしまうことにもなりかねないのだから。

だけど…と、そこで何故か閃光のようにひらめきが炸裂する。全く予兆はなく突然にそれはやってきた。

「レイアさ、俺達の船に来ねえ?」

「え」

「俺と一緒に船乗りやるんだよ!そうだ!そうすりゃいいんだ。今のところだって別に好きでいるわけじゃないんだろ!だったらさ…」

それは我ながら非常に魅力的なアイディアだった。これで胸のつっかえは取れていく。二度と会えないんじゃなくてずっと一緒にいられるのだ。この上ないグッドアイデアだ。ケイのテンションは急上昇した。

「え、で、でもそんなこと言われても…。第一船の人の許可が…」

「ぜってー大丈夫!人手不足だしベッドだって余ってるぐらいだから!俺キャプテンに話してみるよ!」

ノリノリで持ちかけたがレイアは戸惑っている。

「ちょ、ちょっと待って…」

レイアは呟くように言う。

「そんなこと急に言われても…。任されてる仕事も放って行けないし、拾ってもらった恩もあるしそんな簡単に辞めますさようならなんて言えない。ケイの誘いは嬉しいけど…」

「…」

それもそうかもしれない。買い物に行こう、というのとは訳が違う。レイアにとっては一大決心を要するものだろう。そしてそんなに簡単に決められることでもないのも分かる。

沈黙しているとどこからかレイアを呼ぶ声が聞こえた。レイアは慌てて店に戻って行く。

「ありがとうケイ、またね」

またね、と言ってくれたがここを出てしまうとその「またね」が叶えられることがないのはケイには分かっていた。だからケイは返事をすることができなかった。

もうレイアには会えない。

その事実がケイの心に重くのしかかっていた。

船に戻ると先輩クルー達が角を生やしていた。

「てめーどこほっつき歩いてた!こんな時間まで!」

「また行方不明かって大騒ぎしてたんだぞ!!」

口々にお説教をしてくるが今のケイには全く耳に入らなかった。気がつけばキャプテンが食堂で難しい顔をしていた。

「なんかあったか?」

キャプテンのその問いかけに、ケイはこれまでこらえていたものが一気に押し寄せてもうせき止めることができなかった。

「うぇ…」

ケイは泣く。声をあげて子どものようにわんわんと泣く。止めようとしても止めることができない。壊れたおもちゃのようにずっと泣くことしかできなかった。

寂しくて悲しくて、レイアと別れたくなくて泣く。そうしたところでどうなるものでもないということも分かっているがそれでも泣かずにはいられなかった。