小さな港町。人口はまばらで自然は豊か。港を囲むようにして申し訳程度の繁華街が広がる。夜になると仕事を終えた男たちや船乗りたちで賑わい出す。
「おい、ケイ。それ終わったらお前もメシにしていいぞ」
先輩船乗りから声をかけられてケイは「あざっす」と返事をする。空腹はあまり感じないが暑さで喉がカラカラだった。だからその声かけはありがたかった。
ケイは17歳になったばかりである。生まれは南の島の小さな村で両親も船乗りだった。だがケイが8歳の時、乗った船が嵐に遭って両親をいっぺんになくした。路頭に迷っている時に両親の知り合いだという船乗りに船に乗せてもらってそこから仕事を覚えた。この船には5年前からいるがケイはまだ一番下っ端だ。船の名前は「カミセブン号」。なかなかかっこいい名前だ、とケイは思っている。
「キャプテン達は?」
食堂には先輩船乗りの中でも若手しかいなかった。いつも酒を飲んでどんちゃんやるキャプテンや幹部船乗りたちがいない。ひどく静かな空間に感じた。
「キャプテン達は町の酒場でお楽しみだ。いいよなあ」
誰かがうらやましそうにそう呟いた。ケイはまだ未成年だからお酒が飲めない。大人達は上手そうに飲むがその美味さよりも飲んで大騒ぎしてからんできたりするからお酒や酒場に対してあまりいいイメージはない。
だが町には興味があった。毎日毎日海ばかり見て暮らしているからたまにこうして港町に立ち寄るとワクワクする。今日の仕事はもうおしまいだし、この様子ではキャプテン達は今日戻ってこないだろう。だとすると自分も少し冒険しても許されるのではないか、という考えがよぎった。
「出発に遅れたら容赦なく置いてくからな」
そう釘をさされながらもケイは町に出ることを許された。わずかだがお金も持っている。何か買おうかと胸を弾ませて駆け足で船を降りた。
「んー!!」
久しぶりの地面。土の匂い。町の喧騒。思わず伸びをしてその感覚を全身に染みわたらせる。船を降りたいと思うことはなかったがやっぱり地面の上で暮らすことにも若干の憧れはある。最も、普段海の上にいるからそう感じるのかもしれないが…。
夕暮れ時で、繁華街は賑わっていた。そこかしこで露店や野外での食事がされていて肉の焼けるいい匂いや珍しい野菜や果物もある。ケイは食事を済ませた後だが急に空腹を覚えた。
子どもの自分が居酒屋に入れるわけもなく、露店で幾つか食べ物を買う。物価というものがよく分かっていないケイはあっという間に手持ちのお金がなくなった。
「あっれーもうねえや。ちょっとメシ食っただけなのに…」
がっかりしながら小銭を掌の上に広げる。どうせなら使い切ってしまおう。何か安物が沢山置いている店はないか、と見回しながら町を進む。
だがしかし町を歩くことに慣れていないケイはやはりというか道に迷ってしまう。こうして船を降りる度に軽く迷子になってしまうから単独行動は慎めとキャプテンからは常々言われている。今回も迷子騒動になれば相当きついお説教が待っている。それは嫌だった。
「やっべーな分かんなくなっちまった。」
焦りながら早足になって路地をぐるぐる回っていると曲がり角で誰かにぶつかった。
「いって」
相手は凄い勢いで走ってきたからお互い弾き飛ばされる。その衝撃に顔を歪ませると叫び声が続く。
「誰か!!誰かその人捕まえて!!」
ケイはなんのことか一瞬理解ができなかったがぶつかった相手は見るからに人相が悪く、持っている荷物もなんだかそいつのものではなさそうだということを察知すると自然と体が動いていた。
「くそっ!!離せこのガキ!!」
ケイがつかみかかった男はそれを振りほどこうともがいたがほどなくして家々から現れた大人達によって取り押さえられた。けちなかっぱらいだ。
「良かったぁ…」
散らばった荷物を集めながら安堵して呟く叫び声の主は自分と同じぐらいの少女…いや、少年?だった。一見してどっちかよく分からない。びっくりするほど色の白い、少しくせ毛で長めの髪の毛の涼しげな目元が印象的な子だ。
可愛いな、と思った。
同じぐらいの年の子と接することがほとんどないからそう感じるのかもしれない。ケイは気がつくとその子に話しかけていた。
「大丈夫?さっきの奴かっぱらい?」
ケイに問いかけられてその子はこちらを向いた。そしてにっこりと笑う。
「ありがとう。助かったぁ。これ持って帰らないと怒られちゃうからぁ」
少し鼻にかかるソフトな声は不思議と心地よい。しかしそれよりも柔らかい笑顔には癒しの効果があった。
「なんかすげー荷物だね。食いもんばっか。これみんな食うの?」
袋には果物や野菜、肉、魚と色々な食材が詰め込まれていた。それを両手に抱えて重そうに持っている。
「ううん、これはね、お店で使うの。今日はお客さんが多くて食材足りなくなっちゃって…」
食堂かどっかの子なのだろうか。いずれにせよケイは自分が道に迷っていたのと、なんとなくこの子と話をしていたいのとで言った。
「荷物半分持ってやるよ。お店ってどこ?働いてんの?」
「いいの?ありがと。うん、すぐそこなんだけどね。居酒屋さんだからぁこの時間大賑わいでねぇ。なんかどっかの船乗りさん達がいっぱい来ててぇそれでお酒も食べ物もすぐなくなっちゃって」
どっかの船乗り…?と聞いてケイはすぐにピンときた。多分、キャプテン達だろう。
店についてみると予感は当たった。キャプテン達がどこでひっかけたのか女の人たちと一緒にどんちゃん騒ぎをやっていた。
「あれ、ケイ。お前何やってんだこんなとこで」
「まーた迷ってたんじゃねえのかあ?おめーこないだも捜索隊出ただろいー加減にしろやぁ」
「姉ちゃん酒追加―!」
てんでに好き勝手なことを言いながらべろんべろんに酔った状態でクルー達はからんでくる。この状態の彼らに状況を説明しても無駄だとは思ったが言われっぱなしは悔しい。
「ちげーよ。人助けしてたんだよ!あんたらと違って俺は善行してただけだし」
案の定、それは笑い声に掻き消されていった。溜息をついていると、横でくすくすと笑い声がした。
「あ、ごめん。これうちの人達でさ。もー困った大人達なんだよ迷惑かけてわりーね」
「ううん。面白いね。君、船乗りさんだったんだぁ」
「まあね。あ、そだお前名前なんつーの?俺はケイ。年は17歳」
名乗ると、その子は荷物を受け取りながら
「僕はレイアだよ。僕も17歳。ありがとうケイ、荷物持ってくれて」
それだけ言うと、レイアはてきぱきと荷物を奥の厨房に持っていく。すぐに戻ってきてくれるかと思ったが仕事があるのかいくら待ってもそこから出てくることはなかった。
「何やってんだケイ。ほれ、船に戻るぞ」
頭を小突かれて、引き摺られるようにしてケイは船に連れて行かれた。
「…」
ベッドの上で考える。というより寝付けない。レイアの顔ばかりが浮かんできてどうにも眠気は吹き飛んでしまった。
次の日、与えられた仕事を物凄い勢いで終えるとケイはすぐに昨日の酒場へと飛んで行った。方向音痴なくせに何故か鮮明に道を覚えていて難なくそこに辿り着くことができた。
まだ陽は暮れ始めで明るい。昨日は陽が落ちていたから気付かなかったが街のやや高台にあるこの店の前からは海とその陽が沈んでいく美しい景色を望むことができた。
店はまだ準備中だった。正面から入ろうにも戸が閉まっていて中が見えないし、呼び鈴の類もなかった。
しばらく何もせずただぼうっと店の前で待っていたがそうしているうちに周りの店も開き始め、客もやってき始める。ケイは店が開いたと同時に駆け込んだ。
「なんだぼうず。ここは酒場だぞ」
店員らしき大柄な男がうっとおしそうにそう言い放つ。
「あのさ、レイアいる?」
「あ?レイア?ああレイアの友達か。あいつは今買いだしに行ってる。昨日の船乗りたちがまた来るって言ってたし今日は常連のパーティーもあるんで今から行っといてもらわねえとな」
なるほど。だからまだいないのか。その店を聞いたところでケイには地図が入っていないから分からない。待っていた方がいいだろうと判断した。
「おっさん、レイアの親父?」
ケイは大柄な男に訊ねる。が、ゴリラみたいなこの男と小羊のようなレイアとは同じ遺伝子の匂いはしない。
「あ?ちげえよ。俺ぁまだ独身だ。レイアは親いねえし学校も行ってねえ。ここで住み込みで働いてんだよ」
親がいない。ケイと一緒だ。学校に行ってないのも一緒である。だからケイは読み書きや簡単な計算や勉強はクルー達から教えてもらった。
もっと色々聞きたかったが男は仕事があると言って相手にしてくれなかった。仕方なしにケイは店の前でレイアの帰りを待つ。その前にキャプテン達が現れた。
「なんだケイ、お前早々と仕事終わらしたかと思ったらこんなとこにいやがったのか。おめーの分は船ん中だからビタ一文おごってやんねーぞ」
「別にいいし。てかあんまみっともない姿さらすなよな船の恥んなるからな」
ケイは憎まれ口を叩いて拳骨をくらった。