嘘のように晴れた空。雲一つなく澄み渡るその青空を、眩しい目で岸くんは見た。
寝起きが悪いのに今朝は一番早く眼が覚めてしまった。伸びをして、三人の寝顔を眺める。
岩橋は、静かな寝息をたてている。
神宮寺は、何か寝言を呟いている。
颯は、口を開けて時折鼻を鳴らしている。
いつも最後に起こされるから、こうして仲間の寝顔をまじまじと見る機会はない。なんとなくイタズラ心が芽生えて、デジカメを取り出した。
「後で見せてやろ。はい、チーズ」
シャッターを押すと同時に襖が開く。
「…何やってんのぉ?」
怪訝な表情の嶺亜がそこに立っていた。岸くんは慌ててデジカメを後ろに隠したが遅かった。
「覗きだけじゃなくて、盗撮の趣味もあるのぉ、岸…」
「違う違う!!違います!!壊れてないか確認してただけで…!!」
大声であたふたと言い訳をしたもんだから、次々に三人は起きてきた。けだるそうに覚醒を促して、目を瞬かせる。
「ご飯できてるよぉ。挙武もとっくに起きてるし…お父さんにも紹介したいから早く来てねぇ」
くすくす笑いながら、嶺亜は出て行った。身支度を整えて、言われた場所に集まるとそこには挙武と、彼にどこか似た男の人がいた。
「おはよう、岸くん達」
挙武は優雅に茹で卵をの殻を剥いている。嶺亜は上品にスクランブルエッグを口にしていた。まるで高級料亭の一角のような世界だ。
「おい、なんだか俺達場違いっぽくねぇ?」
神宮寺が頭を掻く。それを受けて、挙武が皮肉交じりに言った。
「気にしなくていい。父にはちゃんと君達がどういう人達か説明済みだ。遠慮なく下品に食べてくれてかまわない」
「てめホント口減らねえな。いただきまーす!」
憎まれ口を叩いて、神宮寺は席に座る。岸くんと颯、岩橋もそれに続いた。
「この度は…お礼の言葉もない。息子達がお世話になり…ありがとう」
嶺亜と挙武の父親は、岸くん達に深々と頭を垂れた。なんだか恐縮してしまう。してしまうが岸くんはちゃっかりおかわりまでもらって食べた。
朝食を食べ終えると岸くん達は嶺亜と挙武と共にあるところを訪れる。
「山を経由するとけっこう遠いような気がしたけど、こんなに近かったんだな」
「ほんとだよねぇ挙武。これならすぐ会いにいけるよねぇ」
「まあ僕はほとんど用はないがな。お前は良かったな、嶺亜」
「あ、またそういう言い方するぅ」
中村家を出て数分、似たような大きな屋敷の前に着く。表札には「栗田」と記されていた。
「あれ、倉本に井上、先に来てたんだ?」
岩橋は、通された部屋に倉本と井上がすでに来ているのを見て微笑む。二人はにっこり笑って返した。
「井上、大丈夫かそれ」
岸くんが井上の左腕に巻かれた包帯を指差す。彼は健気にそれをぶんぶん振って明るく答えた。
「全然平気。大したことないから」
「そう…。良かった。あやうく大けがするとこだったもんね」
岩橋がほっと胸を撫で下ろす。そんな会話を交わしていると騒がしい声が近づいてきた。
「ったくおめーはどこまでグズでノロマなんだよ!!目覚ましくらいセットして寝ろ!!」
「痛い!…ケガ人にそんな暴力…あんまりだ」
襖が開く。恵と龍一がぎゃあぎゃあと言い合いをしながら入ってきて岸くん達を見て笑った。
「よ。おめーらわざわざすまんな。こんなアホの見舞いとか」
恵は片手を上げる。その後ろで龍一は気恥ずかしそうに会釈した。
「龍一、腕、大丈夫ぅ?」
嶺亜が龍一に歩み寄る。
「あ、うん…全治一週間程度…」
龍一の両腕には包帯が巻かれている。それを擦りながら彼は答えた。
「いやーでもホント生きててくれて良かったよ。みずきは龍一くんの命の恩人だからな!感謝してよ!」
倉本が龍一の背中をバン、と叩く。すると彼は悲鳴を上げた。
「背中にも包帯巻いてるんだ…お手柔らかに」
「しかしよく生きてたな…棺桶どころか土蔵半壊させる威力あったんだろ?あれ」
神宮寺が出された茶菓子をつつきながら感心したように呟いた。井上がそれに答える。
「だいぶん離れたんだよ。でも穴を抜けるのに手間取って…龍一くんの体大きいんだもん、俺が入るのとは訳が違うよ」
「あの蔵にそんな穴があったなんて俺でも知らねーぞ。瑞稀、お前よく見つけたな」
恵が感心しながら腕を組む。井上は照れ臭そうに笑って
「発見したの、つい最近だよ。内緒だって棺桶見せてくれたことあったでしょ?その時になんか変なくぼみがあるな~って思って…そしたら外に出られたからさ」
「俺も知らなかった」
土蔵で自らと共に棺桶を爆薬で吹っ飛ばそうと覚悟を決めた龍一は、爆薬に火をつけた直後に後ろから名前を呼ばれた。そこには井上がいた。
「説明してる暇はないけど、嶺亜くん達を助けるんだよ!!だから龍一くんは死んじゃだめだよ!!」
井上は簡潔に、土蔵に空いた穴から脱出するよう龍一に説明した。火をつけてから爆発するまで若干2~3分程度。その間に抜けてできるだけ遠くに行けば死なずに済む。
だが穴は小柄な井上なら全く問題がなかったが177センチの龍一では多少手間取った。そのロスで、背中に爆風を受けて龍一は怪我をした。井上をかばおうとしたからだった。
井上から知らせを受けて、岩橋は神社が焼けおちた後に怪我をした龍一に肩を貸し、山道を登って井上と共にやってきたのだった。
「ほんと、龍一って時々無茶するよねぇ…」
嶺亜が困った子どもを見るように龍一を見る。そして溜息をついた。
「だって…どうしても死なせたくなかったから」
誇らしげに龍一は言う。だがその凛々しさはすぐに恵の蹴りによって歪んだ。
「てめーがれいあ守るとか100年はえーよ!俺がいんだからてめーの出番なんかねえ!」
「だから痛いって!」
勝敗の決まりきった兄弟げんかを、岸くん達も、嶺亜と挙武も、倉本と井上も笑いながら見る。明るい笑い声が奏でるハーモニーは部屋を明るく染めた。
岸くん達四人と嶺亜と挙武、そして倉本と井上は皆で栗田家に泊まることにした。栗田家は中村家と同じぐらい広く、露天風呂もある。岸くんは夕飯が終わると大喜びで露天風呂にすっとんで行った。
「おっじゃましまーっす!!」
勢い良くドアを開けると、また風呂の真ん中に人が立っているのが見えた。
女の人かと思って慌てたがそれは嶺亜だった。なんだか奇妙なデジャヴがかけめぐる。
「あれ、背中の痣…」
嶺亜の背中にあった痣が、綺麗に消えていた。確かに岸くんは見たことがある。だが今その肌の白さには一点の影もない。
「なんか、昨日から薄くなっていってて、今日見たら消えてたんだよねぇ…。不思議…」
嶺亜は自分の背中を見ようとして振り向く。艶やかな肩、滑らかな肌…背中から腰にかけてのラインとその下…まるで見返り美人のようで女性に免疫のない岸くんは下半身が反応してしまった。隠そうにもタオルも何も巻かず入って来てしまってそれができなかった。
「れいあ待たせたな!背中流してやるよ!」
悪魔のようなタイミングであった。太陽のように眩しい笑顔で風呂に入って来た恵は、一糸纏わぬ嶺亜の前に下半身非常事態の岸くんがいるのを見るやいなや、怪物のような形相で岸くんに襲いかかって来た。
「てめ覗きだけじゃ飽き足らず堂々と痴漢行為かコラぁ!!粗チンぶら下げてれいあに迫ってんじゃねーよ切り刻んで山に埋めんぞこの変態大魔王が!!おめーこそが俺にとって災いだ!!死ね!!溺れて死ね!!」
「うわああああああああ暴力反対!!命の恩人になんてことを!!嶺亜助けて!!死んでしまう!!」
岸くんを湯に沈めようとする恵を嶺亜がくすくす笑いながら止めるが岸くんはその後に井上と倉本が入ってくるまで半分溺れかけていた。
「なんか外騒がしくない?岸くん達はしゃいでんのかな?」
広間でトランプ遊びをしていた颯が外を見やりながら呟いた。
「おや、いないと思ったら岸くんは風呂に行ったのか?それじゃ鉢合わせかもしれないな」
挙武は颯の持つトランプから一枚引いた。ババ抜きをしているのである。
「鉢合わせ?」
挙武から一枚引いて、岩橋が訊いた。
「さっき、嶺亜くんと恵兄ちゃんが風呂に入るって行ったからね…恵兄ちゃんは部屋まで着替え取りに行ったからちょっと遅れて、かもしれないけど…」
岩橋から一枚引き、龍一が呟く。ババを引いて顔をひきつらせた。
「恵は嶺亜にご執心だからな…。タイミングによっては岸くんが湯に沈められてるかもしれん。ご愁傷様だな。本当に不憫な奴だ」
「あ、やっぱそーなんあの二人?俺もそうじゃないかとは思ってたんだよなー」
神宮寺がニヤニヤしながら龍一から一枚引く。あがりで一抜けだった。
「でもホント、みんなでこうしてまた笑い合うことができて良かったね」
岩橋のしみじみとした一言に、皆で頷く。
「しっかし不思議なこともあるもんだよなー。倉本と井上の作った爆弾、なんであの時火ぃつけても爆発しなかったんだろ。俺マジでもうダメかと思ったぜ。トラウマになるとこだったじゃんよ」
神宮寺は頭に手を乗せて横たわった。
「俺がもらったやつと同じやつだよね…こっちはちゃんと火をつけたら爆発したけど」
龍一は最後までババを引いてもらえず、負けに終わった。
大破した神社は取り壊される予定で、不思議なことに大雨だったにもかかわらず池は今朝干上がっていたそうである。栗田家の土蔵も残骸が片付けられた後は何も建てられないという。
「きっと、誰かが守ってくれたんだろうね」
颯がトランプをくりながら言った。至って真面目な口調でこう続ける。
「案外、この村には神様がいるのかもしれないよ。だって神七村でしょ?神様七人はいるかも」
皆が爆笑する。当の颯は別に受け狙いで言ったわけではないから何故皆が笑うのか分からなかった。
「お前は面白い奴だな颯…こんな奴見たことない」
挙武は腹を抱えて笑っている。クールな彼がこんなに笑うというのはなんだか不思議な光景のようだ。
「よし颯、挙武に見せてやれ、お前の必殺技!!」
神宮寺がけしかける。颯は笑われている意味が理解できないままにそれを披露した。広間はかなり広いし、畳だから滑りがいい。何故かニット帽を持っていたから颯は小学二年生の時に体得したヘッドスピンを炸裂させる。
「おお…凄いな…」
挙武は目を見開いて拍手をする。
盛り上がっていると、瀕死状態の岸くんが風呂上がりにもかかわらず全身汗だくで戻ってくる。そして嶺亜の肩を抱きながら恵も戻って来た。
「てめーはれいあの半径3メートル以内侵入禁止な」
「んだよ岸くん何やっちゃったの?ん?言ってみ?18禁?」
神宮寺が茶化すと、岸くんは慌てて否定したが笑い声に掻き消されてしまった。
「あ、月が出てるよぉ」
涙目の岸くんをよそに、嶺亜が窓の外を見る。空には無数の星が瞬き、満月が柔らかな微笑みを湛えていた。
「うお、すげー綺麗じゃん!東京では見れなさそうな星空だな」
神宮寺が感嘆しながら呟くと挙武はふっと皮肉な笑みを浮かべた。
「ここも一応東京都なんだがな」
「え、まじ!?」
岸くん達4人は大げさなくらい驚いた。地の果てまで来た気がしていたが、まだ東京都は抜けていなかったのだ。
「それにしてもよ、夜空見上げるなんてすげー久しぶりじゃね?」
恵が嶺亜の肩を抱いたまましみじみと呟く。龍一も感慨深く頷いていた。
「前は…月を見るのも嫌だったもんねぇ」
「ああ…特に満月はな…」
嶺亜と挙武がその瞳にその淡く輝く月を映す。生きる希望と未来への期待がそこには確かに宿っていた。
岸くん達は結局3日間泊まり、神七村での夏を満喫した。そして出発の朝…
「あれ?」
ひと足先に玄関を出た颯は首を捻った。
中村家の敷地内に自転車を停めていたのだが、それが倍に分裂している。8台もある。
「おっす颯。お、届いてる届いてる」
恵と龍一が門をくぐってやってきた。やたら大荷物だ。その直後、自転車に乗った倉本と井上も訪れた。
「どういうこと?」
ぞろぞろと皆集まった中で岸くんが問うと、神七村組が目配せをしながら微笑みあう。ややあって、挙武が答えた。
「僕らも自転車旅行に行こうと思ってね」
「ええ!?」
四人は同時に声を出した。
「僕達まだこの村から出たことないからぁ、ナビゲーションよろしくねぇ」
可愛らしく嶺亜が頭を下げた後で恵がバカ笑いしながら
「てゆーか俺達自転車自体乗ったことねーからまずは乗り方教えろよ!ギャハハハハハハ!」
「よろしくお願いします…」
龍一も深々と頭を下げる。
「俺達はちゃんと乗れるから大丈夫!」
倉本と井上は胸を張った。
「てことはこれ、10人所帯のツーリングになるわけ?目立ってしゃーねーな」
神宮寺が頭を掻いた。そんな彼に澄ました顔で挙武は言う。
「というわけでだ、早いとこ乗り方講座を始めてくれ。分かりやすく頼む」
「おいそれが人に教えを請う態度かよ。もっと謙虚に頭下げてお願いしろよ」
「情けは人のためならず、だろ?能書きはいいからさっさとしてくれ。時間の無駄だ」
「てめーはほんといけ好かねー野郎だな!よっしゃそんなら教えてやらあ。言っとくが神宮寺様はスパルタだから覚悟してろよ!」
神宮寺と挙武がやり合う横では恵が新品の自転車のサドルに跨ぎながら首を捻ってた。
「なんかこれ足が余る。おい岩橋どうしたらいーんだよ。乗りにくいぞ」
「…どれどれ。僕が乗ったら足が届かないんだけど…驚異的な足の長さだね、恵くん…」
うらやましく思いながら岩橋はサドルを調整してやる。
「まーな。足の長さと顔の小ささだけが俺の自慢よ。これで頭さえ良けりゃなーギャハハハハハ!」
「面白いね、恵くん」
岩橋と恵が和やかに自転車をいじるすぐ側では黒雲がたちこめていた。
「あれ?どうしたの嶺亜、ほっぺた膨らませて」
嶺亜が頬を膨らませながら恵と岩橋を凝視しているのを岸くんが気付いて指摘する。
「別にぃ」
機嫌悪そうに呟いたかと思うと、嶺亜は百面相のように次の瞬間にっこりとぶりっこスマイルを岸くんに見せた。
「じゃあ岸、僕に教えてねぇ。それで覗きと痴漢の件はチャラにしてあげるぅ」
「あ、そ、そう?じゃあ手とり足とり密着で…」
舞いあがった岸くんが嶺亜に手を伸ばすとしかし恵の蹴りが飛んできた。
「てめーはれいあの半径3メートル以内禁止だっつっただろうがこの公然ワイセツ野郎!」
「いて!違うってあれはですね…」
言い訳を始めようとすると、嶺亜がつんとした顔で岸くんをかばった。
「僕が岸に教えてって頼んだのぉ。恵はそっちで岩橋に教えてもらえばいいじゃん」
「えっちょっと待てよれいあ。なんか機嫌悪くね?怒ってね?なんで?」
「知らないよぉ」
恵と嶺亜が謎の喧嘩を繰り広げている横では龍一が早くも青痣を作っていた。
「これはかなりの練習が必要だよ。ていうかコマ有りにした方がいいかも」
颯が渋い表情で腕を組む。龍一の自転車の乗れなさは深刻だった。
「コマ有り…そしたらこけないの?」
「うん。ただしスピードが皆と段違いになるから一人置いていかれるかも」
「そんな殺生な…」
龍一はくるくると指を回し始めた。落ち込んだ時にする癖である。
結局龍一がどうにか乗れるようになった頃にはもう昼過ぎだった。夏の終わり、それを誇示するかのように南中高度の太陽が容赦のない日差しを降り注いでいた。
「んー!!快晴快晴!!」岸くんが眩しそうに太陽に手をかざす
「次はどこ行く!?北海道とか良くない?」颯は世界地図を広げた
「経験の多い夏にしなきゃな。この世間知らずどもに俺が色々教えてやんよ」神宮寺は袖をまくった
「どっか広いとこ行ってみんなで野球しようよ」持ってきた野球ボールを岩橋は掌で弄んでいる
「楽しみだねぇ。あ、日焼け止め塗っとこぉ」嶺亜はバッグから日焼け止めを出した
「少々頼りないナビゲーター達だがこの際仕方がないな」挙武はキャップを深く被った
「おい都会行こうぜ。ゲーセンとか行ってみてー。ギャハハハハハ!!」恵は豪快に笑う
「ここを…こうして…」龍一はまだ運転に不安があった
「美味いもんいっぱい食いたいなーみずきー」倉本は腹を抑えて井上に同意を求める
「そうだねくらもっちゃん」井上はにっこり微笑んでいる
蝉が最後の鳴き声を振り絞っている。生きた証を精いっぱいにその大合唱に乗せて。そうして夏の狂詩曲は最後の一小節を奏で終え、余韻を残して幕を閉じ始める。
10人はそれぞれお互いの顔を見やった。奇妙な縁で出会った奇跡。それを胸に刻みながら、岸くんが指揮を取った。
「忘れもんないね?よし、しゅっぱーつ!!」
―あれは暑い夏の出来事だった。僕達は運命に導かれて、彼らと共に旅に出た―
END