本殿から出ようとして、それは視界に入った。嶺亜と挙武は繋いだ手に同時に力をこめる。

村人たちが神社の周りをうろうろと歩き回っている。さっき、挙武が父と来た時は誰もいなかったのに…

「見られたのか…」

挙武は小声で言囁く。父と山に入るところを誰かに見られていた。だから集まってきたのだろう。

だがこの地下牢への道の存在は誰も知らないようだ。神体が祀られているここまでは入ってこようとする気配はない。

「見つかったか?」

「いや…すでに山を出たのかもしれん。だが挙武様だけ連れて出て行くはずがない。まだ近くにいるかもしれん」

「一体何を考えている。中村家の当主ともあろう者が儀式の邪魔をするなど…」

「やはり子どもへの情は捨てきれぬか…」

嶺亜と挙武は息を殺した。見つかったら最後、父もろともおしまいだ。

「戻った方がいい…か…?」

「でも挙武、お父さんが…」

囁き合っていると村人たちがざわつき始めた。格子の隙間から嶺亜は信じられないものを見た。

「恵…!」

恵が刀を手にしているのが見えた。村人たちは騒然とする。

刀を突きだし、恵は村人たちと対峙する。この位置からではその表情がよく分からないが彼は非常に冷静にも、とっくに正気を失っているようにも見えた。

「何するつもり、恵…!?」

「駄目だ嶺亜、今行ったら…」

嶺亜が飛びだそうとするのを挙武が必死に抑える。だが、そうしているうちにまたも新たな展開が訪れようとしていた。

「なんだ、今の音は…?」

どこかで爆音が鳴り響く。それはそんなに遠くない場所のように思えた。

村人たちはざわめく。恵は何かを悟ったかのように一瞬だけその音のする方向を見つめた。

哀しい色がその瞳に宿っている。嶺亜と挙武は胸騒ぎが駆け巡った。

何かが…何かとてつもなく哀しいことが起ころうとしている…知らず、震える手を二人はぎゅっと握り合った。

そうして騒然とする中で、颯の叫び声が轟いた。

「恵くん!!駄目だ!!戻ってきてくれ!!」

「颯!どういうことだ!?恵は何をしようとしてんだよ!?」

また違った人の声が響いた。それは岸くんだ。見ると、そこには神宮寺と倉本もいた。

恵が何をしようとしているのか。

岸くん達は何故ここに現れたのか。

何がどう動いているのか…嶺亜と挙武には分からない。

だが、このまま身を潜めているだけではいられないことを二人は予感した。

 

 

 

岸くんと神宮寺、そして倉本は神社を目指す。池のある場所から神社へは登りである。栗田家の裏庭に通じる道は下りだ。颯達の後ろ姿を見送って三人は山道を登り始めた。

だが…

「…人がいる…!?」

先頭を行く倉本が振り返り、岸くんと神宮寺にそう告げた。急いで近くの茂みの中に身を隠した。

「なんで…?神社にまで見周り…?」

「でも様子変じゃねえ?あいつらなんか探してる感じだぞ」

「何かあったのかな…」

分からなかった。だが迂闊に近づくことはできない。ひどくもどかしかったが村人たちが散るまで待つしかなかった。

「…なあ、刀ってなんだ?」

茂みの中は窮屈だったが雨は少し凌げる。顔を拭いながら神宮寺は倉本に問いかけた。

「恵の奴が前に言ってたんだよ。嶺亜を殺すくらいなら俺があの刀で喉掻っ切るって。そんな物騒なもんがあんのかよ」

倉本は頷いた。

「儀式が始まった時に造られたっていう謂れがある刀で…すごく長い日本刀らしい。俺も実物は見たことがないんだ。栗田家のどこかに保管されてるらしいけど」

「そいつも一緒にどうにかした方が良くないか?神体と一緒に…」

「けど、そんなものどうやって持ちだしたら…」

囁き合っていると、ふいに誰かが山道を駆けのぼってくる音が聞こえた。岸くんが茂みの中からその方向を覗き見る。

「恵…!?」

「え?なんで恵くんが?」

「おい…なんか持ってなかったか?あれって…」

物凄い勢いで山道を駆けあがって行った恵の手には確かに今しがた神宮寺が倉本に問うた日本刀のようなものが握られていた。ややあって、それを誰かが追うように続いた。

「颯…!!」

それは颯だった。岸くん達は茂みから飛びだす。

「どういうことだよ、なんで颯が恵を…」

「恵の家で何かあったのかもしれない。俺達も行こう!!」

颯を追って、岸くん達は山道を全力疾走した。

「栗田家の…貴様、正気か?儀式に使う神聖な刀はその時まで持ちだしてはならぬ。その掟を…」

「掟なんか知らねえよ。俺は頭わりーからな」

村人をねめつけながら、恵は低い声で答え、かぶりをふった。

「けどよ…」

恵は笑う。それはどこか自嘲めいた、渇いた笑いだった。

「俺がいなくなりゃあお前らが必死んなってやろうとしてるキチガイじみた殺人儀式を止められるってことくらいは分かる。せめて次が見つかるまでこの村に何も起きなきゃいいな。まあ、次はないだろうけどよ」

恵は刀の刃を自分の喉に当てた。

「やめて!!恵!!!!」

神体を祀る本殿の格子戸が勢い良く開く。そこから飛びだしてきたのは嶺亜だった。

「れいあ…?」

恵は目を見開いた。何故、嶺亜がここにいるのか…彼は屋敷の地下牢に閉じ込められているはず…

混乱する恵はだらん、と腕を降ろす。その表紙に日本刀がぬかるんだ地面に落ちた。

「嫌だ!!恵が死ぬなんて嫌だ!!そんなことになったら僕はもう生きていけない!!生きていたって意味がない!!だからお願いだからやめてよ!!お願い…」

泣きながら、嶺亜は恵にすがりつく。恵は放心したように立ちつくした。

「何故ここに地下牢にいるはずの嶺亜様が…。誰が逃がしたというのだ…」

呆然とする村人たちはしかし、次の瞬間にはもう眼の色を変えて嶺亜ににじり寄ってくる。

このままでは、さっきのようになってしまう。岸くん達は急いで行動に移った。だが…

「一体何をするつもりだ貴様ら!!一度ならず二度までも…生きては返さんぞ!!」

「うるせえ!!やれるもんならやってみやがれ!!俺を誰だと思ってんだ!!神宮寺勇太だぞ!!こんな神聖な名前どこにあんだよ!!俺に危害加えたらそれこそバチが当たりまくんぞ!!」

啖呵を切って神宮寺は飛びだす。村人は老人も含まれていたからなんとか振り切れる…と思ったが二人がかりで襲ってこられ、分が悪い。向こうも必死だった。

「誰も死なせないって皆で誓ったんだよ!!恵くん、だからもうそんな馬鹿な真似はやめなよ!!他でもない嶺亜くんがそう言ったんだから…!!」

颯も神社に向かってまっしぐらに突撃した。だが颯には三人かがりだった。

「儀式はなくならない…この村に災いはもうもたらせぬ…!!」

そう怒鳴る相手に、岸くんが叫んだ。

「災いはこの儀式そのものだ!!」

ゴロゴロと、低く唸るように雷鳴が轟く。雨はより一層激しさを増したがかまわず岸くんは続けた。

「生きたい人間が死ななきゃならない、殺されなきゃならない、どんな立派な理由があるっていうんだ!!この村に何があったのか、どんな歴史があるのか俺は知らない。だけど、災いがあるとしたら…それはこんな忌まわしいしきたりを呼びこんだ奴そのものだ!!そのために、どれだけの人間が理不尽に命を奪われたっていうんだ!!これ以上の災いなんかないだろうが!!」

岸くんは、持っていた包みを開け、そこに火をつけた。

それはダイナマイトの一種で、倉本と井上が自由研究の延長上で作ったものだった。

倉本と井上はずっと、この呪わしいしきたりがなくなることを嶺亜たちに出会った時から思っていた。

幼い発想ではあったが、それは無意味ではないと自分達に言い聞かせていた。

御神体がなくなれば…血を必要とするあの呪わしい彫像がなくなれば、もしかしたら儀式を止めることができるかもしれない。嶺亜を助けることができるかもしれない。

だからそれを作った。村はずれでその実験をして、その結果予想以上の威力に数日前小火騒ぎを起こした。ばれるとまずいから一目散にそこから逃げ帰る途中、岩橋に出会ったのである。

「こんなものがあるからいけないんだ!!」

倉本はそう叫んだ。

岸くんが神社に向かってそれを放り投げようとして、体当たりを喰らう。爆薬はコロコロと転がって水たまりに落ち、鎮火してしまう。

「像は壊させはせん…」

ぞっとする声がどこかで響いたかと思うと、激しい雷鳴が轟く。

村人たちがぞろぞろと集まってくる声が聞こえる。その前に起きた爆発事故で俄かに緊張が走ったのだ。

岸くん、颯、神宮寺、そして倉本は押さえつけられた。そして集まってくる村人は次に嶺亜達に…

そこで、挙武が叫ぶ

「爆薬とライターをこっちにくれ!!嶺亜!!恵!!」

その声に弾かれるようにして恵が爆薬を、嶺亜が岸くんの手から放られたライターを拾った。

だが二人はそれを挙武のいる本殿に放り投げはせず、持ったままそこへ駆けて行く。村人たちは挙武の突然の出現に戸惑い、動きが遅れた。

彫像の前には嶺亜と挙武、恵の三人が集まる。

挙武は驚いたように目を見開いたが、ほんのわずかな瞬間のアイコンタクトの後浅く頷いた。彼らにしか交わせない会話がその一瞬にあったのだ。

嶺亜、挙武、恵の三人は、岸くん達の方に視線を向けた。

「岸くん達…ありがとう」挙武は穏やかな瞳を湛えてそう言った。

「世話んなったなおめーら。ありがとよ」恵もまた、照れ臭そうに微笑む。

「守られてばっかりじゃ申し訳ないもんねぇ…ありがとう」嶺亜はライターに火を灯した。

「三人一緒なら、全然怖くないよぉ。龍一は…もしかしたらちょっと先に行ってるのかもねぇ…」

最後は寂しそうに嶺亜は呟いた。そして爆薬にその火を当てる。

像の側には恵が爆薬を拾う前に再び手にした日本刀もたてかけられていた。

全てをもう終わりにする。

三人の瞳は、そう言っていた。

岸くん達はもがいた。そうじゃない。そんなことをさせるために、ここまで来たんじゃない。そう言いたかったがそれが声に出せなかった。狂いそうなもどかしさに涙が溢れる。

だが…

「…!?」

爆薬はなんの反応も示さない。死んだように静まり返っていた。

「なんで…?」

嶺亜と挙武、そして恵は眉根を寄せる。どうして爆発しないんだろう…確かに火はつけたのに…

戸惑っているうちに、駆け付けた村人たちによって嶺亜も、挙武も、恵も本殿から引き摺りおろされる。

そしてそれは起こった。

一際高い雷鳴が、轟音とともに悲鳴のように轟いた。閃光が瞬いたかと思うとそれは柱のように真っ直ぐに、真一文字に神社を貫いた。

「うわ!!」

連鎖反応で爆発が怒る。吹き飛ぶ木片とともに、何かが飛び立っていった。

「これは…?」

燃え盛る神社のその中央…像のあったあたりから、まるで天へ昇る蛍のように無数の小さな白い光が放たれてゆく。それは誰かの魂のようにも、さすらう星々にも見えた。炎と煙に混じって立ち昇ってゆき、夜空を繚乱と飾る。

その場にいた全員が呆然とそれを見つめていた。あれだけ激しく燃え盛るような意志をぎらつかせていた村人たちは立ち尽くしている。そう、まるで憑物が落ちたかのように…

そして夜が明ける…