なんとか誰にも見つからず恵と龍一と接触できないだろうか…と颯達は思案にくれていたのだが栗田家ではそれどころではなかった。

「恵様!!おやめ下さい!!神聖な刀を…」

「どうかお気を確かに!!こんなことをすれば恵様も…!!」

颯達が屋敷に近づいても、使用人たちはそんなことを気にする余裕もなく恵の名前を叫んでいる。何人もの叫び声が入り乱れていた。

「様子がおかしいよ、恵くんどうしたんだろう…?」

見つかるなどと言っていられない。颯は屋敷の中を覗き見た。

そこに、日本刀を手にしている恵が見えた。彼はにじり寄ってくる使用人達にその鈍色に光る刃をつきつけながら低い声を出す。

「近寄るんじゃねえ…たたっ切るぞ」

使用人たちは動けない。恵の眼はそれが本気であることを悟らせるのに十分な迫力を備えていた。狂気と紙一重のその色に、思わず覗いた颯も戦慄を覚えた。

「邪魔すんな…邪魔したら切る。死にたくなかったらそこどけ」

ゆらりと恵は使用人達の間を通り抜ける。そして庭に降り、颯を横切った。どうやら自分達の存在も認識していないらしい。異常な眼つきだった。

恵は山道へとゆっくり歩いて行く。雨風が当たるのもおかまいなしに。

「恵くん!!」

颯は弾かれたように後を追った。岩橋と井上がためらいがちについてこようとしたがそれを止める。

「岩橋と井上は龍一くんの方を頼む!俺は恵くんが何をするのか聞いてくるから!」

岩橋と井上は頷いた。それを確認して颯は全速力で恵を追う。

すぐに追いついた。恵はまるで夢遊病患者のようにゆっくりと歩いていた。雨に濡れているせいか顔色が悪い。

「恵くん!!待って!!」

颯が叫びながら腕を掴むと恵は颯を睨んだ。その大きな瞳が業火をたたえている。激しい感情がそこに密集されているかのようで慄いた。

「颯…お前なんでこんなとこに…」

「助けに来たんだよ!嶺亜くんを、みんなを!それより恵くん、そんな物騒なもの持って何するつもりなんだよ。とりあえず俺達の話を…」

しかし恵には颯の言葉が伝わらないようだった。依然として恵は何かが憑依したかのようなおよそ人間離れした眼つきで刀を見た。

「俺はこいつで自分の血ぃあの薄汚ねぇ像に浴びせてやってくる。れいあの血なんかやらねぇ。お前が浴びるのはこの俺の血だってな」

「何を…!!」

颯は愕然とする。恵は死ぬ気だ。それを察知すると全身の血が逆流しそうになり、颯はなりふりかまわず彼の両腕を掴んで説得する。

「駄目だ!!そんなことしたらなんの意味もないよ!!俺達は誰一人死なせないためにここに来たんだよ!!いいから冷静になって。恵くんが死んでも嶺亜くんが助かるわけじゃないんだよ!!」

「助けられるんだ…」

うわ言のように、恵は呟いた。整ったその顔は怖いくらいに冷静さを放っている。恵は狂っているわけではない。何故かそう思わせるものがあった。

「颯、お前がどれだけこのしきたりについて聞いたか知らねえけど、それにはこうあるんだぜ。『生贄の血を捧げるための刀を握ることができるのは栗田家の跡取りのみ。それ以外の者は何人たりとも刀を振ることはできない』ってな。俺が死にゃあ跡取りはいなくなる。だから生贄は次まで持ちこされるんだ」

「でも、そしたら龍一くんがその役目を…!」

「龍一も覚悟決めたぜ」

恵はそこで後ろを振り返った。自分が歩いてきた道…屋敷の方を。

覚悟…?

それはどういう意味だろう…しかし考えてすぐに結論がそこに達してしまう。颯は嗚咽がこみあげた。そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない。

「そんなの駄目だ!!恵くんも龍一くんもいなくなったら嶺亜くんと挙武くんがどれだけ悲しむか分かってんのか!?それじゃ意味がない!!そんなことで生かされたって嶺亜くんは絶対に喜ばないし、死んだ方がましだって思うに決まってる!!だからそんな馬鹿な方法で救うとかやめろ!!お願いだから!!」

颯は泣いていた。その涙を降りしきる雨が拭っていく。恵の顔も雨で濡れているのか、その涙なのかは分からない。だがこの腕だけは離してはいけない。颯は恵の細い腕が折れてしまうくらいにそこに力をこめた。

「これしかねえんだよもう!!」

魂の底を震わすような声を吐きだし、恵はもの凄い力で颯の手を振りほどくとまっしぐらに神社へと駆けて行く。

颯は懸命に後を追う。だが足が震えて思うようにスピードが出ない。

恵の決意は痛いくらいに伝わってくるが、それこそ悲劇を生むだけだ。何がなんでもそれだけはやめさせないといけない。

呼吸がおかしくなるくらいにもがきながら進んだ先に恵は佇んでいた。

そこにいたのは恵だけではなかった。彼にたちはだかるようにして、数人の村人が神社の前にいた。

 

 

「恵くんのことは颯に任せて…とにかく龍一くんを探そう」

岩橋は胸騒ぎを押し殺しながら井上に言った。彼は頷き、屋敷の人間が騒然とする隙をぬって龍一の部屋へ到達するにはどこを通ればいいかを教えてくれた。

「あんまり家の中には入ったことがないから…しかもあの騒ぎだし、岩橋が見つかるとちょっとややこしくなるかも。俺だったら別に家にいてもおかしくはないからちょっと呼びだしてくるよ」

井上はそう提案した。岩橋もそれがいいような気がする。井上なら忘れ物を届けにきた、とかの名目で訪れてもおかしくはない。もっともあの騒ぎで使用人達にそこまで気が回るかどうかは分からなかったが…

岩橋は庭にある大きな土蔵のような建物の横の木陰で井上を待つことにした。雨が少しだけ凌げるし、誰かがきたらすぐに分かる。

「…」

浅く溜息をついた。神社に向かった岸くん達はうまいことやっているだろうか…まだ静かだから実行には至っていないだろう。

もっとも、成功したところで根本的な解決になるかは分からなかった。

だがやるしかない。やってみるしかない。変わらなくても、残酷な結末が訪れようとも。

岩橋は両手を握りしめる。自分を奮い立たせるために。弱気に支配されぬよう懸命に自分自身を強く保とうとした。

そうしてどれくらいの時間待っただろうか…しかし時間に直せば数分程度だが屋敷の騒ぎが今度は庭の方にまで広がってくる。岩橋は身構えた。

「龍一様!!お待ちください!!一体何を…!!」

誰かの叫び声がつんざく。岩橋は身を寄せた木陰からそっと覗き見た。

龍一が必死の形相で使用人を振り切り、何かを抱えて土蔵の中に雪崩れこむ。後を追ってその中に入ろうとする使用人達をこう一喝した。

「来るな!!来たらあんた達も俺の巻き添えになるぞ!!」

龍一のものとは思えぬほどの大声だった。使用人達は肩をびくつかせながら静止する。知らず、岩橋は木陰から飛びだし中の様子をその眼に見た。

「龍一くん…!?」

土蔵の真ん中には奇妙な棺桶が置かれている。これが岸くんがここへ来た初日に入れられたという棺桶だろうか。距離があってよく分からないが不気味な木造りの棺桶だ。ここに、斬られた嶺亜が入れられて沈められるというのか…

「龍一様!!何をなさるおつもりです!!馬鹿なことはおよしなさい。その棺桶は儀式に必要な、大切なものなのですよ!!」

「何を考えている龍一様!!恵様ばかりでなくあなたまで気が違ったのか!?いいから早く…」

喚き散らす使用人達を、冷めた眼で睨みつけながら龍一は持っていた何かを高らかに掲げた。

「何を…!?」

「棺桶なんかなくなる。嶺亜くんを入れることもできないよ。儀式なんかもう二度と行われない。嶺亜くんを死なせたりはしない」

まるで独り言のように、静かに龍一は言い放つ。その後でうすら笑いを浮かべながらライターに火を灯し、こう呟いた。

「ここにいるとあんた達も吹っ飛ぶぞ」

あれは…!岩橋は記憶を掘り起こす。

同じものだ。恐らく龍一が火をつけようとしているものは程なくして爆発する。どれくらいの威力なのかは分からないが、棺桶を木端微塵にしてしまうには十分なのだろう。当然、側にいる龍一は…

「龍一くん!!やめろ!!」

岩橋は叫び、彼に駆け寄ろうとした。

だが、それは叶わなかった。

龍一は土蔵の扉を閉めた。岩橋がそれをこじ開けようと扉にしがみついたが使用人によってそこから引きはがされてしまう。庭の隅に追いやられ、近づくこともままならなかった。

「龍一くん!!!龍一くん!!!」

喉がおかしくなるくらいに岩橋は叫んだがその叫びは龍一には届かなかった。

爆音が岩橋の声を無情に吸い込んでゆく。岩橋は咆哮をあげた。