岸くん達は倉本の家に身を寄せた。村人たちはあの後、狂ったように喚き散らす恵と、同じように叫び続ける龍一をも連れ去った。その後で岸くん達には「これ以上首をつっこめばお前達にも制裁を加える」と脅し立ち去ったのである。

「あの様子じゃ…雨があがったらすぐにでもやるつもりかも…。時間がないよ、もう…」

井上は下唇を噛む。悔しそうに畳みのケバをむしっていた。

「なんにもできなかったね、僕達…。目の前で助けを求められてるのに…」

岩橋は自分が許せなかった。どうしてあの時身を呈して助けに行くことができなかったのか…それを思うと自己嫌悪がからみついて取れない。

「まだ遅くない。少なくとも今夜までまだ時間はある。だから協力してくれよ、岩橋、岸くん、神宮寺、颯!」

倉本が四人の顔を交互に見据えて懇願した。

「でもくらもっちゃん…そのせいで岸くん達が村の人達に何かされたら…」

「…けどよ、俺達だけじゃ…」

井上と倉本は歯痒そうに床を見つめた。幼い自分達だけではどうにもならない。だけど、岸くん達の協力があれば…そう思って彼らに相談したのだ。しかしここへきてそれが困難であることをついさっき突き付けられた。

生半可な覚悟では、村人たちに潰されてしまう。現にあの時誰も動けなかった。その悔しさと己の非力さ、現実の非情さにやり場のない苛立ちが襲う。

「…冗談じゃねえ…」

ぼそっと誰かが呟いた。それは神宮寺だった。

「こんなワケわかんねえ村に来て殺されるとか、まっぴらごめんだぜ!狂った奴ら相手に正論なんか通じるわけがねえよ!」

「神宮寺…」

皆が神宮寺を見つめる。諦めに似た倉本と井上の視線…岸くんと岩橋、そして颯が三人顔を見合わせるとしかし次に神宮寺はこう叫んだ。

「けどこのまま見殺しになんてできるわけねえ!!んなことしたらあいつらのあの時の顔が毎晩夢に出て来てうなされらあ!!そうだろ!?」

「うん…そうだよね」

岩橋は頷く。

「あの時、嶺亜くんは無意識だったんだろうけど…僕に助けを求めた。それに応えないで帰るなんてできない。僕だって兄弟と引き裂かれて命を奪われるなんて絶対嫌だから…」

「大好きな友達を殺さなきゃならないなんて、俺だったらとっくに発狂してるよ。恵くんと龍一くんのことも心配だし、絶対その変な儀式だけは阻止しないと!」

颯も目に強い意志を宿してそう言った。最後に岸くんが立ちあがる。

「川で遊んでた時…あいつらいい目してたよな」

言われて、三人は思い出す。それまで憂いを帯びているか、何かに囚われているかのような陰のある瞳をしていた嶺亜と挙武のそれに年相応の無邪気さを見たことを。

そして何かに縛られたようにいつもギリギリの精神状態を保っていたかのような恵と龍一が穏やかさを見せたことを。

「嶺亜は…生きたいって言った。毎日呑気に暮らしてた俺たちじゃ絶対に出ない言葉だ。あいつが、挙武が、恵が、龍一がどんな思いでこの村で過ごしてきたのか俺には分からないけど…」

岸くんはその大きな瞳を何かに向けて真っ直ぐに向けた。

「あいつらの本当に心の底から笑った顔が見てみたい。だからそのためにはこんな忌まわしいしきたりはなくしてしまうべきだと俺は思う。だからそのためにできることをしなきゃ。びびってる場合じゃないよな」

岩橋も、颯も、神宮寺も岸くんのその言葉に深く共感する。

出会いこそあまりいい形ではなかったし、出会って間もないが不思議と岸くんも、岩橋も、神宮寺も、颯も彼らのことをどこか放っておけない存在になっている。そう、違う世界では馴染みの深い仲間だったかもしれないとさえ感じていた。そして倉本と井上のことも…

「岸くん達、それじゃ…」

倉本と井上の目に希望と期待の色が宿る。四人は頷く。

与えられた時間はごくわずかだ。1秒も無駄にできないし、失敗は許されない。

嶺亜を助けるために、挙武を、恵と龍一を絶望から救うために、6人はそれぞれの小さな勇気を共鳴させた。

 

 

 

挙武は目を覚ます。薄眼を開けると見慣れた自分の部屋の天井がぼんやりと映し出された。

一瞬のまどろみの後、頭の中をおぞましい絶望がかけめぐる。これは現実だ。嶺亜は今屋敷の地下牢に閉じ込められていて、自分はさんざん暴れて薬を打たれて眠らされたのだ。

起き上がる気力はない。だが視界の隅に時計が映った。午後6時。外はまだ完全な闇に染まってはいない。

雨と風は相変わらず窓を殴りつけていて、悪天候は続いている。が、どのみち関係ない。早ければ明日にでも嶺亜は…

それが脳裏を掠めただけで、挙武は歯の根が合わなくなる。叫びだしたいくらいの絶望感。もう成す術もなく嶺亜の命が奪われてしまう。できれば完全に狂って、もう何もかも…感情も何も宿さない廃人になってしまいたかった。でなければ耐えられるはずもない。

ならせめて嶺亜が儀式によってその命を奪われた後に、自分もその後を追おう…

そんな決意が脳裏に宿った時だった。

足音が聞こえる。それは静かに、しかしいやにはっきりと挙武の耳に届いた。それが、部屋の前でピタリと止まる。

ほとんど音をたてずに襖が開く。入って来た人物を見て挙武は知らず、身を起こしていた。

「父さん…?」

挙武の記憶はまだ父親の映像を消していなかった。会うのは何年ぶりになるか…同じ家にいながらにしてほとんどお互いが干渉し合うことはない。それはタブーとして暗黙の了解になっている。

その父が、哀しげな眼で自分を見下ろしていた。

「どうして…」

挙武が無意識にそう疑問を口にすると、父は静かにこう答えた。まるで重機が擦れ合うような重低音…挙武の記憶は父のその声までは保存していなかった。だが、どこか懐かしくもある。

「嶺亜を…助けてやってくれ、挙武…」

ああ…と挙武は思い出す。それはフラッシュバックのように脳裏に蘇る。

幼い日、まだしきたりのことも、儀式のこともよく知らなかったあの日…嶺亜と二人で「僕達のお父さんってどんな人なんだろうね」と話し、来てはいけないと言われていた父の部屋に内緒で潜りこんだことを。

父はその時何か書物を読んでいて…その背中の記憶だけがあった。そしてその背中からこう聞こえた。

「来てはいけない。まだ、その時じゃない」

幼い自分達にはその意味が分からなかったが「いけない」といわれ意気消沈して戻ったのを覚えている。だが嶺亜も自分もそれが拒絶によるものではないことだけは分かった。だから「その時」を待つことにしたのだ。

今が「その時」だというのだろうか…父の方から挙武に会いに来てくれた。

嶺亜を助けるために

挙武は立ち上がる。父の顔立ちをじっと見る。どこか自分に似ている気がした。では、嶺亜は母親似なのだろうか…

そんなことをぼんやり思っていると、父は挙武を庭に招いた。もっとも使用人達も挙武を見張っているから極力誰にも見つからないように人目を避けながら。

「雨と風がひどいが…我慢してくれるか?」

挙武は頷く。嶺亜を助けることができるのならどんなことでもできる。その意志が伝わったのか父は和服が濡れるのも構わず庭から山道へと走り出す。挙武もそれに倣った。

何故今、山に入るのか…それは分かりかねたが疑っている余裕はない。挙武は父の後を追う。

「ここは…」

見慣れた場所だった。父は神社に挙武を連れてきた。

石段を登り、鍵を挿し込んで格子戸を開く。薄暗い中にあってもその像は強烈に視界に飛び込んできた。

御神体として祀られたその像は、どす黒く変色している。何人の血を吸ってきたのか、腐臭すらした。挙武は思わず顔をしかめた。

こんなものさえなければ、嶺亜も自分も何の不安もなく生きることができたのに…

呪詛のような思いを噛みしめていると、突然ガコン、と何かが外れる音がした。挙武はそこへ視線を合わせる。

「これは…?父さん…?」

本殿の中の神体の真後ろにぽっかりと穴が開いた。父はその穴を懐から出した懐中電灯で照らす。石造りの階段のようなものが浮かびあがった。

「いつ造られたものかは知らないが…屋敷の地下牢に通じている」

言われるがままに石段を降りていくと、行き止まりにさしかかる。その狭い天井にある取っ手のようなものを父はいじりだした。そして…

控えめにそれが開く。父に促されて挙武はそこから慎重に顔を出した。

「嶺亜…」

掠れた声でその名を呼ぶ。暗く冷えびえとした地下牢に、嶺亜は横たわっていた。