龍一はそこに立っていた。ぬかるんだ山道を慣れない足取りで歩いたから足元は泥だらけだった。

闇にまぎれて、足音を殺す。存在感のなさが役立つことがあるのは皮肉だ。

ここを訪れるのは何年ぶりだろう…3年か4年か…もっと前か…。

近くて遠い所、中村家。確か前は恵が「れいあの部屋が見たい」と言いだして、4人で使用人に見つからずに部屋に辿り着くために試行錯誤した。

それは大成功だった。挙武の綿密なシュミレーションと恵の行動力が成せた業だ。本来ならタブーである両家の行き来が成功してその日は皆で笑い合った。懐かしい思い出だ。

だが今、恵も挙武もいない。自分一人であの時のように上手くやれるか心配で仕方がなかったが何かが味方したのかそれは達成できた。入って来た自分を丸い目で嶺亜は見る。

「龍一…!!」

ベッドで本を読んでいた嶺亜は、窓の向こうに龍一がいるのに心底驚いたようだった。しかし素早い動きで窓を開ける。

「なんで…!恵は…」

靴を脱ぎ、それを手に龍一は嶺亜の部屋に入る。

「恵兄ちゃんは今ちょっとふさぎこんでて…。てっきり嶺亜くんと山の神社のところで会ってると思ったらそうじゃなかったみたいで…」

「僕はまだちょっと具合が良くないから大事を取れって挙武に言われたんだよぉ。それより、一人で来るなんて無茶もいいとこだよぉ。誰にも見つかってないだろうねぇ」

「大丈夫…だと思う」

答えると、嶺亜は呆れ気味に浅い溜息をついた。

「まったく…龍一って時々無茶するよねぇ。大変なことにならなくて良かったよぉ」

「じっとしてられなくて…」

「恵がふさぎこんでるってどういうことぉ?さっき、挙武も帰ってきて…元気がなさそうだった。二人に何かあったのぉ?」

龍一は首を振る。恵が山から帰ってきて、声をかけたが虚ろな眼をして何も答えてはくれなかった。気のせいか、目には泣き腫らしたような跡があったのだ。

心配でどうしようもなくて、いてもたってもいられなくてここに来たことを告げると、嶺亜は眉根を寄せた。

「何があったんだろぉ…挙武とケンカでもしたのかなぁ」

「多分…もう限界なんだ、恵兄ちゃんは」

龍一は自分の見解を述べる。

「昨日は流れたけど、次こそは…って。どうにかしたいけどどうにもならなくて、それがもどかしくて…。だから見ず知らずの人達にも…」

見ず知らずの人達…それはきっと岸くん達のことだろう。龍一達も彼らに出会っていたのか…

「嶺亜くん、あの人達に「助けて」って言ったの…?」

そういえば、そんなことを言ってしまった気がする。だけどあの時は自分が普通じゃなかったから…。見ず知らずの人間に助けを求めることの無意味さぐらい分かっていたつもりなのに、どうしてあんなことを言ってしまったのか自分でも不思議だった。

「おかしいよねぇ…僕ももう限界にきちゃってるのかなぁ。だってもうすぐ…」

嶺亜が自嘲気味に呟くと、龍一は首を振る。

「嶺亜くんは死なない。死なせない」

なんの根拠もないが、龍一はそう言わずにいられなかった。自分なんかに何ができるわけでもないが、それだけは強い意志として漏れた。

「龍一…」

嶺亜は唇を噛む。龍一の気持ちが嬉しかった。たとえそれがどうにもならないことだとしても、その気持ちだけで少しは救われる。そう、涙が出そうなほどに。

だから精いっぱいの強がりを嶺亜は見せた。

「生意気なこと言うなよぉ。何やってもトロいくせにぃ。初めて会った時だってさぁ、龍一が山の中で恵に置いてきぼりにされて迷って泣いてたのを僕達が見つけたからだよねぇ。さすがに今迷ったりはしてないよねぇ」

龍一の苦笑いに、嶺亜も少しだけ気分が紛れて笑顔が出せた。

 

 

村の児童公園に、倉本と井上は岸くん達を連れてきた。当たり前だが9時を過ぎたこんな時間には誰も遊んでいない。錆の浮き出たすべり台とブランコ、そして鉄棒と砂場があるだけの小さな公園だ。

ベンチに腰掛け、倉本は話し始めた。

「この村…神七村っていうんだけど…周りが山に囲まれてるだろ?だから昔から他と隔絶されたような村だったんだ。古くからの独特な慣習とかがまだ根強く残ってて…俺も社会の授業で習ったことぐらいしか知らないけど江戸時代にはもうあった村なんだ」

公園の街灯に虫がぶつかっている。辺りは不気味なくらい静まり返っていた。

「村ができて何年も経たないうちに、疫病や災害、飢饉なんかで人が次々死んで…他の村はそんなことないのに、この村だけが災厄にみまわれてばっかで、村人がその原因をつきとめようと躍起になってる時に一人の旅の僧がこの村に辿り着いてこう言ったんだ」

「『この地には古の呪いが降りかかっている』って。神様の怒りを買っているって。それを鎮めるために神社をたてて、神体を祀る必要があるってその僧は言ったんだ」

井上が補足説明をする。彼は続けた。

「村のど真ん中にある小さな山にそれを建てて、神体も作って祀った。けど、災厄は収まらなくて…そしたら今度は「生贄が必要だ」って僧は言いだした」

「その生贄の血を御神体にすすらせて、生贄の亡き骸を棺に収めて池に沈める…古文書みたいなものに「池に餌」…「いけにえ」って記されてたみたい。神社の完成に合わせるように、大雨でその近くに池ができたらしいよ。そこに儀式の度に死体が入った棺を沈めたんだ。災厄はそれでピタリとやんだらしい」

棺…まさか、あの時自分が入れられていた棺桶のことでは?岸くんは思い出して身ぶるいした。

岸くんの話を聞いて井上と倉本は頷く。倉本は言った。

「儀式に必要な棺桶と日本刀は代々栗田家が管理するって決められたんだ。その頃から中村家と栗田家は村の重要な役を任される権力者だったから…」

「栗田家が棺桶と刀を管理する。じゃあ中村家は…」

颯の言わんとすることを、井上が代弁した。

「そう。中村家は生贄の方を担うんだ。家に生まれた女の子を、16歳になった年の8月の満月の晩に捧げる…それがしきたり。そして、その女の子の血を御神体に捧げるために日本刀で切る役目が…」

「まさか…」

神宮寺は声を震わせた。彼の中で繋がったのだ。挙武と恵の会話が。

井上は頷き、わずかに震える声で言った。

「栗田家の跡取り…長男である恵くんなんだ」

全員絶句した。

そんなしきたりがこの平成の世の中にまだいきづいているとは…驚きだけでなく、憤りにも似たものを感じた。颯がまくしたてるように叫ぶ。

「そ…それって殺人罪でしょ!?そんなの、警察に通報したら今すぐにでもやめさせられるじゃん。どうして…」

「無駄だよ。だって村の大事な儀式だもん。よそ者になんか介入させたりしないよ。この村全体がグルみたいなもんなんだよ。いくらでもどうにでもなるんだよ。表向きは病死か事故死…お医者さんだってこの村にいるんだから死亡診断書も書いてもらえる。そうしてずっと誰にも見つからず、騒がれずに続いてきたんだ」

「けど、おかしいよそれ…」

岩橋が言った。

「今、中村家の「娘」って言ったよね?でもあの二人は男じゃん。妹やお姉さんもいなさそうだし、女の子がいないんじゃ儀式は成立しないんじゃあ…」

岩橋の疑問に、倉本が沈痛な面持ちで答える。

「中村家の女の子には…代々不思議な痣があるらしいんだ。昼間言っただろ。お湯につかると浮かびあがる痣…それが何故か男である嶺亜くんに宿ってたんだ」

「え…」

岩橋はそこで記憶が掘り起こされる。中村家の使用人たちが話していた会話の内容が。

そうだ。彼らは言っていた。「気の毒だがあの痣を持って生まれた者の宿命として」と…

そして岸くんもまた、自分がこの眼で嶺亜の背中の痣を見たことを思い出す。

「嶺亜くんと挙武くんのお母さんは村の外からあの家に嫁いできて…村のしきたりを知って凄い嘆いたそうだけど…生まれてきた双子が二人とも男の子で、安心してた。けど…」

倉本はそこで口を抑えた。

「お母さんが赤ちゃんを…嶺亜くんを沐浴させてる時に、その痣が浮かび上がったのを見てしまったんだ。しきたりには正確には「娘」ではなくて「痣が浮かびあがりし者」ってあって…それが何故か女の子にしか出ないからいつの間にか「娘」っていうことになってたけど…。それを見て、嶺亜くん達のお母さんは絶望のあまり病んでいってそれからすぐに亡くなった。自分の息子が16年後に殺されることが耐えられなかったんだろうって…」

「そんな…そんなことって…」

岸くんは声を震わせた。

幼馴染みである嶺亜と恵はそれぞれ生まれた時からお互いに殺し、殺される運命にあったということだろうか。

だから…

「だから栗田家の人間と中村家の人間は会っちゃいけないんだ。中村家の人間は学校にも通わない。家から出ることも稀なんだ。生贄になる方がより自由がきかない。だっていなくなられたら困るから。村中で監視してるようなもんなんだよ。俺達が嶺亜くんと挙武くんと知り合ったのは昔、イタズラ心であの山に入ったのがきっかけなんだ」

井上は寂しげに視線を落とす。

「嶺亜くんは16歳になったら自分が死ぬって分かってて、挙武くんは嶺亜くんを失うだけじゃなくていつか生まれる自分の娘を同じように失うっていう運命を背負ってる。恵くんだって生まれた時から自分が人殺しをしなくちゃいけないことを義務付けられていて、龍一くんはそんな恵くんの背中をずっと見て…」

「そんなバカな話あるかよ!なんであいつらは逃げようとしないんだよ!」

神宮寺が叫ぶ。

「逃げることはできないんだ。村への出入り口はあの狭い道一つ…あとは山を越えるしかないけど、それも無理…。お前らがここに辿り着いたのだって奇跡みたいなもんだよ。普段、怪しい奴が紛れたりしないよう大人が見張ってるけど、多分お前らが来た頃、ちょっと村外れで小火騒ぎがあってそっちに人が狩り出されたから…」

倉本が言った。彼らは二人して俯いた。

「俺達だってこんなのがおかしいことは分かってるけど…でも俺達だけじゃどうしようもない。だけど…」

そこで井上は顔をあげた。

「だけど、もしかしたら…岸くん達に協力してもらえば…ねえくらもっちゃん。話してみようよ」

倉本は頷いた。