あれだけ荒れ狂っていた嵐は日が暮れる頃にはもう落ち着いていて、空には星すら瞬いていた。まるで嘘のように穏やかな夜だったが、挙武の胸中は全く正反対だった。

月は欠けている…

それを確認して懐中電灯を持つ。そして庭の裏手から山道にさしかかる階段を登る。慣れた道だ。灯りなしでも進めるくらいにもう体が覚えてしまっているが念のため懐中電灯はつけておいた。

嶺亜は部屋で休んでいる。天候が回復すれば行きたいと言っていたが大事をとらせた。嵐が今夜も続くと思われていたから儀式は先延ばしであることを知り、そうさせた。

歩き続けて数分、辿り着くと予想通り先客はいた。「よお」と声をかけるとその人物…恵は立ち上がる。が、挙武をみて少々不満そうな顔を見せた。

「挙武だけかよ」

「悪いな。嶺亜は今朝から体調を崩してるから大事をとって休ませた」

「そっか。明日は大丈夫だろ?」

挙武が頷くと、浅い溜息を恵はつく。

「雨がやむのがはえーから、今日かもしんねーってヒヤヒヤしたぜ。まあ準備してる気配がねーからやるわきゃねーって分かってはいたけどよ」

「仮にもし今日だとしたら…どうしてた?」

挙武は訊ねた。恵は腕を組んで闇を見つめた。

「分かり切ったこと聞くんじゃねーよ。ここから脱出してるに決まってんだろ。…れいあと一緒によ」

「考えが甘いな。そんなことができるわけがない。この山から出る前に取り押さえられておしまいだ。多勢に無勢、村の人口が何人だと思ってるんだ。敵うわけないだろう」

「分かんねーだろそんなの!向かってくる奴全員切りつけてやりゃあ皆逃げんだろ。そしたら…」

「まず刀をもぎ取られて終了だ。大人をなめちゃいけない」

「うるっせーよ!お前こそよくそんな冷静でいられるな!今日かもしれなかったってのによ!平気なのかよ!」

「平気なわけないだろう」

恵が覗いた挙武の横顔は冷静そのものだった。だが、そうでないことを次の瞬間に悟る。

挙武の握った拳が震えている。彼もまた、儀式が今日でないことに泣きだしたいくらいの安堵を抱いている。

「龍一は?」

挙武は話題を変えた。冷静さを取り戻すために。

「昨日棺桶いじってたのバレてむちゃくちゃ怒られてその罰受けて家の掃除させられてる。クソ真面目にやってやがるけど俺は途中で逃げてきた。あいつ要領わりーからな」

「棺桶をいじった?」

「あのよそモン…岸とかいう奴がよ、俺の声にびびって逃げる途中山道踏み外して転落して気ぃ失ってたからうちに運んで棺桶ん中入れてやったんだよ。なんとかこいつをれいあに見立てらんねーかなって。結局気がついて大騒ぎされて結果家のモンにバレちまったけど」

「呆れたな…殺人罪になるぞ。全く不憫な男だなあの岸とかいう奴は」

「どっちみちこのままだと俺は殺人者になるからな。殺すのがれいあじゃなかったらもう俺にとっては誰でもいーんだよ」

「お前に嶺亜を殺せるわけがないだろう。そんなことするくらいなら…」

恵は頷く。そして断言した。

「俺があの刀で喉かっ切って死んでやらあ」

 

 

神宮寺は見た。何気なく外に目をやっていると、誰かが山道に入って行くのを。その後ろ姿は挙武か嶺亜か見分けがつかなかったが恐らく挙武だ。嶺亜は体調が悪いらしいから…

岸くん達が早々に風呂に行ったから神宮寺は暇だった。それに、なんとなく虫の予感めいたものが働いたから後をつけてみることにした。昼間にスーパーで買った懐中電灯を手に山道に入る。もっともつけていることがバレたら何を言われるか分からないから細心の注意をはらって見失わないように、足音をたてずに歩く。

(…って俺何やってんだ?別にあんな奴のこと気にする理由もねーのに…)

しかし疑問を抱いた時にはもうそこに辿り着いていた。

神社の石段に誰かが座っている。挙武の持っている懐中電灯で照らされ、そいつは立ち上がった。

恵だった。

神宮寺は神社の裏手に回った。二人の会話に耳を澄ませる。

「…!」

俄かには理解し難い内容だった。

殺す…?誰を…?嶺亜を…?恵が…?

神宮寺は混乱する。話の概要しか分からないがつまり恵が嶺亜を殺すかもしれないってことだろうか…

何故?

昼間、彼は強い意志を宿した瞳で「れいあは殺させねえ」と断言した。それなのに、どういうことだ…?

神宮寺の理解の範疇を軽く超えている。こいつは全く未知の領域…所謂「ピー」というやつだ。

なんか知らんがおかしい。異常だ。こんな奴らに関わるなんて常識的に考えてまっぴらごめんだ。今すぐ出て行って、記憶から消し…

「おい、どういうことだよ」

しかし無意識に体が動き、声が出ていた。

神宮寺の声に恵と挙武は振り返る。

「てめえ…昼間の…」恵が凄む

「盗み聞きか。全くいい趣味してるな」挙武が冷たい視線を刺してくる。

神宮寺は自分が何故首をつっこむような真似をしてしまったのか分からない。分からない、が自分の中の何かが静かに火を灯した。そんな感じだった。

「なんとでも言え。それよりどういうことなんだよ。お前ら殺人計画でも練ってんのか?おい挙武、嶺亜はお前の双子の兄貴だろ!それを恵が殺すってどういうことなんだよ。お前ら、なんか嶺亜に恨みでもあんのかよ!」

言いながら、全くの見当違いであることは自分でも分かる。その証拠に挙武は呆れたような白い目で神宮寺を見据えた。

「馬鹿に説明するほど暇じゃない。ただ、このことを口外したらただでは済まないぞ」

「だからタダどころか高くつくっつってんだろ!尋常じゃねーよお前ら!15やそこらで殺すだのなんだの…。ここは法治国家日本だぞ!憲法習わなかったのかよ!まあ俺も何一つ覚えちゃいねーけどさすがに殺人が罪だってことぐらい知ってるぜ!」

「お前には関係ない。よそ者が村のことを嗅ぎ回って首をつっこむな。お前たちのためにもならないぞ」

どうしてこうも予想通りの答えしか返して来ないんだろう…神宮寺は苛立った。何故なら神宮寺はもうすでに感じとってしまっているからだ。

冷静に言い放つ挙武が…その鋭い眼差しの向こうで助けを求めているのを。

「そりゃカンケーねえけどよ!けどお前らがおかしいことぐらい俺にだって分からあ!一体なんなんだよこの村は!お前ら何を抱えてやがんだよ!」

そして神宮寺は自分にも苛立った。何故昨日今日出会ったばかりのいけ好かないこんな奴らのことを放っておけないのか。この胸騒ぎはなんなのか。

何か、とんでもなく根強いものが彼らを縛りつけている…

そうだ。違和感はそれだ。

挙武も嶺亜も、そして恵も龍一も、無邪気さがまるでない。井上と倉本だってそうだ。村のことを話す彼らは年相応の少年では出しようもない悲哀をその眼に宿す。まるで何もかも諦めたかのような、それでいて諦めがつかない葛藤…

自転車の旅に出る時、神宮寺は未知への冒険に期待に胸を膨らませた。岸くんも、岩橋も、颯も瞳をキラキラさせて出発した。同じ瞳を、だれしもが持っているものだと思っていた。

だが、彼らにはそれがない。

呪縛に囚われて、生きる希望を持つことも、自由も許されずにやがて来る死を迎える。そんな瞳をしている。

もし仮に、自分がそうだったら…?神宮寺は自問してみた。答えは明白だ。

とっくに気が狂ってる。

その強さ、脆さ、相反する精神が彼らをこんなにしてしまっているのだろう。それとも…

「…お前に何が分かる…」

挙武の声は震えていた。その隣で恵が彼を制しながら

「おめーらには分かんねえだろうよ。俺らはな…俺はな、生まれた時からこの村にいて、ここが世界の全てなんだ。外のことなんて知らねえ。隔絶された世界なんだよここは。おめーの常識なんざこの村では非常識そのものだ」

整った顔立ちに、鬼を宿して恵の低い声が闇にこだまする。それは叫びのようにも、嘆きのようにも、そしてSOSのようにも聞こえた。

「だけど、一番大切な奴のことこの手で殺さなきゃなんねえなんて、世界中どこ探したってこのフザけた村にしかねえしきたりだろうよ!!」

闇はその魂の叫びを無情に吸い込んでゆく。

恵の眼からは、涙が溢れだしていた。

 

 

「ねえくらもっちゃん、大丈夫かな…」

縁側でスイカを食べながら、井上は呟く。岩橋に買ってもらったスイカだ。

「何が?」

種を飛ばしながら、郁は訊き返す。

「昼間…よそから来たあの人達に村のことしゃべっちゃって…怒られないかな。嶺亜くんのことも…」

郁は頭を掻いた。

「言っちゃったもんはしょーがねーじゃん。みずきだって言ってたろ、あいつら悪い奴じゃなさそうだって」

「そうだけど…」

俯く井上の頭を、ポンポンと倉本は撫でた。同い年だが弟のような存在の彼を安心させてやろうと拙い言葉を投げかける。

「たまには誰か知らない奴らにでも言わなきゃ、俺らだって潰れちまうよ。「王様の耳はロバの耳」って話でさ、秘密をずっと誰にも話せない床屋が病気になってたろ。それと一緒」

「そうかなあ…」

「俺はこの村好きだけど、あの変なしきたりだけはどうしても好きになれねー。なくせるんならなくしてーっていつも思ってるよ。あれさえなきゃ嶺亜くんだって挙武くんだって皆と堂々と遊べるし、恵くんも龍一くんももっと笑ってくれるようになってただろうしさ」

「うん」

井上は頷く。最後の一口を食べると星を見上げながら呟いた。

「なくすこと、できないかなあ…」

そこで倉本は母親から呼ばれた。

「昨日お洋服貸してあげたお友達が来てるよ。服返すのと、郁達と話したいって」

「え?」

玄関に回ると、岩橋の他に岸くん、神宮寺、颯が立っていた。

「服ありがとう。あと…」

岩橋が倉本に服を差し出し、神宮寺を横目に見た。それを受けて彼が前に出る。そして真剣な表情でこう言った。

「教えてくんねーかな、知ってんだろお前ら。この村のしきたりってなんなんだよ?」

倉本は井上と顔を見合わせた。