「38度5分…やばいよ嶺亜、今日は一日寝てなきゃ」

体温計の数字を岸くんが小声で読み上げた。

「ごめんねぇパパぁ…お弁当作れなくってぇ…」

かすれた声で嶺亜が謝る。何言ってんの、気にしないで休みなよと岸くんは言って嶺亜に蒲団をかけた。

「おいパパ、れいあ大丈夫かよ?」

部屋を出ると恵が心配そうに訊ねてくるが岸くんは首を横に振る。岸家緊急事態であることをリビングで皆に告げた。

「嶺亜は今日一日絶対安静だから…各自家事炊事分担するように。とりあえず郁、今日は弁当ないからコンビニで買って行きなさい」

郁に千円札を渡すと彼は嬉々として受け取った。

「300円台の弁当なら3つ買えるなー。それとも2つにして残りをホットスナックにするかなー」

能天気な郁の頭をばしっと叩いて恵は岸くんに言う。

「おいパパ、俺がれいあのこと病院に連れてくからおめーは出社しろよ」

「そういうわけにもいかないよ恵。お前はちゃんと学校行け。俺は時間休使えばいいから」

「嶺亜が風邪かー。パパ昨日ヤりすぎたんじゃねーの?」勇太がトーストをかじりながら冗談めかす。

「嶺亜は寝込むとわりと長引くからな。いい薬処方してもらってくれよパパ」挙武が紅茶をすすりながら言う。

「ちょっとちょっと勇太くんも挙武くんも冷たいよ。嶺亜くんが寝込むなんて相当疲れが溜まってるんだよ。みんなで助けてあげなきゃ!」

5男が模範的かつ建設的な意見を言う。やっぱり颯はいい子だ…と岸くんは感涙に咽ぶ。天国の嶺奈、見てますか?颯はすくすくいい子に育ってます…

「嶺亜兄ちゃんが倒れるとこの家がゴミ屋敷になってしまう…」龍一はリビングの隅で震えていた

「とにかくみんな、自分のことは自分でするように。家事分担は帰って来てから決めよう。とりあえず学校に行って勉学に励みなさい」

父親らしく岸くんは締めた。一家の母親的存在の嶺亜が伏せってしまうのは岸家にとって危険信号である。早く良くなってまた天使の笑顔を見せてほしい。岸くんは祈りをこめた。

「パパ心配しないで。俺が嶺亜くんの分も家のことするから。パパは安心して仕事しててよ」

「颯…お前って奴は…」

岸くんは涙ぐむ。

「今日はテスト前で部活もないし、俺が夕飯作るよ。腕によりをかけて作るからね!あ、もうこんな時間、遅刻しちゃうから行ってきまーす!」

いそいそと颯は玄関に向かって行った。それを見送りながらまだのんびり食べている他の子ども達に岸くんは説教モードに入った。

「皆、颯を見習わなきゃ。こういう時こそ家族の絆が試されるんだから…おい勇太、挙武、お前達はお兄ちゃんなんだからもうちょっとそれらしく…」

しかし岸くんの説教の途中で勇太と挙武は青ざめ始める。何故か恵達まで同じ表情になった。けろりとしているのは郁だけである。

「なに?どうしたの?パパのお説教そんなに怖かった?」

「冗談じゃねえぞ…」

岸くんの言葉を遮って、勇太が呟いた。挙武も続く。

「颯が夕飯を作る…だと…?」

わなわなと震える横で龍一が頭を抱え出した。

「嫌だ…もうあんな悪夢は…」

嶺亜が寝込んだ、と聞かされたときとは比べ物にならないほど恐れをなしている。これは尋常ではない。そのただならぬ雰囲気に岸くんは背中が寒くなった。

「何?どういうこと…?」

訊ねると、恵が珍しく神妙な面持ちでこう説明した。

「パパ、おめーはまだ颯の料理食ったことがねーからそんな平気な顔してられんだぞ。いいか、あいつの作った料理はこの世のモンじゃねえ。いくら俺がアホでもあんなもん食わされそうになって黙ってられるほど命知らずじゃねえ。帰ったら全力で俺ら止めに入るからな。いいな?」

「へ…?そ、そんなに…?」

「いつだったか…あれは、そう…5年ほど前かな…嶺亜が友達の家に一泊した時のこと…」

挙武が紅茶カップを置いて切々と語り始めた。

「出前で済ますにもママの給料前でそんな金もなく、家には米と若干の野菜と味噌と卵と加工食品のみ…どうしようと思ってると颯が『調理実習で包丁や炊飯器の使い方を覚えたから俺が作る!』と言いだした…」

「ふんふん。いい子じゃん。颯らしい」

「皆特に反対しなかった。面倒くさいしな。ママも『颯が作りたいって言ってるならそうさせてあげるぅ』とか言って能天気に任せていたら…」

まるで怪談話のノリである。皆も神妙な面持ちでその昔話を聞いた。

「できあがったものがもう…とてもじゃないけど食えたものじゃないんだ…不思議なんだよ、普通の食材を使ってどうしてあそこまで凄まじい味にできるのか…。一種の才能だな、あれは」

「ま…まーたまたー!大げさすぎだよ挙武は!」

岸くんが冗談で片付けようとすると勇太がかぶりを振った。

「別に誇張も何もしてねえよ。俺が一番キツかったのは砂糖にぎりだな。あれ食った瞬間農家の人に申し訳なく思ったけどリバースしちまったし」

「間違えただけでしょ。小学生の頃でしょ?砂糖と塩間違えるなんて良くあることじゃん。もう高校生なんだから間違えるはずが…」

「あめーよパパ。あいつ自信満々に『塩より砂糖の方が合うと思ったんだ!』って言ってたし。他の料理も食えたもんじゃねえ。あんなの平気で食えんのは郁ぐれーだぜ」

恵が胸のあたりを押さえながらそう言った。その郁は能天気に5枚目のトーストにあんずジャムを塗っている。

「味噌汁でさえも強烈だった…野菜と味噌を溶かして入れるだけの料理がどの行程でそうなったのか、真っ黒に凝固していた」

ミソスープが真っ黒…?岸くんは戦慄した。

「その日から俺達は…颯にだけは料理をさすまいと誓った…その時初めて兄弟が一つになったんだ…」

指をくるくる回しながら龍一が呟く。

「いや…でもさ、張りきってるしもう小学生の頃とは違うんだしやらせてみてもいいんじゃ…」

岸くんがそう諭すと皆は溜息をついた後、

「じゃあパパが責任持って全部食えよ。次はパパが寝込むことになっても俺ら知らねえからな」

勇太の脅しにびびった岸くんは「やっぱり出前を取ろう」という結論に落ち着いた。そして颯にそれを伝える役割を龍一に任せ、その他の家事分担を考えた。

 

 

「ごめんねぇ、パパぁ…会社遅れちゃうねぇ…」

タクシーを呼び、嶺亜を近くの内科に連れて行く。待合室で嶺亜は青ざめた顔で頭を下げた。

「何言ってんの。こんな時くらい何も考えないでゆっくりしなよ。夕飯は出前取るし、他の家事も皆に分担したから。いい機会だから皆に家事覚えてもらおうと思って」

「ありがとぉ…でもぉ…あの子達に任すのはそれはそれで心配だけどぉ…」

咳まじりにそう呟いて、診察室に呼ばれて嶺亜は歩いて行く。心配しながらそれを見守り岸くんは会社に連絡した。

嶺亜は夏風邪で喉が赤く腫れていると診断された。薬を処方してもらって家に戻り、寝かしつけると岸くんは出社する。頭を下げて回ると皆温かく迎えてくれて一安心である。

「いやーしかし偉いねー岸くん。その年で高校生の父親やるとかねー」

「ほんとほんと。うちの息子、岸くんと同い年だけど大学生だし遊び回ってるだけで家のことなんにもしないんだもの。爪の垢煎じて飲ませたいわ」

「いやそんな…」

褒められると少しは父親らしくなってきてるのかな、なんて自己評価がやってくる。嶺亜のことは相変わらず心配だから病人食について主婦の社員から知恵を賜る。そして定時にあがらせてもらうと岸くんはダッシュで帰宅した。

そこで惨状を目の当たりにすることになる。

 

岸くんが会社に2時間遅れで出社する少し前、颯への連絡を義務づけられた龍一は休み時間にメールを打った。

「『パパが出前取ってくれるから颯は作らなくて大丈夫だよ』…まあこんなところでいいか…」

思い出すのも恐ろしい。あんな殺人料理を食べさせられるのは龍一とて御免だ。しかも颯本人はそのことに気付いていないから余計に厄介だ。100%親切のつもりでやっているから滅多なことは言えないのである。

「どうしたの龍一くん、溜息なんかついて」

本高が顔を覗きこみながら訊ねてきた。

「うん…嶺亜兄ちゃんが風邪で倒れちゃって…今日の夕飯を颯が作るって張りきってるんだけど颯の料理はお世辞にも食べれたもんじゃないからやんわりと断りのメールを入れてたんだ」

「え!?嶺亜く…お兄さんが風邪で!?」

本高は目を丸くした。彼は純粋に嶺亜を慕っている。その純粋さはいささかエキセントリックではあるが…

みるみるうちに本高は悲壮な顔つきになっていった。

「僕がもうちょっと早く生まれて医者になってたら…すぐにでも診察にかけつけるのに…。ああ、でも嶺亜く…お兄さんのやわ肌に聴診器を当てるだなんてそれだけで僕が倒れてしまいそうになる…これはどうしたものか…」

「…」

「しかしながら、嶺亜く…お兄さんの中にいるウイルスが飛沫感染および空気感染で僕に伝染るなんてこともあり得る。嶺亜く…お兄さんの体内にあったものが僕の中に…なんという素晴らしきこと哉…あああ、うつされたい…嶺亜くんに風邪をうつされたい…」

「…」

「いいなあ、龍一くんは…。同じ屋根の下で暮らしてればいくらでもうつされるチャンスはあるもんね…はあ…」

本高は勝手に妄想に浸って頭を悩ませ始めた。龍一は放っておいて次の授業の予習を始めた。

一方末っ子の通う中学では…

「なんだよ郁、そのコンビニ弁当。しかも3つも」

3つのうち1つ目を早弁しているとクラスメイトの橋本涼に指摘される。わらわらと林蓮音、羽場友紀、金田耀生も集まってくる。

「家事を一手に担ううちの長男が倒れてさー。弁当作ってくれる人がいなくなっちゃって。そんでパパが昼飯代に千円くれたから330円の弁当3つ買ってきたんだよ」

「へー。うちもお母さん風邪引いた時とか飯困ったなー。今日誰か作ってくれんの?」橋本が金田とオセロをしながら訊ねた

「下から三番目の兄ちゃんが作るって言いだしたんだけど他の兄ちゃんが断固阻止しろってすげえ剣幕でさ。確かに昔作った時不思議な味したけど食いもんには違いないから俺は別に良かったんだけどさー。結局出前取るって」

「出前も今高いじゃん?うちこないだピザ頼んだら大してお腹いっぱいにならないのに2300円もしてさー。お前ん家確か7人兄弟だろ?そんでパパが19歳になったばっかだろ?よくそんな余裕あるな」林がけん玉をしながら訊く

「いやー正直かなり苦しいようち。その下から三番目の兄貴が金かかる私立高に入ったしさ。1ミリも余裕ないね」

「だったらさー、やっぱ出前取るより作った方が良くない?郁が作れば?」羽場が机の上でベーゴマを回しながら提案する

「いやー俺は食うの専門だから」

「じゃあさー郁、瑞稀に教えてもらやいいんだよ。あいつお母さんが入院してる時とか自分で作ってたって言ってたし。それをきっかけにして二人の仲が進展したりして…ひゅーひゅー」

金田が何気なく言った一言に、次の瞬間郁は瑞稀の元にダッシュしていた。

郁が初恋を実らせるべく奔走している頃、また別のところでは…

「おい颯、今日は部活はないがこの朝日と自主練を交えた100M走第247戦だ!今日は俺が勝つ!」

HRを終え、教室を出ようとすると朝日に呼びとめられた。したい気持ちは山々だったが颯は事情を説明する。

「何?家事が得意な兄貴が寝込んでる?」

「そう。夕飯を俺が作ろうかと思ったんだけど双子の弟からパパが出前取るからいいよって連絡があったんだ。でもせめて何か役にはたちたいし早く帰って家事手伝わなきゃ」

それを聞いた朝日は涙ぐむ。

「颯、お前って奴はなんという…さすがこの朝日がライバルと認めた男!!そうと知っちゃ黙っておれん。お前の家は経済的に苦しいと言ってたから出前を取るより自炊した方が良かろう。この朝日に手伝えることがあったらなんでも言え!」

「いや、そんな迷惑かけるわけには…」

颯が遠慮しようとするとそこに朝日の兄達が通りかかった。

「え、何?嶺亜が風邪で倒れたの?それは可哀想に。一家のお母さんが倒れたら家中暗くなってんじゃないの?俺が一発ギャグで明るくしてやるよ!」四男の海斗がイノキの物真似をしながら挙手した

「海斗、病に伏せってるレディ…じゃなかった少年にそんなの迷惑だろ。そうだな、俺は薔薇の花束でも持って見舞いに行こうかな」すっかりキャラ変した三男の顕嵐が髪をかきあげる

「病気の時は栄養あるもの食べないとねー」二男、海人が張り切ってお粥レシピのアプリを取得した。

「お前ら迷惑だけはかけるんじゃないぞ。まあ岸くんも困ってるだろうし昔なじみのよしみで助けに行くか」何故か大学から遊びに来ていた長男の閑也が頷く。

「なんか良くわかんないけど皆さんありがとうございます!」

素直な颯は彼らの親切だかおせっかいだか野次馬だか分からないそれに感謝しつつ頭を下げた。

そして颯が人の優しさのありがたみを感じている頃、勇太と挙武は…

「おう挙武、龍一は上手くやっただろうな」

帰り道で挙武に会い、勇太がそう訊ねると「多分」と彼は返事をする。

「嶺亜が倒れると色んな家事が回らなくなるからなー」

「そうだな。普段は困った小悪魔二面性トンデモぶりっこだがこういう時に有難味が分かるというもんだな。早く良くなってもらわないと」

そんな話をしていると家の前でばったりとお向かいの森本家の慎太郎に合う。

「よお、勇太に挙武。これ田舎から送ってきたスイカだけどおすそ分け。でも嶺亜、スイカ嫌いって言ってたから嶺亜にはこっち」

慎太郎は少し照れながらシュークリームの入った箱を掲げた。有名なスイーツ店のものである。

「俺らには田舎から送ってきたモンで嶺亜には有名スイーツかよ。えらい差だなおい慎ちゃんよー」

勇太がぼやきながらも慎太郎の肩に手を伸ばす。

「まあもらえるものはもらおう。うちの経済状況は厳しいんだし」

挙武が勇太をたしなめつつ、シュークリームがいくつあるかさりげなく確かめた。

「まーでも嶺亜は今シュークリームなんか喉通らねえと思うぞ。お粥かうどんぐらいしか食えないし」

「え?どういうこと?」

「嶺亜は今風邪ひいて寝込んでいる。今朝パパが病院に連れて行ったから薬を飲んで今頃寝ているだろうな」

挙武の答えに慎太郎は血相を変えた。

「マジかよ…そんなことになってるなんて…。分かった。至急風邪に効くもん持って行くから待ってろ」

勇太にスイカの箱を手渡し、挙武にシュークリームの箱を押しつけ、慎太郎は家に戻って行った。

 

 

「どうもすみません、お先に失礼します」

会社を後にし、ダッシュで岸くんは駅に向かう。電車に乗り込むと知り合いにばったり会った。

「あ、岩橋」

「あ、岸くん。今帰り?お仕事御苦労さま」

「どうも。岩橋は?どっか行ってたの?」

「野球サークルの帰りだよ。今日は市内の練習場が借りられたから」

よく見れば岩橋の荷物はグローブやユニフォームなど野球グッズばかりだった。色白の肌が少し日焼けしている気がする。

それから最寄駅に着く数分の間会話をした。嶺亜が風邪で寝込んでいることを離すと岩橋は心配そうに眉根を寄せた。

「それはかなり一大事だね。岸くん、僕に手伝えることがあったらなんでも言ってよ。こう見えても一人暮らしをしてるから少しは家事についてもたしなんでるよ」

「ホントに?そうしてもらえると凄く助かる!皆で分担したんだけどいかんせんいつも家事は嶺亜に頼りっきりだから今一つ心配で…」

岸くんは岩橋の好意に甘えることにした。彼を連れて帰宅する。

「ただい…なんだこりゃ?」

玄関に無数の靴が散乱している。8人家族だからいつも多いと言えば多いがそれにしてもその倍はある。不思議に思っているとリビングから何やら騒がしい声が聞こえてくる。

「ただいま…って何これええええええええ!!!!!!!」

リビングのドアを開けるとそこには岸家の人々オールスターズかと思うような面子で溢れかえっていた。キッチンには颯と朝日と郁と瑞稀、そして海人(うみんちゅの方)が立ち、薔薇の花束をかかえた顕嵐にお医者さんカバンを携えた本高になんだか分からない薬草の束を抱えた慎太郎がジャンケンをしていて、リビングでは閑也と海斗と勇太と挙武がAVのパッケージについて熱い議論を飛ばしている。何がなんだか訳が分からない。

「あ、パパおかえり!」

岸くんに気付いた颯が菜箸を握りながら手を挙げた。

「今すっごおく美味しい夕飯を作ってるからね!嶺亜くんの病人食は職人のうみんちゅさんに任せた!」

「食べ物のことなら任せて任せて」

海人は得意げに胸を叩いた。その横では郁と瑞稀が微笑ましくクッキー作りをしている。

「ちょ…これはどういう…」

岸くんが面喰らっているとジャンケンをしていた顕嵐と本高、慎太郎の決着がついたようである。

「では僕が先陣を切るということで…」

本高がいそいそとお医者さんカバン(ドラ○もんモデル)を手にリビングを出ようとした。

「ちょ、ちょっと待って、先陣を切るって…」

「あ、お父さん今晩は。岩橋くんもこんばんは。相変わらずお可愛いですね。あの、僕医者を目指す者として嶺亜く…お兄さんのウイルスを摂取しに…じゃなくて診察に窺おうと思いまして」

「し、診察?お、お医者さんごっこ?」

岸くんがイケナイ妄想をしかけていると顕嵐がバラの花束を抱えてこう言った。

「次は俺が。病に伏せってるレディの寝室に押しかけるのは趣味じゃないけど」

「…誰?」

なんか前回会った時とキャラが大きく違う気がして岸くんは目を擦った。そうこうしていると薬草だか漢方薬だかの束を抱えた慎太郎が岸くんの前に踊り出る。

「田舎の金沢の近くには薬で有名な富山があるから病に効く薬草を一通り揃えました。嶺亜の風邪はもう大丈夫です、お父さん」

「薬草って…そんな…ド○クエじゃあるまいし…あっちょっと本高くん待ちなさい!嶺亜は今面会謝絶だから!顕嵐くんこのバラありがたくいただくね!セクシーローズって品種なの、オシャレだね!慎太郎くん薬草はちゃんとすりおろして使わせてもらうから庭に置いといて!ちょっと閑也、お前の弟たちなんとかしろよ!あ、瑞稀くんいらっしゃいいつも郁がお会世話になってます。うみんちゅくんおかゆありがとね。あとで俺が部屋に持って行くから…颯?」

岸くんは一気に来訪者にまくしたてた後、颯が何やら怪しい液体を鍋で似ているのを見た。気のせいか物凄い臭いがそこから放たれてる。

「とりあえず換気を…颯、何作ってんの…それ…?」

窓を開けながら恐る恐る訊ねると颯はおたまを持ちながら照れ臭そうに答えた。

「シチューだよ!栄養のあるものいっぱい入れて、食べやすいように色々スパイスも入れたから自信ある!パパも嶺亜くんの看病で疲れてるだろうからしっかり食べて体力作ってよ!」

岸くんはこの時昔読んだ漫画のあるひとコマを思い出した。そう、ドラ○もん第13巻に掲載された「ジャイアンシチュー」の回である。文字通りジャイアンが作ったシチューで、それにはひき肉とたくあんとしおからとジャムとにぼしと大福とその他色々入っていて…

「できたよ!さあめしあがれ!」

「あ、ありがとう…あ、ビーフシチューだったんだあ…ハハ…」

皿になみなみと盛られたシチューは黒ずんだ半凝固体だった。具に何を入れたのか分からなくなるくらい濁っていて底なし沼を連想させる。

「ホワイトシチューだよ。ルーは市販のやつ使ったけど。あと隠し味に味噌使ってみた!」

確かにホワイトシチューの箱がキッチンにあった。そしてその横には確か昨日買ったばかりのタケヤ味噌の容器が空になって転がっている。元は白かったはずのルーがこんなヘドロみたいになるなんて味噌以外にも一体何を入れたんだろう…ていうか味噌どれだけ入れたんだろう…岸くんは戦慄を覚えた。

「…」

岸くんは究極の選択を迫られる。どう見てもこれは人間の食べ物じゃない。こんなものを口にしたら胃が爛れて溶けてしまう。「お腹が痛い…」と岩橋のキャラを一時的に拝借するか、疲れてるから後で食べるとごまかすか…

「どうしたのパパ?お腹減ってるでしょ?今日もお仕事ご苦労様。いつも俺たちのために働いてくれてあありがとう」

だけどこの、颯の涙が出るほどの気遣いを無碍にするというのは父親失格のような気がして岸くんは腹を括った。

「い、いただきます…」

結論から言うと、それはこの世のものとは思えない凄まじい味がした。当の本人である颯は平気で味見をしていたが、それにしても常軌を逸している。挙武が朝語った伝説もあながち誇張ではないことを身を持って体験したのである。

殺人ミソシチューが振る舞われ始めると来訪者は蜘蛛の子を散らすように手をつけずに帰って行った。勇太は「オ○ニーのしすぎで食欲がねえ」とスイカを持って自室に逃げ、挙武は「試験勉強をする」とこれまたシュークリームの箱を抱えて自室に逃げ、龍一はひたすら自我修復を部屋の隅でしながら気配を殺していた。郁だけは協力してくれそうだったのに瑞稀と作ったクッキーを「これが初恋の味か…」と恍惚として見つめ、ひたすらそれを食べていて話を聞いてくれない。

「パパ、どう!?パパのために一生懸命作ったんだよ。嶺亜くんほど美味しくないかもしれないけど…」

純粋な颯の期待に満ちた瞳を見るととてもじゃないが「くそマズイ。マズイっていうかこれ食いもんじゃない」とは言えない。岸くんは滝のような汗を流しながらひたすら「颯くんミソシチュー」と向き合った。

その頃、嶺亜の部屋では…

「ごめんねぇ、恵ちゃん…うつっちゃうからもういいよぉ。少し良くなってきたからぁ」

「何言ってんだれいあ、まだ熱あんぞ。とりあえず海坊主…じゃなかったうみんちゅが作ったおかゆ食えよ。あと水分取って薬飲んで汗かいたら拭けよ。濡れタオルもここに置いとくからよ」

「ありがとぉ…」

けだるい身体を起こしながらうみんちゅ特製のお粥を口にする。さすがに食にこだわる人間が作っただけあって美味しかった。食欲も戻ってきたようだ。

「どした?れいあ?」

「んーん。なぁんか昔のこと思い出しちゃってぇ…。ほら、小学生の時、僕が熱出した時ママの作ったまずいお粥に文句言ったらママが怒って『もう作らないよぉ』って言って…そしたら恵ちゃんが一生懸命作ってくれたのぉ」

「ん?あーそーいやそんなことあったっけな。でもよーれいあ、そん時のおかゆ…」

「うん、ママの数倍マズかったけどぉ…恵ちゃんが作ってくれたんだぁって思ったらぁ全部食べれたよぉ。それでまたママが文句言ったけどぉ」

「そっかー。そうだよなー。だって料理はいつもママかれいあがしてたし、調理実習ですらふざけてマジメにやってなかった小学生の俺がマトモなもん作れるわけねーって今なら分かるけどあん時ゃ世界一美味いおかゆ作れたと思ってたからよ」

「恵ちゃん一生懸命料理の本見て作ったんだよねぇ。あの頃住んでた家狭かったし襖の隙間からそれが見えてなんかすんごく嬉しかったよぉ」

「そりゃれいあのためだからよー。龍一が熱出したら颯に作らせるけどなーギャハハハハハハ!!」

大笑いしたかと思うと恵は「あ」と手を叩いた。

「そういやあいつ、今日は俺が夕飯作る!とか言ってたから龍一にその必要ねーって言っとけって言ったけどあいつしくじったみたいで下で颯がなんか大勢ひきつれて作ってやんの。てなわけで俺暫くここから出ねーよ。颯はいい子だけどあの殺人料理だけはいただけねー」

そんなことになっていたのか、と嶺亜は苦笑いが漏れる。そのせいか階下がなんだか騒がしい気もしたが今は静けさが戻っている。

「颯は一生懸命だからねぇ…パパも優しいからきっと汗だくになりながら食べてあげてるだろうねぇ」

その姿を想像すると可笑しくて嶺亜も恵も笑いが漏れる。

そして嶺亜が薬を飲むための水を汲みに恵がリビングに降りると、そこにはミソシチューを完食して真っ白に燃え尽きた岸くんがいた。すでにこと切れた岸くんに、恵は浅い溜息をつきながらこう声をかける。

「ったく適当なこと言って残しゃいいのによー。パパおめーはほんとお人良しだな。しゃーねーから俺が明日胃薬買ってきてやるよ」

しかし岸くんの横にはきちんと各種胃薬が置かれていた。颯のミソシチューの破壊力を察した岩橋が逃げ帰る際に岸くんの身を案じて置いて行ってくれたものだった。