「今日はお招きいただき、ありがとうございます。これはつまらないものですが、龍一先輩が好物だと聞いたので…」
松田元太は手土産持参で岸家にやってきた。元太の友達で郁とも瑞稀を通じて仲のいい玉元風海人という少年もやってくる。極度の童顔で最初は元太の弟かと思ったが同級生らしい。
「おー!!プリンじゃん!元太お前いい奴だな!さすがサッカー部のエース。風海人、お前はなんかないのかよ!」
怖いもの知らずの郁はタメ口だったが元太も風海人も一応一つ年上の先輩である。
「おばあちゃんちで採れたさとうきび持ってきたよー。広い家だなーいいなー」
山盛りのさとうきびを玄関に放ると風海人は子どものように岸家を散策し始める。自由奔放なぼっちゃんだ。そして元太はと言うと…
「素敵なお宅ですね。さすが龍一先輩のお家です」
背筋を正して礼儀正しい元太に、岸家一同はたじろぐ。
「おい、なんでこんな品行方正そのもののお坊ちゃんが龍一みたいな暗くて負のオーラに包まれたネガティブ大王のことこんな慕ってんだよ」
小声で4つ子は話し始める。
「勇太…世の中には自分にないものを求める傾向のある人間がいる…元太はまさにそれじゃないのか?」
「でも挙武ぅ…求めてどうすんのぉあんなのぉ…」
「いやれいあ、考えても見ろよ。憐れみの一種じゃね?アフリカ難民に心を痛めて募金する精神と似たようなのあるんじゃね?」
ヒソヒソ話をしながら元太を見やると上品な仕草で出された紅茶を飲んでいた。風海人はというと、郁とテトリスで対戦して負けて文句を言っている。こっちはこっちでなんだか幼稚園児のようである。
「元太はサッカー部のエースなんだよね。すごいよね、転校してきていきなりレギュラーになったって聞いたけど」
颯が話しかけると元太は謙遜する。
「いえ、そんな…大したことはないです。僕はボールを追いかけるのが好きなだけですから。あと多分前世がサッカーボールだったのかと」
「俺なんか卓球部の幽霊部員だけどね…」
ぼそっと龍一が卑下しながら呟いた。空気の読めないこの発言…まさにうっとおしいの極みだ。4つ子は我が弟ながら哀れに思う。
だが元太はぶんぶんと首を横に振った。
「龍一先輩は勉強で忙しいし部活よりきっとそっちの方が大変ですよ。学年トップクラスを維持するなんてそうそうできることじゃありません。龍一先輩の方が断然僕なんかより凄いです」
一点の曇りもない穢れなき瞳で断言され、その眩しさに龍一は目を開けていられなかった。思わずそらしてしまう。
「龍一先輩が優しいのってきっとこんなに賑やかなご家族に囲まれてるからですよね。お兄さん達も颯先輩も、郁くんも岸くんお父さんもみんな楽しそうな方ばっかりで。うらやましいです」
「う、うらやましい?」
龍一は思わず素っ頓狂な声が出る。
何かと嫌味で絶対零度を飛ばしてくる長男、何かと怒鳴って蹴りつけてくる二男、何かと下ネタでからんでくる三男、何かと嫌味パート2でエリート意識の塊の四男、何かと回って風を起こす五男、何かと食い意地がはって人の分まで食べる末っ子、そして何かと汗だくで頼りにならない義父…これのどこがうらやましいというのだろう。
「楽しそうな方だってー。奇人変人オブジェクションって感じだけどー」
きゃははははと風海人が笑った。こっちはこっちで的確に表現しすぎだ。
「僕は妹がいますけど、まだ小さくて…年上の兄弟がいたらなあって時々思うんです。だから龍一先輩みたいな優しくて頭が良くてかっこ良いお兄さんがいたらきっともっと楽しいだろうなって思って…」
「優しくて…頭が良くて…かっこいい…だと…?」
四つ子は笑いをこらえるのに必死だった。肩がプルプル震えている。
「じゃあ晩メシでも食ってく?なんなら泊まってけよー」
郁がそう持ちかけて、風海人と元太は岸家に泊まることになった。
今日の岸家のディナーは煮魚である。岸くんの給料日前は節約メニューになるのだ、煮魚の他はかぼちゃのソテーとほうれんそうのおひたし、そして卵焼きだ。
「粗末な食事ですけどぉ」
「いえ、凄くおいしそうです。いただきます」
礼儀正しく手を合わせ、上品な作法で元太は食している。その横で郁がガツガツ、恵がぼろぼろこぼしながら食べていた。岸くんと勇太は卵焼きの取り合いをしている。颯はほうれんそうにケチャップをかけ、卵焼きに納豆をかけて食べていた。龍一は恥ずかしくなった。
「龍一ぃ、好き嫌いしたら元太くんに幻滅されるよぉ」
卵焼きをどけようとすると早速嶺亜の絶対零度が飛んでくる。龍一は硬直した。
「卵焼き嫌いなんですか?龍一先輩?」
「…うん…まあ…」
「だったら僕が食べます。卵は食べ過ぎるとアレルギー反応起こしますからね。健康に気を遣ってらっしゃるんですね。僕なんかどうしてもアイスが好きな誘惑に勝てなくてつい食べ過ぎちゃうんです」
「…」
龍一は開いた口が塞がらなかった。本来ならこれは呆れてものが言えない、という例えなのだがそういう意味ではない。単純に驚いたからである。この菩薩のような笑みは一体どこからやってくるのだ。不思議で仕方がなかった。こんないい子がなんでよりにもよって自分なんかを慕ってくれるのか…
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。あ、食器洗います」
綺麗に全部たいらげて、元太は皆の分の食器まで洗い始めた。その後ろ姿を複雑な気持ちで岸家一同は見ながら思う。
「あの子…龍一がただの暗くてネガティブで負のオーラの申し子で家族からも大自然からも虐げられてる惨めな勉強だけが取り柄の残念すぎる宇宙の異端児だってこと知ったらどう思うんだろう…」
岸くんは思わずぽろりと零した。それは言いすぎだろと龍一がつっこもうとすると嶺亜も溜息をつく。
「完全にフィルターがかかってるもんねえ…可哀想にぃ…」
「人を見る目なさすぎじゃね?あいつ。結婚詐欺とかに遭わなきゃいいけどなギャハハハハハ!」
「一晩たってこの家を出る頃にゃ偶像が破壊されて人間不信に陥るんだろうな…」
勇太が首を横に振り、目を閉じる。挙武も天井を仰いで手を合わせた。
「僕達にできることはせめてあの純粋な少年が早く立ち直ってくれることだけだな…」
「龍一…ここは何が何でも受験合格するしかないよ。そしたら少しは見直してもらえるかも。俺も協力するからね」
颯は龍一の肩を抱いた。
「ちょ…なんで颯まで…」
さんざんな言われように龍一が顔をひきつらせていると、郁がさとうきびをかじりながら風海人と見解を述べていた。
「元太はねー、いい奴なんだけどねー。思いこみの激しい部分があるっていうかーいいように受け取るとどこまでもそのイメージで膨らましていくからねーちょっと変わってるよねー」
風海人は風船を膨らませながら言った。中学二年生か小学二年生か良く分からなくなっている。
「じゃーさ、龍一兄ちゃんがただのネガティブ自我修復野郎だって分かったらどうなっちまうの?」
郁はさとうきび5本目に突入した。そして全員顔を見合わせる。
「…どうなっちゃうんだろうな…」
「…」
龍一は風呂に浸かりながら悩む。元太が自分に対しいいイメージだけを膨らませてしまっているが、それを維持できる自信がない。何せ美形でモデルスタイルな上に頭が良いという三大神器を持っていてもなおそれを軽く凌駕してしまう負のオーラが自分にはあるからだ。
誇れることは街に出る回数の少なさ…歩けば迷子、カツアゲの格好の餌食、見知らぬおばあちゃんにゴミを渡されるほどの不憫さ…自分で見出しておきながら湯船に沈みたくなる。
「…どうしようもない…だって俺は龍一だし…岸家の不憫の六男だし…」
そんな諦めすらやってきた。どう着飾ったって無理だ。所詮それは付け焼刃ですぐにボロが出る。
まあ幻滅されたらされたで今まで通りの人生なんだし、その不憫な人生の中でほんの数日間後輩に慕われるという気分を味わっただけでも良しとしよう。龍一はそう結論付けて風呂をあがった。
「あ、龍一先輩、お風呂あがったんですね。僕、先に入らせてもらって…すみません」
廊下でパジャマに着替えた元太とすれ違う。爽やかな好少年そのものである。
「いや…あ、何か飲む…?」
飲み物を取りにリビングに入ると勇太がドラムロールを口ずさんでいた。そして元太に歩み寄り方を組んだ。
「よし元太!今日は岸家お泊り記念としてこの勇太様がお前に大人の階段を一歩登らせてやる!何、遠慮すんな。可愛くない弟の後輩のためだ!今夜はとっておきの上映会だ!」
「上映会…映画か何かですか?」
龍一は嫌な予感がした。まさか…
「映画じゃねーよAVだよ!お前どんなジャンルがお好みだ?ほれ言ってみろ。俺のコレクションはすげーぞ大抵は網羅してるからな!」
「AV?AV機器に関するDVDですか?良く分からないんですけど…」
「元太お前おもしれーな!よし、ここはいっちょいきなりのス○トロ行っちゃうか!レッツパーリナイ!!」
勇太は威勢よく叫んでパッケージを元太の目の前に掲げようとした。
「げげげげげげげげげげげげんたくん!!!!俺と一緒に部屋でオセロでもしよう!!そうしよう!!なんだったらルービックキューブもあるから!!!」
間一髪、スカ○ロAVのどぎついパッケージが元太の目に触れる前に龍一は彼の救出に成功する。こんな純真無垢な穢れを知らない純粋な少年があんな下衆の極みのようなものを見たら幻滅どころでは済まない。断固阻止だ。
「せ、狭い部屋ですけど…!」
龍一は自分の部屋のドアを開けて元太を招き入れる。すると突如台風のような暴風が轟いた。
「うおおおおおおおおお虎比須高校待ってろよおおおおおおおおおお朝日、因縁の決着を付けるよおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」
「ふ、颯…」
中では颯が尋常ならざる勢いでヘッドスピンを繰り返していた。中心は何ヘクトパスカルあるか計り知れない。アメリカのハリケーンもびっくりの風が8畳間で起こっていた。
「ちょ、ちょっと扇風機の調子が悪いみたいだから…郁達と遊ぼう…」
元太をあんな暴風域に入れることなどできない。階下に降り、龍一は郁の部屋を訪ねた。
「郁、風海人くん、一緒に人生ゲームでもやらな…なにやってんだ?」
中に踏み込むと、部屋中にさとうきびの皮やら何やらが散乱していた。
「何って見りゃ分かんだろ?風海人が持ってきたさとうきび加工して砂糖にする準備してんだよ」
「さ、さとうきび…」
「めんどくせーけどこれが砂糖になるんなら俺はエンヤコラだよ。でもよー風海人、次はマンゴーかパイナップルにしてくれよなー」
「はいはい。考えとくよー。ていうかさー俺一応先輩なんだけどさーいい加減敬語にしてくんない?」
郁と風海人はせっせとさとうきびの皮を剥ぐ。
「はっくしょ!」
元太が可愛らしいくしゃみをした。彼は鼻をすすりながら
「すいません龍一先輩。僕、植物の花粉とかに弱いので…」
「あ、そ、そうだね。じゃあそうだ、挙武兄ちゃんに宿題でも教わりに行こう…」
この際仕方がない。龍一は妥協して挙武の部屋をノックした。寝ていたらどやされるがまだ就寝時間でもないし起きているだろう。
「挙武兄ちゃ…」
ドアを開けるといきなり顔の横をひゅんっと空気が掠めた。
「…へ?」
龍一の目の前には軍服に身を包んだヘッドライト…じゃなくて挙武がライフルのようなモデルガンを構えていた。
「おや龍一、危ないじゃないかいきなり入ってきたら。これはモデルガンとはいえ当たると内出血レベルの怪我をする超強力モデルガンだぞ。ちゃんとノックして入ってこいよ」
なんか目がイっている。まさか…これは…
「ようく見ろ。このハリウッド仕込みのガンスタイルを…フフ…フフフ…シュワちゃんもびっくりだこれは…!!」
陶酔しきった表情で挙武はモデルガンを乱射してきた。彼はこうして時々ハリウッド映画の世界に浸る。そうしている間はなんぴとたりとも正気には戻せない。だからそうなると誰も挙武の部屋には近寄らないのだ。
「い、痛い!挙武兄ちゃんやめてくれ!元太くんに当たる!いて!いててててててて元太くん逃げて!逃げてくれえええええええ」
死にそうになりながら元太をかばいつつ無我夢中で隣の部屋に逃げ込むと、いきなり何かが足にひっかかって派手に転倒した。
「いって…」
呻きながら身を起こすと、龍一は硬直した。
「てめ…今まさに最後のボスが仕留められようとしていたのによ…」
ゆらりと目の前にその人物がたちはだかる。それは恵だった。
恵はオンラインゲームの最中だった。起きている時間は大抵これに費やしている。まさに廃人一歩手前の彼はここ一カ月夢中になっていたオンラインゲームでようやく最後のボスまでたどりつき、あと一撃でクリア…というところでその夢が絶たれる。
龍一がパソコンのケーブルに引っ掛かり、それが本体からひっこぬかれてしまった。画面はフリーズしている。
「け…恵兄ちゃん…とんだ粗相をいたしまし…」
最後まで言い終わらないうちに龍一は恵の蹴りを連続で喰らう。瀕死の状態で元太を連れて部屋に戻るとようやくヘッドスピン台風はやんでいて、はりきりすぎた颯はもう寝ていた。
「元太くん…疲れただろう?俺のベッドで寝ていいから…」
もう気力も何もかもごっそり奪われた龍一は二段ベッドの下段を指差す。自分はタオルケットにでもくるまって寝ようと押入れから蒲団を出した。
「でも龍一先輩、僕はお邪魔している身ですから。先輩はいつもどおりベッドで寝て下さい。僕そっちの布団でいいです」
元太は遠慮するが龍一は首を横に振った。
「いいよ。俺はいつでもどこでも寝られる人だから。おやすみ」
「本当に先輩って優しいですね。大事な受験を控えてるのに泊めてくれて色々とお世話してもらって…。先輩みたいな人と出会えて僕、良かったです」
「いや…俺はそんな…そんな風に言ってもらえるような人間じゃ…」
「受験頑張って下さい。龍一先輩なら絶対合格です」
ぺこりと頭を下げて、元太は布団に入って行った。
龍一は少しだけ嬉しくなる。誰かに好意的に見てもらえたり、褒めてもらえることがほとんどなかっただけに最初は戸惑ったがなんだかそれもいいもんだな、と思った。
がんばろう、という気力が不思議と沸いてきた。誰かに期待されるというのは義務感や使命感よりもパワーが沸いてくるようだった。
「うん。がんばるよ。絶対合格してみせる。おやすみ」
元太にそう誓って、龍一は蒲団を被った。
「あ、すみません。お手洗い貸してもらっていいですか?」
電気を消そうとすると、元太が起き上がって言った。龍一は二階の手洗い場の場所を教え、彼は部屋を出ていった。
用を済ませた元太は龍一の部屋へ戻ろうと廊下を歩く。階下から誰かの興奮気味の声が聞こえてきたが気にせず進む。
岸家は広い。何せ岸くんと7人の兄弟達が住まう邸宅である。部屋数は6つもあり初めて訪れた元太にその詳しい間取り図は頭に入っていない。
だから部屋を間違えてしまうのも無理はなかった。廊下は薄暗いし、部屋のドアは全て同じものだったからパッと見では区別がつかない。
結論から言うと、元太は戻るべき部屋を間違えた。龍一の部屋の奥隣のドアを開いてしまったのである。そこは岸くんと嶺亜の寝室だった。
元太はドアを開けた。そこで目に飛び込んできた光景は彼の純白の穢れなき世界からは想像もつかないものであった。
「龍一先輩のお兄さん…とお義父さん…が、裸で…プロレス…してる…」
そう、嶺亜と岸くんがコトの最中であった。そりゃもう盛り上がりに盛り上がってその夜はまた一段と激しくサカっていたのである。
水を飲みに部屋を出た龍一が見たのは岸くん達の部屋の前で真っ白になった元太と、汗だく涙目の岸くん、何事もなかったかのようにパジャマを着て寝る(寝たふりをする)嶺亜だった。
そして夜が明ける…
岸家の朝は賑やかだ。朝食はいつも郁に奪取されまいと必死に皆が食べる。モタモタしていると自分の分がなくなるからだ。
「ふぁ…」
元太は目をこすっていた。かなり眠そうである。それを訊ねようとすると颯が首を左右に振りながら
「昨日、龍一の寝言凄かったよ。俺は慣れてるけどそれでも気になったもん。元太くん、寝れなかったんじゃないかな」
「ね、寝言…」
龍一は忘れていた。自分の寝言がひどいことを。そしてそれは精神状態に大きく左右される。昨晩は嶺亜と岸くんのニャンニャン現場を目の当たりにして石化した元太を抱えてベッドに乗せたからその心労が響いていたのだろう。
緩慢な動きの元太はかろうじて残っていた食パン一枚を食すと、お礼を言って玄関に立った。
「元太くん…なんとお詫びしてよいやら…何もおかまいできませんで…」
もう二度と彼はこの家を訪れることはないのだろうな…と龍一はわびしさと共に確信する。ほんの数日、後輩から慕われた。その気分を味わえただけでも15年の人生の光となるだろう。諦めとともに龍一は元太を見送った。
「龍一先輩…」
元太は、目を細めるとまじまじと龍一を見つめる。
そしてこう言った。
「先輩は、本当に凄い人ですね…。あんな家族を抱えてそれでも勉学に勤しんで努力してらっしゃるなんて…」
「…え?」
「僕ならとてもまともでいられる気がしません…。たかがゲームのボスが仕留められなかったという理由で殴る蹴るの暴行に耐え、モデルガンでの襲撃に耐え、ス○トロAV責めのセクハラに耐え、食べ物を根こそぎ奪われる飢餓に耐え、部屋が度々暴颯域に巻き込まれる苦難に耐え、果ては実のお姉…兄さんとお義父さんが道ならぬ関係に染まるという現実に耐え…。僕は本当に龍一先輩のこと尊敬します。龍一先輩の抱える苦脳を思えば、僕の悩みなんてちっぽけなものにすぎないんだって…そう、どうしたら山田くんのようになれるか思い悩む日々なんて龍一先輩に比べたら…」
元太は涙ぐんでいた。そして龍一の手をがしっと握る。
「僕、先輩のこと応援してます。何か僕でお役にたてることがあったらいつでも言って下さい…!」
ぶんぶんと手を振って、笑顔全開で元太は去って行く。
何が何やら狐につままれたような感覚であるし、誤解…というほどでもないがそれに近いものを元太に抱かれたままなのはいささか心苦しかったがもういいや、と龍一は思う。
この世にたった一人でも自分を慕ってくれる存在がいるというだけでなんだか自信が沸いてくる。この調子で受験も成功しそうな気すらしていた。
「よし…やるぞ!!」
三日後に控えた高校受験本番に万端の準備で挑むべく、龍一は踵を返した。そして意気揚々とリビングに戻ると…
「てめ龍一!!俺の分までプリン食ったのおめーだろ!!楽しみにとっといたのによ!!卵嫌いなくせしてプリンは好きとかふざけんな!!お前はチーズ嫌いだけどピザは好きな作者かってんだ!!」
いきなり恵がとび蹴りをくらわしてきた。続いて勇太が四の字固めをかけてくる。
「龍一!俺の命より大事な痴漢電車モノAVのパッケージどこにやった!?お前ぐらいしかいねーだろあんな変態モノ見て悦ぶの!さっさと出せ!!」
「ちょ…知らな…」
痛みに喘いでいると、挙武が溜息をついて嫌味をかましてくる。
「やれやれ…受験本番も間近だというのに呑気なものだな…まあ落ちたら中卒で住み込みで出稼ぎに行ってもらうだけだけどな…」
「龍一…俺の入学が痴漢電車モノでおじゃんになるとかそんな殺生な話ってないよ…」
颯が涙ぐむ横では何故かまだいる風海人がスーパーマリオをしながら郁に同情の声をあげる。
「なー郁、お前の兄ちゃんって卵が嫌いでプリンが好きな痴漢電車フェチで出稼ぎに行く変態自我修復野郎なん?お前大変だなー」
「まーよ、今に始まったこっちゃねーからなー。こんなどうしようもない兄貴だけど嫌いなもん俺にくれるしどうしても腹減った時は強奪できるしそれはそれで利用価値もあんだよ」
「お前大人だなー。見た目だけじゃなかったんだなー」
「まーな。瑞稀もそこんとこ分かってくれるといいんだけどよー」
「…」
折角生きる希望を見出していたのに挫けそうになる。もう何も考えず勉強だけして三日後の受験に少しでも影響を及ぼさないようにしなければ…
龍一が瀕死のハートを引き摺って自分の部屋に戻ろうとすると、肩を叩かれる。
振り向くとそこにはにっこり笑った嶺亜がいた。天使の微笑みを湛えている。
嶺亜が自分に笑顔を向けてくるなど何年ぶりだろう…絶対零度か蔑んだような冷笑か睨まれた記憶しかない龍一にとってそれは一片の救いをもたらす…はずだった。
「龍一ぃ…今度連れてきたお友達に僕達の部屋間違って開けさせたら特大のおしおきするからねぇ」
目の奥は当然というか、全く笑っていなかった。後ろで岸くんがあたふたとしていたが頼りにならないこの義父は「き、気をつけてね。もうやらせてもらえなくなるから…」と呟くばかりだった。
そして満身創痍で龍一は受験に挑んだのだった。