挙武が弾きだした結果、岸家の経済事情ではどう節約を試みても赤字になってしまうことが判明した。四つ子と岸くんで頭を悩ませる。

「こうなったらぁ…僕もバイトするしかぁ…」

嶺亜が申し出ると、恵が首を振った。

「れいあがバイトに行っちゃったら家事する奴がいなくなるしそうなるとうちは崩壊すんぞ。破産より深刻だぜ!」

「俺と恵がバイト増やすか…?」

勇太の提案に今度は挙武が首を横に振る。

「そうならないよう僕らは最初に決めたじゃないか。平日ぐらいはみんな揃って夕飯を食べようって。それに、自由な時間を削られると自ずと不満も出てくるし、そうなると颯が気にする。今が一番ちょうどいいバランスだ。だったら僕がバイトをする」

「でも挙武、お前は1、2学期の成績が奮わなかったから3学期はなんとしても50番以内に入らなくちゃならないって言ってただろ。それに体も弱いんだからまた体調崩したら大変だよ」

岸くんが言うと、挙武は方目を瞑って頭を掻いた。

「あちらをたてればこちらがたたずか…」

5人で溜息をつく。室内には重苦しい空気が流れていた。

「交互にバイトをすればどうかな?そんな都合いいバイトあるかどうか分かんないけど…」

「けどよ、それはともかくとして龍一が公立に必ず受かるって保証もないし、もしあいつが私立に通うことになって奨学金がもらえなかったら…そっちも深刻だぞ?」

「龍一は僕より成績がいいが…それ以上に本番に弱いからな…こっちも覚悟しとくしか…」

話は颯の学費の計算から龍一の心配へと移行する。呑気に構えていた双子の受験がここへきて岸家に大きな波紋を呼んだ。

叶えてあげたい…だけど現実がそれを許さない…板挟みのような状態を引き摺りその夜、岸家の電灯は消えることはなかった。

 

 

「やっぱり無理かな…パパやみんなに負担かけてまで我儘貫き通すなんて人間失格かな…」

部屋で颯が頭を悩ませる。机の上には元々受ける予定だったF高の願書と今日の帰りに虎比須高校でもらった願書が二枚広がっている。

「観に行かなきゃ良かったね…。まさか颯がそこまであのおかしな四人衆に感銘を受けるなんて…」

龍一は呟く。陸上のことなんて何もわからない彼にとってトラビス・ジャパンは足の速い変わり者集団にしか見えなかった。

「でも、あそこで陸上できたら、最高の三年間が送れる気がする。朝日ともこれまではずっとライバル同士だったけど肩を並べて切磋琢磨できそうだし」

「けど、うちの経済事情が…それこそハリウッドスター目指す方がまだ現実的かも…」

颯と龍一は溜息をついた。父子家庭で父親は18歳の新入社員。兄二人が週末バイトをしているのと各種手当でなんとかもっている家計…とてもではないが寄付金遠征費がかかる私立校になど通えるわけがない。

「それに…俺まで公立落ちたらシャレにならないし…」

ぼそっと龍一は呟く。彼は自己評価が低い。それに自信がないから本番に弱いし勝負事はまるで負け神が憑いているかのようにてんでダメだ。どれだけ勉強して合格確実と言われても決して油断ができないのである。

「…だよね。冷静に考えてみると無理な話だし、興奮して夕ご飯の時はあんなこと言っちゃったけど…やっぱりみんなに迷惑かけるわけにいかないし、諦める。寝て頭冷やすよ」

颯は力なくそう呟いて、虎比須高の願書をしまった。そしてベッドに入る。

「…」

龍一はそれから一時間ほど勉強したが、颯の寝息が聞こえてきたのはその頃である。いつもベッドに入って5分もすれば寝てしまう寝付きのいい颯がこれだけ時間がかかったということはやはり葛藤があるのだろう。

小さい頃から颯は自分の好きなことにストイックに打ちこんで努力を惜しまない性格だった。何も趣味がない自分とは対照的だ、と龍一は思う。中学入学時に「龍一もやってみなよ」と陸上部に誘われたが、走り出した途端に肉離れをおこして卓球部の幽霊部員になった。

龍一には学校の成績以外他人に誇れるものがない。志望校決定だって「この学校に行きたい」のではなく偏差値

を照らし合わせて一番妥当なところを選んだだけだ。きっと高校に通っても勉強以外何も趣味がなく毎日が過ぎて行くだろう。

だから、颯が少しうらやましくもあり、輝いて見えた。

行きたい理由があって、それを熱望する姿を見て、何故か自分まで颯を虎比須高に行かせてやりたいと思った。自分なんかに何もできないことは分かっているのに…。

颯が机の引き出しにしまった虎比須高の願書を出してみた。そこにはもう全ての項目がきちんと埋められていて、志望動機は欄いっぱいに書かれていた。F高の願書はまだ白紙だった。

「…」

龍一は自分の受ける私立の滑り止め高校の願書を見る。それは挙武の通っている学校で、彼は去年公立の本命を不合格になったがために奨学金制度を利用して通うことになった。入試の成績がトップクラスだったからだ。

自分がそうなれる保証などない。それ以前に公立に受からなくてはならない。

「…颯…」

龍一はベッドの方へ視線をやる。颯があどけない寝顔で横たわっている。

兄弟だから、双子だから…そういった当たり前の兄弟愛とは無縁だったけど、もし俺にできることがあるのならば…

龍一は願書を手に取り、それを自分の出した決断に従ってとある行動に出た。

 

 

岸家の朝は騒がしい。だが今日は変に静まり返っていた。いつもバラバラに起きてくる兄弟達も岸くんも何故か揃って食卓についている。食卓には嶺亜が作った卵焼きとウインナー、サラダそしてご飯とみそ汁の朝食が乗っている。

「…」

しばらく沈黙でみんな黙って食事をした。誰が颯に昨日の結論を話すのか揉めに揉めて決まらなかったから四つ子と岸くんは俯きながら食事をする。

だがその沈黙を破ったのは颯だった。

「みんな昨日はお騒がせしてごめん!一晩冷静になって考えてみたらなんか馬鹿なこと言っちゃったって反省した。だから忘れてよ!俺は私立はちゃんと変更なくF高受けて、公立はD高受けるから。勉強もちゃんとするし。だからそんな沈まないでよ」

「颯…」

「パパ、ごめんねなんか…。どこに行ってもちゃんと陸上続けるし、試合観に来てくれる約束はちゃんと覚えてて。さ、もう学校行かなきゃ」

空元気を装って颯は鞄を掴んで玄関を出て行く。皆、溜息をついた。

 

 

岸くんはいつもの岩橋とのファストフード店での待ち合わせで自分の不甲斐なさを嘆いた。

「俺ってさ…だめな父親だよなあ…行きたい高校の一つも行かせてやれないなんてさ…父親失格だよ」

「岸くん…そんな落ち込まないでよ。そんな、18歳で何もかも抱え込まないで。落ち込んで沈んでネガティブで暗くて被害妄想全開は僕の役目なんだし岸くんはいつだって元気で能天気でいてよ」

「そんなこと言われてもさ…もう颯の顔見てるのが辛くて…」

岸くんは机に突っ伏した。

「やっと出してくれた我儘なのに…それを叶えてやれないなんて、またあいつは何かあっても自分の中だけで処理しようとするように戻っちゃうんだろうな…俺のせいで…」

「岸くんのせいなんかじゃないよ。家庭の経済事情はどこにだってあるし…。颯くんのこと、みんながフォローしてあげたらきっと颯くんだって立ち直れるよ。こんなに悩んでくれてるんだもん、颯くんにも伝わってるって」

「ありがとう岩橋…」

少しだけ救われたものの岸くんは仕事に身が入らず、その日は後処理に追われ残業になってしまった。

心身共にくたくたで帰宅すると何やらリビングが騒がしかった。

 

 

「ただいま…何、どうしたの皆?」

岸くんがリビングに入るとそこには中央に正座をした龍一とそれを囲む四つ子、そして龍一の隣で彼の肩を揺する颯がいた。郁は少し離れてソーセージをかじりながら傍観している。

「なになに、どうしたっていうの?龍一なんかやらかしたの!?」

仕事場に学校からの連絡はなかったがそれ以外で何かあったというのだろうか。岸くんは皆に訊ねた。

「どーもこーもねーよ、パパ。こいつ…」

勇太が正座をして俯く龍一を指差して言った。

「私立校、受けねえなんつーんだよ!願書も破り捨てたって」

「え…ええーーーーーーーーー!!!!」

岸くんは鞄を落とした。

「どうするつもりなのぉ龍一ぃ。公立落ちたら中卒だよぉ。あとは夜間しか選択がないよぉ!?分かってんのぉ?」

「おめー勝負にすこぶるよえー負け神しょいこんでるくせに滑り止めとっぱらってどうするつもりなんだよ!滑り落ちて笑い合えるのはセクサマの世界だけだぞ!分かってんのかよ!」

「龍一、受験を甘くみるな。僕だって最後まで気を抜くつもりもなかったのにあんなことになった。だからお前にはそれ以上に万全にしてもらわないと…」

「龍一、何考えてるんだよ。俺だけじゃなく龍一まで皆を困らせるようなこと言わないでよ!」

四つ子と颯に説得と叱責の嵐を受けて龍一は涙目で震えていた。だがその震えた声がこう言った。

「俺は…公立に入学したらバイトする…」

「はあ!?」

郁以外の全員が声をハモらせる。

「何言ってんのぉ龍一ぃ。対人恐怖症で要領悪くて勉強以外のもの覚えが超悪い龍一がバイトなんてできるわけがないでしょぉ。カナヅチが濁流に飛び込むようなもんだよぉ」

「そーだぞおめー。何考えてんだ!自我修復おっつかなくなってメンタルやられっぞ!」

「悪いこと言わねえから滑り止め受けて公立受けて今まで通り勉強してろ。人には向き不向きがあんだよ!お前がバイトとか俺がオ○ニーやめるくらい無理がある!」

「龍一、お前ちょっと疲れてるんじゃないか?一日ぐらい勉強はいいからリフレッシュしてこい。そうしたらちゃんと正常な思考が戻ってくるだろう」

四つ子の兄達がそうまくしたてても、龍一は首を横に振った。いつも兄達に屈してばかりの龍一が頑なな姿勢を見せる。岸くんは龍一に何か決意のようなものを感じた。

「龍一、なんで急にそんなこと言いだしたんだ?ちゃんと聞くから、理由を最初から順に話してよ」

岸くんが問うと、龍一はぼそぼそと話し始めた。

「俺がバイトすれば颯が虎比須高に通えるかもしれない…それに…」

「それに?」

「滑り止めを受けなかったら絶対に公立は落ちれない。それぐらい追い込まないと俺はきっと落ちる。だから、後がないのと颯のためって思ったら…できる気がしてきた」

「だからって、龍一…!」

颯が龍一の肩を揺する。龍一は颯の目を見て行った。

「颯のためでもあるけど…自分のためでもあるんだ。趣味もないし不器用で人見知りで要領の悪い自分を変えたいって思った。できる自信もないけど、それでもやらないよりはましかなって…」

「しゃーねーなーもう」

それまでむしゃむしゃソーセージを食べているだけだった郁がそれを食べ終えてこう言った。

「じゃあ俺も牛乳配達のバイトするよ。上手くいきゃ余った牛乳もらえるかもしんねえし、ダイエットしてひきしまったら瑞稀が惚れ直すかもしんないしな」

「龍一…郁…」

四つ子は顔を見合わせて目線で会話を始めた。そして挙武が頷く。

「分かった龍一。じゃあもう一度計算してみる。お前が時給900円で土日6時間働く計算と郁の週3の牛乳配達の分、それと家庭菜園で食費を浮かしつつ僕が週2で家庭教師のバイトを入れる。あと、嶺亜も空いた時間に内職ができるよう見つけてきたそうだ。それでなんとかなるかもしれない。颯」

颯は弾かれたように顔をあげた。

「急いで虎比須高の願書を書け。受けたいと言ったからには不合格は許されない。いいな?」

挙武が言うと、颯は頷く。そして岸くんのように涙目になりながら

「ありがとう…がんばる」

と宣誓した。

 

 

「なんか今回俺の出番全然なかったな…嶺奈、息子達は逞しく育ってるよ。そのうち俺、父親じゃなくて一番立場低くなってるかも…」

久しぶりに亡き前妻の遺影に話しかける。もし彼女が生きていたらこの事態をどう切り抜けただろう。嶺奈は天然っぽい部分があったから「なんとかなるよぉ」って笑って楽観視してたかもしれないな…なんてことを思いながら岸くんは遺影を仏壇に置く。

「パパぁ」

ドアが開いて、パジャマ姿の嶺亜が入ってくる。

「色々お疲れさまぁ。なんとか解決しそうで良かったよぉ。龍一があんな男らしいこと言いだすとは思わなかったぁ」

「そだね。陰薄くているかいないか最近の話の中でもそうだったけど…あいつはあいつなりに色々考えてるし優しい奴だってことは前回の迷子騒動でも分かったから。美形で秀才だってことをもっと自信持ってくれるといいんだけど」

「そうだねぇ。颯ともねぇ、小さい頃から双子なのに全然双子らしいとこ見せなくてお互いどう思ってるか僕らでも分かんなかったけどぉ…やっぱ絆があったんだねぇ」

絆か…兄弟がいない岸くんには少しうらやましくもあった。そう思っていると嶺亜が顔を覗きこんでくる。

「パパと僕たちにもあるよぉ…でっかくてぶっとい絆がぁ」

そしてぎゅっと嶺亜が手を握ってきた。岸くんは嬉しいやらなんやらで感涙に咽ぶ。とりあえずはその感情の昂ぶりを性欲に互換させた。でっかくてぶっといものをああしてこうして…

「れい…!」

本能の赴くがまま、嶺亜に覆いかぶさろうとすると懐かしの展開が訪れる。

「パパちょっといい!?あのさ、入試に面接があるんだけどパパに面接官になってもらって練習を…」

颯が目を輝かせて現れた。今まさに嶺亜を押し倒そうとしている瞬間に出くわした彼は慌ててドアを閉め…

ることはなくなおもぐいぐい迫って来た。

「嶺亜くんとのあれやこれや非人道的行為は後にして、面接の練習手伝ってよ!いいでしょ?パパはみんなのパパなんだから嶺亜くんだけが独占するのは良くないよ!そうでしょ嶺亜くん!?」

「えぇ…もぉ…しょうがないなぁ…」

嶺亜は頬を膨らませ、渋々譲った。

「えー…では我が校を志望した動機を…」

「はい!たまたま偶然陸上部の練習を見てノエロ兄さんとワカメ兄さんとしめ姉さんとえっと…消音…じゃなくて、みゅ…みゅうとだったかな?お兄ちゃんのトラビス・ジャパンの走りに感銘を受けて!俺もここで陸上やりたいと思って急きょ家に無理言って志願させてもらいました!それから…」

岸くんと颯の面接官ごっこは夜通し続いた。