Assumpta est Maria in coelum Angeli gaudent, benedicunt te Dominum
マリアは天に昇られた。天使たちは喜び、主はあなたを称え祝福する
地下鉄を降り、改札をくぐり抜ける。待ち合わせの場所にはすでに一人いた。手をあげて短い挨拶を交わす。
「え、ちょ、ダカさん何その格好。ただのメシ会なのにそんなかしこまったスーツ着る必要ある?プロポーズにでも行くの?」
克樹を見るやいなや、すでに待ち合わせ場所に着いていた矢花が若干引きながら苦笑いをする。彼はカーキのボッズコートにジーパンというラフな出で立ちだ。スーツ姿の克樹とのギャップが酷いことになっている。
「午後から大学に行かなきゃいけないんだよ。いろんな手続きもあって…スーツが無難だって聞いたから」
「ふーん…あ、大光来た。おーいこっち!」
キャップを被った大光がキョロキョロしながら歩いてくるのを矢花が呼び止める。案の定、克樹のスーツ姿についてイジった後琳寧も到着した。
「今ぴーはいつも通り車で現地集合だってさ。行こ」
克樹たち5人は先日晴れて聖神7学園を卒業した。卒業式自体は一ヶ月前に終わったが生徒として在住するのは3月31日までだ。今日は4月2日で皆の都合が合ったので日本一早い同窓会と称したランチで集まった。
「あー腹減った。朝からなんも食ってないんだよね」
店に着くやいなや、大光は次々に注文し始める。その流れに乗って克樹も注文するとようやく今野が到着した。赤いコートにサングラスなんか着けてどこぞの大物女優みたいな出で立ちになっている。目立って仕方がない。
「車混んでてさ。花見客が押し寄せてるみたい。すぐそこに大きい公園あるから」
少しだるそうにぼやいて、今野はメニュー表を見る。
「あー今年は開花早かったみたいだね。今満開か。花見とか行かないから分かんなかった」
そう言えば、ここへ向かう時に近所の公園の桜が綺麗に満開になっていたな…と克樹は思い返す。花を愛でる習慣がないから気付くのが遅かった。
「大光、いつからあっちに行くの?」
矢花がフライドポテトをつつきながら問う。テーブルの上には次々と料理が運ばれてきた。
「今月末かな。それまでに英会話の猛特訓」
大光はなんとアメリカにダンス留学に行くとのことで、英語の習得に四苦八苦していた。元々5歳の頃からダンスを習っていて、チームを組んでコンテストとかにも出ていたらしい。そして本格的にエンターテイメントの道を志すようだ。普段のおふざけキャラとは違って、これに関しては真剣に考えていたようだった。
「そうなんだ。落着いたら連絡してよ。琳寧行くから。ハリウッド見て見たいし」
唐揚げを頬張りながら、軽い感じで琳寧が言う。彼は推薦で体育大学に早々と決まっていたから5人の中で一番呑気に過ごしていた。とはいえトレーニングには明け暮れていたみたいだが…
「おいおい俺は修行に行くんだぞ。遊びに行くんじゃねえんだぞ」
「俺もあっちの音楽とかアーティストとか興味あるから呼んでよ」
矢花は音大に進学する。自分でバンドも組んで、色々活動をする予定だそうだ。一度聞かせてもらったがなかなかディープで難解な音楽観だった。
「克樹入学式いつ?その格好だと今日?」
今野が茶化す。彼は悠々自適に私大に進学し、一足早く運転免許も取ったので自分の車を持ち、それで通学するらしい。満員電車が日本一似合わない男を貫いていた。
「いや、入学式は明後日なんだけど、この後色々手続きに行かなきゃいけないからそうゆっくりもしていられないんだよね」
そう、克樹には色々と予定があった。今日はその合間をぬって来ている。無意識に腕時計の時間を確認した。
「まーでも克樹良かったよね。無事第一志望に合格できて。職員室も大騒ぎだったよね。うちの学校からこんな有名大学進学したのは谷村先生以来だって」
克樹は見事第一志望の大学に合格した。死にものぐるいで勉強して、当日までに体調を崩さないようにかなり気を遣って万全の態勢で挑んだ。その甲斐あって桜が咲いた。掲示板で合格を確認した時には涙が止まらなかった。今でも思い出すと熱いものがこみ上げてくる。
「琳寧も克樹の合格に一役買ったからね。克樹が風邪引かないように毛布貸してあげたり、食べ過ぎないように一緒に差し入れ食べてあげたり」
「前者はともかく後者は単なる横取りでしょ。まあでも遅くまで机の電気点けてカリカリ鉛筆の音立てても文句一つ言わないでいてくれたのは感謝してるよ」
「あーそれ俺なら絶対許せないわ。寝てる時に音たてられたり灯りつけられるほど腹立つことないもん」
「だから大光と同室じゃなくてホント良かったよ」
そんな話をしながら食べたいものを食べていると、いつの間にかもう店を出なくてはいけない時間になる。5人にまたねと言って克樹は店を出た。元来た道を少し足早に行く。
意識して周りの風景を見渡すと、確かに桜が咲いていて満開だった。風に乗ってそよそよと花びらが舞っている。季節はまさに春だった。
再び地下鉄の改札をくぐり抜け、丁度来た列車に滑り込む。4駅ほど乗って乗り換えをする。そこからはバスだ。
そのバス停に立つと不思議な懐かしさがこみ上げてくる。今更ながらに克樹は緊張してきて、ネクタイに無意識に手を当てた。
ふと、バス停から駅前の花屋が見えた。黄色、ピンク、紫、白…色とりどりの花が軒先に並べられている。
「…」
バスの出発までまだ時間があるから、ふと思い立ってその花屋に入って綺麗な白い花束を買った。丁寧に包装してくれたから、バスの発車ギリギリになってしまって克樹は慌てて乗り込んだ。春休み中だが平日なので空いていたから最後部の座席を独り占めできた。
バスは途中までは調子よく走り続けていたが、大きな市道に入ると途端に進みが悪くなる。
「…?」
混むような道でもないのに、かなりの交通量だ。なんで…?と思いかけて今野のぼやきがよぎる。
(…お花見か…)
そういえば、この先に河川敷があって、そこは見事な桜並木が続いているからそのせいだ。バスが空いているのは河川敷へは行かずに途中で方向が変わるからだ。思い返してみれば違う路線の方のバス亭には行列が出来ていた。
腕時計を見る。バスが発車した頃はいい感じの時間だったがじりじりと余裕がなくなってきた。だが大学へは夜までに行けばいいからそう焦らなくてもいい。問題は今から向かう場所だった。
程なくして、いよいよバスは動かなくなる。これはもう諦めて次の停留所で降りて残りを走った方がマシかもしれない。そう判断し、克樹は座席に備え付けられている停車ボタンを押す。それから数分でようやく停留所に到着した。
道はなんとなく覚えているから、駆け足で向かったがバスで行くのと徒歩とではやはりかなり違う。約束の時間がどんどん迫る中、焦りは頂点に達しようとしていた。
(なんでこんな肝心な時に…ああもう…!)
スーツと革靴は走りにくい。そして今更ながらに花束が邪魔だった。振り回してしまったから折角綺麗に包装してもらったのに崩れかけてしまっている。
それでも、時間が迫り来る以上なりふり構っていられない。ぜえぜえと息を乱しながら一心にその場所に、体力の限界を超えて走り続けた。
そしてようやくそこが見え始めた頃、克樹の肺は限界を超えてもう呼吸が上手くできなくなっていた。今にも倒れそうになったその時、それが映る。疲労で濁っていた視界が、急にクリアになったのを自覚した。
荘厳な雰囲気で佇むマリア像…その下に、腕を組んでもたれかかりながらこちらを見つめるマリアがいた。