「何なの。団子ならもうないよ。2つしか残ってなかったし」

素っ気ない言葉とは裏腹に、嶺亜の瞳には動揺の色が見える。少なくとも克樹にはそう映った。何故なら克樹はさっき彼から手渡されたよもぎ団子には手をつけていないからだ。もう片方の手の中に収まったままだ。

「あの…」

声が震えているのが自分でも痛いほどに自覚できた。すでに心臓の鼓動は胸を突き破るのではないかというくらいに早くなっている。背中にはうっすら汗が滲み始めた。

どうしてこんな行動に出てしまったのか、自分でももう分からない。昨日から自分の中の何かが壊れてしまっている。制御不能なコンピューターが暴走するかのように自制がきかない。

「何?痛いよ。とりあえず離して」

嶺亜の顔がいよいよ猜疑に染まる。警戒するかのように彼は顎を引いた。

今までの自分なら、ここで慌てて手を離して平身低頭、言い訳と謝罪を延々と述べていただろう。だが今、克樹の頭の中にはただ一つの問いかけしかなかった。

「先生が今一番大切に思っている人は、誰ですか?」

そう。克樹はそれが知りたかった。どれだけ頭を使っても、検証しても、真実を導き出すことが叶うことのない問い。

答えを知るのは他でもない嶺亜だけだ。

知りたい。それが、どうしても。

広大な砂漠の中で水を求めるが如く、克樹はその答えを渇望した。それが例え自分じゃなくても、やはり岸であっても、それとも全く思いもしない相手だったとしても…もうこのまま宙ぶらりんの状態で胸の中に靄を抱えるのは限界だ。

「教えて下さい、嶺亜先生」

懇願するように、克樹は嶺亜に言った。声は震え、目が熱くなってくる。泣きそうになるのを寸前でこらえていた。

だが、克樹の昂ぶる感情とは逆に、嶺亜は怪訝な表情を崩さない。

「そんなこと知って何になるの?」

冷たい嶺亜の声が返ってくる。その温度差に、克樹は怯みそうになる。もうこれだけで返事は見えた気がした。

そしてそれを証明するかのように、嶺亜は口調を変えることなく続ける。

「僕が誰をどう思ってるかなんて、克樹に言う必要ある?おかしな質問しないで。そういう冗談は他でやってよ」

早口で、少し苛立ったかのように嶺亜は克樹に掴まれた腕を振りほどこうとする。

「受験でイライラしてる?だったら謝るから。無神経なこと言ってごめん」

しかしその顔は謝罪をする、というよりも早くこの場を切り抜けたいといったものだった。克樹はそれを痛感する。だからすぐにでもその手を離して「いえ、こちらこそ変なこと言ってすみません。ちょっと勉強が思うように捗らなくて疲れてて…」とでも言うべきだった。

だが克樹の口からは全く別の言葉が飛び出していた。

「僕は先生のことが好きなんです」

知らず、克樹は嶺亜を抱き寄せていた。

華奢な体の感触が、ふわっと香る髪の匂いが、そして何よりこんなにも近くに香案じていられることの悦びが克樹の全てを震わせた。

ずっと見ていた。

ずっと、恋焦がれていた。

その感情の集約が、この瞬間に収まっている。自分を構築する全てと言ってもいい。

だが…

「…!」

次の瞬間、克樹はもの凄い力で突き飛ばされる。よろけて、近くにあった画材を踏んでしまった。

「先生…?」

何が起こったのか、正確に認知出来ないままにそれは視界に映る。

嶺亜の、困惑に満ちた眼差し…しかしそれは間違いなく自分に注がれている。何故、こんな目を向けるのか…克樹には理解ができない。いや、したくない。

拒絶

その二文字が容赦なく襲ってくる。克樹の気持ちは嶺亜に受け入れられることはない。残酷な事実をその瞳は記していた。

「…二度とこんなことしないで」

嶺亜の声は震えていた。強張った表情からは激しい動揺が現れていて、唇の端をきゅっと固く閉じながら彼は廊下の方に視線を向ける。

「誰が聞いてるか、見てるか分からないんだから滅多なこと言わないで。僕は教師で克樹は生徒。冗談でもそういう関係になるわけにはいかないの。だから…」

それ以上は言葉にならなかったのか、嶺亜はさっと踵を返すと立ちつくす克樹をすり抜けて足早に美術準備室から出て行ってしまった。

克樹はそれを追うことも、声をかけることもできず、ただその場に膝をつくことしか出来なかった。