「あ…」

それは挙武だった。会ったのは数日前だったから覚えていたらしく、訝しげに克樹が手に持つ紫の造花に視線を移す。

「この劇団に興味があるのか?」

「え…あ…えっと…ハイ」

どう答えたものか判断が出来ず、咄嗟に頷いてしまう。同行した女子高生達はきょとん、としていたが先に帰ってもらうように克樹はチケットのお礼と共に告げる。

「…」

挙武はまだ少し何かを疑うような目で克樹を見ている。何故か背中に汗が伝った。

「あ、そちらも…この劇団のファン…なんですか…?」

ようやく出てきたのはそんな間抜けな問いだった。混乱する中で記憶から出てきたのは、挙武はこの劇団のスポンサーになったという情報だ。

嶺亜と同級生ということは、もちろん岸と颯とも面識があるのだろう。どうやら大企業の跡取りのようだし、友人としてその夢に投資した…といったところだろうか。しかしこれは盗み聞きした内容なので本人には訊けない。

「ファン?ああまあ…俺はこの劇団のスポンサー会社の人間だ。イベントの様子を見に来たんだがちょっと仕事がたてこんで遅れて今到着した。もう終わった後のようだな」

「そうなんですか…」

ぞろぞろと帰り始める観客に紛れるようにして克樹も退散しようとしたのだが、思いもよらぬ方向に動いてしまう。挙武ががしっと克樹の腕を取った。

「ファンなんだろう?俺がスタッフに話をつけてやるから団員と数分なら話せるぞ。裏側から楽屋に入れる。来い」

「え?ちょ、ちょっと、あの…僕はそんな…」

有無を言わさぬ形で克樹を引きずり、スタッフらしき人間に挙武は話しかける。するとフリーパスかのように楽屋に通された。そこには岸と颯がラフな格好で弁当を食べて休んでいた。

「あれー挙武!どしたの?てか誰その子?」

颯が明るく出迎える。それを受けて岸が「あ」と何かに気付いたように箸を置いた。

「さっきのファンの子!俺覚えてる!若い男の子のファンなんて珍しいからさ。それに凄い整った顔してるし…もしかしてどっかの劇団に入ってるとか?挙武の知り合い?」

岸は克樹の顔を覚えていた。つい今し方のこととはいえ数十人は並んでいたし、覚えられるものなのだろうか。確かに、観客は圧倒的に女性が多いし、半分以上が社会人より上の層だったから目立つと言えば目立つ。

楽屋の岸は、さっきの舞台上のキラキラした雰囲気とはまた違って親しみやすい和やかなオーラが出ている。無条件に人を安心させる作用があるようで、どうしようと動揺していた克樹も少しだけ冷静さが戻ってきた。

「あの…えっと…僕は学校の人からOBの人が劇団やってるって聞いたので興味持って…」

なんとか無難な答えが出た。それに嘘じゃない。克樹は岸のことが気になるからここに来たのだ。

「学校のOB?」

「この子は俺らの後輩だ。聖神7学園の生徒だよ。こないだ立ち寄った時に偶然の導きがあってな。嶺亜が顧問を務める美術部の子だそうだ。確か…学年一位の秀才だと言っていたかな」

挙武の説明に、岸と颯は同時に「嶺亜の!?」と声をハモらせた。

「嶺亜の教え子かあ…そうか…あいつ立派に教師やってるんだな…」

懐かしさの中に、どこか切なさを含んだ声色で岸は呟いた。その瞳は少し潤んでいるように思えた。

克樹はそこから岸の嶺亜に対する感情を読み取ろうとした。だがやはりそれはシャボン玉のように掴もうとすると消えてしまうようなもので、今の克樹には不可能だった。

「えっと…名前…」

岸が克樹の名前を訊いてきた。一瞬躊躇ったが、しかし名乗らないわけにもいかず克樹は答える。

「あ、本髙克樹です…」

「本髙くんの目から見て、嶺亜ってどんな先生?」

「え…?」

岸の質問は、純粋に嶺亜がどんな教師か知りたかっただけかもしれない。だが今の克樹にはまるで自分の想いが見透かされたかのようですぐに答えることは出来なかった。変な間が空いてしまって少し焦りが生じる。

「えと…あの…優しいです。僕は美術部なんですけど絵が下手で…それでも親切に教えてくれるし、つい食べ過ぎちゃうから食事制限なんかもされて…それは厳しいですけど有難いっていうか…」

自分でも何を言ってるのかよく分からなくなってきてしまう。額からは汗が伝った。

「そっか」

安堵したかのように、岸は頷く。それを隣の颯が穏やかな瞳で見ている。

「あいつがそこまでしてやるなんて、きっと嶺亜にとって本髙くんは大事な生徒なんだろうな」

岸はそう言った。

「え…?」

「俺たちなんて連絡先も教えてもらえないからね。こないだチケット送ったけど来てくれなかったし。来てくれたの一回だけだもんな?颯」

苦笑いをしながら、岸は颯に問いかける。彼は頷きお茶を飲みながら浅い溜息をついた。

「谷村とはまだ連絡取れるけど、嶺亜は連絡先最近変えたみたいで、手段がもう郵送しかないんだよね。本髙くんの方からも俺たちに連絡してくれるよう言っていてくれない?」

「コラコラそんなこと高校生に頼むなよ颯。俺が数日前会った時にちゃんと訊いてきたから後で教えてやる。文化祭が近いから忙しいそうだ」

挙武が口を挟む。呆れたように颯を見据えながらもどこか和やかな視線だった。

「文化祭?そっか。もうそんな季節だ。懐かしいな…」

「あの、僕…文化祭で生誕劇やるんです。ガブリエル演じることになって…」

「ガブリエル!?俺たちと一緒じゃん!」

岸と颯はまたハモった。岸はくしゃっと破顔する。

「なっつかしー!思えばあれが原点だったな。あの当時、まさか役者の端くれになるとは思わなかったもん」

「DVDで見ました。寮母さんも絶賛で…今度舞台観に行くって言ってました」

「そうなの?それは嬉しいな。寮母さんにはいっぱいお世話になったもんなー」

「俺は正直、苦い思い出だけど…でも確かにあれが原点だったかも」

颯は苦笑いをする。そのDVDも見たことは黙っておいた。

「嶺亜先生と同級生だったんですよね?嶺亜先生は代役だったって聞きました」

「そう。あの時はね…お互いまだ若くて色々あって…ずっとその時のことが気になってたけど…こないだ舞台を観に来てくれた時にね、やっとお互い許し合えたっていうか…」

しみじみと颯は語り出す。克樹は興味があったからつい食い気味になってしまう。

「何があったんですか?嶺亜先生にはその時のことあんまり聞けなくて…」

「ん?うん…若かった故の行き違いかな…。嶺亜はあの時大事な友達を事故で亡くして辛い思いしてたのに、俺はそれを包み込んであげられなかった。手をあげたりもしちゃって…その時のこと思い出すと、今でも胸が痛くなるんだ」

急に歯の奥にものが詰まったような言い方になった。やはり詳細を聞き出すのは難しいようだ。ならばその大事な友達のことを少し探ってみようと方向性を変えてみる。

「嶺亜先生には大事な親友がいたんですよね?先生が描いたっていう学校に飾られてるマリア像の肖像画はその人に似せて描いたって先生から聞きました」

岸と颯、そして挙武はきょとん、とした表情を見せる。今の質問の何がそうさせたというのだろう…克樹は戸惑った。

だがそれは、すぐに判明した。

「そんな絵、描いてたんだ。知らなかった…」

岸が呟いた。どうやら3人は嶺亜のマリア像の肖像画のことは知らないようだった。だからピンとこなかったようだ。

「嶺亜の親友のその子はね、明るくて元気で…いつも笑ってたよ。ちょっと無茶苦茶なところもあるけどね。あの二人は割って入る隙のない自他共に認める大親友だったよ」

懐かしい昔話を語るように、しみじみと颯は話す。

「嶺亜はそれまであまり誰にも心を開こうとしなかったけど、その子と仲良くなってから少しずつ俺にも打ち解けてくれて…」

岸と颯の話す昔の嶺亜の話に克樹は聞き入る。一番知りたいことは聞けなかったが、それでも自分の知らない嶺亜の話は新鮮だった。